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オルカーネイション-血塗ラレシ啓示  作者: ミカエラ・マンサニージャ
9/10

リヴァンディアの仮面

レオナルド・アルスター・リヴァンディア男爵。

公には竜人差別撤廃を訴え、その慈愛を装う。

だが裏では人身売買の闇に手を染め、口封じの死を密かに操る。

その微笑こそが、最も恐ろしい仮面である。

ヴィクトル、リューク、リリィの三人は、リヴァンディアの広場へと戻ってきた。朝焼けが街を淡く染める中、広場の中央に佇むアンナの姿が目に入る。彼女は息子ヴィクトルの帰りを待ちわびていた。その表情には安堵と怒りが交錯していた。


「ヴィクトル! 無事だったのね……!」アンナは駆け寄り、彼を強く抱きしめた。その腕の中で、ヴィクトルは一瞬戸惑いながらも、静かに抱擁を受け入れる。


「ごめんなさい、母さん。遅くなってしまって……」ヴィクトルの声には、珍しく弱さが滲んでいた。


アンナは彼の顔を見つめ、深く息を吐いた。「あなたが無事で何よりよ。でも、もう少し自分の身を大切にしてちょうだい」


そのやり取りを少し離れた場所で見ていたリュークとリリィ。リュークは照れくさそうに頭をかき、リリィは微笑みながらもどこか緊張した面持ちで立っていた。


アンナは二人に気づき、ヴィクトルの隣に立つ。「あなたたちは?ヴィクトルのお友達かしら?」



リュークは一歩前に出て、にやりと笑った。

「えっと、リューク・グリュックっす。ヴィクトルとは、まだ出会って一日だけど、なんか気が合うっていうか…悪友って感じっすね。」


リリィは一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。


「リリィ・ハイラーと申します。今日、ヴィクトルさんとリュークさんに助けていただきました。」


アンナは二人に優しく微笑み、感謝の意を込めて頷いた。

「お二人とも、息子を支えてくれてありがとう。あなたたちのような仲間がいてくれて、私は心強いわ。ヴィクトルが無事で帰ってこれたのは、きっとあなたたちのおかげね。」


リュークは肩をすくめた。「いや、俺はただの通りすがりっすよ。運が良かっただけです」


リリィも頷いた。「でも、これからもヴィクトルさんと一緒に行動することになると思います。どうぞ、よろしくお願いします。」


アンナは二人に向かって深く頭を下げた。「こちらこそ、よろしくお願いします。ヴィクトルを、どうか支えてあげてください」


その後、四人は広場の片隅にある小さなカフェに腰を下ろし、温かい飲み物を手に語らい始めた。新たな絆が、静かに結ばれていくのだった。




そして、後日――




警備隊員たちは、悪漢達を臨時詰所に連行した。

臨時詰所を冷たい静寂が支配していた。時間の流れが、何か重く、圧倒的な力に引き寄せられるように、空気そのものが不安定に感じられた。隊員たちはその場に立ち尽くし、足元の床を睨むようにしていた。何も動かない、何も言わない。しばらくの間、全員が言葉を失っていた。その時だ。


突然、一人の悪漢が崩れ落ちた。予期せぬ事態に、隊員たちは一斉にその男に駆け寄る。しかし、視線を向けた瞬間、息を呑むような冷たさに打たれた。彼の目は見開かれ、何かを言いかけたまま固まっている。体は、まるで凍りついたかのように硬直していた。そして、最も不気味だったのは、その表情だ。恐怖や後悔、悔恨の色は一切見当たらず、ただ無表情に、その死を迎えたように見えた。


「こいつ、死んでる…」


冷静さを保とうと必死になりながらも、一人の隊員がその言葉を口にした。その声は、まるで震える葉のように頼りない。それでも、誰もがその死が「ただの事故」や「意外な事態」ではないことを感じ取っていた。

数時間後

詰所には、まだ死の余韻が残っていた。

詰所は静寂――いや、死の重さが、言葉を許さぬままに空気を支配していた。


「……死因は不明。毒物反応も、魔法痕も確認できない。」

監察局魔導鑑定課の若い検死官が、震える声で呟いた。

しかしその声に、誰も応えない。誰もが感じていたのだ。この死に、説明がつかない何かがあることを。


隊長は一歩前に出た。その目には、何か得体の知れない暗いものが宿っていた。隊員たちが慌てて死体を調べ始める中、彼は静かに言った。


「落ち着け。これは…魔法だ。」


隊員たちの反応を予想していたのだろう。言葉の響きが、何か不安な振動となって部屋を揺さぶる。しかし、隊長の表情は変わらない。まるで何かを見透かすように、死体に視線を落としている。


「魔法…ですか…?」と、ひとりが口を開く。その声には疑念と恐れが入り混じっていた。


「おそらくな。」

隊長ベネディクト・アーノルドの声は冷ややかで、無慈悲に響いた。


ベネディクトは静かに死体を見つめたまま、冷徹な口調で続けた。


「 魔法だ。ただし、単なる魔法ではない。……」


彼の言葉が途切れた。その瞬間、隊員たちは一斉に彼を見つめた。息を呑むようにしている者、何かを思い出したように顔をしかめる者。誰もが、この一言に込められた重みを理解し始めていた。


「……隊長?」と、ひとりが恐る恐る問いかけた。


ベネディクトは深い息を吐くと、無表情のまま死体から目を離し、部屋の隅に置かれた机に歩み寄った。少しの間、目を閉じたまま黙っていたが、やがてゆっくりと話し始める。


「これは断命ノデスズ・トールだ。知っているだろう、歴戦の者なら。その名を耳にしたことがあるはずだ。」


隊員たちは無言で彼の言葉を待った。ベネディクトの目は、ますます冷徹な輝きを帯びていた。


ベネディクトは死体に視線を落としたまま、静かな声で問いかけた。


「こいつら、名などを口にしてはいないな?」


若い隊員が少し戸惑いながらも答える。


「はい、確かに。名前は口にしていませんでした。」


ベネディクトはゆっくりと頷いた。その表情は一切の驚きも恐れも見せず、ただ冷徹に死体を見つめている。


「なるほど、名前を出す前に死んだわけだな。」隊長は無表情で続ける。「普通なら、名前を言った瞬間に命が奪われる。しかし、今のこいつは――」


その言葉に、部屋の空気が一瞬止まった。隊員たちは何も言わず、ただその言葉が持つ意味を理解しようと必死に耳を澄ませる。


ベネディクトは再び死体に目を落とし、冷たく続けた。


「本来、『断命ノ鐘』という魔法には時間差などない。名前を口にした瞬間、その命は必ず奪われる。だが、今こいつは、名前を言う前に死んでいる。おそらく...尋問前に名前を漏らしたのだろうが……時間差が生じている、異常事態だ。」


『断命ノ鐘』──その名を口にした者の命を一瞬で奪う魔法である。その特徴は、何の時間差もなく、名を少し口にした時点で、生命が断ち切られること。しかし、今回の死には、何とも奇妙な異変があった。魔法の力が、本来の速度で作用せず、命が断たれるべき瞬間を、意図せずに遅らせてしまったのである。


その者は、決して悪気を持っていたわけではない。名を口にしたのは、偶然のことであった。まるで何の予兆もなく、彼の口からその名が零れ落ちた瞬間、死は訪れるべきだった。しかし、不可解なことに、命の灯はすぐには消えなかった。ほんの一瞬、何かが引き留めているように感じられた。命の刹那が、あたかも迷い込んだように、長い時を漂う。


死は、まるで容赦なくその者を選び取るはずだった。しかし、何かが不協和音を奏で、その者を見逃した。悪意など微塵もなく、ただ無意識のうちに発せられた一言。その言葉が、命を遠ざけたのか、それとも魔法そのものに何らかの歪みが生じたのか。その理由は、誰にもわからなかった。


ただ、ひとつだけ言えることがある。それは、死が、ある種の不条理に満ちた“遅延”を迎えたということ。それを受けた者の運命は、もはや魔法の支配から逃れることはできなかったが、その一瞬の遅れが、彼をより一層、無念な死へと導いたのであった。


ベネディクトはじっと死体を見つめていた。その瞳の奥に一瞬、”疑念”が光った。

この魔法は「名前」が鍵だった。


だが尋問中、誰もレオナルドの名を口にしてはいない。

なのに、死んだ。

ならば、発動条件は、尋問の前に満たされていたことになる。


ベネディクトの脳裏に、冷たい予感が広がっていく。

あの悪漢どもが捕まる過程──

そしてそこにいた、あの少年たち。


もし、あの時──

ヴィクトル・スミスの前で、奴らが“うっかり”名前を漏らしていたとしたら?


「……くそッ」


誰にも聞こえぬよう呟いた。

それは怒りではなく、絶望だった。


もしそうなら、あの少年たちは“レオナルド”という名を知っている。男爵の魔法が発動し、証人が消され、そして残されたのは……「名前を知る少年達」。


つまり──

今この瞬間、最も危険なのは、彼らなのだ。



「聞け。ここから先は、貴様らが口を挟むべき話ではない。

警察への報告? 不要だ。……忘れろ。命が惜しければな」

ベネディクトは隊員たちに向かって静かに言った。「『断命ノ鐘』に関して、我々は多くの人々が知らないことを知っている。だが、今回の死は一過性の事故だ。偶発的な魔法の誤作動だと思って、我々の間で処理しておく。」


隊員たちは互いに顔を見合わせるが、ベネディクトの威圧的な態度と、その冷徹さに言葉を失っていた。


「だから、誰にもこのことを話すな。」


ベネディクトの声は低く、重く、そして決定的だった。鋭利な刃のような眼差しが場の空気を切り裂くように走り、隊員たちの背筋を一様に凍らせる。


「今回の件を外に漏らす者がいれば、我々も厳しく対応する。」


その言葉に宿っていたのは、命令以上のもの。脅しでも、忠告でもない。それは、恐怖に支配された者の叫びに近かった。


──ベネディクトは知っている。

いや、知りすぎているのだ。

レオナルド・アルスター・リヴァンディア男爵の背後で進められている、あの忌まわしい奴隷取引の実態を。

そして、自分自身がそれに加担してきたという事実も。


もし、それ名前を聴いたであろう...

あのガキ共に嗅ぎつけられたら?

あの目に見られた瞬間、すべてを見透かされる気がするのだ。あの少年の眼差しは、正義などという軽い言葉では片づけられない、“裁き”のような冷たさを孕んでいる。


自分たちの“世界”を壊す存在。

だからこそ、怖い。

だからこそ、憎い。


それでも、今は演じなければならない。冷静な隊長を。忠義に厚い部下を。仮面の裏で胸の内を切り刻まれながらも、彼は冷たく命令を下す。


隊員たちは、ただうなずくしかない。逆らえばどうなるかを、皆よく知っているからだ。


──だが、その静寂の中。ひとりの若き隊員が、ふと気づいた。

ベネディクトの目に、わずかに揺れる焦りの色が浮かんでいたことに。


それは、秘密を抱える者だけが持つ、不安定な光だった。



ベネディクトは言葉を飲み込み、無言で部屋を出た。

その背中には、怒りとも恐怖ともつかぬ、重く沈んだ感情が絡みついていた。

何もかもが、彼を追い詰めている──ヴィクトルの関与、それがもたらす未来の不安、そして何より、レオナルド男爵の存在その者が彼を押し潰しつつあった。


階段を降りる途中、彼の視界はかすかに揺れていた。心の中で、何度も繰り返される想像。

もし、あの悪漢たちの死が、レオナルド男爵の名と結びつくようなことになれば──それは“終わり”だ。

奴隷売買の痕跡、女衒の証拠、そして何より“関与”という事実。それが明るみに出れば、男爵の名誉は地に墜ち、リヴァンディアは混乱に陥る。


そしてその引き金になり得るのが、あのガキ──

ヴィクトル・スミス。


“平民の勇者”アーサーの息子。

王が認め、帝王が讃えた、“触れてはならぬ血”。


ベネディクトは奥歯を噛み締めた。


「……殺せない。だが、黙らせねば。」


それはもう、選択ではなかった。

すでに用意された道を、ただ進むだけの話だ。


──


ベネディクトはレオナルド・アルスター・リヴァンディア男爵のもとへと足を運んだ。館の中は静寂に包まれ、淡い光が重く漂うような雰囲気が漂っていた。ベネディクトは、その空気に少し身構えながらも、しっかりとした足取りで奥の部屋に向かう。


ベネディクトは、魔法塗布エンチャント・コーティングされたマホガニー材の重厚な扉の前で一度立ち止まった。


指先で制服の襟を整え、軽く息を整える。廊下には静寂が満ち、遠くからは古時計の鈍い音だけが時を刻んでいた。


彼は節度をもって、二度だけ扉をノックする。


「──お入り。」


低く、よく通る声が中から返る。


ベネディクトは一礼し、取っ手を静かに回して扉を開いた。


そこは、まるで“権威”そのものを形にしたかのような空間だった。


室内はマホガニーの家具で統一され、深紅の絨毯が床を覆っている。壁にはロココ調の金装飾が施された額縁や燭台が並び、チューダー様式の高窓から射し込む午後の陽光が、薄く揺れるカーテンに優雅な影を落としていた。


ベネディクトは、絨毯の上を音を立てぬように歩き、中央の椅子に座る男に向かって頭を垂れる。


「失礼いたします、閣下。」


レオナルド・アルスター・リヴァンディア男爵──彼の背後には、ロココ調の金細工がほどこされた暖炉。壁には、彼の血筋を讃える騎士の肖像画が並んでいた。

その威厳を纏った存在は、緋色の肘掛け椅子に腰掛け、片手に琥珀色の酒をたたえたグラスを持ちながら、じっとこちらを見つめていた。


「報告を。」


その一言に、ベネディクトは静かにうなずき、口を開く。


「──処理は完了しました。ただ……問題が、一つ。」


男爵の眉がわずかに動く。


「“発動”しました、例の魔法。件の悪漢どもが、名を漏らした可能性があります。」


「……なぜだ。」


「理由はわかりませんが彼らの知能レベルを考えるに、“俺たちに手を出してみろ、レオナルド様が黙ってないぞ”と言ったのではないかと。」


男爵が眉間に皺を寄せ、沈黙が落ちる。


「誰に。」


「──誰に、までは不明です。ですが……推測するに、ヴィクトル・スミス一行かと。尋問中には名を出していない。にもかかわらず発動が確認されたとなれば──拘束前、あるいはその直後。あの少年たちが最初に接触したと報告を受けております。加えて、彼らはリリィ・ハイラーの誘拐に失敗しました。」


ベネディクトの声は静かだったが、その低音には微かな緊張が宿っていた。事実を口にすることが、どれほどの重さを持つかを理解していた。目の前の男が誰かを、彼はよく知っている。


レオナルド・アルスター・リヴァンディア男爵。


権力の中枢にありながら、その内側は誰にも読めぬ深い闇でできている男。


「……ほう。」


その短い吐息のような返答に、ベネディクトは眉ひとつ動かさず、次の言葉を待った。だが、レオナルドはしばらく沈黙したままだった。執務室には、古い時計の秒針だけが、不気味なまでに規則正しく時を刻んでいる



「我が名を、平民の少年に向かって口走り、加えてリリィの誘拐にも失敗したと...」


その一言には、驚きも怒りもなかった。ただ、静かな嗤いだけが、かすかに漏れた。


「見ろ、ベネディクト。」

男爵はゆっくりと立ち上がる。後ろのマホガニーの机には、整然と並べられた羽根ペンと封蝋入りの書簡。

その足音が絨毯を踏むたび、空気は一層冷たくなる。


「これが“知性なき暴力”の結末だ。脅しに、脅しを重ね、自ら引き金を引く。私の名は“鍵”なのだよ、ベネディクト。

扉を開けたのは奴ら自身。そこに踏み込んできたのが誰であれ──もう遅い。」


男爵の眼が細められる。その瞳は、まるで未来の焼け野原を見据えているようだった。


「……では、計画を。」


「続行だ。むしろ好機かもしれん。

“彼”が動くなら、こちらも舞台を整えよう。リヴァンディアは今、静かすぎる。

少しばかり……音を立ててやろうじゃないか。」






本編では、仮面の下に渦巻く権力の闇と、ひとつの名前が生み出す死の残酷さを描きました。

レオナルド男爵の微笑が最も恐ろしい刃となり、ヴィクトルたちの運命に小さな亀裂を刻んだはずです。

しかし、そのような巨悪を倒し勧善懲悪してこそヴィクトルです。

ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。引き続き物語をお楽しみいただければ幸いです。

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