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継承される意志

昨日、凱旋大通りを包み込んでいた空を裂くような喧騒と狂乱の宴とは打って変わり。


ほんの数ブロックしか離れていないエグモント家の広大な屋敷は今日、息が詰まるほどの重苦しい死寂に沈んでいた。


普段ならどこか冷やりとするほど広々とした屋敷は、今は足の踏み場もないほど人で溢れ返っている。だが、そこに歓声はない。あるのは鼻を突く薬草の匂い、微かに漂う血の悪臭、そして廊下の壁に寄りかかり、全身を包帯で巻かれた負傷兵たちの押し殺したような苦痛の呻き声だけだった。


ここは急遽、エグモント家を生き延びた兵士たちを収容するための『野戦病院フィールドホスピタル』へと作り変えられていたのだ。


ミリエルはすでに昨日までの眩い銀甲冑を脱ぎ捨て、目立たない暗色の外套マントを深く羽織っている。粗末な布で厳重に包まれた細長い『何か』を抱えるコーナと共に、足音を忍ばせながら薄暗い廊下をゆっくりと進んでいた。


若い執事見習いであるレインの無言の先導のもと、二人はやがて一番奥の部屋の前で立ち止まる。


「パパ……ううっ……」


扉を開けるより早く、トリンドルのひどく掠れた、絶望に満ちた泣き声が僅かな隙間から漏れ聞こえてきた。それはまるで錆びた鈍器のように、ミリエルの胸の奥を容赦なく抉り出す。


ドアノブに掛けられたミリエルの指先が、微かに震えた。


「私一人で入るわ」


深呼吸を一つし、傍らのコーナへ小声で告げる。そして、その重厚な木製の扉をそっと押し開けた。


部屋の中は薄暗く、泥のように重苦しい空気が淀んでいる。


大きなベッドの上には、顔面を土気色に染め、ぴくりとも動かない当主のミラーが横たわっていた。その傍らの床には、まるで魂を抜かれた糸人形のようにトリンドルが崩れ落ち、シーツの端を死に物狂いで握りしめながら声にならないほど泣き咽んでいる。


そして、彼女の傍らでその背中を優しく撫で、無言の慰めを与え続けていたのは――一足先にこの場に駆けつけていた、シミアだった。


扉の音に気付いたシミアが顔を上げる。泣き崩れるトリンドルの頭越しに、入り口に立つミリエルと静かに視線を交わした。


ミリエルの瞳の奥には、耐え難い苦痛と深い自責の念が渦巻いている。彼女はシミアに向かって、微かに手招きをした。


その意図を即座に察したシミアは小さく頷く。トリンドルの耳元で何かを優しく囁きかけると、ゆっくりと立ち上がり、深い悲しみに沈む少女にその空間を残して、ミリエルと共に廊下へと退出した。


再び扉が閉じられ、張り裂けるような哭声が隔絶される。


「ミリエル……」


昨日、あれほど万民の敬仰を一身に集めていた女王が、今はまるで全身の骨を抜かれたかのように力なく壁に寄りかかっている。その痛々しい姿に、シミアは思わず口を開きかけた。


「シミア。今日一日は……トリンドルの傍に、ついていてあげてくれないかしら?」


ミリエルが遮るように先んじて口を開く。その声はひどく掠れており、微かな懇願の響きが混じっていた。


その提案に、シミアは少しだけ目を丸くする。


ミリエルは苦しげに両目を閉じ、長い睫毛を震わせた。


「私は、エグモント家に……彼女に、あまりにも多くの借りを負いすぎたわ。私を守るためにバセスは戦死し、ミラーもあんな……お願い、私の代わりに彼女を支えてあげて。今の彼女の『心の拠りしちゅう』になれるのは、あなただけなの」


自責の念に押し潰されそうなミリエルの横顔を見て。シミアはそれ以上何も問いただすことなく、ただ厳粛に頷いた。


「わかった。私はずっと、トリンドルの傍にいるよ」


『あなたのせいじゃない』などという、空虚で薄っぺらい慰めの言葉は口にしなかった。今のミリエルにとって、その重すぎる十字架の端を一緒に担いでやることこそが、唯一の救済になると知っていたからだ。


シミアはこの重い頼みを静かに引き受け、きびすを返して再び扉の向こうへと戻っていった。


細身でありながらも、どんな時も揺るがないシミアの頼もしい背中が扉の向こうへ消えるのを見届けた後。


ミリエルは、鉄の味が口の中に滲むほど強く下唇を噛み締め、眼底に込み上げてくる熱い酸の海を、どうにか腹の底へと呑み下した。


「次はどちらへ向かわれますか、ミリエル陛下?」


レインの低く落ち着いた声が絶妙な間で響き、扉に未練を残していたミリエルの意識を現実へと引き戻す。


ハッと我に返ったミリエルは、静かに控えるコーナとレインを見つめ、深く長い深呼吸を一つした。そして、再び『女王の堅牢な鎧』をその身に纏う。


「レイン。少し、誰もいない場所で話をしましょう」


レインの先導に従い、ミリエルとコーナは一階の談話室へと案内された。


レインが重厚なカーテンを引き開けると、秋の午後の少し目に刺さるような日差しがドッと流れ込み、薄暗かった部屋を一気に明るく照らし出す。光の帯の中で舞い散る細かな埃までが、鮮明に見て取れた。


「陛下、どうぞお掛けください。すぐに紅茶と茶菓子の用意を……」


礼儀正しく頭を下げるレインを、ミリエルの鋭い声が引き留めた。


「必要ないわ、レイン。こちらへ来て、そこに立ちなさい」


いかなる反論も許さない、絶対的な威厳に満ちた命令だった。


言われた通りに足を止め、振り返った若い執事見習いは、静かに若き女王の眼差しを受け止める。


「あなたは、バセスの『後継者あとつぎ』かしら?」


唐突な問いに、レインは一瞬虚を突かれたように目を見開いた。


彼は周囲を見渡す。かつて隆盛を誇った巨大なエグモントの屋敷は、今や風前の灯火。バセス爺様の代わりとなり、『大執事』としてこの家を護り抜くという重圧を背負える者は、もはや自分しか残されていない。


一切の迷いを捨て、彼は決意に満ちた眼差しで力強く頷いた。


「……いいでしょう。あなたに伝えるべきことが、二つあるわ」


ミリエルが傍らのコーナへ視線を送る。コーナは粛然とした面持ちで一歩前に進み出ると、ずっと抱えていた粗布の包みを差し出した。


ミリエルが結び目を解く。


中から姿を現したのは、無数の傷が刻まれ、槍の穂先すらもボロボロに刃こぼれした、漆黒の長槍だった。そこから、すでに乾ききった微かな血の匂いが漂ってくる。


「これはバセスが、南方の戦場で命の炎が燃え尽きる最後の瞬間まで、決して手放すことのなかった長槍よ」


そのずっしりと重い武具を両手で恭しく捧げ持ち、ミリエルはレインの目の前へと差し出した。


「最期の……」


レインの頭の中が、一瞬にして真っ白になった。


かつて主人の手によって幾度も磨き上げられ、鈍い光を放っていた見慣れたその長槍を呆然と見つめる。脳裏にフラッシュバックするのは、女王に従って南方へと出陣するあの日、昔話を楽しそうに語ってくれたバセス爺様の、あの豪快な笑顔だった。


「……はい」


ひどく震える声。胸の奥で暴れ狂う激痛と哀しみを必死に押さえ込みながら、レインは微かに震える両手を伸ばし、エグモント家の『守護の魂』が宿るその長槍を、女王の手から極めて大切に受け取った。


顔を上げた瞬間、彼は驚愕した。


先ほどまであれほど威厳に満ちていた女王陛下の双眸に、溢れんばかりの涙が溜まっていたのだ。


「バセスは……本当に最後の最後まで、私の前に立ち塞がり、私を護り抜いてくれたわ」


ついに、大粒の涙がミリエルの美しい頬を滑り落ちた。彼女はそれを拭おうともせず、ただレインの腕の中にある長槍を見つめている。それはレインに語りかけているようでもあり、散っていった忠義の魂へ向けた独白のようでもあった。


「はい。それが、バセスお爺様の使命ですから」


レインは目を真っ赤に腫らし、声を詰まらせながらも、どこか誇り高さを滲ませて答えた。


傍らで、コーナが無言のまま純白のハンカチを差し出す。


ミリエルはそれを受け取り、頬の涙痕をそっと拭い去った。再び顔を上げた時、その瞳から一切の脆弱さは消え失せ、一国の君主に相応しい荘重と粛穆だけが宿っていた。


「そして、もう一つの伝達事項よ」


ミリエルはレインの目を真っ直ぐに見据え、一字一句、談話室の隅々にまで響き渡るほどクリアな声で宣言した。


「当主ミラー殿が昏睡に陥る直前に残された遺言により――今この瞬間より、トリンドル・エグモントが正式にエグモント家の当主の座を継承する」


少しの間を置き、さらに言葉に重みを込める。


「レイン。この決定を、一族のすべての者、そして王都の全貴族社会へ通達しなさい。今この瞬間より、トリンドルへのいかなる軽視や侮辱も、ローレンス王室への明白な挑発と見なすわ」


その断固たる決意を聞き届けた瞬間。


レインは長槍を抱き抱えたまま、半歩だけ後ろへ下がった。


背筋を真っ直ぐに伸ばし、若き執事はゆっくりと、そしてこの上なく厳粛な動作で片膝をつく。


目の前の女王へ向けて。そして、エグモント家の新たな未来へ向けて、深く、深く頭を垂れた。


「――御意に、女王陛下」

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