激化する情勢:同盟会議
午後のけだるい空気を切り裂くように、夏の陽光が軍事戦略科の広い教室に差し込んでいる。
それはまるで、金色の剣のようだった。
今日の教室は、いつになく熱気を帯びている。
中核メンバーである私、ライナス先輩、クラウディア先輩。
そこに新たに二人の少女が加わっていた。
一人は、騎兵主官に内定したばかりの凛とした剣士、シメール・ディス。
もう一人は、健康的な小麦色の肌と鍛え上げられた肉体を持つ少女――ダミール・ケントだ。
「ディス嬢を通常騎兵の総長に、か。……悪くない人選だ」
ライナス先輩は顎に手を当て、シメールを品定めするように眺めると、満足げに頷いた。
だが、すぐにその切れ長の目を細める。
「唯一の懸念材料は、御父上の態度だな。あのシオン卿が理解を示してくれるか……」
ライナス先輩の探るような視線を受けても、シメールの表情は揺るがない。
「ディス家は貴族だ。家としての義務も背負っている」
「心配には及びません。父は私が軍に入ることに反対はしていませんので」
シメールは迷いなく、きっぱりと答えた。
だが、その楽観を遮るように、冷ややかな声が響く。
「そう単純な話ではありませんわ、ディス様」
沈黙を守っていたクラウディア先輩が、眉をひそめて口を開いた。
彼女は問題の核心を、鋭いナイフのように突きつける。
「シオン卿が許可されたのは、あくまで『王国の軍』への入隊でしょう? ですが、私たちが作ろうとしているのは『シミアの私兵』です。この二つは、政治的な意味合いが天と地ほども違います。……おわかりになりますか?」
シメールが微かに息を呑んだ。
クラウディア先輩の言葉に含まれる深い意味を、ゆっくりと咀嚼していく。
普段は彼女が意識の外に追いやっていた、貴族社会特有の冷徹な常識。それが今、残酷な現実となって彼女の前に立ちはだかっていた。
私兵への参加。
それは即ち、「派閥入り(ポジショニング)」を意味する。
まだ地盤も固まりきっていない新星であるシミア・ブルンと、家の運命を一蓮托生にするということだ。
「……政治、か」
その二文字は、千金の重みを持ってのしかかる。
貴族の子女として逃れられない枷。シメールの顔に浮かんでいた快活な笑みが、降り出した雨に打たれたように曇っていく。
ライナス先輩が重々しく頷き、同情の色を浮かべた。
「不運だが、そういうことだ。ディス嬢」
だが、その陰りは長くは続かなかった。
シメールは深く息を吸い込むと、顔を上げる。そこにはもう、剣士としての毅然たる表情が戻っていた。
「わかった。その意味も含めて、父上には包み隠さず話してくる」
「貴女にその覚悟があるのなら、問題ありませんわ」
私は、そのやり取りを静かに見守っていた。
吹き荒れる「政治」という名の嵐。その中心にいながら、私は部外者のように口を挟むことができない。
「シミアはどう思う? ディス嬢の件だが」
ライナス先輩に水を向けられ、私はシメールを見た。
返ってきたのは、自信に満ちた眼差し。
「……いいだろう。全ては、シメールが父親と話をつけてからだ」
* * *
シメールの議題が一段落し、同盟のメンバーが視線を交わす。
空気が、一段と重く張り詰めたものに変わった。
「さて。次は今日、最も重要な議題だ」
ライナス先輩が咳払いを一つ。
その視線が、傍らに立つダミール・ケントへと向けられる。
「ケント家が、我々の同盟への参加を希望している。王国でも名高い武門の家柄だ。彼女たちが加われば、私兵団の訓練体系や兵の質にとって計り知れない利益となる。……だが、受け入れるかどうかは」
先輩の視線が、私に流れる。
その目は語っていた。決定権は君にある、と。
私はダミールの小麦色の肌を見つめた。
かつて剣術の授業で刃を交え、敵対した相手。あの時の因縁は清算したとはいえ、私とてわだかまりを完全に消せるほどの聖人君子ではない。
受け入れるか、拒絶するか。
その選択が未来をどう変えるのか、私自身にも霧の向こうの景色は見えていなかった。
「決める前に、一言いいか? シミア」
私の迷いを察したのか、ダミールが先に口を開いた。
私は黙って頷く。
ダミールは重い足取りで、部屋の隅に置かれた巨大な砂盤へと歩み寄った。
窓から差し込む強烈な西日が、砂盤上の「辺境」エリアを照らしている。まるで光の剣が、王国と辺境を残酷に分断するかのように。
私も砂盤の縁へと移動し、彼女の言葉を待った。
「今回、私はケント家を代表して――いや、エグモント家を除く『辺境貴族の大部分』を代表して、同盟を求めに来た」
ダミールは戦駒の箱から慎重に軍団の駒を取り出し、ローレンス王国の国境線上に置いた。
「前回の辺境戦争……あれは、皆の心をへし折るには十分すぎたんだ。シミア」
彼女の指が砂をなぞり、深い溝を刻む。それはまるで、辺境貴族たちの心に刻まれた傷痕のようだった。
「多くの家が考えている。もし、もう一度あれと同規模の侵攻があれば、辺境は保たないと。砦の位置は孤立しすぎているし、兵力は底をついている。鋼心連邦が本気で攻めてくれば、抗う術はない」
「それに……今の南方農業領の混乱を見る限り、王都からの援軍も期待できない」
ダミールの言葉には、名状しがたい悲壮感が漂っていた。
家族のためか、故郷のためか、それともこの傾きかけた王国のためか。
その重たい溜息は、私の内側にある何かを揺さぶった。
私は砂盤を見下ろす。脳内で幾度となく鮮血に染めてきた、この箱庭の戦場を。
「今、私たちが頼れるのはお前だけなんだ、シミア。かつて私たちを救ってくれたお前だけが……」
顔を上げたダミールの瞳。
そこには、溺れる者が藁をも掴むような、切実な光が宿っていた。
彼女は待っている。辺境の運命を変えるかもしれない、私の答えを。
私は一度、目を閉じた。
答えなら、最初から脳裏にある。冷酷で、鮮明な答えが。
だがそれを口にするには、敵を斬る以上の覚悟が必要だった。
深く息を吸い、目を開ける。
私はダミールの期待に満ちた視線を真っ向から受け止めた。
「……本音を聞きたいなら言おう。――辺境の死守は、自殺行為だ。ダミール」
私は傍らにあった指示棒を取り、無慈悲に三つの砦を指し示した。
「この砦群は、王国が『永遠烈陽帝国』と争っていた時代の遺物だ。各領主の領地から離れすぎている上、互いが孤立している。分断包囲されれば終わりだ」
ダミールが唇を噛み、重く頷く。それは前回の戦争で嫌というほど味わった現実だ。
「以前、私が機動防御を提案したのは、退路がなかったからだ。だが、戦略的な大局で見れば……」
私の指示棒が、辺境から内陸へと巨大な弧を描いた。
「この地域には十分な戦略的縦深がある。兵力差が絶望的なら、土地を捨て、整然と後退し、敵の補給線を限界まで引き伸ばす。それこそが鋼心連邦を消耗させる唯一の道だ」
「それは……領主たちに領地を捨てろということか? 絶対に不可能よ、シミア」
クラウディア先輩の声が、私の思考を鋭く遮った。
振り返ると、公爵令嬢は優雅に、けれど諦観を含んだ苦笑を浮かべていた。
「貴族にとって、土地は命そのものですわ。名誉であり、富であり、家を繋ぐ根幹です。『戦略的勝利のために先祖伝来の土地を捨てろ』ですって? ……彼らは城と心中することを選ぶでしょうね。その戦略を強行すれば、この同盟は結ばれる前に瓦解します」
クラウディア先輩の否定は、あまりにも重い。
それは鎌のように、私の純粋な軍事的合理性を刈り取った。
これが現実だ。
軍事的な最適解は、往々にして政治的な死に道となる。
「希望が必要なんだ、シミア。たとえ偽りでもいい、お前が私たちの希望になってくれ」
ダミールが一歩踏み出す。
その声は大きくはない。だが、私の魂を直接叩くような響きがあった。
「父からの伝言だ。『どうか我らに活路を示してほしい。その対価として、ケント家、ひいては辺境同盟の力は、貴殿の意のままにして構わない』と」
王室の支援は見込めない。
残された辺境の敗残兵だけで、鋼心連邦の――あのカシウスの全力侵攻をどう防ぐ?
私は砂盤を見つめる。領地という名の呪縛に囚われた駒たちを。
――理性的な撤退が不可能なら。「抵抗」こそが、彼らを目覚めさせるために必要な通過儀礼なのかもしれない。
「…………わかった」
私は指示棒を下ろした。
「ならば、まずは『抵抗』を試みよう。地形を利用し、敵の進撃を遅滞させる」
私はダミールを見据え、かつてないほど厳粛な声で告げた。
指示棒の先を、砂盤の、ある一点に突き立てる。
「ただし、戦術的鉄則は遵守してもらう。後方と側面の安全確保は絶対だ。精鋭の斥候部隊を放ち、背後の警戒を怠るな。いいか、相手はカシウスだ。真正面からは来ない。必ず防衛線の綻びを突いてくる。……退路を確保しないままの盲目的な死守だけは、絶対に許さない」
指示棒に力を込め、私は念を押した。
「この言葉を、一言一句違わずケント将軍に伝えてくれ」
ダミールは、私の意図を完全には理解していないかもしれない。
それが、必敗の局面にありながら種火を残すための布石であることを。
だが、彼女はわかっていた。私が「引き受けた」ということだけは。
かつて辺境を救った少女が、再び自分たちの側に立ったのだと。
「ああ! 必ず伝える!」
ダミールの声に、闘志の炎が戻る。
「ダミール。辺境で何か動きがあれば、同盟を通じてすぐに知らせてくれ」
「了解だ」
こうして、辺境の武門・ケント家が、正式にシミアの同盟に加わった。
未来を描く版図に、重要な一が嵌め込まれた瞬間だった。
シミアは黙って、西日に切り裂かれた砂盤の影を見つめていた。
その瞳に映るのは、やがて訪れる巨大な危機の予兆か。
――彼女に残された猶予は、恐らくもう長くはないのだろう。




