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ゼロから始める軍神少女  作者:
第二巻 エピローグ
125/131

コーナの戦場

学院図書館、窓際の執務机。

そこは今、コーナ・ヘルヴィスの戦場と化していた。


巨大なアーチ窓から差し込む夕陽の残光が、その身に暖かな金色の光を注いでいる。

だが、狂熱に燃える彼女の魂を温めるには、至らない。


手にした羽根ペンは、もはや書くための道具ではなかった。

紙の上で繰り広げられる、激しい決闘。

ペン先が紙を叩くたび、カリカリと鋭く乾いた音が響く。まるで、刃が空を切る音のようだ。

インクが、みるみるうちに文字へと変わっていく。顔を上げることもなく、正確に、何度も、何度もインクを補充する。

その一連の動作は、流れる水の如く、どこか心臓をざわつかせるようなリズムを刻んでいた。


窓の外の世界は、とうに彼女の意識から消え去っていた。

その瞳に映るのは、ただ、文字によって築かれた、愛と裏切りの舞台だけ。


――『カール・ローレンス』。

彼女が密かに書き綴ってきたこの物語は、今、最後のクライマックスを迎えようとしていた。


物語のヒロイン、タリンは、ついに耐えきれなくなった。

愛する悪役令嬢、エミルと密会を重ねる日々に。

勇気を振り絞り、かつての恋人――あの、独占欲の塊であるカール・ローレンスにすべてを打ち明けた。

だが、待っていたのは、狂気じみた監禁だった。


カリ、とコーナのペン先が、微かに止まる。

(そう……物語のカールも、現実のあの方も。その愛は、有無を言わせぬ独占欲に満ちている)

ミリエルの面影が、脳裏をよぎる。

だが、すぐに頭を振り、意識を物語へと引き戻した。


タリンは囚われ、エミルは家の都合で、別の権力者との結婚を強いられる。

絶望の淵。その時、前線から報せが届いた。

――カール・ローレンス、戦死。

かつての敵であった、一人の侍女の手を借り、タリンは籠の中から逃げ出した。


コーナの呼吸が、速くなる。心臓が、勝手に激しく鼓動していた。

分かっている。最も重要な場面が、すぐそこまで来ている。


インクをたっぷりと含ませ、腕に力を込める。

ペン先が、決然とした軌跡を紙の上に刻んだ。

――タリンは、エミルの、あの盛大で、偽りに満ちた婚礼の場へと乱入する。

そして、列席者全員が驚愕する中、他の男のものになるはずだった花嫁を、奪い去ったのだ!


「……これよ」

コーナの口元に、心からの、満足げな笑みが浮かんだ。

最後の一文字を書き終え、この、苦しみと希望が交錯する物語に、完璧な終止符を打つ。


――二人は権力者の追手から逃れるため王都を離れ、末永く幸せに暮らしましたとさ。


「はぁ……」

コーナは、長いため息をついた。まるで、魂に溜まったすべての疲労を、吐き出すかのように。

体温でぬるくなった羽根ペンを置き、椅子の背にもたれかかる。

天井を仰ぎ、創作を終えた後の、あの巨大な虚脱感に、身を任せた。


やがて、ゆっくりと立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。

夕陽が、遠くの地平線へと沈んでいく。空の果てを、絢爛な茜色に焼き尽くしていた。

(綺麗……)

コーナは、そう思った。

だが、この、作り物の美しい結末が、かえって現実の重さを、彼女に、よりはっきりと感じさせていた。


(もし、現実も、物語のように……こんな風に、がむしゃらに、幸せな結末へと、突き進めたら、どれだけいいか)


脳裏に、いつも強がっているミリエルの顔が浮かぶ。

シミアを取り巻く、複雑で、危険な渦が浮かぶ。

トリンドル、シャル、ミリィル・ルルト……。

現実の障害は、小説の中のそれより、遥かに厄介で、手強い。


(ミリエル様は……本当に、大丈夫、なのでしょうか……)


創作がもたらした束の間の慰めと、未来への深い憂慮。

二つの巨大な山が、コーナの、華奢な肩に、ずしりとのしかかっていた。


――駄目。


ばっ、と彼女は頭を振る。

両手で、ぱん、と力強く自らの頬を叩いた。

乾いた音が響き、彼女を完全に覚醒させる。


(物語は終わった。次は、本物の物語に、参加する番よ!)


瞳から、すべての迷いが消え失せた。

代わりに宿るのは、ヘルヴィス家の跡継ぎとしての、揺るぎない決意。


(さあ、政務を一気に片付けてしまいましょう! それが、わたくしにできる、唯一のことなのだから!)


コーナは、くるりと身を翻し、机の上のオイルランプを手に取った。

火打石を打つと、橙色の炎が、ぱっと灯る。

その炎が、闘志に燃える彼女の紫色の瞳を、明るく照らし出した。


もはや、ためらいはなかった。

毅然として、王宮へと続く秘密の通路の扉を押す。

小さいけれど、前途を照らすには十分な光を放つそのランプを手に、彼女は、躊躇いなく、飛び込んでいった。

あの、深淵のような、権謀術数が渦巻く、闇の中へと。


彼女にとって、本当に忙しい一日は、今、ようやく、始まったばかりだった。

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