0-1 クロコ・ブレイリバー(前編)
今から7年前のある日、クロコの運命を変えた、ある事件が起きた。
クロコの生まれた村の名はスロンヴィア、そこは農民の村だ。
グラウド帝国には国民に階級がある。
大きく分けると上から王族、貴族、平民、農民だ。
スロンヴィアは一番下の階級の人間が寄り集まってできた村だ。
その村は、地主の領地から出ていった農民が、自らで森を切り開いて作ったもので、そのため周りのほとんどが森におおわれている。
村人の多くは外との関わりがなく、外へ出るのは農作物を町へ売りにゆく者ぐらいだった。
それがこの村……クロコの生まれた村スロンヴィア。
優しい風が吹いている。
その風がベッドで横になっている小さな少年の顔をなでる。
八歳のクロコは家の二階のベッドで寝ていた。
コンッ
部屋の木の窓に石が当たる音がした。
コンッ
「うるさいな……」
コンッ
コンコンコンッ
「うるさい!」
クロコは思いっきり体を起こした。そしてすぐに窓を開けて下をにらんだ。
「うるさいぞ、ブレッド! 人がせっかく気持ちよく寝てるのに……!」
すぐ下で十一歳のブレッドが手を振っていた。すぐに大声を返してくる。
「なにがうるさいぞだ! この時間に森に遊びに行くって言いだしたのクロだろ」
クロコは少しだけムスッとする。
(うるさいやつだな、まあ確かにそんなこと言ったような気もするけど……)
「ちぇっ、分かったよ」
クロコは木の窓を全開に開けると、そこから勢いよく下の地面に飛び降りた。
ズンッ!
大きな音を立てて地面に着地した。その衝撃で少し足がしびれる。
「コラッ!!」
クロコの背中から急に声がした。クロコはビクッとなったあと、ソーッと後ろを振り向く。
そこにはクロコの母がいた。白い長い髪を風になびかせて真紅の瞳でクロコをにらんでいる。
「窓から外に出るなっていつも言っているでしょ! 危ないでしょ!! それに窓から虫が入る!」
クロコは口をへの字に曲げる。すかさずブレッドがクロコの前に出てクロコの母に頭を下げる。
「すいません、オレの方からもきつく言っておくんで」
ブレッドはヘラヘラ笑っていた。
「おいブレッド! なにが『オレの方からもきつく言っておくんで』だよ! おまえだって前同じことしてただろ!」
「うるせー、いくぞ!」
ブレッドはそう言うと庭を抜けて道へと飛び出した。
「あっ! おい待てよブレッド!」
クロコも走ってブレッドを追った。
「あっこら! まだ話の途中……」
クロコは母の話を振りきりブレッドといっしょに土の道へと飛びだす。
道の周りはほとんど草原で、点々と木の家が立ち並んでいる。遠くには畑も見える。そこかしこからフエドリのピュゥーピュゥーという美しい鳴き声が聞こえてくる。
青空のもとブレッドと一緒に道を走ると、スカイパレットの水色の花畑が横を通り過ぎた。
しばらく走ると放牧場が見えてきた。
木の囲いの奥には十頭ほどの食用馬の姿が見える。ボヨンボヨンに肉をつけ、重そうな体でノソノソと歩いている。
するとブレッドが木の囲いをヨジヨジと登りだす。
「あっ! さきこされた」
クロコは思わずそう言った。
ブレッドは囲いの上に昇ると両手を垂直に上げてバランスを取りながらヒョイヒョイ走った。
クロコもすぐにブレッドに続いて登った。そして走りだす。
「あ、あぶないよ!」
少し走ると急に下から声が聞こえた。
「まえお母さんにも怒られたでしょ。お兄ちゃん」
クロコがメンドくさそうな顔で下を見る。
そこには長い黒髪をした女の子がいた。一つ年下のクロコの妹アピスだ。アピスは二人の様子を見てソワソワしている。
「うっせーな、なんの用だよ」
「なんの用って、お兄ちゃんがまた、わたしになんにも言わずに、勝手にどっかいっちゃおうとするから……」
アピスが困った表情でジッとクロコを見る。
するとブレッドがいきなり囲いから飛び降りた。
「逃げるぞクロ!」
ブレッドはそう言って勢いよく走り出す。
「あっ、待てよブレッド!」
クロコもすぐに飛び降りてブレッドのあとを追いかける。
「待ってよ。お兄ちゃん!」
叫ぶアピスを振り切りクロコとブレッドはひたすら道を走る。
しばらく走るとクロコとブレッドは足を止めて歩きだした。二人は息を切らしている。
クロコが口を開く。
「今日は、ハア、ハア、走ってばっかりだ」
「ああ、さすがに、ハア、疲れたな、ハア」
二人は歩きながら息を整える。ブレッドは後ろを見る。
「アピスは振りきったみたいだな」
「ああ、あいつおとなしいし、運動できないくせにしょっちゅうオレたちのあと付いてくるんだよな」
「それでいつもケガして」
「ああ、それでいつも泣いて、で、こりずにまたついてくんだよ」
「おまえもソワソワするし」
「してねーよ、バーカ」
二人はそんな話をしながら森に向かって歩く。
ちょうど民家が密集している場所を通るときだった。
なにやら数十人ほどの人だかりができていた。
「おい、見ろよクロ」
「すげぇ、あんな人が集まってるトコひさしぶりに見た」
「なんかあったんだ!」
「この村で事件なんかはじめてじゃねーか?」
二人は人だかりに近づく。人だかりは大きな木の屋敷の前で起きているようだった。
クロコが目をパチパチさせる。
「村長の屋敷だ!」
「よし、見に行こうぜ」
二人はワクワクとした様子で、人だかりの中に飛び込む。
人だかりの中では様々な声がする。どの声も不安そうな声だった。
「村長が兵士の手当てをしているって?」
「どうやら村に流れ着いたそうよ」
「流れ着いたって……どこの兵だ!? 国軍兵か!?」
「それもどうやら解放軍の様だぞ」
「解放軍!? 大丈夫なの……」
その人だかりの先、村長宅の扉の前で数人の村人が話をしている。
クロコとブレッドはその人だかりの間をスルスルと進み村長宅の扉へと向かった。
扉の前では村人と村長がなにやらもめている。
「なんで兵士の手当てなんてしているんだ!! あれは解放軍の兵士なんだろ」
「こんなことが国軍に知れたらただでは済まんぞ」
「隣町の一家なんて解放軍の幹部の親族ってだけで公開処刑にあったって話よ」
「おいおいホントかよ!? ブルテン皇帝もいよいよおかしくなってきたな」
「とにかく、こんな危険なことはやめてくれ!」
村長は硬い表情で黙って話を聞いていた。厳格そうな顔立ちをした中年の男性だ。
村長はおもむろに口を開く。
「傷ついている人間を放っておけというのか? 助けを求める人間に国軍も解放軍も関係ない。人を助けることに何の問題があるというんだ!」
村長ははっきりとした口調でそう言った。
「だが……もし、ばれて責任を問われたら……」
「その時は私が全責任を負って、どんな処罰も受けるつもりだ」
村長のかたくなな態度に騒がしかった村人が少し大人しくなった。
それを見ていたクロコはボソッと口を開く。
「バカだよなー。国軍にバレたら、なんてさ」
「ああ、バレるわけねーよな。うちの村に来るよそ者なんてほどんどいねーし」
「税を取りに来るやつぐらいだよな。そんなことより……」
クロコはブレッドの顔を見る。
「ブレッド、その手当てされてる解放軍の兵士って、どんなやつか見てみたくないか?」
「え、見てみたくないかって、おまえまさか……」
クロコは人だかりの前をさらに抜ける。
村長と村人はまだ何かを話している。それに必死で下には全く意識がいってない。その隙にクロコは身をかがめて勢いよく走り、サッと村長達を横切り村長宅に侵入した。
(うまくいった! 誰も気付いてない)
「おいっ! これはいくらなんでもヤバいだろ」
あとを追って侵入してきたブレッドが小声で叫ぶ。
「大丈夫だって、それに、もうあとには引けないだろ?」
クロコは笑った。
ブレッドは小さくため息を吐いた。
二人は身をかがめ、足音を忍ばせ、廊下をピョコピョコと歩く。
ブレッドがボソッと口を開く。
「でもオレ達ってこういうこと天才的にうまいよな……」
「ああ、もしアピスがついてきたら絶対失敗しただろうな」
「とにかく村長の奥さんに見つからないように動くぞ」
「わかってるって、兵士はどこら辺にいるかな?」
「寝室あたりが怪しいな……」
「どこにあったけ?」
「まえ侵入したときに思いっきり暴れたトコだよ」
「ああ、あそこか……あの時は怒られたな」
「おまえのせいでな」
クロコとブレッドは二階に上がった。
そして寝室のドアの前に立つと、少し開けて中をソーっとのぞく。
寝室の大きなベッドには黒い服を着た男が寝ていた。
「誰だっ!?」
突然兵士がクロコ達の方を見て叫んだ。クロコ達はびっくりして思わずドアを閉める。
ドアの向こうで一時撤退してドキドキしているクロコ達の耳に、ドア越しから小さな声が聞こえる。
「…………子供か?」
そしてしばらくするともう一度声が聞こえる。
「大丈夫だ。入っておいで」
ドア越しから優しい声がした。
クロコとブレッドは一緒にソーッとドアを開け、ベッドに体を起こしている兵士の方を見た。
ベッドにいる兵士は年齢二十代ぐらいの男だ。
兵士は優しくほほえみかける。
「なんだ、どうした。オレを見に来たのか?」
クロコはほほえむ兵士にゆっくりと近づく。
「お、おい」
ブレッドが後ろから制止する。
「別に怒りはしないさ。大丈夫だ」
兵士がそう言うと、ブレッドもしばらく様子を見たあとクロコのあとを追って兵士に近づく。
兵士の体には無数の包帯が巻かれていた。
クロコはそれを見る。
「大丈夫なの?」
「最初はけっこーヤバかったな。正直、きみらの村で手当てを受けてなきゃ死んでたかもな。きみらの村の……オレを見つけてくれたブラドさんって人とオレを手当てしてくれた村長さん。あの人達のおかげでこうして命を取り留めたよ」
「…………」
「村長さんと少し話もした。いい人だな」
「うん、村で自慢の村長だってお父さんも言ってた」
「そうか」
兵士はニッコリ笑うとクロコの頭をなでた。クロコはうれしそうに笑う。
ブレッドはクロコの後ろでジーッと様子を見ている。どうやらまだ警戒しているようだ。
「解放軍は怖いか?」
兵士はブレッドの顔を見て言った。
「……」
ブレッドは下を向いて黙った。
しかしすぐに顔を上げる。
「怖くないよ」
ブレッドは兵士の顔を見る。
「父さんが言ってた。解放軍は悪くないって、悪いのはおかしな政治をする国だって、解放軍はそのおかしな国の政治を正そうとしてる。だから悪くないって」
「そうか」
兵士はブレッドを見て優しくほほえんだ。
「オレだっておじさんのこと怖いなんて思わないよ」
クロコが続いて言った。
「だって、おじさん全然悪そうに見えない。優しそうに見える」
「おじさんって年じゃないんだけどな。でもありがとな」
兵士はクロコの方を見てニコッと笑った。
「そう言えば……外が少し騒がしいな」
兵士は窓から外をチラッと見た。
「うん、みんなが村長の家に押しかけて『危ない』って……」
クロコがそう言うと兵士はピクッと反応した。
「お、おい、クロ! そういうことは本人に言っちゃダメなんだぞ」
「…………そうか、それで」
兵士がそう言った直後だった。
「コラーッ!! なにしてるのあなた達!」
村長の奥さんが大声で二人の背後から怒鳴った。
「し、しまった!」
クロコ達はそのあと村長の奥さん、そして村長の二人がかりでこっぴどく怒られた。
クロコとブレッドはシュンとしながら村長宅をあとにした。
「あーあ、めちゃくちゃ怒られたなー」
クロコはため息をつく。
「まー、しょーがねーよ。こうなったら早く森に遊びに行こうぜ」
クロコとブレッドは森へ向かった。
森の遊び場に着くといつもと変わらない景色が広がっていた。
不規則に並び立つ太い根の樹木。空はその枝葉におおわれてほとんど見えない。しかし葉の間からもれだす光が森の中を優しく照らす。柔らかい地面には、所々に短い草が生えている。辺りからはフエドリの鳴き声がはっきりと聞こえてくる。
ブレッドが顔を上げて叫ぶ。
「よーし、今日はとことん遊ぶぞ!!」
「あったりまえだー!」
二人は一気に駆けだす。
森に来てから二時間ぐらいが経った時だった。
「おい、クロ、ちょっと来てみろよ」
高い木に昇って景色を眺めていたブレッドがクロコを呼ぶ。
「なんだよ」
クロコは1mぐらいあるヘビを片手でブンブンと振り回していた。
「いいから来てみろよ」
クロコはヘビを捨ててブレッドが昇っている木をよじ登る。
そしてブレッドのいる枝に立つ。
ブレッドが村の方を指さす。その方向を見ると村長宅が見えた。
村長宅の玄関で先ほどの兵士が村長と話している。村長に礼を言っているように見える。
「さっきの人、もう行っちゃうんだな」
クロコが村長宅を眺めながら言った。
「ああ、でもあの人、死にかけたって言ってたよな。もう動いても平気なのかな……」
ブレッドは兵士のことが少し気にかかる様子だ。
「大丈夫だから行くんだろ?」
「ん……まぁそうだけど」
兵士が村長宅を出ていくのを見守るとクロコとブレッドは木から下り、また遊びだした。
一方、クロコの家の前ではクロコの母が洗濯物をたたんでいた。そんな母親にはクロコの妹アピスがピッタリとついて歩いている。
「ただいま、エルシア」
突然近くでクロコの母の名を呼ぶ声がした。クロコの母は声の方向を向く。アピスも続けて向く。
「あっ、おかえりなさい。あなた、今回は早いわね」
クロコの父が帰って来ていた。
少し長めの黒髪とぶしょうヒゲを生やした男だ。目つきは鋭いが優しげな表情をしている。
「おかえり、お父さん」
アピスが父にあいさつする。
「ただいま、アピス」
クロコの父はあいさつを返す。そしてクロコの母の方を見る。
「今日は薬草の売れゆきが絶好調でな。あっという間に売り切れたよ」
「それはよかった」
クロコの母はうれしそうに笑った。
「それよりアピス、おまえどうした? 一人か?」
「お兄ちゃんが逃げてっちゃった……」
アピスはそう言ってシュンとなる。
「やれやれ……あいつしょうがないな」
クロコの父はあきれた様子だ。
「でも私は安心よ。あの子達といると、アピス怪我ばかりするから」
「やれやれ……」
クロコの父はかがんでアピスに話しかける。
「アピス、おまえ、あんな危ないことばっかりするお兄ちゃんと遊ばないで、村の女の子と遊べばいいだろ。そうすれば怪我せずにすむぞ」
しかしアピスは首を振る。
「お兄ちゃんたちとがいい……」
「やれやれ、あいつもずいぶん好かれてるな」
「でもわかる気がする。あの子、ああ見えて優しい所あるから。アピスと一緒に遊んでる時も、なんだかんだでアピスのこと気にかけるし……」
「へぇ、あいつそんなトコあるのか。意外だな」
「そういう子よ。あの子は」
そんな会話をしている三人に複数の足音近づく。
三人はそれに気付きその方向を見た。
見ると国軍の青い軍服を着た兵士たち数十人の隊が近づいてくる。
その集団の中の一人が三人の前に立った。その軍人が口を開く。
「失礼、少し尋ねたいことがあるのですが……」
その軍人は年齢三十代前半、整えられた灰色の髪、灰色の瞳をしており、頬は少しこけている。愛想よくニッコリと笑っている。
「なんでしょうか」
クロコの父がその軍人に対応する。あまりいいものを見る目はしていない。
灰色髪の軍人はほほえむ。
「村長宅はどこでしょうか。ちょっとここの村長にお会いしたいのですがね」
「村長宅はそこの道を真っ直ぐ行って、放牧場を右に曲がったところにある。一番でかい屋敷だからすぐ分かるよ」
クロコの父は道を指さしながらサッと道を教えた。
「ありがとうございました」
灰色髪の軍人はまたニッコリと笑い数十人の兵士を引き連れ、クロコの父が教えた道を歩いて行った。
兵士達が立ち去るとクロコの母は心配そうに口を開く。
「なにかしらね。あの人達……」
「おそらく逃げている解放軍兵を追っているんだ。行きに村長宅に怪我をした解放軍兵が運び込まれるのを見た」
「えっ!? 大丈夫なの」
「大丈夫さ、帰りに村長に会ったが、もうその兵士は村を出たらしい」
「そ、そう……」
二人がそんな会話をしている間、アピスは母にピッタリとくっついて離れない。
「もう、どうしたのアピス」
母はそんなアピスに話しかけた。
「怖い……」
「え?」
「さっきの、あのおじさん、怖い……」
アピスの体は震えていた。
一方、国軍の小隊は草原に囲まれた土の道をゆっくりと歩く。
灰色髪の軍人はしきりに鼻をクンクン動かしている。そしてボソッと口を開く。
「臭う、臭いますね。この村は、私の嫌いな家畜と泥の臭いであふれている。私の嫌いな『野蛮』な臭いだ……」