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第1話

「あー、だりぃ。なんかこう、ガツンと面白いこと起きねぇかなぁ」


 気の抜けたサイダーみたいな声で俺、結城翔太ゆうき しょうたはぼやく。

 

 時刻は昼下がり。

 太陽は空の中天でふんぞり返り、初夏の生ぬるい空気をキャンパスにこれでもかと注ぎ込んでいる真っ最中だ。


 眼前には、今日のランチ、大盛カツカレー。

 スパイシーな香りが鼻腔をくすぐり、一瞬だけ退屈な日常を忘れさせてくれる。

 

 大学生協のカフェテリアは、昼のピークを過ぎてやや閑散としており、俺のやる気のないぼやきは、食器の触れ合う音にかき消されることなく、友人AとBの鼓膜へとダイレクトに届いたらしい。


「お前、昨日もサークルのオンライン飲み会バックレただろ。面白いことより単位心配しろよ、翔太」


 友人Aが、スマホから顔も上げずに冷めたツッコミを入れる。

 こいつは、俺が人生で5本の指に入るほど尊敬する「効率厨」だ。

 講義もサークルもバイトも、全てを最適化されたスケジュールでこなし、なおかつ成績もそこそこ良いという、ある意味、現代社会が生んだモンスターかもしれん。


「いやー、あれは不可抗力でさ。突然、腹の調子がエマージェンシーコールを……」

「はいはい、いつもの言い訳な。で、結局ネトゲのイベント走ってたんだろ?」


 友人Bがニヤニヤしながら追い打ちをかける。

 こっちはこっちで、俺の行動パターンを完全に読み切っている「エスパー疑惑」の男だ。

 こんな鋭い友人たちに囲まれて、俺のヘタレな日常は今日も安泰、とは言えない。


「ち、違げーよ! たまたま、たまたまだって!」


 口では否定しつつも、図星すぎてカツカレーのルーが喉に詰まりそうになる。


 実際、昨晩はネトゲの期間限定レイドボスに挑み、惨敗を喫した。

 その無念さが、今日の「面白いことねーかなー」発言に繋がっているのかもしれない。


 そう、俺はしがない20歳の大学生。

 都内のそこそこの大学に通い、そこそこの成績で、そこそこの毎日を送っている。

 

 これといった特技もなく、将来の夢も特にない。

 ただ、波風の立たない平穏な日々が続けば、それで満足なのだ。…………たぶん。


 カフェテリアの壁に掛けられた大型テレビが、けたたましい速報音と共にニュース映像に切り替わる。


『えー、ただいま入った情報によりますと、都内各所で原因不明の珍現象が相次いでいるとのことです。専門家によりますと、これは一種の集団ヒステリーではないかとの見方もありますが、依然として原因は不明で……』


 画面には、電光掲示板に意味不明なポエムが表示されている映像や、公園の鳩が謎のフォーメーションを組んで行進している動画が流れる。なんだそりゃ。


「へー、物騒だねー、最近。変な事件多いよな」


 俺はカツを頬張りながら、どこか他人事のように呟く。

 

 友人Aは眉一つ動かさず「どうせくだらない愉快犯だろ。それより午後の講義の課題、終わったのか?」と俺の現実をえぐってくる。

 痛いところを突かれた俺は、「げっ」と短い悲鳴を上げた。


 その時、友人Bが俺のスマホの待受画面――初期設定のままの、当たり障りのない風景画像――を見て、意地の悪い笑みを浮かべた。


「お前さー、いい加減そのデフォルト待受やめろよ。もっとこう、趣味全開のアニメとかゲームのキャラとかにしないわけ?  昔はすごかったじゃん、お前のあのノートとかさぁ。黒歴史ってレベルじゃねーぞ、あれはもう、世界遺産級の……」

「や、やめろぉぉぉっ!」


 俺は友人Bの口を塞ごうと、ほとんど悲鳴に近い声で叫んだ。

 カフェテリアにいた数人の学生が、何事かとこちらを一斉に見る。

 羞恥心で顔から火が出そうだ。


 あのノート。


 そう、それこそが俺、結城翔太がひた隠しにする、漆黒の歴史そのもの。

 中学二年生という、万人が罹患すると言われる呪われた病――通称「中二病」――をこじらせにこじらせた俺が、血と汗と涙(主に妄想の産物)で書き上げた、魔王と勇者と世界の法則を綴った禁断の魔導書(ただの大学ノート)のことである。


「い、いや、あれはもう、とっくの昔に封印したんだ! 実家の押し入れの奥の奥、パンドラの箱より厳重に!  てか、腹減ったな! 俺、大盛カツカレーもう一杯食ってくる!」


 俺は無理やり話題を変え、勢いよく立ち上がる。

 友人たちの呆れたような、面白がるような視線が背中に突き刺さるが、今はそれどころじゃない。

 黒歴史の発掘だけは、断固として阻止しなければならないのだ。


 その、俺の必死な形相と、何やら怪訝な表情でこちらを見ている女子学生の視線が交錯した、ような気がした。

 

 あれは確か、同じ学部の桜庭詩織。

 

 才色兼備でクールビューティと名高いが、あまり他人と馴れ合わないため、「高嶺の花」とも「孤高の氷像」とも噂される、ちょっと近寄りがたい存在だ。

 

 なんで俺なんか見てるんだ……?


 俺は学食の券売機に向かう。

 カツカレーのおかわりボタンはどこだっけな、とポケットからスマホを取り出した、まさにその瞬間だった。


 ブブッ。


 スマホが短く震えた。

 いや、震えたというよりは、何かこう、内側から弾けるような奇妙な感触。


 なんだ?


 俺は特に気にも留めず、券売機のパネルに視線を移す。


「えーと、カツカレー、カツカレー……っと」


 その時、ポケットの中のスマホが、怪しく、そしてほんの一瞬だけ、紫色の光を放った。

 俺はその微かな変化に、まだ気づいていない。


 スマホの画面に、一瞬だけ、本当に瞬きするほどの短い時間、ドクロのマークと小さな文字が表示された。


『インストール完了……Lv.1』


 もちろん、そんな不吉なメッセージに、カツカレーのことしか頭にない俺が気づくはずもなかった。

 この数秒後、俺の平穏な日常が、カツカレーもびっくりのスパイシーさで崩壊し始めるなんて、夢にも思わずに。


 ◇


 カツカレー大盛り(二杯目)を半分ほど胃袋に収めた頃、それは起こった。


 カフェテリアの大型テレビを見上げた俺の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。


『緊急速報です!  たった今、永田町の国会議事堂の屋上に、巨大なプリンが出現した模様です!  繰り返します!  国会議事堂の屋上に、巨大なプリンが出現しました!』

「は?」


 思わず、フォークが手から滑り落ちそうになる。


 画面には、ヘリコプターから撮影されたのであろう、国会議事堂の荘厳な建物の上に、ででんと鎮座する巨大なカスタードプリンが映し出されていた。

 つやつるとしたカラメルソース、プルプルと揺れる巨体。


 どう見ても、CGや合成とは思えない。


 カフェテリア内は一瞬の静寂の後、爆笑と悲鳴と「マジかよ!?」の大合唱に包まれた。


「プリン……?  何それ、新手のテロ? それともドッキリ番組の壮大な仕掛け?」


 俺が呆然と呟いた、その瞬間。


 ズズズズンッ!


 ポケットの中のスマホが、尋常じゃない勢いで振動を始めた。

 まるで、内側から何かが生まれ出ようとしているかのように。


 慌てて取り出すと、画面には禍々しい紫色のオーラをまとった筆文字が表示されていた。


『我が名は魔王ヴェルザーク=ザ=ブラッディ=ロード!』


「…………は?」


 続けて、画面いっぱいに、見覚えがありすぎるイラストが躍り出る。

 黒いマントを翻し、鋭い爪と角を備え、不敵な笑みを浮かべる、痩身の魔王。


 …………俺が中学時代に、授業中にノートの隅に飽きもせず描き殴っていた、オリジナルの魔王キャラそのものだ。


『我が眷属たる結城翔太よ、刮目せよ! これぞ我が魔力の顕現なり!』


「う、うそだろぉぉぉぉっ!?」


 俺は声にならない悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちそうになる。


 周囲の学生たちが、何事かと一斉に俺に注目する。

 だが、そんなことはもうどうでもよかった。


 だって、だってこれ! この魔王! このセリフ!


 間違いなく、俺が考えた、俺だけの、俺の黒歴史ノートに封印したはずの、あの設定そのものじゃないか!


「なんで今頃!?  しかもなんで俺のスマホに!?」


 混乱する俺を嘲笑うかのように、スマホから、深くエコーのかかった、それでいてどこか間の抜けた魔王の声が響き渡る。

 もちろん、俺の耳にしか聞こえていない、はずだ。


『フハハハハ!  驚いたか!  まずは手始めに、この国の頂を甘美なる絶望プリンで満たしてやったわ!  次は貴様の学び舎たるこの大学を、血と涙と単位不足の悲鳴が木霊する『絶望の要塞フォートレス・オブ・デスペア』へと変貌させてくれようぞ!』


「いやあああああああああ!!」


 俺はスマホを放り出しそうになるのを必死でこらえ、顔面蒼白のままカフェテリアを飛び出した。


 背後で友人Aが「おい翔太! カレー残ってるぞ!」と叫んでいるのが聞こえたが、知ったこっちゃない。


 今は一刻も早く、この悪夢から逃げ出さなければ。


 全力疾走でアパートへの道をひた走る。

 だが、俺の平穏な日常は、すでに魔王の手によって歪められ始めていた。


 街中の巨大なデジタルサイネージは、いつの間にか俺が中学時代に書いた痛々しいポエム(「闇夜に踊る孤独な魂よ、月影に己が罪を問え……」みたいなやつ)をエンドレスで垂れ流している。


 公園の猫は、まるで組体操のように集まって、「我輩は魔王様の使いにして、この地区の猫集会を統べる者だニャ。貢物の煮干しはそこへ置くニャ」などと、やけに流暢な日本語で人間に指示を出している。


 すれ違う女子高生のスマホからは、俺が当時好きだったマイナーなメタルバンドの曲が大音量で流れ出し、彼女たちは「え、何これこわい!」とパニックを起こしている。


 地獄だ。ここはもう、俺の黒歴史によって汚染された地獄絵図だ。


 アパートの自室に雪崩れ込むように転がり込み、荒い息を整える間もなくドアに鍵をかける。

 震える手でスマホの電源ボタンを長押しするが、うんともすんとも言わない。

 画面には、依然として魔王ヴェルザークがふんぞり返っている。


「やめろ! 俺の黒歴史を世界に公開するな! 頼むから消えてくれ!」


 涙目で懇願する俺に、ヴェルザークは鼻で笑う。


『何をいまさら。貴様が我を創造したのではあるまいか。我は貴様の魂の叫び、内に秘めたる破壊衝動の化身ぞ!』

「そんな大層なもんじゃねーよ! ただの痛い中二病の産物だよ! ああもうっ、なんでだ! なんでこんなことに……!」


 頭を抱えてうずくまる俺の脳裏に、ある可能性が閃く。


 数年前、実家の大掃除をした時、山のようにあった黒歴史ノートの数々を、スキャナーでデジタル化してクラウドストレージに保存した記憶が……。

 

 まさか、あの時のデータが、何かの拍子でAIか何かと融合して、こんな形で具現化したとでもいうのか!?


 いやいや、そんなSFみたいな話があるわけ……あるのか?

 現に目の前で起こってるし!


「魔王ウィルス……Lv.99……。ああ、そういやノートの最後にそんなこと書いたっけな。『我が魔王は最強にしてLv.99。世界を滅ぼすバグとなる』とか何とか……」


 過去の自分の痛々しい行動を思い出し、俺は床に突っ伏して絶望の声を上げた。

 自分のせいだ。

 紛れもなく、全部自分のせいだ。


 スマホの画面で、魔王ヴェルザークが愉快そうに肩を揺らす。


『逃れられんぞ、翔太。貴様の脳内設定こそが、この世界の新たな法則なのだからな! さあ、Lv.99の魔王様による日本征服の始まりだ!」


 その言葉を裏付けるかのように、枕元に置いてあったテレビが勝手に起動し、臨時ニュースを報じ始めた。


『えー、先ほどの国会議事堂プリンに続き、今度は首相官邸の屋根に、巨大な猫耳が取り付けられた模様です! 素材は不明ですが、フワフワしているとの情報も……』


「もうやだ………………」


 俺は、本格的に終わった日本の未来と、それ以上に終わっている自分の人生を思い、ただただ涙を流すしかなかった。


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