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書庫の密談、あるいは力の証明

学院図書館の奥深くにある、馴染みの隠し部屋。

そこでシミアは、インクと古紙の香りが漂う資料の山に埋もれていた。


『王国北部鉱石分布詳解』

『ローレンス王国木材図鑑』

『王国主要穀倉地帯および輸送経路考』……


ページをめくるたび、脳裏にはアルヴィン将軍の疲弊した言葉と、あの廃品回収所のような「鎧の墓場」がフラッシュバックする。

(アルヴィン将軍は、軍隊を維持することの現実を見せてくれた。将軍の苦境は、表面上は資金不足だけど、根本にあるのは政治という鎖に手足を縛られていることだ)

(もし自分の軍隊を作るなら……資源、兵站ロジスティクス、兵員の確保、運用ドクトリン……多角的な視点からの考察が不可欠だ。トラブルが起きてからでは遅い。事前の対策プランが必要だ)


「ありがとうございます、コーナ先生……」


シミアは本の山から顔を上げ、紅茶を運んできてくれたコーナに礼を言った。


「まさか、王国の物産に関する資料をこれほど集めていただけるなんて」

「いいえ」


コーナはティーカップをことりと置き、微笑んだ。


「シミアさんがそうやって寝食を忘れて没頭している姿を見ていると、昔の自分を見ているようで嬉しくなるんです。……でも、どうして急に王国の物産に興味を?」

「実は……」


シミアは少し言い淀んだが、意を決して口を開いた。


「先週末、アルヴィン将軍に招かれて、近衛軍の視察に行ってきたんです」

「なるほど」コーナは察したように頷く。「アルヴィン将軍も、ミリエル様も……皆、貴女を頼りにしていますね」

「いえ、そんなんじゃありません」


シミアは苦笑して首を振る。


「私が無理を言ってお願いしたんです」


彼女は一呼吸置き、ずっと胸につかえていた問いを投げかけた。


「コーナ先生。私、最近……私軍のことでずっと悩んでいるんです」

「私軍、ですか?」


コーナの紫色の瞳が、少しだけ見開かれる。


「はい。教えてください。歴史的、あるいは政治的な観点から見て……領主たちは、一体何のために私軍を持つのでしょうか?」


コーナはシミアをじっと見つめた。やがて驚きの色は消え、納得の色が広がる。


「そうでしたか。これらの資料は、私軍設立のためのフィージビリティスタディ(実行可能性調査)だったのですね。……本当に、貴女らしい」


コーナは少し考え込み、静かに語り始めた。


「領主が私軍を持つ理由は様々です。端的に言えば、私軍とは『権力の象徴ステータス・シンボル』。それだけで十分な理由になり得ます」


シミアがピンと来ていない顔をしているのを見て、コーナは噛み砕いて説明する。


「とても現実的な計算ですよ、シミアさん。私軍は自身の権力の可視化です。貴族社会には競争意識がありますからね。例えば、自分より位階の低い領主が、自分より多くの兵を持っていたらどう思いますか? 嫉妬し、危機感を抱き、自分の軍備を拡張しようとするでしょう」

「……はい」

「次に、領内の秩序維持。農民反乱の鎮圧などがこれにあたります。そして対外的な理由としては……軍事史で読んだ通り、かつて王国が対外戦争を行っていた時代、どれだけの私軍を動員できるかが、その貴族の発言力に直結していました」


説明を聞けば聞くほど、シミアの顔には困惑の色が濃くなった。

コーナの挙げる理由はどれも、自分とはあまりにかけ離れている。

自分は国内で最も位階の低い(というか爵位さえない)領主だ。見栄を張る相手も資産もない。領地を持たないから、鎮圧すべき暴動も起きない。対外戦争だって、今の王国は徴兵制度を変えて久しい。


(だとしたら……私が私軍を作る必要性なんて、どこにもないんじゃ……)


「あの……コーナ先生」


シミアはすがるような眼差しで尋ねた。


「先生は……私が私軍を持つべきだと、思いますか?」


その問いで、コーナはシミアの迷いの根源を理解した。

「すべきかどうか」で立ち止まっている少女。

コーナは複雑な、けれど慈愛に満ちた笑みを浮かべた。


「シミアさん。その問いへの私の答えは――」


コーナは身を乗り出し、いつになく断定的な、強い口調で言った。


「持つべきです。いえ、貴女は持たなくてはなりません」

「どうしてですか?」シミアは驚いて顔を上げる。「私には競争心もなければ、守るべき領地もないのに」

「シミアさん。貴女はまだ、ご自身の『政治的な特殊性』に気づいていないのですか?」


コーナは立ち上がり、本棚の方へと歩く。静寂に包まれた図書館に、彼女の声だけがクリアに響く。


「ここからは歴史ではなく、政治の話をしましょう」

「政治……」

「なぜアルヴィン将軍の近衛軍は身動きが取れないのか?」


コーナが振り返る。その瞳は知性の光を放っていた。


「それは彼らが『王室の権威』そのものであり、王国の政治システムの一部だからです。彼らの編制も、予算も、王国の長い歴史としがらみに、がんじがらめに拘束されている」


彼女はシミアの前に戻り、両手をテーブルについて、その瞳を覗き込んだ。


「ですが、貴女はどうでしょう? 貴女は領主であり、女王陛下が最も信頼する人物であり、さらに王国最大の貴族筆頭になりつつあるトリンドル様からも信頼されている。……この意味が分かりますか? 貴女が率いる私軍は、既存の勢力の干渉を一切受けず、貴女個人にのみ忠誠を誓うことができる。それはつまり――ミリエル様にとって、誰にも邪魔されない、最も鋭く、最も秘められた懐刀になり得るということです!」


コーナの声が少し和らぐ。そこには、彼女自身も気づいていない微かな羨望が混じっていた。


「もちろん、代償はあります。私軍を持てば旧来の貴族たちから猜疑の目を向けられるでしょう。管理を誤れば名声を失う。利用されれば、身を滅ぼすことにもなりかねない」


彼女は背筋を伸ばした。


「ですが、シミアさん。貴女には天与の条件が揃っている。常人離れした軍事的才能、女王からの絶対的な信頼。そして貴女自身は無自覚かもしれませんが――貴女を中心として、今、有史以来最強とも言える新たな権力基盤が形成されつつあるのです」


コーナは柔らかく微笑んだ。


「自分の政治的立ち位置さえ正しく認識できれば、それらの問題など、貴女にとっては些末なことだと気づくはずですよ」


コーナの流れるような分析は、雷鳴のようにシミアの脳内を揺さぶった。

目の前にいるのは親しいコーナ先生だが、彼女が語る「政治」という怪物は、あまりに巨大で理解の範疇を超えている。


「責任……」


シミアはその言葉を無意識に反芻し、手元にある分厚い『木材図鑑』へと視線を落とした。

ひんやりとした革表紙の感触。

たった一冊の本が、王国の未来そのものを重くのしかけてくるようだった。


(でも……本当に、それが私の望みなのかな?)


頭では理解できたはずなのに。

シミアの胸の奥のおりは、晴れるどころか、ますます深く沈んでいくようだった。

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