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王冠の重みと、溶けゆく氷

ヴァンナは優雅な仕草で、差し出されたずっしりと重い革袋を受け取った。


その動作に合わせて、中に詰め込まれた無数の銀貨が擦れ合い、チリンと清らかで心地よい金属音を立てる。


手のひらで軽く量り、資金の重量に寸分の狂いもないことを確認すると、思わせぶりに頷き、革袋を傍らのソファへと無造作に放った。


「どうやら、準備はすべて順調に進んでいるようね。一週間後には、もうロスアンを発つのかしら?」


「はい」シミアはソファに背筋を伸ばして座り、真摯に答える。「ですがその前に、王都に残ってどうしても処理しておかなければならない、極めて重要な案件がいくつかありますので」


その答えを聞き、ヴァンナの口角が微かに持ち上がる。精緻な美貌に、まるで名画に描かれた貴婦人のような、荘重でありながらも親しみを感じさせる完璧な微笑みが浮かんだ。


「構わないわ。約束通り、待たせてもらうわね」


本題は済んだとばかりに、手元にあった豪奢な細工の銀のベルをチリンと鳴らす。


清澄な音が響き終わるや否や、屋敷の奥から、身なりの整ったメイドが足音一つ立てずに現れた。その手には、銀のドーム型の蓋が被せられたトレイが恭しく捧げ持たれている。


メイドが蓋を開け、宝石のように精緻な造形で、あろうことか食用金箔まであしらわれた極上のケーキが姿を現した瞬間。先ほどまで泰然自若としていたシミアは途端に慌てふためき、ぶんぶんと両手を振った。


「だ、駄目です! ヴァンナ会長、ここへ来るたびにこんな高価なものでもてなされては、私には到底お返しする術が……」


「あら、恩返しなんて、いつでもできるじゃない?」


ヴァンナは微かに身を乗り出し、その声にほんの少しだけ、危険な甘さを帯びたからかいの音色を混ぜた。


「例えば……次回の交渉の席で、私に対して少しだけ『甘く』してくれる、とかね?」


その冗談めかした牽制に、シミアの眼差しは一瞬にして鋭く、真剣なものへと切り替わる。


「それはできません、会長。ビジネスはビジネスです。お互いの『譲れない一線ボトムライン』において、私に妥協の余地は一切ありません」


きっぱりと反論したその時。


メイドが静かに腰を屈め、二人の前に配膳し始めた。洗練されたメイドの横顔が、二人の交錯する視線を一時的に遮る。見事な白磁の皿がマホガニーのテーブルへと置かれ、カチャリと、耳に心地よい微かな音だけを立てた。


この空間の隅々にまで満ちる、隙のない豪奢と洗練された空気感が、骨の髄まで『平民』であるシミアに微かな居心地の悪さを感じさせていた。


三つの魅惑的なケーキが並べられ、メイドが深々と一礼して退出すると、再び視界が開ける。


そこでようやく、向かいに座るヴァンナがレースの扇で口元を半ば隠し、肩を震わせてくすくすと笑っていることに気がついた。


「ふふっ……ただの冗談よ。そんなに肩肘張らないで」


扇を閉じ、その瞳に深い賞賛と、年長者としての教えの光を宿す。


「けれどね、シミア。あなたほどの立場の人間が、こんな他愛のないジョークすら受け流せず、何事にも馬鹿真面目に構えていたら……貴族の『社交界ハイソサエティ』では、あっという間に古狐たちの笑い草にされてしまうわよ?」


「私は……すみません、ヴァンナ会長。少し気が張っていて……」


無意識のうちに、すっと頭を下げていた。


「ストップ」


ヴァンナは扇の先でコンとテーブルを叩き、その謝罪をぴしゃりと遮った。先ほどまでのからかうような態度は完全に鳴りを潜め、眼差しは鋭く、底知れぬ女王のそれへと変わる。


「シミア、今のそれよ。あなたがそうやって安易に頭を下げて謝罪することは、対等な協力者である私をひどく困らせる結果になるの」はぁ、とわざとらしくため息をつき、諭すように告げる。「あの件については、すでに私たち双方の間で公平な『取引』が成立しているはずでしょう? あなたは己の頭脳で私たちの抱える難題を解決し、私たちはあなたの今後の計画に莫大な資金と物資を保証する。私たちは、完全に『対等』なのよ」


一拍置き、シミアの瞳を真っ直ぐに射抜く。


「それに……今のあなたは、ミリエル陛下が直々に指名した、このローレンス王国の『次期王位継承者クラウンプリンス』でしょう? 未来の王にしては、あなたの膝と謝罪はあまりにも安っぽすぎるわ。もしあなたが外の世界でそんな卑屈な振る舞いを続け、事あるごとに頭を下げていれば……あなた自身が侮られるだけでなく、あなたにその王冠を授けた女王陛下の顔にまで、泥を塗ることになるのよ?」


シミアは雷に打たれたように硬直した。


ヴァンナの言葉は、まるで夜明けを告げる重厚な鐘の音のように、心臓を激しく打ち据えた。


自分はただ、成り行きで無理やりこの地位に押し上げられた『雇われ人』に過ぎない。心のどこかでそう高を括っていた。だが忘れていたのだ。このずっしりと重い称号を受け取った以上、自分のその一挙手一投足は、もはや彼女個人のものではないということに。


視線を落とし、深く、真摯に思考を巡らせる。


やがて再び顔を上げた時。その瞳の奥に燻っていた平民故の居心地の悪さや自卑の念は完全に霧散し、代わりに、少女特有の従容とした、揺るぎない自信が満ち溢れていた。


「――おっしゃる通りです。ご教示いただき、感謝いたします、ヴァンナ会長」


微笑みを浮かべ、その重い教訓を真っ向から受け止める。


そのあまりにも鮮やかな立ち直りを見て、ヴァンナは極上の芸術品でも愛でるかのように満足げに頷いた。


そして、客間の外へと続く、半分開いたままの扉の向こうへと視線を流す。


「さて。扉の裏に隠れているそこの『子ネズミ』ちゃん。いつまでそこで盗み見ているつもりかしら?」


その声色は、再びふんわりとした気だるげなものへと戻っている。


「さっさと出てらっしゃい、リアンドラ。これ以上隠れていたら、あなたの分のケーキまで食べられてしまうわよ」


ヴァンナの視線を追いかけ、振り返る。果たして廊下のドア枠の陰から、リアンドラがおずおずとこちらの様子を窺っていた。


この数ヶ月間、リアンドラはずっと陰謀の嵐の中心にいた。すでに行動をもってシミアとは和解を果たしているとはいえ、彼女の心の奥底には、未だに拭い去れない罪悪感と微かなわだかまりがこびりついているのだろう。


今、不意にシミアと視線がぶつかり。


リアンドラは怯えた小兎のようにビクッと肩を震わせ、無意識のうちに後ずさりして、身体の半分を再び廊下の暗がりへと隠してしまった。


怯えと戸惑いに揺れるその瞳を見て、シミアは何も言わなかった。


ただ、深く沈み込む快適なソファから自ら立ち上がり、迷いのない足取りで、リアンドラの目の前まで歩み寄る。


「リアンドラ」


少しだけ腰を屈め、真っ白な少女の瞳と同じ高さで視線を合わせる。


「扉の裏に隠れていないで。おいで、一緒にケーキを食べよう?」


「シミア……」


リアンドラが顔を上げる。逆光の中、彼女の目に映ったのは、自ら差し出されたシミアの掌と、一切のわだかまりを持たない、底抜けに真摯で温かな笑顔だった。


胸の内を占めていた僅かな不安と氷のような隔たりが、その圧倒的な包容力を持つ笑顔を前にして、一瞬で溶け去っていく。


リアンドラが躊躇ったのは、ほんの一瞬だけだった。


やがて力強く頷くと、自身の少し冷たくなった小さな手を、その温かな掌へとしっかりと重ね合わせた。

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