1-9 月の出る夜
冷たい風が吹いている。クレイドは防衛ラインの石壁の上に座り、独り暗い大地を見つめていた。
「クレイド!」
下からフロウが名前を呼んだ。そしてピョンッと高く跳ね壁の上に乗り、クレイドの隣に座る。
「ずいぶんキツク言ったね」
「アレぐらい言った方がいいんだ……」
クレイドは無表情でムスっとしていた。
「なんか嫌いなことしたあとみたいな顔してるね」
「………………」
クレイドは何もしゃべらない。
しばらく沈黙が続く。
クレイドがゆっくりと口を開く。
「……人を斬ることができないんだったら、戦場に立たない方がいいんだ。戦場には……人を斬ることのできるやつだけ立てばいい」
「僕達みたいな、か」
フロウは満月の輝く夜空を見上げた。
「…………そうだよ」
また少し沈黙が続く。
フロウが口を開く。
「クロコ君のこと……心配なんだね」
「……別に、そんなんじゃねーよ」
「クロコ君、何してるのかな」
「知らねぇよ、そんなこと」
岩石に挟まれた大地、冷たい風が砂を巻き上げる。雲一つない夜空にきれいな満月が光り輝いている。
クロコは独り岩壁に寄りかかり、美しい満月にほんの少しも目をやることなく、ひたすら向かいの岩壁を見つめていた。
クレイドに厳しい言葉を浴びせられてから何時間が経っただろうか。空気がだんだんと冷えてきていた。しかしクロコはその冷えた空気を感じていないかのようにひたすら岩壁の一点を見つめていた。
「よっ!」
突然クロコの隣で声がした。
クロコの視線が久しぶりに動く。クロコの視線の先にはブレッドが立っていた。
「答えは見つかったか?」
「……………………」
クロコは無言で視線を落とす。
「見つからないか……」
ブレッドはそう言ってクロコの隣に座り込む。
「……考えてみりゃあ、クロは今まで人を殺めたことは一度も無かったな」
ブレッドは夜空を見上げる。
「オレはおまえみたいに、ずば抜けた剣の才能があったわけじゃないからな。あの町……アークガルドで生き残るために必死で剣を振るったよ。人を殺さないようになんて器用なマネはとてもできなかった……」
「オレに剣の才能があったからこうなったのか……?」
クロコは静かにそう言った。
それを聞いてブレッドは少しだけ考えた。
「いや……やっぱりそうじゃないかもな。たとえおまえがオレと同じ立場でも、人を斬らなかったような気がする。クロは、優しすぎるからな」
「…………」
クロコは視線を落としたまま黙った。
そしてしばらくしてゆっくりと口を開く。
「オレは……」
クロコの表情が久しぶりに変わる、険しい表情だ。
「オレは……覚悟ができてたはずだった。したはずだったんだ、あの時……軍人になると決めたあの時から……」
クロコの声は震えていた。ブレッドはその様子を黙って見つめる。
「なのにオレは……! どうして……!!」
クロコは静かに声を荒げた。口元がわずかに震えている。
「自分でも……分からないんだ」
そんなクロコの言葉を聞いたブレッドはほんの一瞬視線を落とした。そして再びクロコを見つめる。
「クロ……おまえがたとえ戦場を去る決断をしても、オレは絶対におまえを責めない……だが、もしおまえがそれでも戦場に立つと言うのなら、おまえはおまえのために、ためらわず人を斬れ」
「オレが……自分のために?」
「おまえは『光』を求めてる。だから、おまえはまだ死んじゃいけない。それに……おまえが死ねば、おまえを大事に思っている人が悲しむ」
それを聞いてクロコは鼻で笑う。
「オレを大事に思っている人なんて……」
「オレが悲しむ」
「……!!」
「クロ……オレだけじゃない。もしおまえが再び戦場に立つというのなら、その時は、これからできる仲間のために、これから関わり合う人のために、そして自分自身のために戦え、絶対に、死なないように……!」
「ブレッド……」
クロコは初めてブレッドの顔を見た。
「オレの言いたいことはそれだけだ。それじゃあな」
そういうとブレッドはスクッと立ち上がり、背を向け歩き出す。
するとクロコは素早く体を起こしてた立った。
「ブレッド!!」
クロコは叫んだ。
「なんだ?」
ブレッドは返事をして振り返る。
クロコはブレッドを真紅の瞳で真っ直ぐと見た。
「おまえが……おまえが隣に居てくれて良かった」
クロコはほんの少しだけほほえんだ。
それを見てブレッドは笑顔を見せる。
「今頃気づいたか」
ブレッドは再び背を向けクロコの前から立ち去った。
クロコは再び岩壁に寄りかかる。
そして夜空に光輝く満月を見上げた。クロコは今日初めて満月を見た。
「どうやら大丈夫そうだね」
クロコから少し離れた岩陰に隠れていたフロウが言った。
「まったく……おまえ、こんなよけいな心配して、こんな真似までして」
フロウの隣で同じく岩陰に隠れていたクレイドが不機嫌そうな声で言った。
「こんな真似までしてって、君が先に行こうとしたんだろう」
「俺はただ用を足しに行こうとしただけだ」
「はいはい、そうだね」
「おい、なんだおまえ、その気のない返事は!」
「しっ! 見つかっちゃうよ」
ブレッドは歩きながら二人の隠れている岩をチラッと見る。
「やれやれ……」
ブレッドは笑みをこぼした。
夜は静かに更けていく……