1-18 紅い世界の中で
赤い岩壁に挟まれた大地に巨大なグラン・マルキノがたたずむ。
グラン・マルキノの扉を背にフロウは十人近くの剣兵達と戦っていた。
体に巻かれた包帯は赤く染まり、息は荒く乱れる。それでも歯を食いしばり、剣兵を相手に小剣を振るう。
ヒュヒュヒュヒュンッ!
フロウの無数の斬撃が剣兵の一人をとらえる。斬られた剣兵は大きな音をたて地面に倒れた。
(これで何人だ……七人目、あと何人残ってる?)
七、八人の剣兵がジリジリとフロウとの間合いをはかる。
三人の剣兵が一斉にフロウに襲いかかる。
「くっ……!」
三人の剣兵から無数の斬撃が放たれる。
ヒュンヒュンヒュンヒュンッ!
フロウはそれを必死にかわす。しかし一瞬フロウの体がふらつく。
ヒュンッ!
剣兵の一人の斬撃がフロウをとらえた。フロウのもう片方の脇腹から血が噴きでる。
「ぐっ……!」
それでもフロウは足に力を入れ踏んばる。そして一人の剣兵に狙いを定め、大きく叫びながら一気に斬りつける。
「うわあーっ!!」
ヒュンッ!
フロウは剣兵を斬り伏せた。残りの二人の剣兵は再び距離をとる。
息を乱し、両脇腹から血を流しながらも、それでもフロウは立っていた。
フロウの瞳の光は弱まることはない。
「まだだ、まだ何も確かめちゃいないんだ。『真実』を確かめるまで、僕はこんな所で、こんな所で死ぬわけにはいかない!!」
「オレは……こんな所で死ぬわけにはいかない」
クロコは突如、口を開いた。木の床には血でできた小さな水たまりができている。
ファウンドはクロコの言葉に反応する。
「なんだと……?」
クロコは膝をつきながらもファウンドを鋭い眼でにらみつける。先ほどまで焦点が合っていなかった眼は再び光を取り戻し、その真紅の瞳は炎のように燃えていた。
「約束したんだよ、必ず生きて帰るって! 命懸けでオレをここまで通したやつがいるんだよ! オレを待っててくれるやつらがいるんだよ! オレが死んだら“悲しむ”って言ってくれたやつがいるんだよ!!」
クロコはわずかに痙攣する体を、歯を食いしばりながら必死で起こす。
しかしファウンドはそのクロコの姿を冷静に見つめる。
「あきらめろ、もう君に勝機は無い」
「うるせぇよ、確かに体はボロボロだ。でも、だからなんだ。それがあきらめる理由になるのかよ!!」
クロコは荒く息をしながら、赤く染まった体で剣を構える。
それを見たファウンドの顔が険しくなる。
(信じ難い精神力だ。これだけの傷、並みの兵士ならばとっくに意識を失っている。それを、精神力だけでつなぎ止めている……)
「分かった、ならば私も全身全霊をもって相手をしよう」
ファウンドはそう言い放つと、初めてクロコをにらむ。そして剣を再び構えた。
クロコも歯を食いしばりながら体を動かし剣を構えた。
互いに剣を構えて再び向き合った。
クロコは乱れる息をゆっくりと整える。そして呼吸と共にゆっくりと頭の中を動かし始める。
(体を全力で動かせるのは……きっと、どんなに多くてもあと一回)
クロコはゆっくりと息をしながら頭を働かせる。
(考えろ……考えるんだ……どうすればやつに勝てる)
クロコは静かに息を吸う。
そしてクロコは再びゆっくりとファウンドをにらんだ。
対するファウンドは、剣を構えてジリッと間合いを詰めてくる。鋭い眼でクロコをにらみつけている。
クロコは最後にゆっくりゆっくり息を吐いた。
(迷うな……恐れるな……オレは、生きるんだ……!)
クロコの真紅の瞳が鋭く光った。
先に動いたのはクロコだった。
ファウンドに向け風のように駆ける。
ファウンドはそのスピードに一瞬驚くが、すぐに動きに合わせ自分も前に出る。クロコの瞳がファウンドの左側に動く。ファウンドはそれに反応するが、クロコは素早くファウンドの右をついた、クロコの左足から血が噴きでる。しかしファウンドの剣はそれにも合わせ右を向いていた。次の瞬間クロコがファウンドの視界から消える。
「……!」
左からクロコが姿を現す。
「ああぁぁぁッ!!」
クロコは力の限り剣を振るう。
キィィン
ファウンドはクロコの斬撃を流した。
「いいフェイントだ。このトシにしてはな」
クロコの体はバランスを崩し傾く。傷だらけのクロコの体はほとんど無抵抗に前へと倒れ込んでいく。その間ファウンドはクロコに向けて容赦無い斬撃を放とうとする。それでもクロコの瞳の光は失われてはいなかった。クロコは最後の力を足に込め、踏んばった。
(生きるんだッ!!)
そしてクロコは、剣を振るうファウンドへ向かって一歩前に出た。
(さらに前に出ただと……だがもう遅い!)
「うああぁぁぁッ!!」
クロコは大きく叫び、ファウンドに向け斬撃を放つ。
ヒュンッ! ヒュンッ!
二つの空気を切り裂く音が響いた。
クロコとファウンド、二人の動きが止まる。
二人は静かに立ち尽くしていた。
一瞬、辺りに静寂が流れた。
「ぐぅう……!」
ファウンドがガクッと膝をつく。
脇腹が深く切り裂かれて赤く染まっていた。大量の血が流れる。
「なぜだ。なぜ私が競り負けた…………」
「……賭けだった」
クロコは崩れたファウンドを見下ろしながら、ゆっくりと言った。それにファウンドも反応する。
「なに……?」
「オレがアンタに受け流された一撃。あれはワザとアンタに受け流されるように放った一撃だ」
「……!」
「オレの体が前に倒されるようにな。懐に入れば、体の小さなオレの方がわずかに早く剣が届く。そして剣速もわずかにオレの方が速い」
「だが……剣を振り始めるタイミングは私の方がはるかに早かった」
「ああ、だから賭けだった」
「いや、それでも、このような策をとった者は君以外にも何人かいた。それでも私より早く剣を振り抜いた者はいなかった……!」
「……それでも、先に振り抜いたのはオレだ。オレには確信があった。あんたより早く振り抜けるっていう確信が」
「なんだと」
「オレは、絶対に死ぬわけにはいかないんだ。オレはオレ自身にそう誓った。だから……」
「…………」
「だから、アンタより絶対に早く振り抜くって、振り抜けるって、そう確信していた」
ファウンドはその言葉を聞いて、静かに笑みを浮かべる。
「フッ、そうか、そういうことか。今まであの状態で、私よりはるかに遅く剣を振り始めたあの状態で、何の恐怖も迷いも無く振り抜いたのは、君が初めてだった……そういうことか」
ファウンドは傷口を手で押さえる。
「確かにあの状態で迷いなく剣を振り抜いた者も、さらに一歩踏みだした者も、いままでに一人としていなかった。君が、初めてだ……」
ファウンドは床に剣を刺し、それに寄り掛かった。
「私の負けだ……とどめを刺せ」
ファウンドは目の前に立つクロコを見上げた。
「…………」
クロコは黙って剣を鞘に納めた。
「アンタはもう戦えない。これ以上アンタを斬る理由は無い」
クロコはスッとファウンドを横切った。そして扉へと向かう。
ファウンドはクロコの姿を目で追いながら声を上げる。
「いま殺さなければ、私は再び君の前に立ち、君の命を奪おうとするかも知れんぞ!」
ファウンドの言葉にクロコは振り向かない。しかしクロコはゆっくりと口を開く。
「……それが、アンタを殺す理由になるのか?」
「……!」
「オレは、ならねぇと思うけどな……」
ファウンドは床に視線を落とす。
「…………君の名前を教えてくれないか」
「クロコ・ブレイリバーだ。オッサンはとっとと逃げな。もうすぐコレは爆発するからな」
クロコは扉を開けて先へと進む。
大部屋で独り、ファウンドは剣にもたれ掛かっていた。そして小さく息を吐く。
「戦場で、このような言葉を聞く……か」
クロコの目の前には再び狭い通路が続いていた。
クロコは傷だらけの体に鞭を打ち通路を進む。
体が思い通りに動いてくれない。それでもクロコは狭い通路を一歩一歩進む。
ゴウンゴウンと鈍い音が響く中、しばらく進むと扉が見えてきた。
クロコはその扉を開けて中に入る。
中は巨大な部屋だった。
そこには巨大な砲身の後ろ姿があった、複雑な構造をした金属の固まりだ。部屋の前方には深い四角の穴があり、外を確認できるようになっていた。木製壁の所々には大型の鎖があり、さらに巨大な金属の歯車、レバー……部屋は金属だらけだった。壁の左右には大きな木窓も付いている。
部屋には四人の兵士がいたが、クロコの姿を見るなり全員が壁の隅に固まり震えあがる。どうやら戦闘員ではないようだ。
クロコはそれを無視して砲弾を探す。
辺りを見回すとソレはすぐに見つかった。
砲身の横にある鋼鉄のボックスに一つ、さらにそのボックスの真下にあるボックスに一つ。
クロコはゆっくりと下方のボックスへと近付いた。
クロコが扉から離れると、兵士達は一目散に扉から逃げていった。
クロコはその様子をチラッと確認したあと、ボックスに乗っかり砲弾の隣に立った。砲弾の直径はクロコの身長よりも高い。
クロコはベルトの小物入れから箱状の時限爆弾をとりだした。
「栓を抜いてから爆発まで、だいたい一分……」
クロコは砲弾のすぐ横に爆弾を置く。栓を抜こうとした手が一瞬ふらつく。手だけではない。体全体がグラグラと揺れていた。
「クソッ、短いんだよ……タコ」
クロコは爆弾の栓を抜いた。
グラン・マルキノの外、フロウは剣を構え戦っていた。体には無数の切り傷を受けていた。
フロウの前で構える剣兵は三人にまで減っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
フロウは息を乱しながらも兵士達との間合いをはかる。
剣兵達は三人にもなるとさすがに慎重になり、なかなかかかってこない。
その時だった。
ドゴオオオォォォンッッ!!!
赤い大地を震わし爆音が辺りに響いた。
フロウも剣兵達も一斉に爆音の響いた方向を見る。
グラン・マルキノの前方の方角から巨大な火柱が上り、大量の黒煙が昇る。
フロウはそれを見てニッと笑う。
「やったんだね、クロコ君……」
グラン・マルキノから離れたある場所、岩壁に挟まれた空間。
そこに第五防衛ラインから一時撤退した国軍が待機していた。
その国軍兵達も黒煙を見つめている。兵士達がザワザワと騒ぐ。
「なんだ、アレは」
「あの方角って、グラン・マルキノ?」
「ってことはまさか……」
スコアが指揮官の方へと駆け寄る。
「様子を見に行く許可をください!」
「だがすぐに次の戦闘が……」
「グラン・マルキノがやられている可能性があります。そうなったらもう、これ以上の戦闘は意味がない!」
「だが……」
スコアは鋭い眼で指揮官を見つめる。指揮官はその眼を見て一瞬ひるむ。
「わ、分かった。だが様子を見たらすぐに戻って報告しろ」
「はっ!!」
スコアは敬礼すると、黒煙の方向に向けて風のように駆けていった。
グラン・マルキノの前方は粉々に砕けていた。その部分からは大きな黒煙が上がり、胴体全体からも、所々のすき間から黒煙が上がっていた。
中にいた兵士達が次から次へと木窓から外へと飛び降りる。
そんな中、グラン・マルキノ内部に自ら留まっている者がいた。
ベイズ・ファウンドが機関室の壁に独りもたれかかっている。
「負けたのか……」
ファウンドは黒煙のもやを見つめていた。
機関室の扉のすき間から濃い黒煙が入ってくる。そして徐々に木製の扉が黒く焦げていく。
ファウンドはそれを冷静な表情で見ながら大きく息を吐いた。
「悪いねクロコ君……私は、こういう生き方しかできないんだよ」
扉が崩れ、部屋に一気に炎が入る。
「最後に、君のような子に出会えて良かった」
ファウンドは最後に少しだけほほえむ。
「寝かせておいたワイン……一口だけでも味わいたかったなぁ」
ファウンドの体は炎の中へと消えていった。
グラン・マルキノの少し前方。
空は黒い煙に包まれ、炎の赤い光に照らされた赤色の岩壁がまぶしいぐらいに辺りを紅く染めていた。
その中にクロコ・ブレイリバーの姿はあった。
「ここは……どこだ」
クロコは下を向きながらフラフラと地面を歩いている。
「グラン・マルキノの前か、当たり前だな……ハハ……」
クロコはグラン・マルキノの砲弾に爆弾を仕掛けたあと、木窓から勢いよく外に飛び出していた。
しかし無数の傷を受けたクロコの意識は、すでにもうろうとしている。
クロコの体から血が滴り落ちる。
うっすらと開いた目は地面を見つめている。
「くそ、目がかすむ……斬られ過ぎた」
そんなクロコの前方から、誰かが地面を踏みしめ近づく足音が聞こえてくる。
その足音はゆっくりゆっくり近づいてくる。
「フロウか……? 悪い、ちょっと肩貸してくれないか……さすがにちょっとヤバい」
クロコはそう言いながら顔を上げた。その瞬間、もうろうとしていたクロコの意識が一気に鮮明になる。
心臓が嫌に大きく鳴る。
スコア・フィードウッドがクロコの前に立っていた。
紅い世界の中で、二人は互いに向かい合っていた。