5-15 一つの終わり、一つの始まり
クロコが目を覚ましたのは、治療室のベッドだった。
「う…………」
少し体を動かすと、激痛が走った。
「いってっ!!」
「クロコさん!」
クロコの視界にサキの顔が飛び込んでくる。
「サキ……」
「良かった……目を覚まして……」
サキは安心したように言った。
「傷のほうは大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えるか?」
「いえ……」
クロコはサキの体を見た。厚い包帯が巻かれている。
「おまえも派手にやられたな」
「はい……ボク、最近全くいいトコ無しで……」
「そんなことねーよ。いいトコがないんじゃない、目立たないんだ」
「………………」
クロコは痛がりながらゆっくり体を起こした。
「ここは……ビルセイルド基地か?」
「はい、いったんここに戻って……準備を整えるみたいです」
サキがそう言った直後だった。
「おっ! 目、覚ましたみたいだな」
部屋にフィンディが入ってきた。一人の女性を連れている。
その女性は年齢十八、九、黒い短めの髪、大きな目、どこか活動的な雰囲気を持っている。クラット基地で出会った支援員のファリス・ルナティークだ。
「フィンディ……。それにファリス、久しぶりだな」
「クロコこそ、久しぶり」
ファリスはクロコの様子を見る。
「ケガ、けっこー大変そうだね」
「ああ、しばらく動けそうにない」
するとフィンディが軽い調子で口を開く。
「大丈夫だよ。数ヶ月前のオレのケガよりは軽い」
「アンタの意見は聞いてないよ」
ファリスがピシッと言った。
「だいたいあのケガより重かったら死んでるし」
クロコはそんな会話をする二人の様子を見ながら口を開く。
「仲直り、したみたいだな」
するとフィンディがすぐに反応する。
「別に仲がいいってわけじゃねーよ。……まぁ、悪くもないが」
「そうそう、昔っからこんな感じだし」
ファリスはケラケラと笑った。
クロコはそんな二人を少し見たあと、うつむいて少しだけ何かを考える様子を見せた。
「どうしました?」
サキが聞くと、クロコはゆっくりと口を開く。
「ウォールズ・ヘルズベイは落ちた……これからオレたちは……」
「……そうですね。ウォールズ・ヘルズベイが落ちた今、首都ゴウドルークスへの道は完全に開けました。解放軍は戦力が集結し次第、首都ゴウドルークスへ進行を開始するでしょう」
「そうか……けど……」
少し不安そうな様子のクロコを見て、フィンディが話しかける。
「どうしたんだ?」
「進行はいつ頃になるんだ? このケガじゃ、下手すりゃあ完治が間に合わないかもしれない」
「それは心配いらねーよ。すべてはおまえに合わせて動くからな」
「どういうことだ?」
フィンディは少し困ったように笑う。
「おまえ、自分がやったことのデカさに気づいてないみたいだな」
ビルセイルド基地の司令室、そこに鋼鉄のヘルムをかぶったファントムと、ランクストン総司令がイスに座りながら話をしていた。
「ミリア・アルドレッドももうすぐ到着するそうです」
ランクストンの言葉に、ファントムはうなずく。
「ああ、あとは戦力の集結、そして……」
「クロコ・ブレイリバーの回復を待つことですか」
「そうだ」
「しかし……いまだに信じられません。確かにクロコは、グレイが押すだけあって高い実力を持った剣士だと思っていました。しかしそれが、あのディアル・ロストブルーを倒すまでになるとは……」
ファントムは静かにうなずく。
「ああ、今やクロコの存在は、解放軍には欠かせないものとなった。『黒の魔将の再来』…………いや、新たなる『黒の魔将』と言うべきか」
ウォールズ・ヘルズベイの陥落、それはシャルルロッド基地にも伝わっていた。
「ウォールズ・ヘルズベイが落ちた……」
基地の食堂、そこのテーブルに座っているスコアは深刻な表情で言った。向かいにはコールが座っている。
「うん、それにあのディアル・ロストブルーも戦死したって……」
「………………」
スコアは思い出していた。このシャルルロッドの一室でロストブルーと話した時のことを。ロストブルーの言った言葉が思い出される。
「私が強さを求めたのは、国を変えたかったからだ。貴族が支配する国で、平民である私にできること、変えられることがあると信じてね」
「あの頃の私は様々起こる世界の変化に翻弄されていた。それ故に世界を変えたいと強く願ってもいた」
スコアは胸が絞め付けられるようだった。
(あそこまで国のことを想っていた人が……。それに妻も娘もいるって言ってた……)
スコアは悲しみと悔しさで、自分の目から涙が出そうになるのを感じた。
「スコア? どうした」
スコアはハッとしてコールを見た。
「う……ううん、なんでもない」
「だけど……これで大変なことになったね」
それを聞き、スコアは真剣な顔つきになった。
「うん、そうだね。いよいよ最後の戦いが始まろうとしてるんだ」
スコアは目を鋭くさせた。
「次は……ボクらの番だ」
基地の廊下、そこでアピスは小さな荷車を引いていた。荷車には食糧がたっぷり載っている。廊下を進んでいると、せわしない様子の軍人数人が横切っていった。
(ウォールズ・ヘルズベイが落ちたって聞いたけど、やっぱりこれからすごいことになるのかな……)
アピスはそんなことを思いながら、ゆっくりと廊下を進み、広間に出た、その時だった。
「募集ー!! 募集です!!」
基地の広間で知らない兵士が大声を張り上げている。
「支援員を募集しています。我らに勝利を呼ぶために、ゴウドルークスまで足を運んでくれる支援員を募集しています!」
「支援員……」
アピスは兵士を見ながら、足を止めた。
シャルルロッドの町、その迷路のように入り組んだ道路の一角では女性たちが集まり噂話をしていた。
「なんだがいま大変らしいわよ」
「ええ……知ってる知ってる。解放軍がものすごい勢いに乗ってねぇ」
「このままじゃ首都が攻め落とされるかもって」
「まさか! グラウド国軍は世界最強の軍隊なのよ。農民の寄せ集めじゃ簡単には倒せないわ」
「でも……もう首都に迫ってるって噂よ。このままだとこの国がひっくり返るかもって」
「この町には国軍の基地があるし、もしそんなことになったら私たち、どうなるんだろう……」
そんな話をしている女性たちの集団に、一人の軍服を着た男が近づいてくる。
「やあ、何の話だい。私も混ぜてくれ」
ラティル大佐が笑顔で近づいてくる。
「あら、ラティル大佐」
「また、こんな所に来て」
女性たちは笑みを浮かべる。
「そうだ! ラティル大佐。いま噂になってる話……」
「ああ、解放軍が首都に迫っているという話だろう? 本当だよ」
「このまま、国がひっくり返ってしまうんですか?」
「さてね……。単純に、我ら国軍が負けるはずない! というのは簡単だが…………そうだな、客観的に判断すると、それでもまだ国軍がずいぶんと有利だろうな。なぜなら国軍にはまだ余力があるからね。それに比べると解放軍は身を削るような戦いの連続だ。けれど……勢いに乗る解放軍が不気味であることは確かかな」
「でも、国軍にはスコア・フィードウッドもいるものね」
「ああ、彼は本当に頼りになる。それよりご婦人方、今度は私の方が聞きたいことがあるんだが……」
「あら、なにかしら?」
「最近、軍内部に不穏な動きがあるらしくてね。こんな時期だ。私に調査の依頼が来てね。ここのご婦人方は、確か夫が、商人をしていて外へ出かけることが多かったと思うのだが、どこかこの町の外で、軍が変な動きを見せていたとか、そうだな……ただ見かけただけでも構ないのだが、そういう目撃情報を聞いた方はいないかね」
それを聞いて女性たちは互いの顔を見合わせる。
「さあ……私は聞かないわね」
「私の主人もそういう話は……」
「私も」
「あ…………私は……」
一人、内気そうな若い女性が小さく手を上げた。
「おや、何かあるのかね」
「あ……やっぱり違いました」
「なんでもいいんだ、聞かせてくれないかい」
「いえ……軍ではなくて、その……大臣で」
「大臣……?」
「夫のことはご存じですか?」
「もちろんだ、金属商人だったね」
「はい、その仕事の途中で、おかしなところで皇務大臣を見たと……」
その言葉を聞き、ラティルはわずかに驚いた。
「皇務大臣……レッテル皇務大臣のことだね。確かなのかな」
「その……夫は仕事の関係で、一度だけ皇務大臣の顔を見たことがあるらしいので……ただ本当かどうか」
「詳しく聞かせてくれないか?」
「あの……その……三カ月前ぐらいに、ある町で、私服を着たレッテル大臣を見かけたそうなんです」
「…………その町の名は?」
「中部の大きな湖のある町で、名前は確か、リヴァブリア」
「リヴァブリア……」
首都ゴウドルークス。立ち並ぶ巨大な純白の建物を見下ろす形でそびえ立つグラウド国軍本部基地、その司令室に、一人の軍人の姿があった。
その軍人は年齢五十代前半、顔は整えられた白い髪とひげで覆われ、丸っこい顔には少したれ気味の小さな目が浮いている。目こそ小さいがそこから放たれる眼光は鋭い。
サーマス・オルズバウロ元帥だ。
オルズバウロ元帥は深刻な表情で窓から街を見下ろしている。
「まさか、ウォールズ・ヘルズベイがたった一日で落ちるとはな……」
後ろに立つ将軍が、不安そうに口を開く。
「戦力の集結を急がせます」
その言葉を聞いて、オルズバルロ元帥はゆっくりとうなずく。
「ああ……それと、東部のゴッドブラン中将にもここに来るよう要請しろ」
「で、ですが、ゴッドブラン中将は、サンストン国境線を守護する役目が……」
「構わん、ここで負ければ全てが終わるのだ。もう四の五の言ってはいられん。グラウド国軍の全戦力を持って、セウスノール解放軍を叩き潰す」
本部基地の廊下、そこを一人の将軍が歩いている。ザベル・ライトシュタインだ。険しい表情をしている。
(まさか国軍がここまで追い詰められるとはな…………ウォールズ・ヘルズベイ……あれは完全な敗北だった)
ライトシュタインは口元を険しくする。
(まさか……あのロストブルーが戦死するとは…………)
ライトシュタインが広間に出た時だった。兵士でごったがえす広間に、不自然に、一人の女性がポツンと立っている。
茶色の髪をした三十代前半の女性だ。
ライトシュタインは気になり、その女性に声をかけた。
「どうしましたか、こんな場所に何か用ですか」
女性は声をかけられ少し驚いてライトシュタインを見た。
「え……その……」
「こんな所にあなたのような女性がいるのはいささか不自然ですね。何か特別な用があるのですか?」
「その…………一つお聞きしたいのですが……」
女性はおそるおそるライトシュタインを見つめた。
「夫の……ウォールズ・ヘルズベイの戦いでの国軍人の戦死者の遺体は、本当にここには来ないのですか?」
「ええ、ウォールズ・ヘルズベイは解放軍に占拠されたのでね。遺体は解放軍が埋葬するでしょう」
「そうですか……」
女性は悲しそうにうつむいた。
「失礼ですがご婦人の夫の名は……?」
「ディアル・ロストブルーと言います」
「……!!」
ライトシュタインは驚いた。今一度しっかりとその女性の姿を見る。
将軍の妻とは思えないほど質素な格好をしていた。
ロストブルー夫人は悲しそうに声を漏らす。
「もし……本当にもし、ここに遺体が届いたのなら、どうしても一目、見ておきたかったのです」
「私は……生前のロストブルー中将と関わりを持っていました」
ロストブルー夫人は驚いた。
「……夫と?」
「ええ……」
ライトシュタインはそう答えたあと、話を続けた。
「彼は……誠実で、真面目で、そして誇り高い軍人でした」
その言葉を聞いたロストブルー夫人の体がわずかに震えた。
ライトシュタインは話を続ける。
「それから……彼は、あなたと娘のことを、自分にはもったいない妻と娘だと。彼女たちには、いつも与えられてばかりいたと……そう言っていました」
その言葉を聞いて、夫人はその場で崩れ落ちた。
「ディアル……」
夫人は震える声を漏らした。
ライトシュタインは落ち着かせるように、ゆっくりと夫人の背中をさすった。
「もし、なにか困るようなことがあれば、そのときは私に連絡をください。ライトシュタイン家があなたの家族の力になります」
夫人はまだ落ち着かない様子で、体を震わせていた。
「違うんです……」
夫人は小さく声を漏らした。
「……?」
「そんなことないんです」
「なにがですか?」
夫人は小さく首を振りながら声を漏らす。
「もったいないなんて……与えられているなんて……そんなことはありません……」
夫人はポロポロと涙を流していた。
「そんなことはないんです、私の方が……彼よりももっと、多くのものを……与えられた……」
その言葉を聞いてライトシュタインは小さく夫人に語りかけた。
「私はあなたたちの関係については何も知らない。けれど一つだけ言えます。あなたのような家族を持って、彼は、まぎれもなく幸せだったでしょう」
ライトシュタインは小さく言った。
「今はただ、祈りましょう」