3-1 街で出会ったある男
灰色の四角い建物が立ち並ぶフルスロックの街並み。その中でひときわ突き出た巨大な建築物がそびえている。高い石壁に四方を囲まれたその横長な建築物には、いくつもの大型大砲が備え付けられ、入口の上部にはヘルムのシルエットの旗印の大きな赤色の旗が飾り付けられている。
ここは解放軍フルスロック基地。
ケイルズヘル基地防衛戦からおよそ二カ月が経過していた。
今日は兵士達の休養の日。
皆がそれぞれの時間を過ごしている中、基地の東の実技場では、二人の人影が向かい合っていた。
一人は、年齢十五、六の少女で、黒い髪と、鋭い目に真紅の瞳、どこか威圧的な雰囲気を持っている。
クロコ・ブレイリバーは木剣を握り、向かいに立っている長身の男をにらんでいた。
その向かいに立っている長身の男は、年齢二十代半ば、長めの白い髪を後ろで結んでおり、冷たい目に青い瞳、どこか気品のあるきれいな顔立ちをしている。全体的に冷たい印象を受ける。
この基地の副司令ファイフ・アールスロウは長い木剣を片手に持ち、構えている。
クロコがギラッと目を光らす。
「今日こそ一撃入れてやる」
「気合を入れるのはいいが、学んだ技術をおろそかにするなよ」
「ふん、わかってるさ」
「なら、いい」
二人は静かに向かい合って木剣を構えている。
アールスロウが静かに口を開く。
「来い」
「言われなくても!」
クロコはアールスロウに突進する。間合いのギリギリ外で足を止めると素早く左右に跳んでかく乱する。しなやかな足運びで高速で動くクロコ。
アールスロウはその動きを目で追うが、一瞬クロコを見失う。
その瞬間、クロコがアールスロウの横をつく。
アールスロウは素早く防御の姿勢をとるが、気付けばクロコは正面に立っていた。
素早く斬撃を放つクロコ。
ビュンッ!
その斬撃は防がれた。アールスロウの防御がわずかに早かった。アールスロウはさらに剣を回転させる。クロコの木剣は流される。
しかしクロコの体勢は崩れない。素早く木剣を引き、突きへと移行する。
ヒュッ!
素早くかわされる。それと共に返されるアールスロウの長い斬撃。
ビュゥンッ!
クロコはそれを見切った。
キィン
クロコはアールスロウの斬撃を流した。
わずかに体勢を崩すアールスロウ。
クロコは一気に踏み込んだ。
ビュンッ!!
クロコの斬撃にアールスロウは素早く反応した、しかし避けきれず左肩にわずかにカスる。
「……ッ!」
アールスロウはクロコをにらんだ。素早く高速の斬撃を返す。
クロコはそれを防ごうとするが、斬撃は途中で軌道を変え、足先へ延びる。
「……!」
驚くクロコ、しかしそれにも反応し足を上げようとする。その瞬間、さらに斬撃の軌道が変わり、突きへと変化する。
「な……ッ!」
ヒュッ!
素早い突きはクロコの脇腹をわずかにとらえた。
しかしクロコはひるまず一歩踏みこむ。
アールスロウはそれに合わせて半歩引き、カウンターの斬撃を放つ。
それに構わずクロコも斬撃を放つ。二つの斬撃が交差する。
ビュンッ! ビュゥンッ!
二つの木剣はほぼ同時に振り抜かれた。
そして二人の動きが止まる。
一瞬辺りに静寂が流れた。
「いって……!」
クロコは脇腹を押える。
「君の負けだな。クロコ」
「クッソーッ! あとちょっとだったのに……ってかアンタ、オレの知らない技つかってきただろ! なんだよあの軌道変化ッ!!」
「実戦では敵は常に自分の知らない技を使ってくる。甘えたことを言うな」
「そういうことじゃなくて! セコいぞ! オレの技は全部知っているくせに!」
「君は攻めのパターンが少ないんだ」
「そうそう、だからファイフに教えてもらってるんだよな」
突然離れたところから別の声がした。
二人は驚いて同時に声の方向を向くと、そこには大柄の男が立っていた。
その男は年齢二十代後半、どっしりとした大きな体で、少し逆立った黒髪と力強い目をしており、活気のある雰囲気をまとっている。
この基地の司令官グレイ・ガルディアだ。
ガルディアは笑顔で左手を上げる。
「よっ!」
「なんだ、アンタか」
クロコは軽くため息をつく。
「上達したじゃないかクロコ。ファイフがあんな必死になって……惜しかったな!」
「チェッ! そんなのわかってるよ」
アールスロウがクロコに向き直る。
「クロコ、さっきの模擬戦だが、前後のステップが甘かった。反復だ」
「く……ッ!」
クロコは悔しそうに前後にピョンピョンと跳ね始める。
それを横目にアールスロウがガルディアに近づく。
「だいぶ強くなりました」
「ああ、そうだな。それに……」
ガルディアはアールスロウの顔を見てほほえんだ。
「……?」
「おまえも強くなってる」
「俺も……ですか?」
「ああ、クロコと模擬戦を繰り返したせいだな。おまえの剣技は型にはまりすぎていた感があったが、クロコの自由に動く剣に触れるうちに、おまえの無機的な剣技に血がかよい始めたんだ。今までのおまえなら、もうとっくにあいつに一本取られてるよ」
「…………自分では気づきませんでした。教えていたつもりで教わってもいたんですね」
「人に教えるってのはそもそもそういうものさ。しかし頼もしいな、強い仲間がいっぱいいるってのは」
「あなたの十分の一でも活躍できれば俺としては本望ですよ」
「そう謙遜するなよ。おまえは十分すぎるぐらい強いよ」
「……クロコの稽古、時間があればグレイさんがしてみては?」
「いや、おまえの方がいいよ。オレの剣技は自分に特化し過ぎてるからな……それに比べておまえの剣技は万人に通じるしっかりとした技術だ。それに……」
ガルディアはほほえむ。
「クロコにはおまえがいい、そんな気がする」
「……そうですかね」
「まあ、おまえが技術を一通り教えたら、締めにちょっとくらい付き合ってもいいけどな。ああ、そういえば……」
ガルディアはクロコの方を向く。
「クロコっ!」
「なんだっ!」
クロコはピョンピョン跳ねながら返事をする。
「おまえの剣……ゴルドアのことなんだけどな」
「……? なんだよ」
「アレ、多分おまえの体に合わないぞ。デカすぎる」
「別に問題なく使ってるよ。筋力なら十分あるし」
「筋力じゃなくて重心の問題でな。あのサイズじゃあ、おまえの動きがわずかに削られる」
「…………あんまり自覚はないけどなー」
するとアールスロウが口を挟む。
「クロコ、グレイさんの言うことは戦闘に関してならほぼ間違いはない。剣を変えたらどうだ」
「元に戻った時はあれで問題ないんだよ」
「クロコ、おまえなー、またそんなこと言って、いつ戻るんだよ」
「アンタが任せろって言ったんだろ!!」
クロコはピョンピョン跳ねながら怒った。
アールスロウは再びガルディアの方を向く。
「そういえばグレイさん、仕事の方は片付きましたか」
「…………あー、これからな」
「今からやって下さい」
アールスロウはピシッと言った。
「おい! アールスロウ!! いつまでやってればいいんだよ!」
「ああ、もうやめていいぞ。今日はこれまでだ。俺はこれからグレイさんを司令室に連れていく」
「もうかよ……」
クロコは少し物足りない顔をした。
「満足しないのなら一人でしばらくやっていればいい、もう大体のことはできるだろう」
「……チェッ」
アールスロウはその後、ガルディアと一緒に実技場を出た。ガルディアはしおれた顔をしていた。
クロコはその後、しばらく一人で木剣を振ったあと、実技場を出た。シャワー室に向かうため廊下を歩いている途中、向かいから声がした。
「クロコ!」
向かいには少女が立っていた。年齢は十五、六歳ぐらい、白い髪とぱっちりとしたきれいな目。明るい雰囲気を持っている。
街の果物屋の店員、ソラ・フェアリーフだ。笑顔で手を振っている。
「あれ? おまえなんでいんだ。朝だけだろ、ここ来るの」
「うん、いつもはそうなんだけど、今日は契約の更新日だから、それでね」
「ふーん」
「それより汗だくだね。特訓してたの?」
「ああ、今からシャワー浴びるとこだ」
「お疲れ様、ねぇ、クロコ。今日ウチ来るよね?」
「ん……?」
「先週約束したでしょ」
「ああ、そういえば……じゃあ、午後の二回目の鐘が鳴るあたりに行く」
「うん、わかった」
ソラはうれしそうにニコッと笑った。
「じゃあ、あとでね」
シャワーを浴びたあと、クロコが基地の食堂へ行くと、テーブルの一つにずいぶんと背丈の違う二人の兵士が座っていた。
背の高い方は、年齢十七、八、少しはねた赤髪に鋭い目、どこかのんびりとした印象を受ける。基地の兵士、クレイド・アースロアだ
背の低い方は、年齢は見た目、十四、五、柔らかい灰色の髪に、整った顔立ちをしている。基地の兵士、フロウ・ストルークだ
二人は何かを話している様子だった。
「よう」
クロコが声をかける。
「ああ、クロコ君」
フロウはそう言ってクロコに笑いかける。続けてクレイドが口を開く。
「おまえ、髪濡れてるぞ」
「ああ、アールスロウと特訓したあとシャワー浴びたからな」
「クロコ君もよくやるね。休日ぐらい体休めたらいいのに」
「今から休めるんだよ。それよりおまえら、なに話してたんだ?」
「ちょっとね……クレイドと情報交換」
「情報交換……?」
クロコは二人の間に座る。するとクレイドが口を開く。
「最近、また国軍の動きが慌ただしくなってきたって噂を聞いてな。もうすぐ北の方で大きな戦争が起こるんじゃないかって話してたんだ」
「戦争か……ケイルズヘル防衛戦に続いてまたデカイのが起こるかもってことか。けど、おまえら、そういう情報どこから手に入れるんだよ。オレなんか全然知らなかったぞ」
それにフロウが答える。
「ここフルスロック基地は、国軍領と解放軍本部のセウスノールのちょうど中間に位置する場所だからね。色々な情報が入ってくるんだよ。それに僕らは特にそういうのに耳を傾けてるからね」
「耳を傾けてる……? なんでだよ」
「僕らは『ダークサークル』に関心があってね。その関係でよく情報収集してるんだよ。僕が色々な知識に精通しているもそのせいなんだ。まあ、クレイドは関心のあること以外、全部忘れちゃうらしいんだけど」
「『ダークサークル』……? なんでそれに関心があんだ?」
「まあ話せば長くなるからそれはまた今度ね。とにかくそういう関係で大抵のことには答えられると思うよ」
「へぇ、じゃあさ。いまさらなんだけどな」
「なに?」
「ここ……解放軍の上下関係ってどうなってんだ?」
「ホント今さらだな……」
クレイドがあきれる。
「え~と、そうだね。基地内でいえば一番偉いのは司令官だね。その次がそれを補佐する副司令。さらに次が隊長だね。ここフルスロック基地では収容している兵力はおよそ8000人だけど、周辺基地から招集させれば20000人……、ガルディア司令官はそのトップに立っている人なんだ。さらに20000人の兵力を4000人ごとに分けて一つの隊にしている。それをまとめてるのが隊長。その隊をさらに30人~100人単位で管理してるのが隊長の次に偉い小隊長、そして最後に一般兵だね」
「割の砕けた上下関係だな」
「まあできて十年ちょっとの組織だからね。そこまでの細分化はまだできてないよね」
「司令官が一番って言っても、もっと広く見ればまだ上はいるんだろ?」
「うん、司令官は全体でみれば上から三番目だね。その各基地の司令官をまとめるのがセウスノール本部基地にいる総司令官、それがトップだ。そしてそれを補佐する複数人の副総司令、それが上から二番目だね」
「なるほどな……まあ大体つかめてきた。それじゃあ、噂の『ファントム』ってやつが総司令官ってわけか」
「ううん、違うよ。総司令官はティム・ランクストンって人」
「……? 『ファントム』ってやつが解放軍を作ったんだろ」
「そうだね。けど『ファントム』は正体不明だし、突然現れては突然消える神出鬼没だからね。人々をまとめ、軍を作り上げたのは確かなんだけど、常に軍をまとめてるってわけじゃないらしいんだ。でも実質のトップは確かに『ファントム』なんだろうね……」
「ファントムって一体何者なんだろうな」
「それはさすがに分からないね。解放軍の一部の人しか知らないらしいし、噂じゃあ、国の重役って話も出てるらしいけど……」
「結局は分からないってことか……解放軍の上下関係はそんなもんか、なら国軍の方の上下はどうなんだ?」
「それは細かいぞ」
「うん、細かい」
「細かいじゃわかんねーから、いいから言ってみろよ」
「そうだね……国軍は、上から、元帥、大将、中将、少将、准将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、准尉、曹長、軍曹、伍長、上等兵、一等兵、二等兵、って順だね。覚えられそう?」
「…………いや、もう忘れた」
「まあ、グラウド国軍の場合は、上から三番目まで……元帥、大将、中将は立場上の違いはあっても、権力的な上下関係はほとんどないんだけどね」
「へぇー」
「国軍の中将以上の地位からは議員権が得られるから」
「ギインケン……?」
「そう……中将以上の軍人十人と各大臣十人が持つ議員権、それを持つ二十人の議員によって行われるのが議会政治……グラウドの政治は皇帝がすべて行ってるって思ってる人が割といるけど、正確には皇帝政治と議会政治の二つで成り立ってるんだ」
「へぇー、初めて知った。けど一番権力を持ってるのは皇帝だろ?」
「個人としてはね。けど皇帝と議会の政治への影響力は五分五分……むしろ議会の方が強いぐらいなんだ」
「…………待てよ。じゃあ『ダークサークル』は皇帝政治の悪化って言われてるけど……」
「そう……正確には議会政治も深く関わってるんだ。本来皇帝が悪政を振るえば、議会がそれを止める、っていう二つの政治が互いの暴走を牽制できる間柄にあるはずなんだけど……」
するとクレイドが口を開く。
「実際、議会は皇帝の暴走を全く止めれてねぇんだ」
「つまり、議員どもも無能ってことか……?」
「うーん、まあ砕けて言うとそうなんだけど、議会が皇帝を牽制できるのは、議員全てが一致団結したときだからね」
クレイドが首をかきながら口を開く。
「議員共の九割方が貴族だからな。権力の開きなんかやつらにとっちゃ、どうでもいいのかもな」
続けてフロウが口を開く。
「まあそれも一理だけど、国がここまで荒れたら本来なら貴族でも皇帝を牽制にかかるよね。それが出来てないっていうのは少し不自然な感じがする」
「じゃあ『ダークサークル』の本質は皇帝じゃなくて実は議会にあるってことなのか……?」
「僕らはそうにらんでる」
「その先に俺達の求めてる『真実』があるのかも知れねぇな。まあ、今のところはまだ情報不足だ」
「どうクロコ君? 少しはピンときた?」
「ああ、まあ少しはな……」
クロコは難しそうな顔をした。
「そういえばクロコ君、これからなんか予定ある? これからクレイドにチェスを教えようと思ってるんだけど、君はどう?」
「あー、今日ソラの家に行く予定があるんだよな。まあ、まだけっこー時間はあるんだけど……ついでに街をちょっと見て歩こうと思ってるから」
「君も少しはこの街に興味を持ったのかな?」
「ソラもガルディアもアールスロウも、もっとこの街を知れってうるさいからな」
「僕も大切なことだと思うよ」
するとクレイドが口を開く。
「俺は無理に知ろうとするより自然に馴染めばいいと思うけどな」
「とにかくそういうことだ。ジェリーアップルをちょっとかじったらすぐ外に出る」
フルスロックの商店街、石畳の道を二つの人影が歩いている。
「おお、ここが噂のフルスロックの商店街!」
人影の一つ、長身の男が声を上がる。
長身の男は、年齢二十代後半、サラッとした黄色い髪、形の良い目に青い瞳、高い鼻、全体的に気品のある雰囲気を持っている。
「あまりハシャがないで下さい。御自分の立場を考えた上である程度の行動は慎んでいただきたい」
隣の男が注意する。
その男は、年齢二十代半ば、白い髪で、上に伸びた眉、鋭い目、どこかまじめそうな印象を受ける。腰には剣を付けている。
その注意を聞いて長身の男が笑う。
「まあそう硬いことを言うなミッシュ。せっかく来たグラウド有数の商店の街……楽しまなくてはな。ついでにグレイとはち合わせたりしたら、なかなか愉快じゃないか」
それを聞いて白髪の男ミッシュは頭を抱える。
「冗談じゃありませんよ。間違ってもそのようなことはないように……」
ミッシュはそう言ったあと、フンッと鼻息を立てる。
「とにかく! 私が目を光らせている限り、あなたに勝手なことは……」
そう言いながらミッシュが長身の男の方をグルっと向いた。しかし長身の男の姿はどこにもなかった。
「アレ……?」
そこから少しは離れた通り……。
「やれやれ、うまくまいたかな……」
長身の男は周りを見渡す。
「彼がいると好きに振るまえないからな」
その時だった。
ドンッ!
男は何かにぶつかった。
「いって、おい! どこ見てやがる!」
黒髪の少女が男をにらむ。
「おっと失礼、お嬢さん」
「誰がお嬢さんだ!」
クロコは怒鳴る。
「おや、何か失礼なことを言ったかな? 誤りがあれば正すが」
「オレの事をお嬢さんって言うな」
「フム……ならなんと言えばいいのかな?」
男がそう言った時だった。別の人影が男の横を通り過ぎようとしていた。その瞬間、その人影が男の服から財布を抜き取った。
「あっ!」
クロコがとっさに声を上げる。
それに反応し人影はさっと駆けだす。若い男のスリだ、ものすごい速さで逃げてゆく。
「おやおや」
長身の男はとぼけた声を出した。
「このっ! 基地の近くでスリしようなんていい度胸だ!」
クロコはそう言って勢いよくスリを追いかける。クロコはスリよりもさらにものすごい速さで駆ける。
「な、なんだ!」
少し後ろを振り向いたスリはその速さに驚く。
間もなくクロコの蹴りがスリの背中をとらえた。地面に伏して気絶するスリ。
「……ったく」
クロコはスリが盗んだ財布を取り上げる。
「ありがとう」
突然背後から声がした。
「うわっ!」
驚くクロコ、長身の男が立っていた。
「いや、助かったよ。ありがとう。お嬢さんではなく、なんて呼べば良いのかな?」
「ク、クロコでいい」
「そうかい、ありがとうクロコ」
(……こいつ、いつの間にオレに追いつきやがった)
「お礼にクロコ、何かを御馳走しよう。時間は大丈夫かい?」
「まあ、ちょっとなら」
「そうか良かった、この街は初めてなんだ、クロコ、いい店を知っているかい?」
「ああ……ついて来い」
クロコと男はパイ屋に入った。
注文するクロコ。
「ホワイトフルーツのパイ」
「私はイエローピーチのパイ、うん、おいしそうだ。それとリーフティーを頼む。……クロコ、君も紅茶はどうだい?」
「じゃあ、オレも」
注文が終わると男はクロコの方をじっと見る。
「君は何の仕事をしているんだ?」
「軍人だ。すぐ近くに基地がある」
「ああ、軍人か。どおりで足が速いわけだ」
「アンタはこの街の住民じゃないんだろ」
「ああ、そうだ。解放軍領から国軍領まで、グラウドの町という町を旅行するのが趣味な道楽者さ。名はディアルだ」
「…………解放軍領から国軍領まで……酔狂なやつだな」
しばらくして、二人のテーブルにパイと紅茶が運ばれてきた。
ディアルは細かい手つきでそのパイを一口食べる。
「ふむ、おいしいな。君は店を見る目があるな」
「まぁ、オレは初めて入ったんだけどな」
「……ん?」
「オレの……女の友達がうまいって言ってたんだ」
「……ホゥ、なら、その友人の見る目があるということだね」
ディアルはそう言って紅茶を一口飲む。
「うん、紅茶もおいしいな……ん?」
ディアルがクロコの皿を見ると、クロコのパイはもうなくなっていた。
「君は食べるのが早いな」
「よく言われるよ。そういえばアンタはいろんな町を回ってるんだったよな」
「ああ」
「この街はアンタにはどう映った?」
するとディアルはほほえむ。
「いい街だね」
「どこが?」
「実はまだたいして回ってはいないんだ」
「ウソかよ」
「嘘は言わないよ。良い街か悪い街かは、少し見ればだいたいは分かるものだよ」
「……少し見れば?」
「ここの住民はいい目で働いている。街の持つ雰囲気もいい。それだけ分かれば十分だ」
ディアルはほほえみながらそう言ったあと、パイを再び食べ始める。
ディアルはパイを食べ終えた。するとゆっくりとクロコの方を見つめ始める。
「さて、クロコ、君に質問してもいいかな」
「ん? ああ」
クロコの返事を聞いて、ディアルは静かにほほえんだ。
「なぜ君は解放軍にいるのかな?」
「国軍嫌いだから」
「悲しい返答だ。私はそれなりにまじめに質問しているのに……」
ディアルは悲しそうな顔をする。
「……昔、村を国軍に焼き払われたんだ。好きになれるわけないだろ」
「ホウ、それで復讐のために軍人になったのかな?」
ディアルは興味深げに聞く。
「ちげーよ。そのせいで全て失って、それを取り戻すために軍人になったんだ」
「なるほど、出世が目的か」
「あまりいい響きはしないな、けどその通りだ。そこまで上にいかなくていいが、せめて人として認められるぐらいの存在にはなりたいな」
その言葉にディアルは小さくうなずく。
「ふむふむ、君はなかなか苦労人のようだ。話を少し変えるが、君は国軍が嫌いなんだろう。なら君は、国軍は間違っていると思うかい?」
「あんなメチャクチャする軍が正しいわけないだろ」
「なら解放軍は正しいと?」
「国軍に比べりゃあな」
「なるほど、そういう考えか。では国軍がなくなったらこの国は平和になると思うのかい?」
「……少しは良くなるだろ」
「そうかな?」
ディアルはクロコを真っ直ぐ見ながらほほえむ。
「国軍の役割は本来、国を守ることにある。他国の侵略阻止、内乱の鎮圧、そして治安の維持」
「…………」
「君は知っているかい? 国軍領では国軍は立派に国の治安を守っている。国軍がなければ国の治安は成り立たない」
「オレの村は焼かれたぞ……」
「そういう暴挙に出る輩もいる。しかしほんの一部だ、それが全てではない。多くは国民のために働いている。それと……」
ディアルは手を組む。
「君は知っているかい? 東の軍事大国サンストンが常に我らの国を乗っ取ろうと狙っていることを……それを阻止しているのも国軍だ」
「…………」
「解放軍は正しい、国軍は誤り、それはただの先入観だ。そうは思わないかい?」
「けど、いま国を荒廃させてる政治を守ってるのも国軍だ」
「そうだね。けれど、いま急に国軍が消えてしまっても困るだろう。なぜならこの国にとって必要な存在なのだから」
その言葉を聞いてクロコはディアルをにらみつけた。
「だけど! ほっとくわけにもいかないだろ!」
「そうかもしれないね。けれど悪ではない。君は悪ではない存在と戦っているわけだ」
ディアルは冷静な表情でクロコを見つめる。
「……!」
クロコは言葉に詰まる。
「おっと、悪いね。君をいじめるつもりはないんだ。悪ではないといっても、完全な悪ではないというだけさ」
「完全な悪……?」
「よく正義と悪はコインの表裏に例えられる。表は正義、裏は悪、表裏一体の存在。正義の中にも悪があり、悪の中にも正義がある、とね」
「…………」
「少しわかる気がするだろう? 人の心もこれによく共通する。この考えに基づけば、国軍も正義の部分もあり悪の部分もある。解放軍にも正義の部分もあり、そして悪の部分もある。平和主義者なんかはその考えになぞらえて、こう主張するんだ。戦争に正義も悪もない……と」
ディアルはほほえんでいる。
「けれどね、私はこの考えとは少し違うんだ。私はね。完全な悪も、完全な正義も存在はすると考える」
「完全な正義と悪……?」
「そう、たとえば私がここで突然ナイフを抜き、特に意味もなく君を切りつけ殺すとする。それは悪の行為だ。その行為の裏に正義はあると思うかい?」
「……ないな」
「そう、完全な悪は存在する。そしてナイフで君を切りつける私を止める者が現れたとする、それは正義の行為だ。その裏には悪はない。そしてその関係が集団化するとどうかな? シンプルな正義と悪の戦争の誕生だ。それでも平和主義者は声高々に叫ぶだろう、戦争に正義も悪もないのだと」
「…………」
「無論、そんな完全な正義と悪だけの戦争など存在しないし、完全な悪の行為を行う人間は、そう世の中にあふれてはいない。この話は仮説の域を出ない……だが、いま起きているこの戦争も、複雑になって分かりづらくなっているだけであって、どちらが正しく、どちらが誤りか、本来は存在するのではないかな」
ディアルはそう言ったあと、ジッとクロコの目を見つめる。
「君はどう思う? 正義と悪、正しき方と誤った方、解放軍はどちらで国軍はどちらに属するのか」
「オレは…………」
クロコは一瞬返答に迷った。それを見てディアルが再び口を開く。
「しかしね。解放軍は治安を乱し、国軍はそれを抑えようとしている。シンプルなものの見方なら、これも一つだ。そして、この混沌とした世界、『ダークサークル』の最たるものは、解放軍が起こした巨大な内乱であることは疑いようがない」
クロコは表情を険しくする。ディアルは話を続ける。
「そして、解放軍人である君は、この内乱の片棒を担いでいるんだ。君は果たしてそれをどれほど自覚していたのかな……? まあ、君が解放軍人だからこういう言い方をしているのだけれどね。さて…………」
ディアルはクロコを青い瞳で鋭く見つめる。
「正しい方はどちらなのかな……?」
その質問に対してクロコはとっさに口を開いた、しかし開いた口からは何の言葉も出てこなかった。
その様子を見たディアルはクロコから目をそらした。
「さて……私はそろそろ失礼しようかな」
ディアルはゆっくりと立ち上がり、銀貨を二枚テーブルに置くと、クロコの方を再び見てほほえんだ。
「君と話せて良かったよ。なかなか良い経験だった」
ディアルはクロコに背を向けて歩き始める。
立ち去ろうとするディアルに、クロコはとっさに問いかけた。
「アンタは……どちらが正しいと思うんだ」
ディアルは静かに振り返りほほえむ。
「それを聞くのは、普通は君が答えたあとだろう? よく考えてみるといい、全てはそれからだ」
ディアルは再び前を向く、そして最後に背中越しに一言だけ言った。
「けれど、もしその判断が下せないのなら、最後に頼るのは、自らの中にある正義なのかもしれないね」
ディアルはそう言ってクロコの前から立ち去った。
クロコはその様子を静かに見つめていた。
店を出るディアル。すると突然すぐ横から声がした。
「見つけましたよ!」
「おや、ミッシュ。見つかってしまったか」
ミッシュは軽く息を乱していた。
「あなたは御自分の立場というものを」
「ああ、分かっているよ。ただそれが行動に表れていないだけさ」
ディアルは笑う。
「それが問題なのです! あなたは……」
ミッシュは急に小声になる。
「『瞬神の騎士』の異名を持つ国軍の中将なのですよ。ロストブルー将軍」
ディアル・ロストブルーはほほえんだ。そして先ほど出た店をチラリと見る。
(また会おうクロコ。次に会うのはおそらくは戦場だろうな)