1-19 終わりのさらにそのあとで
グラン・マルキノから大きな炎が上がる。その炎から発せられる大量の赤光は赤い岩壁にはじかれ、辺りを紅く染める。
その中でクロコとスコアは向かい合って立っていた。
クロコの額からは嫌な汗が流れる。顔全体が硬直する。
スコアはその様子を冷静な表情でしばらく見つめるとゆっくりと口を開いた。
「ずいぶんとやられたみたいだね。クロコ」
スコアは静かな口調でクロコの名を呼ぶ。クロコは自分の名を呼ばれて驚く。
「おまえ、なんでオレの名を……」
驚くクロコをスコアは冷静に見つめる。
「なんでだと思う……?」
「…………」
一瞬の沈黙。
スコアは再び口を開く。
「まだ分からないのか」
そう言うとスコアは自分の首に手をやり、何かを外す素振りを見せた。
そして右手に、あるモノを持ち、クロコの方に向けた。
赤い空気の中に銀色の割れた卵型のペンダントが光る。
「……!!」
その瞬間、クロコの脳裏にフランセールでの出来事がよみがえる。
クロコの目が大きく見開かれる。クロコは驚きの感情を隠すことができなかった。
「おまえは、おまえが……スコア・フィードウッド……」
スコアはペンダントを再びかけると、ゆっくりとしゃべりだす。
「これで、お互い意識しての再開ってことになるのかな」
スコアは一瞬視線を落とす。
「まさか、こんな形で……」
スコアの口元がわずかに震える。
「こんな形で再開することになるなんてね」
スコアは悲しみの表情を浮かべる。スコアの深い青色の瞳が鈍く光った。
クロコは何も口にすることが出来なかった。ただ驚き、戸惑い、スコアの方をただぼうぜんと見つめていた。
するとスコアは静かにクロコに背を向ける。
「さよならだ、クロコ。今回は、今回だけはきみを見逃そう。だけど」
スコアはクロコに背を向けたまま冷静の口調でゆっくりと話す。
「だけど次に……もし戦場で出会ったら、その時は……」
口調が強くなる。
「その時は、ボクはきみを斬る」
赤い光の中、クロコはただ呆然とスコアの背中を見つめていた。
スコアはただ前だけを見つめている。
「もう二度と出会わないことを、祈るよ……」
スコアはそう言うと静かにクロコの前から立ち去った。
スコアの姿が視界から消えたあとも、クロコは何も考えられず、ただぼうぜんと立ち尽くしていた。
不意にクロコの意識が急にもうろうとする。
「う……」
クロコはそのまま意識を失い地面に倒れこんだ。
静かだった。暗闇な中、何の音も聞こえない静かな時間がクロコの中で過ぎていった。
静かに、静かに過ぎていった。
暗闇の中、不意にまぶたを上げるとまぶしい光が差し込んだ。
目の前には灰色の壁が見えた。
すると誰かが急に自分の顔をのぞきこむ。
「おっ! やっと起きたか、クロコ」
クレイドがクロコの顔をのぞきながらしゃべりかけてきた。
「………………、そのマヌケづらは……クレイドか」
クロコはぼんやりとした表情でしゃべった。
「…………どうやら元気そうだな」
「……! いって……」
体を起こそうとするクロコ、しかし体中に激痛が走った。
「おい、無理すんなよ! 体じゅう傷だらけで、中にはけっこー深いのもあるんだぞ」
クレイドが起き上がろうとするクロコを止めた。
「くっ……なあクレイド、オレどんぐらい寝てた」
クロコは最初に頭に浮かんだ疑問を投げかけた。
「丸一日ってトコだな……でついでにここはウォーズレイ基地の治療室」
クロコはそれを聞いてまわりを見渡す。
灰色壁の広い細長い部屋。周りにはクロコのいるベッドのほかに、多くのベッドと、それに寝ている兵士が見える。
クロコはそれを確認すると一呼吸置いてクレイドを見る。
「……勝ったのか?」
「ああ、俺達の勝ちだ」
クレイドははっきりとした口調で答えた。
「敵軍はグラン・マルキノを失って、とっとと撤退してった。基地も見てのとおり無事だ。基地の防衛は成功。俺達の勝ちだ」
「そうか」
それを聞いてクロコは安心した。しかし次の瞬間、ハッとする。
「そうだ! それよりフロウのやつはどうなった!? あいつオレのオトリになって……」
クロコは急に声を荒げた。
それに対しクレイドは冷静に口を開く。
「そのフロウにおまえは助けられたんだよ。おまえ、敵陣の真ん中で意識失ってたそうじゃないか……ホント命拾いしたな」
「そうか……そうだったのか」
クロコはそれを聞くとホッとしたように息を吐く。そしてその後、再び身を起こそうとする。
「いって、いつつつ……」
「おいおい、ムリすんなって言ってんだろ」
クレイドの制止を無視してクロコは体を震わせながら立ち上がる。
「寝てらんねーよ。早く顔見せねぇと、あのバカに。ムダに心配性だからなブレッドのやつ」
「……!!」
クロコがそう言った途端、クレイドの顔がこわばる。クロコはそれを見逃さなかった。
「……どうしたんだよ?」
クロコがクレイドの目を見た。
「クロコ……落ち着いて聞けよ……ブレッドは、ブレッドは……」
クレイドはゆっくりとした口調で話しだす。その表情は今までに見せたことのないほど辛そうなものだった。
それを見た途端クロコは何かを感じた。心臓の辺りに今まで感じたことのないほどの重い何かがのしかかるような嫌な感覚に襲われた。
クロコはクレイドが言い終わらない内にいきなり駆けだし、部屋を飛びだす。
「おい!! クロコ!」
叫ぶクレイドを無視しクロコは廊下を一心不乱に走る。左足に巻かれた包帯からわずかに血がにじむが、決して足の力を緩めることはなかった。
クロコは基地の広間に飛び出した。
広間には多くの戦死者の亡骸が並んでいた。400人はいるだろうか。クロコは遠くからその亡骸一つ一つに目を通す。クロコの心臓は鈍く速く鳴っていた。
「……!!」
その多くの亡骸の中の一つにクロコの目が止まった。
それはクロコの良く知っている特徴を持ったものだった。茶色の髪、高めの鼻、少しだけきつい目つき。ボロボロの軍服を身にまとったまま、広げられた布の上で静かに横になっていた。
クロコは無表情でそれを見つめながら、一歩一歩ゆっくりと近づいた。
「……冗談だろ、なに……変なトコで寝てんだ」
クロコはそれの目の前に立った。そしてその顔を見つめた。それはまるで眠ったように静かに目を閉じていた。
「おまえ……なにしてんだよ……」
クロコはゆっくりとしゃがみ込む。そしてそれの顔にそっと手を触れる。
冷たい、固い感触がクロコの手に伝わった。それは静かだが確かな感触……死の感触だった。
クロコの全身が震え始めた。
「ウソだろ…………ウソだ…………ウソだ! ウソだ! ウソだ!」
クロコは思わずそれの胸の上に顔をうずめ、大声で叫んだ。
「ふざけんな、ふざけんなよ!! なにしてやがる!」
目からは大粒の涙があふれ出した。
「オレは約束どおり……帰ってきた……! なのに……なんでおまえが……! なんでだよ!」
クロコはそれに向かって絞り出すように大声で叫んだ。
「なんでだっ!!」
クロコの声が広間全体に響いた。
しかし横になっているそれはクロコの言葉に答えることはなかった。
「クロコ君……」
広間にいたフロウが声に気づいて近づいてきた。それとほぼ同時にクロコを追ってきたクレイドが後ろから近づく。
クレイドがゆっくりと口を開く。
「立派な最期だった。スコアにやられそうだったサキをかばって、あいつは命を懸けて一人でスコアに立ち向かったんだ」
「……う、うう……う……」
クロコはそれの胸に顔をうずめたまま顔を上げない。
「あいつがおまえに言ってたぜ。『すまない』って……それと『もういっしょに進めない、だけど、おまえは決して進むのをやめるな、進み続けろ』って」
「………………ブレッド」
「あいつ、最後の最後までおまえのこと気にかけてた……」
「…………」
クロコは顔をうずめたまま動かなかった。
フロウはその様子を見て、静かに目を閉じる。握った拳がわずかに震えていた。
クロコの目の前にあるそれは、眠るようにそこに横たわっていた。
静かに、ただ静かに……
数時間後、辺りは暗くなっていた。
クロコは独り、基地の外で基地の壁によりかかりながら月を見ていた。。
冷たい風が音を立てながらクロコの体に当たる。
クロコは月をひたすらに見ている。
そんなクロコの前に人影が一つ近づいてきた。
クロコはそれに気づき、その方向にゆっくりと目をやる。
目を向けた方向にはサキが立っていた。
「クロコさん……」
サキはクロコの顔を見つめる。その目はとても弱々しかった。
「………………」
クロコは表情を変えずに黙ってサキの方を見つめていた。
「ごめんなさい……ボクの、ボクのせいで……ブレッドさんが……!」
サキの声は震えていた。
「……ブレッドさんは言ったんです。離れろって、でも、ボクは、気が動転してて……剣を向けて……それで……それで……!」
サキの体全体が震えた。その姿は今にも倒れそうなぐらいに弱々しかった。
クロコはそんなサキの様子を、無表情で静かに見つめている。
「…………」
クロコは壁に寄りかかっていた体を起こすと、黙ってサキの方へと歩きだす。
サキは震える顔が下を向こうとするのに必死で逆らい、なんとかクロコの方を向いていた。目からは涙がこぼれ落ちる。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
クロコはゆっくりとサキに近づく。しかしクロコはサキの前に立とうとせず、スッと横切ろうとする。
その時、クロコはサキの頭をポンッと触る。そして静かに口を開く。
「……あいつは、そんなことでおまえを恨まねぇよ。あいつ、そういうやつだから」
クロコはそう言って、サキを横切り、立ち去っていった。
「……う……うう……」
サキは泣きながら、膝を曲げて地面に崩れた。
月の光が静かにサキを照らしていた。
クロコは夜の道をゆっくりと歩いていた。どこに向かうでもなく、ただひたすらに歩いていた。
そして歩きながら服からなにかを取り出した。
クロコの手には銀の卵型のペンダントの片割れがあった。
「スコア・フィードウッド……」
クロコは誰にも聞こえないくらい静かに、一言そうつぶやいた。
それから数日後、クロコ達はフルスロック基地へと戻ることになった。
クロコは馬車で帰る帰路、ずっと並走している棺の乗った馬車の方を見つめていた。
クロコの真紅の瞳は小さく、そして悲しく光っていた。
クロコの初任務は、クロコにいくつかの戦果と、いくつかの経験と、そして一つの大きな悲しみを与えた。