3-21 暗闇の中で
地面に伏しているフレア。
クロコはゆっくりとそれに背を向けた。少し離れた場所に倒れているフィンディに向かってヨロヨロと歩く。
フィンディの前に立った。
フィンディの目は薄く開かれ一点を見つめている。倒れている地面には血が広がっていた。
「……フィンディ」
クロコは名を呼んだ、少し声を出しただけなのに、体中に痛みが走った。それでも構わず声を出す。
「フィンディ!!」
クロコが大きな声を出すと、フィンディの目に浮かぶ瞳がクロコの方へ動いた。
「……良かった、生きてた」
何も答えないフィンディを、再び背負おうとする。しかし……
「……ううっ!!」
クロコの体に鈍い痛みが突き抜ける。思わす声が漏れた。
それでもクロコは歯を食いしばり、フィンディを背負った。
クロコはゆっくり歩き出す、もう走ることはできない。基地を目指し、その方向をゆっくりと歩く。
歩くごとに、クロコの息が乱れてきた。地面にしたたり落ちる血は、フィンディのものなのか、自分のものなのか、もう分からない。
クロコはあまりの苦しみでそのまま倒れてしまいそうだった。あまりの痛みで泣きだしてしまいそうだった。それでもクロコは歩き続けた。
少しずつしか進まない。
それでもクロコは歩き続けた。
傾いた日は、夕暮れへと変わり、そしてゆっくりと沈んでいった。
それでもクロコは歩き続けた。
意識がかすんできた。気持ち悪くてたまらなかった。
頭の中に響く、苦しそうな息切れは、恐らくは自分のものなのだろうと、クロコは思った。
ずいぶん歩いたはずなのに基地が見えてこない。
このまま意識を失ってしまうかもしれない、そうふと頭をよぎった時だった。
「……置いていけ」
小さな声がした。フィンディの声だった。
「オレを……置いていけ……」
「……いやだ」
「このままじゃ……二人とも、死ぬ……おまえだけでも……」
「いやだ! 絶対に置いていくか!!」
「オレは……もう……助からない……だから……」
「おまえを置いて、オレだけ助かるぐらいなら、ここで二人で死んだ方がマシだ!!」
「……おまえにも……待っているやつが……いるんだろ……」
「だから、二人で生きて帰るんだよ!!」
クロコは絞り出すような声で叫んだ。それを聞いてフィンディはほほえんだ。
「……おまえって……本当に……バカ……だな」
フィンディの目から一粒の涙がこぼれる。涙はほほを伝い、地面へと流れ落ちた。
そしてそのまま、フィンディは何もしゃべらなくなった。
クロコは歩き続けた。
フィンディはもう動かなかった。しかしクロコは絶対にそれを手放そうとはしなかった。
(生きてる……生きてる……生きてる)
クロコは自分にそれを必死に言い聞かせた。
クロコはひたすら歩き続けた。
目の前には暗闇だけが広がる。辺りは静寂に包まれていた。本当に進んでいるのか、本当に基地の方向を歩いているのか、それさえも分からない。
それでもクロコは歩き続けた。
少しずつ少しずつ歩き続けた。
長い時間、歩き続けた。
もういったいどれだけの時間、歩き続けているのだろうか。クロコには全く見当もつかなかった。
クロコの意識がぼやけていく中、ふと前を見ると、遠くに小さな明かりが見えた。
「……!」
基地だとクロコは思った。今すぐにでも駆け出したかった。けれど、もうクロコにはその力はない。
ゆっくりとゆっくりと歩きながら進んだ。
それに合わせ、光はゆっくりとゆっくりと近付いてきた。
そしてその光がしっかりと見えた、その瞬間だった。
「……!!」
クロコの思考は止まった。
基地が赤く燃えていた。
そして、その光が高く立てられた何かを照らしている。
……旗だ。
国軍の旗が高く掲げられていた。
クロコはその場でひざまずいた。
(負け……た? オレ達は負けたのか? そんな…………どうすれば……どうすればいい…………もう、ケガの手当てもできない……どうすれば…………)
クロコの中の希望が小さく音をたてて崩れていった。
クロコは地面に手を当て、呆然とする。
意識が徐々に薄らいでゆく。
(ここまでなのか……)
その言葉がクロコの脳裏によぎった瞬間だった。
クロコは自らの腕にかみついた。歯は肉をちぎり、手から血が流れる。
「まだだ……まだ、オレは生きてる……!」
クロコは震えながら再び立ち上がった。
その時だった。
「クロコ!!」
誰かが大きな声で自分の名を呼んだ。クロコは声の方向を見た。
見ると、目の前に馬にまたがったガルディアの姿があった。
「良かった、クロコ、見つかった」
ガルディアは嬉しそうに笑う。
「……なんで、あんたがココに」
「話はあとだ、逃げ延びたやつらはここから西の基地に避難してる。とにかくそこまで逃げるぞ」
ガルディアはクロコの体を見て、思わず眉を寄せる。
(ひどいケガだ……)
そしてクロコが背負っているフィンディにも気づく。クロコが口を開いた。
「フィンディが……ひどいケガなんだ。早く手当てしないと」
ガルディアはフィンディをジッと見つめた。
「………………分かった。この馬なら三人ぐらい大丈夫だ」
ガルディアは馬から降り、クロコを持ち上げて、馬に乗せた。続いてフィンディを持ち上げてクロコの後ろに乗せた。
「クロコ、フィンディを置いていきたくなかったら、離すなよ。もうひと踏ん張りだ」
ガルディアはクロコの前にまたがり、馬を走らす。
クロコは片腕でガルディアにつかまり、もう片腕でフィンディを抱き寄せていた。
馬がガクンガクンと揺れる。
クロコは薄くなっていく意識を必死でつなぎ止めていた。
闇の道を馬はひたすら駆けていた。
クロコの視界にも闇のみが広がる。
今すぐにでも、頭の力を抜いて、眠ってしまいたかった。それを必死でこらえて、クロコは必死で意識をつなぎ止める。
クロコの意識が徐々にぼやけていく。意識にかかるかすみが徐々に濃くなっていく。
歯を食いしばろうが、唇をかもうが、舌をかもうが、意識のかすみをとることは出来なかった。
ふと、クロコは闇の中で、母の顔を見た、その隣には父もいた、妹もいた……小さい頃のブレッドもいた。みんな楽しそうに笑っている。
(そうだ……そういえば、オレにもこんなに幸せだった時があったんだ……)
「クロコ!!」
ふいにガルディアの呼び声が響いた。クロコはハっとした。
「もうひと踏ん張りだ!! まだ倒れるなよ!!」
「……ああ」
クロコは返事をして、再び必死で意識を集中させた。
長い長い時間が過ぎていく。
視界には暗闇だけが広がり、それ以外、何も見えない。
馬が大きく揺れているはずなのに、その感覚がまるでない。
もうどれだけ意識を保っているのか分からない。
永遠とも思える時間がクロコの中で過ぎていく。
それでもクロコは必死で意識をつなぎ止める。
「クロコ!!」
またガルディアの声が聞こえた。
「もう大丈夫だ。基地に着いたぞクロコ」
その声を聞いた途端、クロコの意識は深い闇の中へと沈んでいった。
長い時間、どこかをさまよっていた気がした。
安らかな時がクロコの中を流れていく。
クロコはゆっくり目を開けた。
すると誰かの声がすぐ近くで聞こえた。
「クロコ!」
するとフロウが自分の顔をのぞき込んだ。
「クロコさん!」
すぐ隣にサキの顔もあった。
クロコは小さく口を開いた。
「フロウ……サキ……良かった。生きてたのか……」
「それはこっちのセリフだよ! あ~、良かった」
フロウは嬉しそうに笑う。サキも嬉しそうに笑っていた、目からは涙が流れている。
それを見てクロコも思わす笑みを浮かべた。
クロコは体を起こそうと思ったが、体が動かない。
仕方がないので、寝たまま口を開いた。
「オレ……生きて、帰れたんだな」
クロコはぼんやりと天井を見上げた。そしてふとあることに気づいた。
「……フィンディは?」
クロコは二人の顔を見て聞いた。
それに対し、フロウが口を開いた。
「それは…………」
小さな鳥の鳴き声が響く。
暖かい陽射しをまぶたの上から感じる中、フィンディは目を覚ました。
見るとすぐ近くでファリスが座っていた。
「フィンディ!!」
ファリスは叫んだ。そしてすぐに大粒の涙を流した。
それを見て、フィンディは口を開く。
「…………オレ、生きてんのか」
「良かった……良かった……」
ファリスは震える声を出し、嬉しそうに泣いていた。
フィンディはそれをボーッと見つめていた。
「オレ……どうなったんだっけか……」
フィンディは自らの記憶をなぞる。
(ラズアームを斬った後までは覚えてる…………そうだ、そのあと、オレは斬られて……それで、あいつが来たんだ……)
「クロコに……助けられたのか……」
それを聞いて、ファリスが泣きながらうなずいた。
「うん……クロコがあんたを連れてきてくれて……」
フィンディはまだぼんやりとした表情をしている。
「どうして、生き残っちまったんだろう……」
フィンディは天井を見つめながらボソッと言った。
「オレは……多くの命を奪った……兵士としてじゃなく、仲間を守るためでもなく、ただ……自分の苦しみから逃げるためだけに……。どうしてオレは……罰を受けずに生き残ってるんだろう」
ファリスはそれを聞いて、うるんだ目でフィンディをにらみつけた。
「あんたが重傷じゃなきゃ、今すぐにでもあんたを叩いてるよ」
フィンディはそれを聞いてほほえんだ。
「そっか……おまえが待ってたからか……おまえがいたから、オレは、生きて帰ってきたのか」
「…………バカ」
「…………なんだろう……不思議な気分だ。なんだか、懐かしい気分がする」
その言葉を聞いてファリスは笑みを浮かべる。
「懐かしくて当たり前だよ。だってここはハーモニアだよ。わたしとあんたの生まれ故郷だよ」
「……そうか」
「わたし達は帰ってきたんだ」
「…………違う、あの町は一度燃えた。オレの大切なものはもうここにはない。ここはもう、別の町だ」
「だけど……あんたは懐かしいって言った」
「…………」
ファリスは優しくほほえむ。
「やり直そう、フィンディ……ここからもう一度……たとえどんな罪を背負ったとしても、生きていれば、それが出来るんだから」
ファリスのその言葉を聞いた途端、フィンディの目から大粒の涙がこぼれた。
フィンディの口元が震える。
「そっか……オレ……生きてる…………生きてるんだ……もんな」
それから数日後、クロコは包帯グルグル巻きの状態で廊下を歩いていた。隣にはフロウとサキがいる。
フロウが口を開く。
「僕らはフルスロックに戻るみたい」
「敵の方は大丈夫なのか?」
「まだ動き出さないみたいだね。だけど、これから大きく動くと思う」
「そっか」
クロコは少しうつむく。そして顔を上げる。
「そういえば、フィンディは回復したのかな」
「フィンディは君よりさらに重傷だから、まだだろうね」
「そうか……」
「たぶん復帰にはしばらくかかるよ」
「……いや」
クロコは小さく口を開いた。
「傷が癒えても、あいつはもう、戦場には戻らない」
「えっ?」
「……たぶんな」
「…………」
「そういえば……」
クロコはふと思い出した。
(フロウとサキはこの基地に避難してた。どうしてガルディアは馬に乗って、あの時、あんな所にいたんだ……?)
「どうしたの?」
フロウがクロコの顔を見ていた。
「……なんでもない。まあ、なんにしたって、やっと帰れるな」
「……うん、そうだね」
「あの……ボクもフルスロックに戻る予定です」
「えっ!? サキ君も」
「はい、クラットが落とされてしまったんで」
「そっか、そうだよね」
「喜んでいいのかどうなのかってやつか」
ハーモニアよりはるか南東の地、シャルルロッド、そこにある基地内の廊下をスコアは歩いていた。
すると向かいにラティル大佐が歩いてきた。
「あっ、ラティル大佐、どうもこんにちは」
ラティルはスコアの方を見てハッとした。そしてすぐ、少し険しい表情をした。
「……?」
普段と違うラティルの様子にスコアは少し戸惑った。
「……あの、どうかしたのですか」
「…………先ほど手紙鳥が届いてな。クラット基地攻略戦の報告が来た」
「あの……どうなりましたか?」
「我々の勝利だ」
それを聞いてスコアはほほえむ。
「良かった、勝ったんですね」
しかしラティルはあまりいい表情をしていなかった。
「それともう一つ…………君にとっては辛い報告になるだろう」
「……?」
基地にある武器庫、スコアはいつものようにバッグ片手にそこへ入った。
「レイアー、ボクだよ」
するとすぐにレイアがヒョコッと出てきた。
それを見てスコアは笑みを浮かべ、レイアに近寄った。
「今日はね、サーモンのステーキだよ。サラダもあるんだ」
そう言ってスコアはバッグを開ける。その時だった。
「どうしたの……スコア」
レイアが突然そう言った。
「え……?」
スコアは手を止め、キョトンとする。
レイアは無表情でスコアの方をジーッと見る。
「いつものと……何か様子が違う」
「そ、そんなことは……」
「辛いことでも……あったの?」
レイアがその言葉を放った、すぐあとだった。
ポタ……
スコアの目から涙がこぼれ落ちた。
「あれ…………!?」
スコアは驚いて、自分の目を触る。
「ハハハ、なんでボク泣いてるんだろう? 変だな……」
スコアの目から見る見るうちに涙があふれてくる。
「スコア……何があったの?」
「な、なんでもないんだ」
スコアがそう答えるとレイアは黙った。
しばらくの沈黙のあと、レイアは口を開いた。
「ねぇスコア……あなたはわたしの傷を見た時、泣いてくれた。わたしの苦しみを少しだけ受け取ってくれた。そしてあなたはわたしを守ってくれると言ってくれた」
レイアはスコアを見つめた。
「だったらわたしにも、あなたの苦しみを少しだけ分けて。わたしにもあなたを守らせて……」
レイアが優しくそう言った時だった。スコアはガクッとひざをついて崩れた。そして口元を震わせた。
「……少し前に……聞いたんだ……友達が……フレアが……死んだって」
スコアの目から涙があふれる。
「フレアは……おしゃべりで……マイペースで……だけど、だけど……すごく優しくて……優しくて…………」
それを聞きながら、レイアはスコアの前にしゃがみ込んだ。そしてスコアを優しく抱いた。
その途端、スコアは大きな声を出して泣いた。大粒の涙を流し、部屋に響き渡る大きな声で泣き続けた。
スコアの泣き声はしばらくのあいだ、部屋に響き続けていた。