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ゼロから始める軍神少女  作者:
第二巻 エピローグ
123/131

振り返りと、新たな旅立ち

午後の陽光が、ようやく厚い雲のしがらみを振りほどき、こののどかな休日に、温かな金色の光を注いでいた。

シメールとシャルの寮は、いつものように賑やかだった。シャルが焼いたばかりのバタークッキー。その抗いがたい甘い香りが、紅茶の芳醇な香りと絡み合い、部屋中に〝幸せ〟の匂いを満たしていた。

トリンドルは、当たり前のようにシミアに寄りかかり、クッキーを小さく齧っている。だがその視線は、シミアが手にしている分厚いノートから、一瞬たりとも離れない。

「そういえば、あの刺客、結局どうなったの?」

シメールも、好奇心から身を乗り出して尋ねた。「そうよ、シミア。あなたたちがどうやってあの刺客を倒したのか、私たち、まだ詳しく聞いてないわ」

「シス副団長の供述によると、〝影〟と呼ばれたあの刺客は、〝静寂の刃〟の中でも最も謎に包まれた切り札だったそうです」シミアの言葉には、九死に一生を得た者の疲労が滲んでいた。「ただ、肝心の〝影〟本人は、何も供述しなかったとか」

脳裏に、自分を守るために命を落とした四人の兵士の姿が、そして彼らが倒れた時の絶望的な眼差しが蘇る。

続いて、血の匂いが立ち込める雨の中、自らの命を懸けて戦ってくれた女王の姿が。

兵士たちの犠牲も、ミリエルの決死の覚悟も。そのどちらもが、自分の判断ミスが招いた結果だ。

そう思うと、苦いものがこみ上げてきた。

コン、コン、と、その時、丁寧なノックの音が響いた。

シャルは手を拭き、足早にドアを開けに行く。

扉の外に立つ訪問者の顔を見た瞬間、彼女の顔に、信じられないという驚きが浮かんだ。

「じょ、女王陛下! よ……ようこそお越しくださいました!」

女王ミリエルが、分厚い資料の束を抱え、真新しく、染み一つない領主学院の制服に身を包んで、部屋へと入ってきた。

彼女は慣れた様子で一同の儀礼を制すると、まるで自室のように、ごく自然に、シミアの隣のソファに腰を下ろした。

「何か、面白い話でもしていたのかしら?」

「シミアから、刺客の件について聞いていたところです……」シメールが答える。

「ああ、あの件ね」ミリエルの顔に、意味ありげな表情が浮かんだ。「実は、〝影〟と呼ばれたあの刺客、昨日、王都で最も厳重な地下牢で、自害したわ」

その知らせに、その場にいた全員が、目を見開いた。

「自害、ですか?」

ミリエルは、抱えていた資料の中から一枚を抜き出し、シミアに手渡した。「正確に言うと、その前に、すでに遅効性の毒を呷っていたの。最初から、生きて帰るつもりはなかったみたいね」

シミアは資料を広げ、一言一句、目で追っていく。報告書の最後に、巡幸リストにはない村が、襲撃と同じ日に何者かによって焼き払われた、と記されているのを見て、彼女は視線を止めた。

「……やはり、私の判断は、甘かったようですね。カシウスが、まだこんな手を残していたとは」

「アルヴィン将軍が、すぐに軍を率いて向かいましたが、その後、城門の方でも騒ぎが起きたそうです」

「城門!?」シミアの声が、思わず上ずる。「騒ぎは、いつ!?」

「村が焼かれたのと、ほぼ同時刻よ」ミリエルは答えた。

「なるほど……」シミアの指先が、資料の上をとんとんと軽く叩く。一本の、完璧な論理の鎖が、彼女の脳内で瞬時に組み上がった。「声東撃西……村の火事も、城門の騒ぎも、すべてはアルヴィン将軍の注意を引くための陽動。真の狙いは、その隙に、反逆者ミグ・ヴラドを、王都から『送り出す』こと」

シミアは、ぐっと唇を引き結んだ。その顔色は、見るからに悪い。

「あなたのせいじゃないわ、シミア」ミリエルは、シャルが新たに差し出したクッキーを一枚手に取ると、優雅に口へ運んだ。「あなたの任務は、種蒔き祭の間、巡幸ルートの安全を守ること。あなたは、それを、見事にやり遂げた」

トリンドルも、クッキーを一枚手に取り、ごく自然に、シミアの口元へと運んだ。

サクッとした食感と、ほんのりとした甘さが口の中に広がる。だが、シミアの胸には、ぞっとするような恐怖が込み上げてきていた。

――もしかしたら、あと少しで、この、シャルだけの温かい味を、二度と味わえなくなっていたかもしれない。

「事件の筋書きは、たぶん、こう」シミアは一度思考をまとめ、最終的な結論を、ゆっくりと、しかし確信を持って語り始めた。「遠くにいるカシウスは、王都の責任者に、大まかな指示だけを与えた。『種蒔き祭で混乱を起こし、隙を見てトリンドルを攫え』って。でも、〝影〟は違った。あいつは、『私を消せ、手段は問わない』っていう、独立した別の任務を受けてたの。だから、勝手に、計画を早めて襲撃してきた」

「その行動が、計画全体に、何か影響を与えたのか?」シメールが尋ねた。

「甚大な、ね」シミアの眼差しが、鋭くなる。「あの日、あの瀬戸際で、私はようやく、奴の魔法の正体に気づいた。奴が、校舎から植木鉢を落とした後、音もなく立ち去れたのは、他でもない。あの、突然の豪雨が、完璧な隠れ蓑になったからよ」

「なるほど!」シメールは、はっとしたように言った。「奴が殺気を放って私の側を通り過ぎたなら、たとえ姿が見えずとも、必ず気配で分かったはず。だが、雨音が、その気配を、完璧に覆い隠してしまったのか!」

「ええ」ミリエルが付け加える。「彼の能力は、〝不可視化〟じゃない。〝雨への融解〟よ。だから、彼は雨の日にしか行動できない。そして、種蒔き祭は、春のうちで、最も雨が降る確率が高い、あの日だった」

「シミア、あなたの行動は、あまりにも無謀すぎるわ! 絶対に、自分の命を賭けるような真似は、しないで!」

トリンドルが、不満げに文句を言う。だが、その声には、隠しきれない心配が滲んでいた。

「ごめんなさい」シミアは、素直に頭を下げた。

その様子を見て、ミリエルとトリンドルは顔を見合わせ、やれやれと首を振った。

このお茶会は、束の間、王都の上空に垂れ込めていた暗雲を、追い払ってくれた。

だが、シミアは知っていた。カシウスという毒蛇は、まだ闇に潜んでいる。そして、逃亡したミグ・ヴラドは、おそらく、新たな脅威となって、彼女たちの前に立ちはだかるだろう。

「長期的な脅威と言えば……」ミリエルは、まるで彼女の心を見透かしたかのように、資料の中から、最後の一通を差し出した。

その表題には、こう、記されていた。

『辺境の灰燼の荒野における、近期の異常拡大について』

「これが、あなたの『黄金の回廊』計画に、影響を及ぼすかもしれないと思って」ミリエルは言った。「だから、二、三日休んだら、あなたと一緒に、現地を視察しに行きたいの」

その言葉を聞いた瞬間、トリンドルは、まるで尻尾を踏まれた猫のように、シミアの膝から飛び上がった。

「それって、ちょうどあたしの実家の近くを通るじゃない! あたしが案内してあげるわ、シミア!」

「確か、エグモント家の領地は……」ミリエルは、わざと、言葉を長引かせた。その顔には、困ったような表情が浮かんでいる。

「何か、文句でもあるのかしら? ローレンス先生!」

トリンドルが、ぐっと睨みつける。

「い……いえ、何も」

こうして、少女たちの、いつもと変わらぬ、賑やかで温かい日常の中、大陸の心臓部へと続く、あの、未知の荒れ野への旅が、静かに、その幕を開けたのだった。

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