4-11 選ぶ答え
グラウド東部に位置する首都ゴウドルークス。そこに建つブリアント国会議事堂。その廊下を一人の大臣が歩いていた。
年齢四十代前半、茶色の髪に、柔らかい茶色の口ひげをはやしている。鋭い目つきをしているが、どこか全体的に落ち着いた印象を受ける。
グラウドの軍務大臣であり、セウスノール軍のリーダーでもあるルイ・マスティンだ。
ルイ・マスティンは廊下を早足で歩く。表情は非常に険しかった。
(セウスノールが攻め入られようとするこんな状況の中、ここから動けないとは……!)
マスティンはぐっと歯嚙みする。
すると向かいから歩いてくるグランロイヤー総務大臣に気づく。横には護衛のリーヴァルが付いている。マスティンはすぐに平静を装った。
「やあ、ルイ」
グランロイヤーが笑顔で声をかけてくる。
「やあ、ジオ」
マスティンもほほえみながらそれに答える。
「どうしたルイ。どうも様子が落ち着かないな」
グランロイヤーのその言葉に、マスティンは内心でわずかに驚く。
「参るよ、君の鈍そうで鋭い所には」
マスティンはほほえむ。
「ハッハッハッ、取り柄の一つだからな。それよりどうしたルイ」
「なに、大したことじゃないさ」
「どうも君は最近私に冷たいな。私はそういう風に突き放されるとさびしくなるのは知ってるだろう? 何か悩み事があるなら聞こうじゃないか」
「今は少し都合が悪くてな。また機会を作るよ」
「そうかい……」
グランロイヤーは少し口調を落とした。
「すまないな。またな、ジオ」
マスティンがグランロイヤーを横切ろうとした、その時だった。
「ルイ、ちょっと聞かせてくれないか?」
グランロイヤーの口が開いた。じっとマスティンを見つめている。
「君は最近付き合いが悪いな。いったいプライベートの時、君は一人で何をしてるんだ?」
「……最近一人旅に凝っていてな。年甲斐もなく遠くへ行って疲れを溜めてしまうんだ」
それを聞いてグランロイヤーはほほえむ。
「そうか、今度気が向けば私も誘ってくれ」
「ああ、そうするよ」
マスティンはグランロイヤーを横切って、そのまま歩いていく。
グランロイヤーはその場で立ち止まっていた。
去っていくマスティンの背中をしばらく見つめたあと、ゆっくりと口を開いた。
「……リーヴァル」
「はい」
リーヴァルはグランロイヤーを見た。
「一時的に護衛の任を解こう。少し調べてほしいことがある」
荒野を走るクロコ達の馬車。
フルスロック脱出後から、三日走った頃、荒野の向こうからセウスノールの街が姿を現した。
馬車はセウスノールへ入り、大通りを走る。
しばらくすると正面に、セウスノール基地が見えてきた。
ずっしりと横と奥に広がった巨大基地だ。数え切れないほどの大砲が備え付けられている。後方にはシュルベルク城が見下していた。
基地に着いた頃にはクロコの傷もだいぶ良くなり、馬車から自力で降りれるほどには回復していた。
クロコ達が降りると、すぐにガルディアが出迎えに来た。
「おまえら、よくここまで来てくれた」
ガルディアは兵士達一人一人にねぎらいの言葉を言う。
クロコの前にガルディアが立つ。
「クロコ。約束通り、またここで会えたな」
「ああ……」
クロコは軽く返事だけをして、ガルディアを横切った。平静を装っていたクロコだが、その心は穏やかではなかった。レイズボーンの顔が、頭から離れない。
ガルディアはそんなクロコの背中を静かに見つめた。
そんなガルディアにサキが近づく。辛そうな顔をしている。
「ガルディアさん。アールスロウさんは……」
「分かってる。そういうやつだから」
ガルディアはフルスロックの方角を見つめた。
「なに、大丈夫さ。あいつも必ずここに来る」
無人となったフルスロック。焼き焦げた建物が並ぶ大通りには無数の国軍兵が座り込んでいた。
その街にそびえるフルスロック基地。その一室にレイズボーンが一人座り、紅茶を飲んでいた。
扉が開き、その部屋に一人の将軍が入ってくる。
年齢四十代前後、白い髪に、鋭い目をした整った顔だちをした男だ。少し恐そうな顔をしているが、表情は穏やかだ。
「お疲れだったな、レイズボーン少将。また勲章が増えるな」
白い髪の将軍は気さくに話しかけた。
「これはこれは、『剣封』ファイナス少将ではありませんか。私以外の『七本柱』が来ていたとは」
「ああ、何せこの戦いで内乱に終止符が打たれるかもしれないのだからな。国軍にも気合が入るさ。ついでにロイスバード少将も来る予定だったが、残念ながら間に合いそうにないな」
「それは可哀想に、あの方はケイルズヘルの敗戦以後、解放軍への復讐にご執心だと聞いていましたのに」
「それよりレイズボーン。基地内には解放軍の捕虜やケガ人が一人もいないのだが……」
「ああ、生き残りは少なかったので、邪魔にならないよう手早く処理しましたよ」
その言葉にファイナス少将は少し驚く。
「……少々やり過ぎではないか?」
「巨大な戦いが間近なのに、そうそう敵兵に労力はかけられませんよ。なにせ、倒すか倒されるかの戦いなのですから」
レイズボーンはニタリと笑った。
セウスノール基地の広間、そこでは迫る戦いの準備が進められていた。多くの兵士達が走り回り、次から次へと大砲が運ばれていく。
フロウは一人、歩きながらその様子を眺める。
(だいぶせわしなくなってきたな。戦闘ももうすぐか)
「よう!」
突然誰かが呼びかけてきた。その声の方向を向くと、そこにはガルディアがいた。
ガルディアは気さくに話しかける。
「傷の状態はいいのか?」
「ええ、僕の方は問題ありません」
「クロコの方はどうだ?」
「クロコも全快とはいきませんが、だいぶ良くなっています」
「そうか、そりゃ良かった。そういえばクロコのやつ、ここに来てから少し様子がおかしい気がするんだよなぁ」
「…………。それは……」
フロウは少し言葉に迷った。
「ガルディアさん、少し場所を移して話をしませんか?」
「……分かった」
二人はひと気のない広間の端に移った。
「……で、話って言うのは?」
「はい、クロコの様子がおかしい理由ははっきりしているんです」
「はっきりしてるって言うと?」
「クロコはフルスロックの戦いでレイズボーンに出会っているんです」
それを聞いた途端、ガルディアの表情が一瞬こわばった。
「…………そうか」
「僕が駆けつけた時、すでにクロコはやられかけていて……それにひどく混乱していました。完全に怒りで正気を失っていたという感じで」
ガルディアは表情を変えずに話を聞いている。
「レイズボーンがどんな人物なのか、僕も噂で聞いた限りで知っています。それにクロコがされたことを考えても、クロコの反応は当然だと思います」
「……だろうな」
「クロコは多分、いま、彼に対する復讐しか頭にはないと思います。ただ……」
フロウは少し視線を落とす。
「僕は、それは別に間違っているとは思えない。レイズボーンはそれをされて当然の人間だと思いますし、それに僕自身、今は違いますが、解放軍に入ろうと思ったきっかけは復讐心に近いものでした。だからクロコの今の気持ちを否定する気持ちにはなれないんです。だけど……」
フロウは少しだけさびしげな顔をした。
「なぜでしょう、クロコにはそんな形で剣を振るってほしくない、そう思っている自分もいるんです」
フロウの話を聞いたあと、ガルディアはしばらく黙っていた。
しばらくの静寂が続いたあと、ガルディアは口を開く。
「フロウ、クロコがどこにいるか知ってるか?」
「……いえ、彼の行動はいまいち読めなくて」
「そうか」
ガルディアは歩き出す。
「教えてくれてありがとな」
夜のセウスノール基地、そこのベランダでクロコは夜風に当たっていた。夜空には多くの雲が漂い、星は見えない。その夜空と同じように、クロコの表情もどこかすっきりしていない。
「よう! クロコ」
ガルディアがベランダに入ってきた。
「アンタか、何の用だ?」
無愛想な対応のクロコ。
「さびしいこと言うなよ。オレとおまえの仲だろ?」
「殺し、殺されそうになった仲か?」
「ハッハッハッ、まだ記憶に新しいか……やり過ぎちゃったかな?」
「絶対やりすぎだと思う」
ガルディアはクロコの隣に立って夜空を見上げる。
「……聞いたぞ、レイズボーンに会ったんだってな」
「フロウか。あのおしゃべりめ」
クロコは夜空を見ていた。
「おまえは、レイズボーンを斬るのか?」
「………………」
クロコは視線を落とし、少しのあいだ黙ったあと、小さく口を開く。
「あいつは……あいつだけは……絶対に許せない。許しちゃいけない」
「……だから、おまえがやつを裁くのか?」
小さな風が音を立てた。
「やつが自分の大切な者達の命を奪ったから、おまえがその復讐にあいつの命を奪う……。やつのしたことを考えれば、それをされて当然だと」
ガルディアの言葉にクロコは答えなかった。
「別にオレはそれが間違ってるって言ってるわけじゃない。そういう正義もあると思う。だけど、それをすることで、おまえが今まで大切にしていた何かが壊れてしまうような、そんな気がするんだ」
それを聞いて、クロコはしばらく黙ったあと、小さく口を開いた。
「……けど、オレは……あいつだけは許せない……!!」
クロコはギリッと歯を鳴らした。
「……他の全てを失ってもいいぐらい。あいつが憎い……!!」
その言葉を聞いて、ガルディアは黙った。
夜のベランダに再び風の音が鳴る。
「それが全てというのなら、その選択をすればいい。それが本当におまえの求めたことならな」
その言葉を聞いてクロコは黙った。ガルディアは再び口を開く。
「おまえは、もう気づいてるんじゃないか?」
ガルディアはクロコを見つめた。
「おまえはいままで、なんのためにアールスロウに剣技を教わった? おまえはなんのためにオレとの特訓に一週間も耐えた? おまえは今まで何を思って、必死で戦って生き残ってきた? それはおまえが今しようとしているもののためなのか……?」
その言葉を聞いてクロコはわずかに眉を寄せる。
「おまえの振るう剣。それに乗せるべきものは、いったい何なのか」
ガルディアは静かにクロコを見つめていた。
「オレは本当のところ、おまえの心なんか、分かりゃしない。だから、それはおまえにしか分からない」
ガルディアはゆっくりと口を開く。
「答えは、おまえの中にある」
ガルディアはクロコに背を向けて歩きだした。
「後悔のない選択をしろよ」
ガルディアは去り、クロコはまた独りになった。再び夜空を見上げる。
いまだに自分の心はすっきりとしない。ただ、先ほどまでと違い、ひどく震えているような気がした。
クロコはふとウォーズレイ基地で、ブレッドの死に触れた時のことを思い出した。
胸が苦しくなるのを感じた。
(あの時と同じだ……)
その時、思い出した。夕陽の橋でソラと二人きりで話した時のことを。
その時のクロコも、先ほどの同じように、ソラに自らの中の怒りを言葉にして吐き出した。
ソラの言葉がよみがえる。
「あなたは選択しないといけない。あなたの答えを、クロコの答えを……」
「あなたの求めてる『希望』は、事実と向き合い、問題とぶつかりながら歩んだ先にきっとあるはずだから」
クロコは夜空を見つめる。
(オレの求める『希望』……オレの答え)
クロコの脳裏にスコアの顔が浮かんだ。その時、クロコは軍服からあるものを取り出した。その手に銀色の卵型のペンダントの片割れが光る。
(この戦いには、あいつもいるんだろうか……?)
同じ頃、フルスロックの街の一角、そこでコールは一人、座りながら剣を白い布で磨いていた。
「コール」
突然、コールを呼ぶ声がした。見ると、そこにはスコアの姿があった。
「スコア……!」
「久しぶりコール、一ヶ月ぶりくらいかな?」
スコアはほほえむ。それを見てコールもほほえむ。
「久しぶりスコア、司令官に挨拶しなくていいの?」
「もう済ましてきたよ」
「そっか……」
コールはそう言ったあと、わずかに暗い顔をした。
「ねぇスコア。フレアの話はもう聞いた?」
それを聞いてスコアはわずかに表情を曇らせる。
「うん」
「そっか……」
コールはそう言ったあと、何かを考える様子を見せる。
「コール……?」
コールは真剣な表情でスコアを見た。そして口を開く。
「……やっぱり、きみは知っておくべきだ」
「え……?」
「スコア、少し場所を移そう」
二人は建物の裏に移動して、向かい合って立った。
「なに? ボクが知っておくべきことって。フレアについてだろう?」
それを聞いてコールはスコアをじっと見つめる。
「うん……フレアの死についてのこと」
「どんなこと?」
「……理由は分からないけど、フレアの遺体は戦場からずいぶん離れた所で発見されたらしいんだ」
「……?」
「その発見場所のすぐ近くには割れたゴルドアの破片が見つかったらしい。たぶんフレアを殺した相手のものだ」
「ゴルドア……」
「解放軍の兵士でゴルドアを使っている剣士はだいぶ限られる。そしてフレアを倒してもおかしくないほどの実力を持った剣士……」
スコアは思い出した、クロコが身の丈に合わない大型の剣を持っていることを。
「まさか……」
「何よりフレアは、あの戦場でクロコを倒すことに執着していた。きみとクロコを戦わせたくなかったから」
「……!!」
スコアは衝撃を受ける。しばらく呆然とした。
スコアの口元がゆっくりと動く。
「そうか……分かった」
「正直、きみに言うべきがどうか迷った。だけど、きみには知る権利があると思ったんだ」
「うん……ありがとうコール。教えてくれて」
スコアはつぶやくような静かな口調だった。
「少しの間、独りにしてくれないかな?」
その言葉にコールは静かにうなずいて、その場から離れた。
独りになったスコアは夜空を見上げる。
(そうか……クロコ。きみはボクの大事なものを奪ったのか)
スコアは眼鏡をはずし、深い青い瞳で夜空を見つめた。
(ならばボクはこれ以上、大事なものを奪われるわけにはいかない。ボクはボクの大事なものを守らなければならない。だから……)
スコアは剣の柄を強く握った。
(きみはボクが倒す)