戦場の史跡、生きた歴史
開け放たれた窓から、教室へと、陽光がさんさんと降り注いでいた。
授業終了の宣告が、まるで、枷の外れる号令だったかのように、とうに上の空だった後方の貴族生徒たちが、慌ただしく立ち上がる。そして、まるで、退屈な苦役から逃れるように、先を競って、教室から、どっと、飛び出していった。
シミアは、歴史学教師のアウグスト・バイロンが、ゆっくりと、教壇に広げられたシラバスを片付けているのを、見ていた。
一瞬、ためらいが、心をよぎる。
だが、教師が、背を向けて、去ろうとした、その時。彼女は、ぱちんと、自らの頬を軽く叩き、勇気を奮い起こすと、足早に、教壇へと、歩み寄った。
「アウグスト先生、少しだけ、お時間を、いただけますでしょうか?」
アウグストは、顔を上げた。目の前には、彼が、深く、印象に残っている、あの生徒が立っている。
彼女は、もう、すっかりと、貴族の礼儀作法を、身に着けていた。制服は、一点の乱れもなく着こなされ、その立ち姿は、優雅で、凛としている。陽光が、ちょうど、彼女の鬢に留められた、炎の髪飾りに、落ちていた。そのルビーが、光を浴びて、きらきらと、輝きを放ち、彼女の、知的好奇心に満ちた、澄んだ瞳と、響き合っている。
彼の脳裏に、入学したての頃の、シミアの姿が、制御不能に、浮かび上がった。
あの頃と比べれば、目の前の少女は、まるで、別人だ。もはや、上級貴族の、令嬢としての、風格と、気品さえ、備えている。
「アウグスト先生?」
シミアの声が、アウグストを、束の間の、放心から、現実へと、引き戻した。
「い……いや、何でもない」
彼は、少し、気恥ずかしそうに、咳払いを一つすると、「どうぞ、訊いてください、シミア君」と言った。
「最近、ずっと、考えていることが、あるんです。王都の歴史上、種蒔き祭の巡幸を、標的とした、襲撃事件は、ありましたでしょうか? そして、地形的に、どの区域が、待ち伏せに、最も、適しているのでしょうか?」
アウグストは、すぐに、彼女の意図を、理解した。
最近、耳にした、噂を思い出す――女王陛下が、種蒔き祭の警備に関する、全権を、目の前の、この少女に、託された、という。
他の、どの貴族生徒とも、変わらない、年齢でありながら、すでに、王国の、政治という、盤上において、一枚の、欠くことのできない、重要な駒と、なっているのだ。
「ああ、種蒔き祭の、警護の件ですね」
アウグストの顔に、すべてを察した、笑みが浮かんだ。
「歴史上、巡幸を狙った、襲撃事件は、少なくありませんよ。例えば、授業で、ちょうど、触れたばかりの、狩神暦六七二年……」
「スハーディ国王の、『粛清』作戦ですね?」
シミアが、間髪入れずに、彼の言葉を、引き継いだ。
アウグストは、満足そうに、頷いた。
大半の貴族が、彼の歴史の授業など、馬耳東風と聞き流す中で、この少女だけが、彼が語る、一つ一つの、細部まで、心に、深く、刻み込んでいる。
「その通り。そして、その翌年の春。スハーディ国王の巡幸の一行は、エキム村で、反対派の、待ち伏せに遭った。国王の衛兵が、決死の抵抗で、ようやく、君主の、ご無事を、守り抜いたのです。そして、その褒賞として、かの土地は、程なくして、当時、王室に忠誠を誓っていた、エグモント家に、下賜された」
シミアは、何かを、考えるように、こくりと、頷いた。
「アウグスト先生、その辺りは……おおよそ、どのような、地形なのでしょうか?」
アウグストの瞳に、歴史学者だけが、持ちうる、同好の士を、見出したかのような、興奮の光が、きらめいた。
「シミア君、今日の午後、特に、予定は、ありませんね?」
シミアは、頷いた。
「ちょうどいい。その区域は、私の、バイロン家の領地からも、そう遠くない。机上の空論は、やはり、味気ないものです。よろしければ、私が、直々に、案内しましょう」
シミアの顔に、抑えきれない、純粋な、喜びが、ぱっと、咲いた。
「本当ですか!?」
「ええ、もちろん」
「では、すぐに、支度をします! 先生、少しだけ、お待ちください!」
その、歓喜に満ちた、彼女の様子を見て、アウグストの口角もまた、つられて、自然と、上がっていくのだった。