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想いを届けるレシピ

午後の日差しが、レースのカーテン越しに木製の床へ気怠げな光を落としている。

シメールとシャルの部屋には、卵とバニラが混ざり合った甘い香り――「家」の匂いが満ちていた。


カチャ、カチャ、カチャ。


シャルの手元のホイッパー(泡立て器)が、ボウルの壁をリズミカルに叩く。

彼女はうつむき加減で、ボウルの中の生地を見つめていた。混ぜる手つき、泡立て器に絡みつく生地の粘りを確かめる眼差しは、まるで未完成の芸術品を品定めする鑑定士のように真剣だ。


リビングの反対側では、シメールが窓際で愛剣の手入れをしていた。

純白のネル布が冷ややかな刀身を滑り、シュッ、と微かな衣擦れの音を立てる。

剣士にとって、本来ならば明鏡止水の境地に至るべき時間。

だが今日、その鏡のような刃に映り込んでいるのは、眉間に深い皺を刻んだ自分の瞳だった。

手が止まる。

視線が、吸い寄せられるように部屋の一角へと流れた。

ぽっかりと空いた、一人掛けのソファ。

――そこは、シミアがここに来た時、好んで座っていた特等席だ。

陽だまりがソファを温めているのに、肝心の主がいない。その空虚さが、シメールの胸に正体不明の焦燥をもたらしていた。


「……静かすぎるな」


シメールは低く呟き、剣を鞘に納めた。パチン、と金具が鳴り、部屋の偽りの静寂を破る。

キッチンから聞こえていた攪拌音も、同時に止まった。

シャルが振り返る。頬に白い小麦粉をつけたまま、その瞳にも同じような迷いの色が浮かんでいた。


「シメール様?」

「シャル」


シメールは立ち上がり、空のソファへと歩み寄った。確かめるように、座面を手のひらで強く押す。


「祝勝会の後から、シミアはもう二週間もこの部屋に顔を出していない」


彼女は振り返った。勇敢な鳶色の瞳には、今や武人としての鋭い懸念が宿っていた。


「考えてしまうんだ。……彼女シミアはまた一人でどこかに籠もって、自分を追い詰めているんじゃないかと」


シャルはボウルを置き、目を伏せた。


「シミア様は……いつだってそうです。私たちに心配をかけまいとして、全部笑顔の下に隠してしまう」

「いや、性格だけの問題じゃない」


シメールは首を振った。無意識に剣の柄を握りしめる。そこが彼女の思考の支点であるかのように。


「最近、あの時の会話を何度も思い返すんだ。私は急ぎすぎたんじゃないか? 彼女の『私たちを守りたい』という気持ちにつけ込んで、私軍設立なんていう重い選択肢を、無理やり突きつけてしまったんじゃないか、と」


声に、深い悔恨が滲む。


「私は彼女の力になりたかっただけだ。だが、剣を握る者がどれほどの重圧プレッシャーを背負うことになるか、想像が足りていなかった。私の提案が、シミアを圧し潰そうとしているのなら……」

「シメール様……」

「いずれにせよ、私の期待に応えるために、彼女が無理をするのは本意じゃない」


シメールは顔を上げ、射抜くような視線をシャルに向けた。


「昔、剣の師匠に言われたことがある。『名剣ほど、硬すぎれば折れやすく、粘りすぎれば斬れぬ』とな。……シミアは張り詰めすぎている。心配なんだ」


彼女はキッチンの入り口まで歩き、真剣な声音で告げた。


「人も同じだ。去年の死闘、この春の政争……シミアの精神は、極限まで張り詰めたつるのようだ。もし私たちが、彼女の力に期待するばかりで、その心をメンテナンスもせず、休息も与えずにいたら……彼女は、いつか壊れてしまう」


その言葉は、重いハンマーのようにシャルの心を打ち据えた。

シャルの顔から血の気が引く。粉まみれの手を強く握りしめ、指関節が白く浮き上がった。


「……おっしゃる通りです。私が、鈍感でした」


声が震えている。


「最近……『シャル・キッチン』のことに夢中になりすぎて、自分の目標ばかり追いかけていました。シミア様が一人で苦しんでいるのに。私が一番近くにいる家族なのに、リラックスさせてあげることさえできていなかったなんて……」


泣き出しそうなシャルを見て、シメールは大きく息を吸い込んだ。

キッチンに踏み込み、剣ダコのある硬い手で、シャルの華奢な肩をバンと叩く。


「自分を責めている場合か、シャル」


シメールの瞳に、騎士の決断の光が戻る。


「危機に気づいたなら、動くぞ。私たちにできることをするんだ」

「え?」


シャルが驚いて顔を上げる。


「彼女が来ないなら、私たちの想いをあっちへ送り届けるまでだ!」


シメールは親指でオーブンを指した。


「難しいことは分からん。だが少なくとも……腹を空かせて悩ませるわけにはいかない! シャル、彼女は寮の飯については何も言わんが、間違いなく貴女あなたのご飯の方が好きなはずだろ?」


戦場へ赴くかのようなシメールの熱気に、シャルは一瞬呆気にとられ――次の瞬間、その口元に優しい笑みが戻った。瞳の陰りは、もうない。


「……はい! ではシメール様、お手伝いをお願いします!」


シャルはオーブンを一瞥する。隙間から、香ばしい匂いが漂い始めていた。


「クッキーはあと五分で焼けます。シメール様、食材の買い出しをお願いできますか? 今夜はシミア様の部屋に押しかけて泊まるつもりです。何があっても、シミア様を休ませてみせますから!」

「任せてくれ! 力仕事なら私の独壇場だ!」


シメールは快活に請け負った。

自室に戻り、部屋着を脱ぎ捨てて手早く制服に着替える。

再びリビングに現れた時には、シャルが書き上げた買い物リストが用意されていた。


「では……お願いします」

「ああ。吉報を待っていてくれ」


シメールはリストを握りしめ、ドアを開け放つ。

午後の眩しい陽光の中へと、彼女は大股で踏み出していった。

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