1-4 賭け勝負
朝日がゆっくりと昇り、基地全体を優しく照らす。
クロコ達が入軍してから三日目の朝を迎えていた。
鳥のさえずりが聞こえる中、基地敷地内の石畳の一角でクロコとブレッドは二人、木剣で稽古している。
二人は素早く正確な剣技で互角な打ち合いをする。
しかし次の瞬間、クロコが持ち前のスピードを生かし無理矢理ブレッドの隙をついた。
ビュンッ!
「いって!」
ブレッドは打たれた腹を押さえながら倒れる。
「この体になってもまだオレの方が強いみたいだな」
クロコはうれしそうに笑みをこぼした。
「この! 本当に生意気なヤローだな、おまえは」
ブレッドは少し悔しそうに笑った。
「ここにいたのか。二人とも」
突然離れたところから声が聞こえた。
二人が声の方向を見ると、一人の長身の男が近づいてくる。このフルスロック基地の副司令アールスロウだ。
「クロコ、君に用がある。一緒に実技場まで来てくれないか?」
アールスロウは落ち着いた口調で言った。
「実技場? 別にいいけど」
「よし、それではすぐに移動だ。ブレッド、君も来るか?」
「……行かせていただきましょう」
その後クロコとブレッドは、アールスロウと共に実技場に移動する。
実技場、木製の床と白い壁に囲まれた広い正方形の空間、アサシンに壊わされた木製窓はもう修理されていた。
その実議場の中央にクロコ達は立った。
「……で、ここで一体なんの用だ?」
「クロコ、君がこの基地に入ってから三日目になる。率直に言ってこの基地の印象はどうだ」
「印象って言われてもな」
「君はここの兵士ともう二度対決している。その兵士達の実力は君にとってどう感じた?」
「……正直に言うと話にならないぐらい弱かった」
「ならば君は、君より強い兵士がこの基地にいると思うか?」
「…………正直これまでの印象だと、オレより強いやつはこの基地にいそうもないな」
「最後にもう一つ質問だ。君は剣の勝負で負けたことがあるか?」
「………………、なくはないな。剣の腕が未熟な頃はよく負けてた。ただここ数年間は負けた記憶はないな」
「そうか、そこまで分かれば十分だ」
アールスロウは腰に付けていた木剣を右手に持った。長剣を模した長い木剣だ。
「君は今から俺と勝負してもらう」
「は……?」
クロコは思わず声を出した。
「君が負けた場合はトイレ掃除を一週間やってもらおう」
「……! なんでいきなりそんなこと」
「必要だから、とだけ言っておこう。それとも怖いのか?」
「だれが!」
「なら始めよう。それではルールを説明する」
「ルール?」
「ルールは簡単だ。君は俺と木剣で対決する。俺が君に攻撃を十発当てる前に、君が俺に攻撃を一発当てれば、君の勝ちだ。逆に俺が勝つには、君の攻撃を一発も当たることなく、君に十発攻撃を当てる必要があるわけだ」
「…………はっ?」
クロコはその説明を聞いてぼうぜんとした顔をする。
「アールスロウさん、それはいくらなんでも」
「ブレッド……、君はその言葉を何の根拠があって言っているんだ?」
アールスロウはブレッドを冷たい目つきで見た。
「ふざけんな! こんなルール!」
クロコが口調を荒げる。
「なんだ、自信がないのか?」
「あるに決まってんだろ!」
「ならば問題はないだろう。それでは始めよう」
「ちょっと待て、その前に一つ! あんたが負けたらどんなペナルティーを負うんだ」
「そうか、それは考えていなかったな。なら、俺が負けた場合は君の言うことを何でも一つ聞こう」
それを聞いてクロコはニヤリと笑う。
「なんでも一つだぞ? おもしろい、勝負してやるよ」
「ならば始めよう」
互いに少し離れて向かい合う。
二人は真剣な顔つきに変わり、互いに木剣を向ける。
クロコは真紅の瞳を鋭く光らせ、相手をにらむ。
アールスロウは冷たい目つきで、相手を静かに見つめる。
ピリピリとした空気が実技場を包み込む。
「来い……」
アールスロウが静かに言った。
「言われなくても!」
クロコはそう言ったと同時に、一瞬でアールスロウの懐に飛び込む。クロコの素早い斬撃。アールスロウはそれを紙一重でかわす。直後アールスロウが強烈な斬撃を放つ。長い木剣が強烈にしなり、空気を切り裂きながら高速でクロコを襲う。
(はやっ……!)
クロコはその斬撃の速さに驚く。
「くっ!」
ビュゥンッ!
クロコは体を後ろに曲げ間一髪でアールスロウの斬撃をかわす。しかし上体を少し崩した。素早く次の斬撃が飛ぶ。
ビュゥンッ!
クロコは上体を素早く戻し紙一重でよけた、と同時にクロコは一瞬でアールスロウの左につき斬撃を放つ。アールスロウはそれに一瞬で反応し受け止める、と共に剣を回転させクロコの斬撃を流した。一瞬クロコは姿勢を崩す。アールスロウは素早く次の斬撃を放つ。姿勢を崩されたクロコは一瞬反応が遅れる。しかしクロコは体を最大限に曲げ斬撃から逃れようとする。
ビュゥンッ!
斬撃はわずかにクロコの首をかすった。
「まずは、一発だ」
アールスロウが静かに言った。
「なっ、首にかすっただけだろ!」
クロコが素早く反論する。
「……今の一撃がもし真剣によるものだったら、君の首は切れていた。その箇所を切られれば十中八九助からない。つまり、君は死んでいた」
「……!」
「とはいえあと九回ある。その間に一発でも当てれば君の勝ちだ」
「そんなこと分かってる!!」
クロコは怒鳴る。
離れて見ていたブレッドは、二人の対決を一通り見て冷や汗を流す。
(なんてレベルだよ……)
クロコは再び剣をアールスロウに向ける。アールスロウを見つめる眼はさっきよりも鋭くなっていた。
アールスロウは変わらす冷静にクロコを見つめる。
クロコの眼に力が入る。
クロコは動いた。さっきよりもさらに速いスピードで突進する。アールスロウはそのスピードにも反応し、動きに合わせカウンター気味に斬撃を放つ。クロコは素早く反応し受け止めると、高速の斬撃を連続で放つ。アールスロウもそれに応戦する。二人の斬撃が高速で飛び交う。
実技場全体に木剣同士がぶつかり合う音が響き渡る。その連続で響きわたるテンポの速さは、とても二人だけの木剣のぶつかり合いとは思えない。まるで十人以上の兵士が同時に戦っているかのようだ。
アールスロウはリーチの長い斬撃をコンパクトにまとめ、クロコの動きに合わせタイミング良く打ち込んでくる。
対するクロコは自分の動きに合わせる厄介な斬撃に対し、持ち前のスピードで強引に対抗する。
次の瞬間、アールスロウはクロコの連続で放つ斬撃の一つを流した。クロコは先ほどと同様に体勢を崩される。アールスロウは先ほどとは違いすぐに斬撃を放たず、一歩踏み込み、近距離での高速の斬撃を放つ。
ビュゥンッ!
斬撃は空を切る、クロコの姿が突然消えた。次の瞬間クロコは素早くアールスロウの背後を取っていた。アールスロウは反応し素早く後ろに振り返り、防御の姿勢をとる。しかし再びアールスロウの視界からクロコが消えた。
「なに……!」
アールスロウはハッとする。クロコは上空に飛び、全力の一撃を放つところだった。アールスロウの反応は一瞬遅かった、防御は完全に間に合わない。
「おおおおおっ!!」
クロコは全力の斬撃を打ち下ろす。
ビュンッ!!
斬撃は空を切る。アールスロウがわずかに早く体を横にそらしていた、クロコの斬撃を間一髪でかわす。仕留めたと確信していたクロコはこの大きな空振りで隙を作る。
ビュゥンッ!
アールスロウの斬撃がクロコの脇腹を直撃した。
空中で吹き飛ばされ、地面に転がるクロコ。
「つうっ! クソ、あと少しだったのに……!」
悔しがるクロコ。
「これで君は二回死んだことになる」
アールスロウは表情を変えずに冷静な口調で言った。
「次は当てられる。当ててやる!」
クロコは再びアールスロウをにらみつける。
実技場の窓から入る日の光が少しだけ強くなった。クロコとアールスロウの勝負が始まってから三十分が経過していた。
実技場からは先ほどまで響いていた木剣同士がぶつかり合う音は消え、中は静まりかえっていた。
わずかに響くのはクロコの息切れだけだった。
「これで君は9回死んだな」
「ハァ……ハァ……ハァ……」
「これで君のチャンスはあと一回、次で最後だ」
ブレッドはクロコの様子に息を飲む。
「信じられねえ、あのクロが……」
「ハァ……ハァ…………」
クロコはゆっくりと息を整え始める。
クロコは息が整うと、鋭い眼でアールスロウを睨みつけ、剣を構えた。
「一回……、それだけあれば十分だ。オレがただやられてただけだと思うなよ」
「思ってはいない、最後の三回、つまり七~九回目は俺の動きを観察するためにワザと消極的な戦い方をしたな。最後のチャンスにかけるために」
クロコは自分の意図を完全に察していたアールスロウの発言に一瞬驚くが、すぐに表情を戻した。
「分かってたからなんだ……! あんたの動きはだいぶ見えてきた。それは変わらねぇ……!」
クロコの真紅の瞳は今までにないほど強く輝く。
その様子を見てアールスロウは冷静にクロコを観察する。
(彼の今の技術を考えれば、もう全ての策を出し尽くした感がある。しかし彼のあの眼、何かを狙っている。何をする気だ)
アールスロウの眼に初めて力が入る。
クロコの眼がさらに鋭さを増す、と共にクロコはアールスロウに突進してきた。しかしアールスロウの間合いギリギリ外で動きを止めると、左右に俊敏に動きアールスロウをかく乱しようとする。
(さすがに最後ともなると慎重だな……)
アールスロウはクロコの動きを冷静に目で追う。次の瞬間クロコの姿が消える。
(右!)
右に回るクロコにアールスロウは素早く反応をする。しかし再びクロコの姿が消える。
(後ろ!)
後ろに回り込むクロコにまたもアールスロウは素早く反応する。しかしさらにクロコの姿が消える。
(……上か!)
上に飛ぶクロコをアールスロウの目が追いかける。
(上に飛べばもうこれ以上は動けない!)
クロコは飛んですぐ攻撃に移れるように、さっきよりも低めに飛んでいた。クロコは素早く攻撃に移る。
「ハァッ!!」
クロコの横に振り抜く斬撃がアールスロウを襲う。アールスロウは斬撃を間一髪で止める。二度目のジャンプのためアールスロウの反応も速くなっていた。
(これで……)
アールスロウが一瞬油断した時だった。
「あぁーっ!!」
クロコは空中でアールスロウの剣をありったけの力で左にはじいた、そしてその反動を利用し体を浮かせたままアールスロウの右側に滑り込んだ。そのクロコの突拍子もない策にアールスロウは驚く。
右側に回り込んだクロコ、左側にはじかれたアールスロウの木剣、勝利の条件がそろった。
「これで!!」
ゴッ!
クロコの斬撃がアールスロウを仕留めることはなかった。斬撃よりもわずかに早くアールスロウの鋭い蹴りがクロコをとらえた。クロコは空中で完全に体勢を崩す。すかさずアールスロウの斬撃が飛ぶ。
ビュゥンッ!
アールスロウの斬撃がクロコに直撃した。クロコは吹き飛ばされ、床に転がった。
「これで……終わりだ」
アールスロウは静かな口調でゆっくりと言った。
「…………!!」
クロコは床に手をつけたまま立ち上がろうとせず、声にならない悔しさを噛みしめている。
「君の負けだ」
アールスロウはクロコを見下ろしながら言った。
「……………………」
クロコは黙っている。
「今までの状態の君ならば、己の力を過信して自らをきゅうちに落ちいらせかねなかった。そのため、このような方法をとらせてもらった」
「…………こんな……こんな体じゃなかったら、負けなかった」
クロコは下を向きながら静かに言った。
「確かにそうかもしれない。君が男の体だったなら、俺と互角以上に戦えた可能性は十分にある。しかし今の君はその体だ。仮にそうであったとしても、その事実はくつがえらない」
「…………!!」
「君の負けだ」
アールスロウはそう言って、出口に向かって歩き始める。
「クロ……」
ブレッドがクロコに歩み寄る。
出口の前に立ったアールスロウは少しだけ後ろを振り返った。
「それともう一つ言っておくが、ここの司令官、ガルディア司令官は俺の十倍強い」
「……なっ!?」
クロコは思わず声をあげた。
「強くなりたいと思うのなら、俺の部屋まで訪ねて来い。暇なら稽古をつけてやる。はっきり言って剣の技量だけなら君は俺より数段下だ」
アールスロウはそう言い残して実技場から出ていった。
「…………この、誰が、誰がおまえなんかに教わるかー!!」
クロコは大声で叫んだ。
「クロ……」
「クソ、クソ、絶対に、絶対に今よりもっと強くなってやる……!」
クロコの絞り出すような叫びが、実技場に静かに響いた。
一方、廊下を歩くアールスロウは先ほどまでのクロコとの勝負を思い出していた。
(想像以上だったな。油断すればやられていた。……楽しみなやつだ)
アールスロウはわずかにほほえみを浮かべた。