5-6 戦いの前
青い空の下、マスティンは芝生に挟まれた石畳の階段を昇っていた。その階段を登り終えると巨大な純白の建物が見えた。ゴウドルークス大学の建物へ向かって、芝生に囲まれた長い石畳の道を歩く。
すると、向かいから一人の若者が歩いてくる。若き日のグランロイヤーだ。
「やあ、ジオ」
マスティンがあいさつをすると、グランロイヤーは人なつっこい笑顔を浮かべた。
「よう、ルイ。また資料室か?」
「ああ」
「また彼女と二人きりか。羨ましいな、上手くいってるか?」
グランロイヤーが冗談っぽい口調で言った。マスティンは笑って見せた。
「残念ながらまだ何も、彼女にはもう恋人がいるからね、研究っていうね」
「ハッハッハッ、それは手強いな。じゃあ、またな」
グランロイヤーは横切っていった。
しばらく歩いていると、大学のすぐ横の芝生に一人の若い女性が足を伸ばして座っていた。長い黄色の髪のきれいな目をした女性だ。
マスティンは小走りで近寄った。
「リナ、どうしたんだ? こんな所で……」
リナはニコリと笑みを見せる。
「ちょっと休憩、あんなホコリっぽい部屋にずっとこもってたら、頭がしおれちゃうわ」
リナは、周りの景色に目を移す。白い純白の建物と、それを囲うように緑の庭園が広がっている。リナは静かにその景色を眺めていた。
「こうやって、緑や建物を眺めていると、何かいい考えが閃きそう」
マスティンはリナの隣に腰を下ろして座る。
「そうかい、もしその閃きが僕の研究に役立ちそうなものだったら、ぜひ教えてくれないか」
リナはマスティンを見てほほえんだ。
「もちろん」
「しかし……君はよくあんなに情熱を注げるな。あの研究に……」
「あんな将来性のなさそうな研究に? ってことでしょ。でもあいにく私はそうは思わないわ」
「ふっ、そうかい、なら今度その将来性についてぜひ聞かせてくれないか?」
「いいわ、あなただったら喜んで」
リナはそう言ってほほえんだあと、再び景色に目を移した。
「ねぇ、ルイ」
「なんだい」
「あなたは……この世界に満足してる?」
マスティンは目を覚ました。広い部屋のベッドで一人、体を起こす。朝の柔らかい光が窓から入ってきていた。
(彼女の夢を見るのは…………ずいぶん久しぶりだ)
マスティンは着替えて、ヘルムをかぶり窓から景色を眺める。
眼下には広い工場地帯が広がり、それを囲むように灰色の建物が立ち並んでいた。さらに遠くには、山の斜面に並ぶ灰色の住宅地が見える。
(ビルセイルドについて二日……動き出すまでもう少しか)
基地の広場へと視線を移すと、その広場の端っこに、たった独りで立っているある人影に気が付いた。
「あの子は……」
ビルセイルド基地の広場、その石壁のすぐ横に、クロコは独りで立っていた。ビルセイルドに到着して三日、早朝の広場に出て、新たな剣の感触を確かめていた。
軽く数回振るうと、剣は鮮やかに空気を切り裂いた。
(いい剣だ……今までの剣とは比べ物にならない。それに、何より体に馴染む)
クロコはもう一度、剣を振るう。鋭い音を辺りに小さく響かせた。
(この剣なら、オレの力をさらに引き出せる)
「やあ、クロコ」
遠くから、こもった声が聞こえた。見ると、鋼鉄のヘルムをかぶったファントムがゆっくりと近づいてくる。
「ファントム……どうしたんだ」
「君が剣を振るっている姿をたまたま見かけてね」
ファントムはクロコの前で足を止めた。
「少しの間、話し相手をしてくれないか?」
二人は広場の端の石壁に寄り掛かって座った。
ファントムがゆっくりとしゃべり出す。
「この戦いももうすぐ終わりを迎えようとしている……」
「みたいだな、オレにとってはあっという間だった」
「私にとっては長かった、けれどやはり、あっという間でもあった」
ファントムはビルセイルド基地を眺めた。フルスロック基地よりも一回り大きい巨大基地だ。
「クロコ……一つ、聞いてくれないか」
「なんだ?」
「もし……この戦いに勝利した時は、私は、この国にある階級をすべて取り払おうと思う」
クロコは少し驚いた。
「階級を……?」
「すべての国民が、平等な権利を持つことのできる制度を新たに作るんだ」
「………………」
クロコは少し呆然としていた。
「……でも」
クロコはファントムを見る。
「確かに一見理想っぽいけど、誰かが国を治めないと、国そのものがなくなっちまうんじゃないか? みんなが好き勝手やってたら大変だろ」
「もちろん治める者はいるさ。それは国民全てで決める。もしその者が不当な行為を働けば、国民の支持は得られず、別の者に変えることができる。まあ、他にも色々と問題はあるが、理論上はそれらの問題にも対処できる、国として動かすことは可能だ」
クロコは少しだけ眉を寄せて黙っていた。
「私も当初、その話を聞いた時、君みたいに半信半疑だった。けれど彼女は違った」
「彼女……?」
「そう……私の大学時代の友人、名は、リナ・フォルスウェイ。彼女は純粋にその理想を信じていた」
「…………」
「彼女が一回私に聞いたことがあったな『あなたは、この世界に満足してる?』って……。世界は、多くの問題と過ちに満ちている。けれど人はそれに目をつむり、それが正しいことなんだと自分自身に言い聞かせる。そう彼女は言っていた。そしてそれが何よりも嫌だとも……」
クロコはファントムの様子を見ながら、ゆっくりと口を開く。
「その……リナっていうのは、あんたの恋人かなんかだったのか?」
その言葉を聞いて、ファントムはヘルムの奥で小さな笑い声を響かせた。
「いや…………けれど、私は彼女のことが好きだった。それに、彼女も私のことが好きだった」
「じゃあ、なんで……」
「恥ずかしかったから、と若者ならそうなるが、あいにく私たちはそこまで若くなくてね。私たちの場合は、お互いに分かっていたからさ」
「分かっていた?」
「近いうちに必ず別れることになるってね」
「どういうことだ?」
「リナは、国民中心の国家制度の研究に自らの人生の全てを注ごうとしていた。そしてそのために、当時その道の権威と言われた博士の下で研究するために、隣国サンストンへ行こうと決めていた。行けば、長い間、帰ってこれない」
「………………」
クロコは少し黙ったあと口を開いた。
「引き止めなかったのか?」
「引き止める気はなかったよ。けど、最後の最後でつい……彼女を引きとめようとしてしまった。でもダメだったな……彼女の決意は固かった」
ファントムは小さくため息をついた。
「彼女は十年研究するって言ってたよ。だから私は言ったんだ、『なら十年後にまた会おう』ってね。昔からしつこくて、しぶとかったんだ。けど、彼女はなんだか嬉しそうだったな」
「………………それから、どうなったんだ?」
「彼女と離れて二年後、彼女の行ったサンストンは、友好条約を破って、グラウドに戦争を仕掛けた」
「……!」
「その結果、サンストン国内のグラウド上位階級の者は次々と捕えられて、処刑されたらしい、貴族であった彼女も当然標的となっただろう」
「…………」
「君も知っての通り、今でもグラウドとサンストンの間では緊張状態が続いている。あの時から二十年以上が経った今、彼女が生きているのか、死んでいるのかは、もう分からない」
「……………………」
「昔の話さ」
ファントムは少しのあいだ遠くを見つめていた。
「けれど不思議な話だ。もし解放軍が勝利して、私がリナの理念をグラウドに導入すれば、私は彼女の意志を継いだことになるんだろうな。ただの半信半疑で、彼女のそばにいただけの男がね」
ファントムは少しのあいだ小さく笑っていた。
「もし、それでグラウドが生まれ変わったのなら、彼女が死んでいようと生きていようと、きっと、彼女の魂に届くだろうな」
「……………………」
クロコはファントムを静かに見つめていた。
ファントムがゆっくりと立ち上がる。
「さて、そろそろ時間だ…………と、待てよ」
ファントムはクロコの方を向いた、ファントムが自分の服の裏に手を入れると、突然、白い鳥が飛び出した。白い鳥はおとなしくファントムの腕に載っている。
「……手品?」
クロコもヒョコッと立ち上がる。
「もちろん違うよ、この鳥は小型の手紙鳥さ」
「へぇ、こんな小さいの初めて見た」
「ああ、携帯用手紙鳥さ。かなり珍しいやつでね、ついでにかなり値も張る。これを君に渡そう」
「これを……?」
「私の拠点の一つに直通で連絡できる」
「どうして、それをオレに?」
「セウスノールで初めて私がした話のことを覚えているかい?」
クロコはハッとした。
「『ダークサークル』を起こした者たち……」
「そうだ、この戦争の裏で動いている者。その者と戦わねばならないとき、君が私を必要とする時が来るかもしれない、私も君が必要とする時が来るかもしれない。これはそのための、私と君との繋がりだ」
クロコはその鳥を受け取った。
「まあ、君の場合はまず目の前の戦いに専念すべきだがね。このことに関しては、主に私の役目だな。この国を、その者たちに渡すわけにはいかない」
(彼女が愛したこの国を……)
「ではそろそろ行かなくてはな、また会おう、クロコ」
ファントムはサッと立ち去っていった。
とある場所のとある建物、その大部屋の机を多くの者が囲んでいる。
「危なかったな、足をつかまれるところだった。全くレッテルのやつは……」
「まあ、これであの無能を切り捨てられたことですし、結果的には良かったのでは?」
「だが、こんなことはレッテルだけで終わりにしようじゃないか。仲間を切り捨てることは連携の関係上望むべきことではない」
「そうですな、なら、早いうちに、我らの足をつかもうとしている邪魔者たちを片づけてしまいましょう」
「メンバーはほぼ割れていますしね」
「しかし……メンツがメンツ、一筋縄ではいかんぞ」
「確かに……どういたしましょうか?」
一斉に奥の男に視線が集まる。
「放っておけ」
「それでよろしいので?」
「心配する必要はない。時が来れば、最小の労力で処理できるだろう。もう道は開けたのだ」
奥の男は周りの者と見渡す。
「もう、我らの歩みを止めることはできん。我らの望む目的地まで、決して止まることはない。そして始まるのだ。我ら『レギオス』の新たな国がな」
ビルセイルド基地の一室で、ファントムはケイルズヘルの司令官ローズマンと話していた。
「ミリア・アルドレットが来ていないだと?」
ファントムの言葉に対して、ローズマンは軽く笑みを見せる。
「ええ、今回の戦いには参加させないって聞いたのでね。そしたら本人が、ギリギリまで基地にいたいって」
「だが、彼女は我々の切り札の一つだ。使わないにしても、できればここにいてほしいがな」
「まあ、そうなんですがね。ただセウスノールの戦い以後、どうも何かの特訓をしてるようですね。なに、ゴウドルークス進行までには必ず来ますよ」
「ふむ、ならいいのだが」
グラウド南部の乾いた土地、そこにゆうぜんとそびえ立つスティアゴア台地、その隣に隠れるようにケイルズヘル基地は建っている。その基地の実技場、六角形の空間の隅に、一人の女が座り込んで休んでいた。
その女は年齢十八、九ぐらい、きれいな体つきで、黄色いサラッとした長い髪をしている。顔立ちもきれいで、冷たい目つき、緑色の瞳をしている。全体的にも冷たい雰囲気をまとっている。
ミリア・アルドレットだ。
息を切らし、汗を流している。
「やあ、ミリアさん」
突然の声を聞き、ミリアは実技場の入り口を見た。
そこにはフロウの姿があった。
「おまえは……フロウ・ストルーク」
フロウはほほえみを見せた。
「練習相手が欲しくない?」
ミリアは表情を変えない。
「ケガでは済まないかもしれないぞ」
フロウは強い目でミリアを見た。
「覚悟は決めてきた。戦場で仲間の助けになれずに犬死にするぐらいなら、ここで死んだ方がマシさ」
それを聞き、ミリアは緑色の瞳で鋭くフロウを見つめた。
「いいだろう」
ミリアは静かに立ち上がった。
ウォールズ・ヘルズベイ基地の純白の広い廊下を、ある将軍が歩いていた。
その将軍は、年齢四十前後、白い髪に、鋭い目、顔は整っているが、少し恐そうな印象を持っている。
『七本柱』の一人、ジン・ファイナス少将だ。
廊下を軽い足取りで歩いていると、向かいから歩いてくる一人の軍人の存在に気づく。
「彼は……」
その軍人も、ファイナス少将に気づき足を止める。
その軍人は、年齢十五、六、長身に、赤い髪、赤い瞳が特徴的だ。
その若い軍人を見て、ファイナス少将はほほえみを見せる。
「君は『紅蓮の稲妻』フェイム・トリプリッドかね?」
「はっ、そうであります」
フェイムはサッと敬礼した。
「国軍の未来を担う天才の一人に会えて光栄だよ。私はジン・ファイナスだ」
「あの『剣封』の……ですか」
「ああ、君は私の期待通りの働きをしてくれるかな」
「いえ、期待以上の働きが出来るでしょう」
フェイムは赤い瞳を鋭く光らせた。
「フッ、頼もしいじゃないか」
ファイナス少将が手を差し伸べ、二人は握手をした。
ファイナス少将はフェイムと別れたあと、しばらく歩くと、廊下に並ぶ扉の一つで立ち止まった。
ファイナス少将がその部屋に入ると、そこには別の将軍が座っていた。
その将軍は年齢三十半ば、黄色の髪で、上にとがった特徴的な髪形をしている。細い目と高い鼻に、全体的にどこか高貴な雰囲気をまとっている。
落ち着いた様子で紅茶を飲んでいた。
ファイナスはその将軍に笑顔を見せて口を開いた。
「久しぶりだなロイスバード少将」
ロイスバードはティーカップを置き、ほほえみを見せる。
「ああ、君こそ。ジン・ファイナス少将。元気そうでなによりだよ」
ファイナス少将はほほえむ。
「やっと君に、解放軍にリベンジできる機会がきたってわけだ」
それを聞いてロイスバード少将は鋭く目を光らせた。
「ああ、勿論だ。ケイルズヘルでの敗戦の恨みは必ず晴らす。もっとも……今回は司令官としてではなく『七本柱』の剣士としてだがね」
それを聞いてファイナスは笑みを見せる。
「ああ、頼もしい限りだよ。『七本柱』の中で、ロストブルー中将に次ぐ高速の剣技、『絶影』ジェス・ロイスバード少将」
ビルセイルド基地にある大部屋の一つ、そこにはフルスロック軍の一部が待機していた。
その兵士の集団の中にクロコとサキの姿はあった。
二人は座り込み、話をしている。
「オレ達はそのウォールズ・ヘルズベイってトコを落とすんだよな」
「はい、世界最大の要塞だそうです……」
「初めての基地攻略が世界最大か…………上等じゃねーか」
「…………」
サキは少しうつむきながら口を開く。
「ボクは正直不安です」
「…………」
「セウスノールの戦いで、解放軍の精鋭はほとんど戦死して……ミリアさんもいない。名の通った戦士だって、アールスロウさんぐらいしかいなくて…………でも、国軍側には強い戦士がまだゴロゴロいて…………本当にボクら……勝てるんだろうかって……」
「心配すんな」
クロコはパッと答えた。
「ここにはオレがいる」
クロコは右手に持っていた剣を強く握った。
「どんなやつが来ても、オレが倒す」