0-6 グレイ・ガルディア(後編)
「スロンヴィア。農民の村だよ」
その言葉を聞き、ベッドの上のガルディアは中年の男を見つめる。
「スロンヴィア……ですか」
「知っているかね」
「いえ、初めて聞きました」
「そうだろう、森に囲まれた秘境のような村だからな」
「ハハハ、秘境ですか」
「そして私はここの村長だ」
「村長だったんですか。では村長さん、この村は……ここはどの辺に位置する場所なんですか?」
「ラッサム地域の東の端だよ」
「……となるとギリギリ国軍領ですね」
ガルディアは顔を険しくする。
「オレは解放軍兵です」
「ああ、姿を見れば分かる」
「オレなんかを助けたら色々とまずいでしょう」
「別に気にすることはない。この村によそ者が来ることなどめったに無いからな……それに……」
村長はガルディアの目を見つめた。
「死にかけている人間を見捨てることの方が、私にとってはよっぽどまずい」
村長はそう言ってほほえんだ。
「本当に……ありがとうございます」
「そう気を使うことはない。とにかく君の傷は深い、今はゆっくり休むといい」
村長はそう言うと部屋から出ていった。
その後、村長の妻が何度か顔を出した。その都度、水を出したり、食事を出したり、具合を見たりしながら、優しい言葉をかけてくれた。
窓から明るい陽射しが入る。おそらくはもう昼ごろだろう。ガルディアは一人、ベッドに横になっていた。村長の奥さんが最後に来て一時間が過ぎていた。それ以来誰も姿を見せない。少しだけ外が騒がしいような気がした。
ガルディアはふと戦場のことを思い出す。
(あの戦い……勝てたんだろうか。敵軍にはディアル・ロストブルーもいた。みんな無事だろうか。どうか、無事でいてくれよ)
ガルディアの胸に何とも言えない不安がよぎった。
その時だった。突然なにかの視線を感じた。
「誰だっ!?」
ガルディアはドアの方を見て思わず叫んだ。
ドアが素早く閉められる。
一瞬ドアのすき間から子供の姿が見えたような気がした。
「…………子供か?」
(村の子供が見に来たのか……しまった、思わず叫んで驚かせちまったな)
「大丈夫だ。入っておいで」
ガルディアは子供を安心させるように優しい声で言った。
するとドアがゆっくりと開かれ、すき間から二人の子供が顔をのぞかせる。
一人は十歳満たない黒髪に真紅の瞳の男の子。もう一人は十歳ちょっとの茶色い髪の男の子だ。
少し怖がっているのだろうか、ドアのすき間から見つめたまま動かない。
それを見てガルディアは優しくほほえみかける。
「なんだ、どうした。オレを見に来たのか?」
ガルディアのほほえみで安心したのか、黒髪の男の子の方がドアから離れて、ゆっくりと近付いてくる。
「お、おい」
茶色髪の男の子が後ろから制止する。
「別に怒りはしないさ。大丈夫だ」
ガルディアのその言葉を聞いて、茶色髪の子も黒髪の子の後を追って近づいてきた。
黒髪の子はガルディアの包帯を見つめて、声を出した。
「大丈夫なの?」
「最初はけっこーヤバかったな。正直、きみらの村で手当てを受けてなきゃ死んでたかもな。きみらの村の……オレを見つけてくれたブラドさんって人とオレを手当てしてくれた村長さん。あの人達のおかげでこうして命を取り留めたよ」
「…………」
「村長さんと少し話もした。いい人だな」
「うん、村で自慢の村長だってお父さんも言ってた」
「そうか」
ガルディアは黒髪の子の頭をなでた。すると黒髪の子は嬉しそうに笑った。
その少し後ろで茶色髪の子がジーッと様子を見ている。どうやらまだ警戒しているようだ。
(解放軍の軍服……これが原因か……?)
「解放軍は怖いか?」
ガルディアがそう聞くと、茶色髪の子は下を向いて黙った。
しかしすぐに顔を上げた。
「怖くないよ」
茶色髪の子は初めてガルディアの目を見た。
「父さんが言ってた。解放軍は悪くないって、悪いのはおかしな政治をする国だって、解放軍はそのおかしな国の政治を正そうとしてる。だから悪くないって」
「そうか」
(この子なりのオレを気遣っての言葉なんだろう)
ガルディアは優しくほほえんで、その子供の気遣いに答えた。
「オレだっておじさんのこと怖いなんて思わないよ」
黒髪の子が続けて言った。
「だって、おじさん全然悪そうに見えない。優しそうに見える」
「おじさんって年じゃないんだけどな。でもありがとな」
ガルディアは思わすニコッと笑った。この二人と話すうちにガルディアの胸の中の不安は自然と和らいだ。
「そういえば……外が少し騒がしいな」
ガルディアは窓から外をチラッと見た。
「うん、みんなが村長の家に押しかけて『危ない』って……」
(……!!)
「お、おい、クロ! そういうことは本人に言っちゃダメなんだぞ」
「…………そうか、それで」
ガルディアがそう言った直後だった。
「コラーッ!! なにしてるのあなた達!」
村長の妻が大声で二人の背後から怒鳴った。
「し、しまった!」
村長の妻は子供達を捕まえて部屋の外へと引きずり出してしまった。
(内緒で入ってきてたのか……)
再び一人になるガルディア。
(やはりここは国軍領だ。オレがいれば何かと問題が起こるだろう。早くここを去った方がいいな)
ガルディアはケガを押して、ベッドから立ち上がった。
その後、ガルディアは村長に会い、この村を離れることを告げた。
それを聞いて村長は少しだけ眉を寄せた。
「そうか……」
「これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないので」
「うむ……先ほど、町に出ていた者から聞いた話なのだが、クロウジア谷での戦闘で解放軍は敗戦したそうだ」
「……!」
ガルディアは驚く。思わずうつむいた。
「……そうですか、ならなおさら早くここを出た方がいいですね。オレはこれでもそこそこ名を知られているんです。追手が来たら厄介だ。何より村の人たちに迷惑をかけてしまう」
「そうか……なら最後に包帯を換えよう、ずいぶんと血で汚れてしまっているからな」
「……いえ、これ以上は」
「そう言うな。汚れて病気になっても大変だろう。せっかく助けた命がそんなことで失われては私も悲しいからな」
「……ありがとうございます」
ガルディアはその後、村長宅をあとにした、去りがけにブラドにもあいさつをして、村をあとにした。
ガルディアはその後、ロック基地の南に位置するレックル基地へと向かった。
旅は思ったより順調で、特に何事もなく基地へとたどり着くことができた。
基地に着くと、広間に基地の司令官が顔を出した。
「グレイ・ガルディア。無事でなによりだ」
「無事ですんだのは本当に運が良かったと思っていますよ。死んでいても何も不思議じゃなかった」
ガルディアはそう言って少しだけほほえみを作る。
その後、ガルディアは基地の一室に招かれた。
司令官はガルディアの様子を見ながら口を開く。
「……ふむ、少し元気がないな。敗戦がショックだったか」
「ええ、それもありますし、仲間が無事かどうかも心配です」
「ああ、そうだな。私も部下の安否が心配だよ。そうだ、そういえば君はあの事件のことを知っているかね」
「……あの事件?」
「知らないのか……ふむ、敗戦直後の君の心をさらに暗くしてしまうかもしれないが、知っておいた方が良いだろう」
「どんな事件なのですか?」
その問いに、司令官は少し顔を険しくした。
「敗戦のすぐあとに起きた事件らしいのだが、国軍の部隊が村一つを焼き払ったらしいんだ」
「……!!」
嫌な予感がした。とてつもなく嫌な予感が。
聞きたくない、しかし聞かずにはいられなかった。
「その焼き払われた村……なんて名の村なんですか……?」
「確か……スロンヴィアという名だったな」
(…………ウソだ)
ガルディアはその場で呆然となった。
(…………ウソだ、そんなこと……そんなはずは……ない)
近くで司令官が驚いて呼びかける声がした。しかし、反応することが出来なかった。
(…………オレのせいだ)
ガルディアの頭の中に、村での出来事がよみがえる。ほほえむ村長。優しい言葉をかけたくれた村長の妻。部屋に顔を出した二人の子供。黒い髪の少年は頭をなでたら、嬉しそうに笑っていた。
(オレが……殺した)
ガルディアはしばらくその場を動くことが出来なかった。
数日後、サーテルボードの基地の司令室。
ガルディアは机に座るグロン司令官の正面に立っていた。
「無事に帰ってきて安心したよ」
グロン司令官はほほえんだ。
「最後の戦場で命を落とすなど、そんな悲しいことにならなくて良かった」
「…………」
「口約通り、君は戦場を去るのだろう……?」
「……いえ」
ガルディアはつぶやくような静かな口調で言った。
「……?」
「オレは戦場を去りません」
「…………私としては嬉しいが、どうしたんだ、突然」
「司令官、これから話すのはただのざんげです。そのざんげに少しだけ付き合ってはもらえませんか……?」
その言葉を聞いてグロンは少しだけ戸惑った。
「……構わない。話したまえ」
ガルディアは話した。
国軍によって焼き払われたスロンヴィアの虐殺事件、その原因が自分であることを。
それを聞いて、グロンは少しの間、目を閉じた。
ガルディアは表情を変えず、静かにグロンの目を真っ直ぐに見つめていた。
「…………オレが原因で、多くの命が失われました」
その言葉にグロンは少しの間、答えなかった。少し時間を開けてグロンは口を開いた。
「……君のせいではない。それは不幸な繋がりだったんだ。何より、村人を殺めたのは国軍兵であって君では……」
「オレが村に来なければ、誰も死ぬことはなかった」
「しかし……」
「オレは誰も殺していない。けれど、殺されたのは、オレが原因です」
「…………それが、君が軍に残る理由なのかね?」
「この事件が、解放軍のグレイ・ガルディアが起こした事件ならば、オレはただのグレイ・ガルディアに戻ることは、許されるべきじゃない。オレは解放軍のグレイ・ガルディアとして一生この罪を背負い続けるつもりです」
「…………」
「オレが戦場に立って人を殺め続けることが辛いなんて……そんなことはもうどうでもいい。オレはこれからも戦場に立ち、命を懸けて剣を振るい続けます。そして一日でも早く、この世界を変える。それが解放軍のグレイ・ガルディアとして、オレができるただ一つの償いです」
「……そうか、分かった。ならばこれからも我らのために剣を振るい続けてくれ」
「ハッ!」
この事件の真相を知る者は、世界でガルディアとグロン司令官のただ二人。
ガルディアはその真相をその後、誰にも話すことはなかった。そしてひたすらに剣を振るい続けた。
その四年後、グロン司令官はオールロウの戦いで戦死。
この事件の真相を知る者はガルディア本人だけとなった。
スロンヴィア虐殺から七年後。
ガルディアは司令官となっていた。
副官となったアールスロウと共に基地の廊下を歩いていた時だった。
数人の兵士が慌てた様子で話していた。
アールスロウが兵士達に声をかける。
「どうした? 何か問題でも発生したか」
聞くと、軍に入りたいという少女がベイトム隊長を殴り倒したとのことだった。
その話を聞いてガルディアは思わず笑ってしまった。
(面白いやつがいるな)
本来なら試験すら受けることのできない入軍希望の少女。しかしガルディアの一言で入軍試験を受けさせることとなった。
ガルディアが興味本位で最後の実技試験を見るために、アールスロウを連れて実技場の隅で待っている時だった。
ガルディアは試験管を務めた兵士から受け取った、少女とその連れのプロフィールを目にした。
(名前はクロコ・ブレイリバーとブレッド・セインアルド……)
名前の次に出身地を目にした、その瞬間ガルディアは衝撃を受けた。
「二人とも出身地がスロンヴィア……」
「……ということは、二人ともスロンヴィア虐殺の生き残りですね」
(スロンヴィア虐殺の……生き残り……!!)
「国軍の起こした最悪な事件の一つですね。農民を村ごと焼きはらった虐殺事件……」
直後、ガルディアの脳裏に村で会った二人の子供の姿が思い出された。
(あの二人がもしそのまま成長すれば……ちょうどこの二人ぐらいの年齢になる。だが……確か二人とも男の子だったはずだ。いや、小さい方の子、あれぐらいの年齢じゃあ、性別なんてはっきりは分からないか…………いや、オレは一体何を期待してるんだ)
「どうしましたか?」
「いや、なんでもない。しかしスロンヴィア出身か」
「入軍理由はおそらくは国軍への復讐でしょうね」
「復讐、か……」
(確かにそれが妥当なところだろう。オレが起こした事件、あれによって、国軍への復讐のためだけに生きる。もしそんな人生を送るのなら、それもオレの犯した罪なんだろう。けれど、もし……)
そのすぐあとに、クロコとブレッドが実技場に入ってきた。クロコの方は聞いていた通りふてぶてしい態度で、試験管を置き去りにして実技場の中央へと進んでいった。
ふと、ガルディアとクロコの目があった。その少女の持つ独特な雰囲気、それを感じた瞬間、ガルディアは確信した。
(あの時の二人だ……! 間違いない)
しかし、ガルディアは素直に喜べなかった。『復讐』それだけのために二人は生きている可能性が高い、そう思ったからだ。
その後、試験はアサシン部隊の奇襲という形で中止された。しかしクロコ達の実力は文句なく合格というレベルだったため、入軍を認めることにした。
司令室の机に座りながら、ガルディアはアールスロウに話しかけた。
「ファイフ、悪いんだが、あの二人をここに呼んでくれないか」
「自ら合格を知らせたいのですか?」
「まぁ、それもあるが、ちょっとだけ話がしたくてな」
ガルディアは確かめたかった、二人が軍に入ろうとした目的を。
(復讐か、それとも……)
「おまえ達に聞きたいことがあるんだ」
合格を告げ、二人と話している最中、ガルディアは話を切り出した。
「おまえたちが入軍した理由を聞きたい」
「そんなの、オレ達にとっては決まってる」
ガルディアの問いに対して、クロコは真紅の瞳で強くガルディアを見つめ返した。
「光を求めてだ」
その言葉にガルディアは一瞬戸惑った。
「光……?」
ガルディアは思わす聞き返してしまった。
その後、クロコは語った、自分はこの戦いを通して、この国で認められる存在になりたいと……。
暗闇の中で生きる自らの人生に光を照らしたいのだと。
「オレ達は光がほしい。オレ達が求めるのは『希望』ただ一つだ!」
その言葉を聞いて、ガルディアは自らの心が震えるのを感じた。
(そうか……クロコは……『希望』を求めているのか)
『復讐』ではなく『希望』
ガルディアは最後にある言葉を言ってその場を締めくくった。
「答えてくれてありがとうな。少しだけおまえらのことがわかった気がするよ」
『ありがとう』その言葉の意味には、別の感情が込められていることを、ガルディア以外、誰も知らなかった。
クロコは闇ではなく、光に向かって歩いている。それはガルディアにとってこれ以上なく嬉しいことだった。
しかしブレッドの方は分からない、ガルディアはそう感じた。けれど、クロコといることでブレッドの心にもきっと光が届く、ガルディアはそう感じた。
戦場の先にあるものは『光』だけではない、多くの憎しみと絶望に満ちている、けれど、自分はこの二人の道に光を照らしたい、ガルディアはそう思った。
その数週間後、ブレッドは戦死した。
ガルディアの中で、一つの希望が消えていくのを感じた。
その時、ガルディアは心に誓った、クロコだけ、あいつだけでも助けたい。せめてあいつの人生だけでも。
ケイルズヘル防衛戦の時、ガルディアは一人、命令がないにもかかわらず、二年ぶりの戦場へと突撃した。
クラット防衛戦の時、周りの制止を振り切り、戻ってこないクロコを探しに敵陣へと飛び込んだ。
クロコは無愛想だが、時々、無邪気な笑顔をこぼす。それを見た時、少しだけ、昔クロコと初めて出会ったあの頃に戻ったような気がした。
解放軍のグレイ・ガルディアとして戦い続けること。それはガルディアにとって、終わりの見えない償いだった。
しかし、クロコと出会ったことで、クロコを守ることで、ガルディアは自らの心に小さな光が差し込むのを感じた。
それは小さな小さな光、けれど、なによりも強い光。