1-20 防衛戦後
灰色の四角い建物が建ち並ぶフルスロックの町並みに、ひときわ大きな横長の建物が建っている。
ここは解放軍フルスロック基地。
ウォーズレイ基地防衛戦から二週間が経とうとしていた。
基地内のある個室。ベッドと木のイスだけが置かれている狭い部屋、そこに一人の少女の姿があった。黒い髪に真紅の瞳の少女。
クロコは男用の私服を着て、イスに腰かけながら、窓から外の景色をボーっと眺めていた。
コンコン
突然、部屋のドアをノックする音が聞こえた。クロコはゆっくり立ち上がると、ドアの方へと向かった。
「やぁ、クロコ君! こんにちは」
クロコがドアを開けるとフロウが元気よく挨拶した。
「…………ああ」
クロコが無愛想に対応する。そんなクロコに対してフロウは笑顔で話し始める。
「今日は久々の休みだし、一緒に街でも回らないかなって思って来たんだ」
「……悪い。今日はそんな気分じゃないんだ」
クロコは静かな口調でフロウの誘いを断った。
「で、でも、時には外に出て気分転換した方がいいよ。きっと気持ちも変わってくるだろうし……」
「……悪い」
クロコはバタンとドアを閉めた。
フロウはドアの前にしばらく立っていると、フーッとため息をはいてドアをあとにする。
「あの野郎、ここ二週間ずっとあの調子だ」
フロウの向かいにクレイドが立っていた。
「仕方ないよ。ブレッド君が、親友が……あんなことになっちゃったんだから」
フロウは肩を落とした。
「……だが振り切るものは振り切らねぇと、次に死ぬのは自分自身だ」
フロウはそれを聞き、少しうつむく。
「でもね、クレイド」
「なんだよ」
「人は……そんなに強くはないから」
「………………知ってるよ。そんなこと」
その頃、フルスロック基地に一騎の馬が入ってきた。ある人物が帰ってきたのである。
その黒髪の男はずっしりとした大きな体を揺らし基地へと入る。
そこには別の男が出迎えに来ていた。長身の白い髪の男。
それを見て黒髪の男が笑顔を浮かべる。
「よーう! 久しぶりだなファイフ!」
帰ってきたガルディア司令官が元気よくアールスロウ副指令に挨拶する。
「お帰りなさいグレイさん、どうでしたか西部は」
アールスロウはわずかにほほえむ。
二人は並んで廊下を歩き始める。
「ダメだな、兵士のレベルがずいぶん低い。ほとんどのやつは構えもロクにできなかった。まっ! オレが鍛えてやったけどな」
「しっかり鍛えられましたか?」
「ハッハッハッ! 六人ほど怪我したな……」
「あなたって人は……」
アールスロウはあきれた様子だ。
「あっ! そういえばクロコはどこにいる? 呪いについて少し情報を集めてきたんだ。それをあいつに教えてやらないとな」
「クロコは……今はやめた方が良いと思います」
アールスロウは一瞬視線を落とした。
「……なにかあったのか?」
「報告書にも記載していますが、ウォーズレイ基地防衛戦で、援軍として向かわせたブレッド・セインアルドが戦死しました」
「……!! それで……」
「ええ、全体訓練の時も、どこか上の空で……何かの用がない限りは、ほとんど個室にこもっているようです」
「……そうか」
「報告すべき内容は他にも色々とあるのですが、ついでにもう一つ」
「なんだ?」
「サキ・フランティスが基地を移ります」
「サキが?」
それから二日が経った、ある日の午後。
フルスロックの石畳の道路の、高い看板が立てられている一角に、一台の大型馬車が停まっている。
ここはフルスロックの駅馬車乗り場。
サキは十数人の仲間に見送られていた。その中にはフロウやクレイドの姿も見える。
「それじゃあサキ君、元気で」
「はい、ありがとうございます。フロウさん」
「本当に良かったのかな? クロコ君に言わなくて……」
「いいんです、初めからそう決めていたんで。後日、友人にクロコさんへ手紙を渡してもらうよう頼んでます」
「君の行く基地、クラット基地だってね……」
フロウがそう言うと、隣に立っているクレイドも口を開く。
「クラット基地……戦争の最前線だな」
「はい、そこへ行きたいと自分で志願しました。アールスロウさんがなかなか承諾してくれなくて……苦労しました」
サキは笑った。
フロウは少し顔をくもらせている。
「どうしてわざわざそんな所に……」
それを聞くとサキは少し視線を落とす。
「ブレッドさんはボクをかばって命を落としました……だからボクは強くなるために、そこへ行こうと決心したんです」
その言葉を聞いたクレイドが少しだけ眉を寄せる。
「ブレッドのことはおまえが気に病む必要はないと思うぜ。あれは偶然の事故だ」
「仮にそうであったとしても、もうボクは守られる存在にはなりたくないんです。ボクに力があれば、ブレッドさんはあんな形でボクをかばうことはなかった……」
サキは一瞬悲しい目をしたあと、目に力を入れしっかりと二人を見ると言葉を続けた。
「それだけじゃなく。ボクはどんな形でもいい、クロコさんの助けになりたいんです。あのことが起こる前から……クロコさんに助けられたあの日から、ずっと思ってました、強くなりたいって…………だから、そのためにも」
それを聞いたフロウは少しだけ笑顔を浮かべる。
「そうかい、それなら僕からは何も言うことはないよ」
フロウはサキに手を差し出した。
サキはそれに応じフロウと握手する。
「また、必ず会おう」
「はい、必ず」
横でクレイドが笑みを見せる。
「当たり前だろ。そんなこと」
同じ頃、クロコは個室のベッドの上で何かを考えながらボーっと座っていた。
クロコは少しだけ部屋の様子を見る。窓から日の光が入っているはずなのに、クロコには、部屋はずいぶんと暗く感じた。
ドンドンドン!
部屋のドアを勢いよくノックする音が聞こえる。
クロコはうるさく思いながらドアを開けた。
「よーう! クロコ、元気か」
ガルディアが大きな声を出した。
「あんたか、なんの用だよ」
クロコは眉を寄せながら言った。
「いやな、時間が空いたからヒマつぶしにおまえの変な顔でも見に来たんだ」
ガルディアはケラケラと笑った。
「……ふん」
クロコの顔は不機嫌な顔をした。
「それじゃあ、ちょっと失礼させてもらうぞ」
ガルディアはそう言うとズイッと前に出てクロコの部屋へ入ろうとする。
「お、おい!」
制止するクロコを無視してガルディアはズンズン部屋へ入る。
「おっ! 意外と片付いてるな。もっとグチャグチャに散らかってるかと思ってたが」
ガルディアは感心した様子だ。
「なにしてんだ、テメー!」
クロコは怒鳴る。
「おっ! 意外と元気だな。ファイフからは、水に浮いたサーモンみたいな顔してるって聞いてたんだがな。あっ、実際にそう言ったわけじゃないぞ」
「……!! それで、来たのか」
クロコはガルディアを一瞬にらんだあと、顔をそらした。
「そういえば知ってたか? 今日サキが基地を移るそうだぞ」
「……! サキが……!」
クロコは驚いた。
「出発は……ちょうど今ぐらいの時間だな」
「…………」
クロコは黙った。
「行かなくていいのか?」
「行っても、もう間に合わないだろ」
「そうかもな」
ガルディアはそう言うとベッドにドカッと座る。そしてクロコの顔を見ずに静かに話し出す。
「ブレッドが死んだんだってな……」
「………………」
ガルディアの言葉に対しクロコは黙った。
静寂が部屋を包んだ。
チュンチュンと鳥の小さな鳴き声だけが窓から聞こえる。
その中でガルディアが口を開いた。独り言のような静かな口調だった。
「オレは戦争に参加して今年で十年になるが、そのあいだ……たくさんの仲間が死んだよ」
ガルディアは過去を見つめるように語る。
「死んだやつの中にはな、好きなやつもいた、嫌いなやつもいた、…………大切だった友もいた」
「………………」
クロコは下を向いて黙っている。
少しの間、また静寂が包んだ。再び鳥の鳴き声だけが響く。
ガルディアが再びゆっくりゆっくり話しだす。
「……人が死ぬって苦しいな。人がいなくなるってさびしいな。もう会うことができないって…………」
ガルディアは一瞬目を閉じた。
再びの静寂。
ガルディアはクロコの方を向き、真っ直ぐに見つめる。
今度の静寂は長かった。長い長い静寂。どちらも一言もしゃべらなかった。
クロコは下を見続けていた。真紅の瞳は深い悲しみに沈んでいた。
そんなクロコをガルディアは見つめ続けていた。
静かな時間が過ぎてゆく。
その中である言葉が響いた。
「あいつは……」
口を開いたのはクロコだった。
長い沈黙のあと、クロコは小さな声でゆっくりゆっくりと話しだす。
「あいつは…………ずっとオレのそばにいた。知らない間に、気づいたら当然のように隣にいたんだ」
クロコの真紅の瞳は悲しく光る。
「小さい頃から、ムチャばかりするオレの面倒ばっかり見てて、村を出たあとも……いつも必死でオレのこと守って」
クロコの声が震える。
「知ってたはずなのに……なのにオレはあいつに文句ばっか言って……オレはあいつになにもしなくて、なにもしてやれなくて……」
クロコの体が震えた。
倒れるようにゆっくりとガルディアの隣に座った。クロコは下を見つめている。
「もう……あいつは、いないんだ。もう……」
クロコは下を見続けている。
ガルディアはそんなクロコの隣で黙って話を聞き続けていた。
クロコの口調が少し落ち着いてくる。
「もし……もしオレがいなければ、あいつは、あいつはオレを守ることもなく、もっと、もっと自由に生きられたんじゃないかな。オレはあいつになにもせず……迷惑ばかりかけて……」
再び沈黙が続いた。
今度はガルディアの方が口を開いた。クロコから顔をそらし、静かな口調で話し始めた。
「オレは、人が死んだとき、いつも考えるんだ。『もしこうしていれば、あいつは死ななかったんじゃないのか?』『オレはもっとあいつにしてやれたことがあったんじゃないのか?』なんてな。そんなことを何回も何回も考えちまうんだ」
ガルディアは一瞬悲しい目をした。
「もう後戻りはできない、そうわかっていても、それを考えずにはいられないんだ」
その言葉のあと、また少し静寂が続いた。
静寂の後、ガルディアは再びクロコを見つめた。
「なあ、クロコ。ブレッドは死ぬ前、おまえに何か残さなかったか?」
「何か残す……?」
クロコはキョトンとする。
「別に物とは限らない。形のないものかもしれない」
「形の……ないもの」
クロコはしばらく黙っていた。
「……!」
クロコの頭の中にブレッドが死ぬ前に残した、ある言葉がよみがえる。
「どうやら、なにか心当たりがあるみたいだな」
そう言ったあとガルディアは少しだけほほえんだ。
「なぁクロコ、もしブレッドがおまえのことを“迷惑”や“ただの守るための存在”だと思っていたんなら、死の前におまえになにかを残すだろうか……?」
ガルディアは静かにクロコを見つめている。
「ブレッドはおまえを守っていた。だけど守っていただけじゃない。おまえを守りながら、おまえ自身に救われていたんじゃないのか?」
「オレ自身に、救われていた……?」
「おまえと一緒にいたときのあいつ、楽しそうに笑ってたよ。ブレッドには、おまえが必要だった。オレにはそう思えたよ」
「………………」
「自分が死んで、こんなに悲しんでくれるやつがいる。それは何よりも、あいつにとって、おまえが大事だった証拠だよ」
ガルディアはニコッと笑う。そしてクロコを力強い目で見た。
「ブレッドがおまえに残したもの、無駄にはするなよ」
ガルディアはゆっくりと立ち上がる。
「さて、オレもそろそろ仕事に戻らないとな。ファイフに怒られちまう」
そう言うとガルディアはクロコの部屋から出ていった。
部屋の中、一人座るクロコ。
クロコは不思議なことにさっきより少し部屋が明るくなったように感じた。
クロコはゆっくりと立ち上がると窓から外の景色を見た。その時だった。突然背後から声がした。
「クロ、おまえは決して進むのをやめるな。進み続けろ」
クロコは驚いて振り返る。しかしそこには誰もいなかった。
クロコは一人部屋で立ち尽くす。しかしクロコの心にはある変化が起きていた。
「分かったよ、ブレッド。オレはもう立ち止まらない。進み続ける」
真紅の瞳に光が宿った。
クロコは部屋を飛び出し、廊下を勢いよく駆けだした。
一方、馬車乗り場ではサキの乗った馬車が出発しようとしていた。
「それじゃあ、行きます」
サキはそう言うと馬車に乗り込む。
「それじゃあな、サキ」
クレイドが軽く手を上げる。
「幸運を、サキ君」
フロウはニコッと笑った。
馬車が進み始める。他の友人たちも思い思いの言葉をサキにかける。その間、馬車の速度は段々に上がり、サキの姿は馬車と共に徐々に遠くなっていく。
フロウ達が見つめる中、馬車の姿がゆっくりゆっくりと小さくなっていく。
そして馬車は街の中へと消えていった。
「行っちゃったね……」
フロウはさびしそうに言った。
「そうだな」
クレイドは遠くを見つめていた。
一方、馬車に乗ったサキは馬車の窓から遠くを見ていた。
四角い灰色の建物が次から次へと通り過ぎる。
住み慣れていた街並みを見ながらサキ自身、なんとも言えない物悲しさを感じていた。
ふとクロコと初めて出会った時のことを思い出す。
基地の仲間にいじめられる自分、そこに助けに入ったクロコ、自分をいじめる者たちを一蹴するクロコ。
思えばあの時から、サキにとってクロコは憧れの存在だった。
しかし結果的に自分が原因でブレッドを、クロコにとってのかけがいのない存在を奪ってしまった。それでもクロコは決して自分を責めることはなかった。
「ごめんなさい、クロコさん」
サキは静かに言葉を漏らした。
馬車は川にかかった大きな石橋を渡ろうとしていた。
その時ふっとサキの目に何かが映った。
向かいの石橋になにかが立っている。
あれは……人影だ。
向かいの石橋に人影が立っている。その時、人影から大きな声が上がる。
「サキーッ!!」
高い声が辺りに響き渡る。その声を聞いて、サキは思わず馬車の窓から身を乗り出す。サキの瞳には向かいの橋に立つクロコの姿がしっかりと映っていた。
「クロコさーん!!」
サキも思わず大声で答えた。
再びクロコの大声が響く。
「バカヤロー!! サキー!! なに勝手に行ってんだー!!!」
怒鳴るクロコ。
「すいませーん!!」
大声で謝るサキ。
その間、馬車は石橋を渡る。二人は徐々に遠ざかる。
「サキー!!」
「はーい!!」
クロコは一瞬笑うと、再び大声で叫ぶ。
「また会おーう!!」
クロコのその言葉を聞いた途端、サキの目から涙があふれた。
「は、はい!! かな……かならず……必ずー!!」
サキは精一杯、声を張り上げ返事をした。
クロコの姿は徐々に遠ざかっていき、やがて見えなくなった。
(クロコさん、ありがとう……)
サキの目から涙がこぼれ落ちる。
フルスロック基地に夕暮れの光がかかる。
アールスロウは一人、書類をまとめていた。
少し広めの自分の個室で大きな黒い仕事机に座っている。横にある大きな本棚には本がぎっしりと詰まっている。
アールスロウは机に積まれた基地の資料一つひとつに目を通している。
(やれやれ、まだかかりそうだ……)
アールスロウは小さくため息をつく。
コンコン
誰かが部屋のドアをノックした。
(誰だ? このノックはグレイさんではないな)
アールスロウがドアを開けると、そこにはクロコが立っていた。
クロコはアールスロウの顔を見上げるなり、ぶっきらぼうにあいさつする。
「……よう、今ヒマか?」
アールスロウは不思議そうな顔でクロコを見る。
「なんだ君か。珍しいな、どうしたんだ突然」
「どうしたんだ突然、じゃねーよ。アンタが言ったんだろ“暇なら稽古をつけてやる”って」
その言葉を聞いたアールスロウは一瞬キョトンとする。しかしすぐにいつもの冷静な顔に戻る。
「ああ、確かに言ったな」
「……で、今ヒマか?」
アールスロウはニッと笑う。
「奇遇だな。今ちょうど時間が空いた所だ」
そしてすぐ部屋の方を向く。
「すぐに準備する。少し待っていてくれ」
アールスロウはそう言ってドアをバタンと閉めた。
広い実技場の中央でアールスロウとクロコが互いに木剣を持って向かい合う。
アールスロウが口を開く。
「ではまず、君には俺と戦ってもらおう。模擬戦を通して君に足りないものを指摘する。そっちの方が君には合っているだろう」
アールスロウは長い木剣をクロコに向けた。
「上等だ、今度こそぶっ倒してやるよ」
クロコは木剣を構える。それに応じアールスロウも構える。
「ああ、それぐらいの気構えがなければ稽古の意味がない」
二人の顔が真剣になる。
張りつめた空気が辺りを包む。
アールスロウが静かに口を開く。
「……来い」
「言われなくても……!」
クロコはアールスロウに向け、一気に駆け出した。
ブレッド……オレは進み続けるよ