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ゼロから始める軍神少女  作者:
第二巻 盟約と二度目の対決
103/131

鍵となる転換点

雨は、まだ降り続いていた。


軍事戦略学の教室。その中央に、巨大な砂盤が静かに鎮座している。

まるで、沈黙した巨獣のように。

窓の外から絶え間なく聞こえる雨音が、室内の光を薄暗く沈ませ、空気をひんやりとさせていた。


クラウディアとライナスは、その砂盤の傍らに立っていた。

神妙な面持ちで、シミアの言葉にじっと耳を傾けている。


シミアが、カシウスからの手紙を受け取ってから、あの植木鉢が落ちてくるまでの経緯を語り終えると――

長い沈黙が、部屋を支配した。

窓ガラスを叩く、ぱらぱら、という雨音だけが時を刻む。まるで、この危険な謎解きゲームの残り時間を告げるかのように。


「なるほど……カシウスはこの学院で数年教鞭を執っていた。自由に動ける駒を学内に配置している、と考えるのは、確かに合理的ですね」

最初に沈黙を破ったのは、ライナスだった。彼の指が、無意識に砂盤の縁をなぞる。見えない盤上で、何かを思考しているかのようだ。


だが、クラウディアは本能的に、どこかちぐはぐなものを感じていた。

ライナスの方を見ると、彼もまた、同じように探るような表情を浮かべている。


二人は、頭の中でシミアの説明を反芻する。

――施錠された部屋に、いつの間にか置かれていた手紙。

――見舞いの品の山に紛れ込ませてあった『贈り物』。

――そして、もう少しでシャルの命を奪うところだった、空から降ってきた植木鉢。


「お二人とも、もし何か気づいたことがあれば、どうか教えてください」

シミアの懇願するような声に、まずクラウディアが口を開いた。その声には、貴族特有の、鋭い響きが宿っている。

「シミア。あなた……この暗殺、『品性』が悪いと思わない?」


「品性、ですか?」

予想外の言葉に、シミアは目を丸くした。


「そう、品性よ!」

クラウディアは、ぽん、と手を打った。まるで、問題の核心を掴んだ、とでも言うように。

「あの手紙も、『贈り物』も、まるで『どこにでも忍び込める』って能力をひけらかすような、悪趣味な芝居がかっていたわ。なのに、植木鉢を落とす? ふん、そんなの、田舎の三文役者がやるような、下品で陳腐な手口じゃない! この二つ、致命的にチグハグなのよ!」


「クラウディアの言う通りです」

ライナスが頷き、話を引き継いだ。

「シミア、一度整理しましょう。例の手紙は、あなたが眠った後なら、いつでも部屋に置くことができた。そうですよね?」

シミアは少し考え、こくりと頷いた。


「『贈り物』も、ロードの寮にさえ入れれば、シャルさんが部屋にいない一瞬の隙を突いて、誰にでも置くことができる」

「シャルは、ほとんどずっと、私のそばにいてくれました」

「ですが、水を汲みに行ったり、盥洗い室に行ったりはしたでしょう?」

ライナスの声は、冷静で、客観的だ。

「暗殺者は、その数分の隙を狙えばいい。ドアを開け、二、三歩進み、物を置き、立ち去る。紅茶を一杯飲むほどの時間もかかりません」


「……そういう機会は、あったと思います」

シミアの心が、ずくん、と重く沈む。カシウスの、どこまでもつきまとう影が、再び彼女を覆い尽くすかのようだった。


「それこそが、問題の核心です!」

ライナスの声が、不意に鋭さを増した。

「その二つの出来事は、『敵はいつでも、どこからでも、あなたを監視し、触れることができる』という偽りの状況を、意図的に作り出している。目的は、あなたを精神的に完全に打ちのめすこと。ですが……」

彼の眼光が、剃刀のように鋭くなる。


「……『植木鉢』は、彼の無能さを露呈している」


「無能、ですか?」


「ええ、無能です」

ライナスの声には、手練れの貴族だけが持つ、陰謀に対する深い洞察が滲んでいた。

「シミア、あなたはご存じないかもしれない。我々のような階級の人間にとって、最も効果的で、最も『優雅』な暗殺方法は、いつだって毒薬なのです。音も立てず、追跡も困難。それに比べて、『事故』に見せかけるというのは、最も愚かな選択肢ですよ」


彼は砂盤の傍らへ歩み寄り、駒を一つ、ひょいとつまみ上げた。

「落下する植木鉢には、制御不能な要素が多すぎる。風速、高さ、標的の移動速度……そもそも、標的がその瞬間、偶然空を見上げないとも限らない。正確に狙って人を殺すには、膨大な練習と計算が必要です。それでも、失敗する可能性は極めて高い。そして何より、この方法はまったく隠密じゃない。犯行現場に出入りする姿を、誰にも見られないという保証がない」


ライナスの明快な分析が、一筋の稲妻となって、シミアの心に垂れ込めていた『恐怖』という名の霧を、一瞬で引き裂いた。

誰もが、カシウスの協力者かもしれない、と。そう思い込んでいた。

だが、それ自体が、巧妙に仕組まれた偽りの状況だったとしたら?


ありえないと思っていた可能性が、目の前に現れる。


「もし……もし、犯人が『植木鉢』なんて不器用な方法で襲うしかなかったのなら」

シミアの声は、微かに震えていた。それは、恐怖からではない。興奮からだ。

「それなら……犯人は、学院内を自由に動ける人間じゃないってこと……! 私の周りの人に毒を盛る機会がないから、こんな成功率の低い方法を、無理やり選んだ……そうですよね!?」


「その通り!」

「ええ、間違いありません」

二人の盟友が、同時に肯定の声を上げた。


「だから、シミア」と、クラウディアが締めくくる。「カシウスの協力者は、やり方は巧妙でも、動かせる『力』は、極めて限られている。これが何を意味するか、あなたなら、もう分かるわよね?」


シミアは、力強く頷いた。

だが、その心には、今までにない、さらに強い違和感が渦巻き始めていた。


(違う……まだ、何かがおかしい……)


この最後の謎を解き明かせば、カシウスの陰謀を完全に打ち砕く鍵が見つかるはずだ。

そう、確信している。


窓の外では、いつの間にか雨が上がっていた。

雲の切れ間から一筋の光が差し込み、空気中に漂う細かな水滴を照らし出す。

それは、思索にきらめくシミアの瞳をも、明るく照らしていた。


真相まで、あと一歩。

そんな予感がした。

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