0-2 クロコ・ブレイリバー(後編)
村長宅の扉を数十人の国軍兵が取り囲んでいた。
その集団の中央に立つ灰色髪の軍人は、村長の前に立ち、愛想よくニコッと笑う。
「なに、一つお聞きしたいことがありましてね」
「なんでしょうかね」
村長は無愛想に答えた。
「先日ここより北の地、クロウジア谷で解放軍との戦闘がありましてね。無論、我々が勝利したわけですが、その際、基地を追われ逃亡した解放軍兵が多くてね。我々はそれを追っているのです」
「基地を追われたということはこれ以上戦えないということでは? わざわざ追う意味があるんですかね」
「反乱分子は根こそぎ処罰しなければならないのですよ。それに幹部などの主要な人物も含まれています。それで……」
灰色髪の軍人はニコッと笑う。
「ここに流れ着いた兵士はいませんでしたか?」
「さぁ、知りませんな。こんな小さな村、そのようなことがあれば、すぐに耳に入るはずですが」
村長は落ち着いた口調で答えた。灰色髪の軍人は笑顔を絶やさない。
「では、近辺の町でそのようなことがあったという話は……」
「無いですな。なんせこの村、四方が森に囲まれているため外部とはほとんど連絡が取れないんですよ。森の奥にはオオグマや群れオオカミも出ます。もしかしたら逃げた兵士の大半は獣に襲われたのかも知れませんよ」
「そうですか……私達もここに来るまでずいぶんと長い道のりだったのですが」
軍人は残念そうに首を軽く振る。
「そうか、そうですか……」
「用がないのならお引き取りください。このような人数の軍人に押し入られては妻も不安になります」
灰色髪の軍人は鼻をクンクンと動かす。
「におう、においますね……」
「はい……?」
「このにおいは……『血』の匂いだ」
村長はその言葉を聞いてピクッと反応する。灰色髪の軍人は数名の兵士を引き連れ強引に家へ入り込もうとする。
「お、おい!」
村長はそれを止めようとするが、近くにいた兵士に力づくで壁に押し付けられる。
灰色髪の軍人は兵士達を引き連れ、そのまま真っ直ぐ居間へと入った。居間にいた村長の妻はその様子に驚きながら呆然と見ている。
灰色髪の軍人は隅に置いたあるゴミ箱に近づきズボッと手をつっこんだ。
村長は兵士に後ろ手をひねられた状態で、強引に灰色髪の軍人の前に突き出される。
「村長……」
灰色髪の軍人は冷たい目で村長を見る。村長の表情に初めて焦りの色が見える。
「これは……何ですかね」
灰色髪の軍人の手には大量の使いきった包帯があった。包帯にはベットリと黒く変色した血が付いている。
「ずいぶんと包帯を使われたんですね」
灰色髪の軍人はニッコリと笑って村長を見た。
「なにか……問題でも?」
それでも村長は冷静な口調で答えた。
「ずいぶんと血が付いていますね」
灰色髪の軍人はその包帯を顔に近付ける。
「いい匂いだ……強い強い血の匂い、おや、それとは違う匂いが混ざっていますね。このにおいは……」
軍人の口元がニタッと歪む。
「火薬の匂いだ」
軍人はそう言ったあと、村長から目をそらす。
「殺せ」
灰色髪の軍人はそう言うと部屋から出ようとする。
「もちろん妻もですよ」
「お、おい!!」
そう叫ぶ村長を兵士の一人が床に押さえつける。そしてその兵士はゆっくりと剣を抜いた。
「きゃあああああ」
妻の叫びが響いたあと、居間に大量の血しぶきが二つ飛んだ。
灰色髪の軍人が外に出ると、それを追って他の兵士達も外に出た。
「やれやれ……この村からでは、逃亡した兵士ももう安全地帯に逃げ込んでしまったのでしょうね」
軍人はため息をつく。
「レイズボーン中佐、これからどうしましょう。これ以上我々が追っても……」
少し小太りの長いひげを生やした副官が灰色髪の軍人レイズボーンに話しかける。
「決まっているでしょう」
レイズボーンは冷静な口調で話す。
「この村の住人を全員処刑します」
レイズボーンは表情ひとつ変えずにそう言い放った。
「なっ!」
副官はその言葉に驚く。周りの兵士達もザワつく。
「この村の住人は解放軍兵士をかくまい、その事実を我々に隠ぺいした。これはこの村の住人が解放軍に加担した重要な犯罪、つまりは共犯です」
レイズボーンは冷静な口調で言った。
「し、しかしそれは村長だけで十分では……」
「村長も言っていたでしょう? 『解放軍の兵士が来るようなことがあれば、すぐに耳に入る』と、つまり村のほとんどの住民はそれを知り、国軍に報告せず、罪に肩入れしていた」
「で、ですが!」
小太りの副官がさらに何か言おうとした瞬間、突如、小太りの副官の体が大きく裂け、血が噴き上がる。
「私は、物分かりの悪い方は嫌いなんですよ」
副官は力無く地面に倒れこんだ。レイズボーンの手には剣が握られていた。
兵士達はその異様な光景にぼうぜんとした。
「あなたたちも……」
レイズボーンは兵士達の方を見る。その眼は冷たく暗くにごっていた。兵士達はビクッとなった。
「あなた達も早く動きなさい……私は仕事が遅い方も嫌いなんですよ」
「は……はっ!」
兵士達は急いで敬礼して、剣や銃をとる。
「よろしい……」
レイズボーンはニッコリと笑った。
「殺すなら徹底的にですよ。男、女差別無く。ああ、子供もちゃんと殺しなさい。一人取り残されるのはふびんです」
「クロ、そろそろ帰ろうぜ。さすがにもう遅いよ」
森に降り注ぐ日の光は弱まり、辺りは少し暗くなってきた。
「ええっ!?」
ブレッドと木の枝で剣士ごっこをしていたクロコは物足りなさそうな声を出した。
「ええ、じゃない。もうずいぶん遅いぜ。またおばさんに怒られるぞ」
「それは嫌だなぁ」
クロコはブレッドの言うとおり素直に帰ることにした。
周りは暗かった。二人は森の奥の方まで行ってしまったようだ。
しばらく歩くと村の方向が赤く光っていた。
「なんだろう」
クロコがそう言うとブレッドは首をかしげる。
クロコ達はそれが気になり、小走りで村の方へと駆けていった。
クロコ達が村に出ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
炎を上げて燃える家、大きな鳴き声をあげ走りまわる食用馬、そして……
たくさんの人が倒れていた。体からは大量の血が流れている。
クロコは心臓が急に固まるような感覚に襲われた。
「お、おい、クロ、なんだよ……これ」
ブレッドはぼうぜんとした様子だ。
しかしクロコはそれを無視して自分の家に向けて全力で走り出した。
「お、おい、クロ!!」
遠くでブレッドの呼び声が聞こえる。けれど今のクロコはその声を聞いている余裕はなかった。
クロコが走るあいだ、通り過ぎる家はどれもこれも燃えていた。
道端には多くの人が血を流して倒れていた。クロコはその中に自分の良く知る人も交じっていたような気がした。しかしクロコは気のせいだと自分に言い聞かせた。
クロコは家に着いた。クロコの家も燃えていた。しかしクロコはそれにも構わず家に飛び込んだ。
「母さん! 父さん! アピ……」
その時クロコの目に飛び込んだ光景は……
クロコは立ち尽くした。
父さんが倒れてる。
母さんも倒れてる。
アピスも倒れてる。
みんなたくさん血が流れて……大丈夫なの? こんなたくさん血が流れて……
次の瞬間、急にクロコの視界が闇に包まれる。誰かがクロコの目を手でおおう。
「……見るな」
ブレッドの声がした。
ブレッドはクロコの目をおおったまま強引に家の外まで連れだした。
そしてそのままクロコの手を無理やり引っ張り、道を駆ける。
「とにかく……今は隠れるぞ」
ブレッドは静かに言った。
「隠れるって誰から?」
「国軍の兵士からだ。まだそこら中にいる」
「国軍の兵士? あ……ブレッドの家は……」
「もう行った」
ブレッドはそう答えたあと、何を聞いてもしゃべらなくなった。
クロコはブレッドに引っ張られるまま森に戻ると、ブレッドと一緒に深い草原に身を隠した。なにもしゃべらず、息をひそめた。
クロコは何も考えられなかった。
自分が自分の家で見た光景の意味も、なぜ今隠れているのかも、ブレッドが急にしゃべらなくなった意味も、何も考えられなかった。
ただ自分の心臓の音がずっと耳の隣で聞こえていた。クロコは思った、心臓の音ってこんなに大きく聞こえるものだったろうか?
その音はずっとクロコの耳の隣で鳴り響き続けていた。
炎に包まれる村、それを囲む森の分け目の村の出口に、レイズボーンと数十人の兵士達は立っていた。
レイズボーンは赤い炎の光を見ながら、上機嫌に鼻をクンクンと動かしていた。
「いい匂い……いい匂いだ……私の好きな炎と血のにおいだ。素晴らしい、私の好きな戦争の匂いだ。フフフフ、心地いい、心地いい、まさに……『快感』だ」
レイズボーンは顔を大きく歪め、ニターと笑った。
辺りはすっかり暗くなっていた。ずいぶんと時間が経った。
クロコとブレッドは草原から体を出し、高い丘へ移動して、そこから村の様子を見た。
勢いよく燃え上がっていた炎は衰え、兵士の姿はもうなかった。
クロコ達は森を出た。
その後、クロコはブレッドに手を引かれるまま、森の分け目、村の出口へと移動した。
そのあいだ、クロコの目にはさまざまのものが入ってきた。
燃える家、燃えた家、倒れた人……その中にはきっと、良く知る人も混ざっていた。
クロコ達は村の出口に立った。
クロコは引っ張るブレッドの腕に抵抗して、歩みを止めた。それをブレッドが静かな目で見る。
「……行こう」
ブレッドはクロコを見ながら言った。静かな口調だったが、少し命令するかのような強さも持っていた。
「どこに……行くの?」
「ここじゃない……どこかだ」
「……でも、ここはオレの……オレ達の村なんだよ」
「クロ……、もうここには何も無い、何も無いんだ……だから、行こう」
ブレッドはそう言うと引っ張る力を強めた。
「…………」
クロコは黙ったまま止めた足を再び動かした。
けれどクロコは歩きながら振り返り、もう一度だけ、たった一度だけ村を見た。
クロコの真紅の瞳に燃える村の姿が映った。
クロコとブレッドはその日、自分の村を去った。
その夜、クロコ達は暗い道を延々と歩いた。なにもしゃべらず、ただ延々と歩いた。途中で疲れても、足が痛くなっても、おなかが空いても、ただ延々と歩いた。隣町が見えるまでただ延々と……
その後、クロコ達は住む場所もなく、町から町を転々とした。しかし、今の荒れた国では、子供二人だけで生き続けるのは容易ではなかった。
残飯をあさり、雨水をすすり、ときには畑や市場から食べ物を盗んで、なんとか命をつなぎ止めた。
そんなクロコ達が最終的に行き着いた町があった。その町の名はアークガルド。世の中から見捨てられた者が集まる町。
その町では殺人、強盗などの犯罪が日常茶飯事に行われていた。
治安は最悪の町だったが、クロコ達が生き残るには一番可能性の高い町でもあった。
その後クロコ達はその町に長く居つくことになる。
ある日ブレッドはどこからか剣を拾ってきた。当時十二歳だったブレッドは、その剣を持って自分自身とクロコの命を死に物狂いで守った。
その三年後、クロコが十二歳の時、クロコも剣を持った。
さらに二年後、クロコが十四歳の時には、この町でクロコ達に牙をむく者はほとんどいなくなっていた。クロコ達は強くなっていた。
クロコ達はやっとこの町で命の危険のほとんどない生活を手に入れることができたのだ。
ただしそれ以外、この町には何も無かった。
一年後、クロコはある秘かな思いを持っていた。セウスノール解放軍に入りたいと思っていたのだ。
こんな町にいたクロコ達にも解放軍の動きはたびたび耳に入っていた。
十年前『ファントム』という正体不明の指導者が加わって以後、組織化が進んだ解放軍は、五年前から勢いに乗り国軍相手に快進撃を続けていた。
国軍が本腰を入れてからは少し勢いを落とし始めているが、クロコ達が村を出た当時、占拠していた領地は四分の一にも満たなかったが、今ではすでに国土の半分近くを占拠し、国を二つに割っていた。
ある日の夜、クロコとブレッドは酒場の奥の一室にいた。その当時、クロコ達は酒場の用心棒として住み込みで働いていたのだ。
クロコはランプ一つ灯った暗い部屋で、ブレッドと二人きりだった。
ブレッドはいつものようにヒョウヒョウとした態度でクロコに話しかけてくる。これだけは昔から全く変わっていない。
そんな中クロコはブレッドに話を切り出した。
「なぁブレッド、話があるんだ」
「ん? なんだよクロ、急に改まって」
ブレッドは軽い口調で言葉を返した。
「オレ……解放軍に入ろうと思うんだ」
「……!」
ブレッドは一瞬驚いた表情を見せた。しかしすぐに普段の表情に戻り、クロコを見つめた。クロコは話を続ける。
「今のオレ達なら解放軍の力になれると思うんだ。そうすれば今とは違う暮らしがきっとできる……!」
「…………」
「オレはこのまま、ここで老いて、ここで死にたくない……!」
ブレッドはクロコの言葉を聞いたあと、しばらく黙ってなにかを考えていた。その後、ゆっくりと口を開く。
「……いいんじゃないか。それも」
ブレッドは静かにそう言ったあと、いつものように笑った。
それを見てクロコは少しホッとした。
「当然おまえも来るよな? ブレッド」
クロコはブレッドを見た。するとブレッドはニッコリ笑った。
「ああ、どうやらおまえの世話役がオレの天職みたいだからな」
「よし、これで決まりだ! って、今のはどういう意味だ!」
こうしてクロコ達はセウスノール解放軍に入ることを決意した。
旅立ちの前夜、クロコは七年前のあの出来事のことを考えていた。
しかしクロコには燃える村の姿以外、ほとんど思い出すことが出来なかった。
あの出来事のほとんどの記憶がクロコの中でぼやけてしまっていた。
クロコは思った。あの時の自分は幼かった、だから、あの出来事を受け止めることが出来なかったんだと。
クロコは国軍が嫌いだった。しかしそれはあの出来事によるものでなく、自分をこんな状況に追い込んだという事実からの恨みだった。
クロコにはあの出来事の意味は理解できても、あの出来事を憎しみに変えることは出来なかった。
あの頃幼すぎたという事実、それはきっと幸運だったのだろうとクロコは思った。
……そしてウォーズレイの戦いのあと、クロコは再びあの出来事のことを考え始める。
それはあの出来事で自分自身がどう感じたかではなく、
ブレッドがどう感じていたのかだった。
村を出た当時十一歳だったブレッドは国軍に対してどのような感情を持っていたのだろうか? 本人の言うように解放軍に入るのはただ自分についていくだけが理由だったのだろうか?
それは結局クロコには分らなかった。そしてもう確かめることもできない。
旅立ちの日、クロコ達は六年間住んだアークガルドをあとにし、この町に一番近い解放軍の基地、フルスロック基地へと向かった。
その時のクロコは、その先に『希望』があるのだと信じて疑わなかった。