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オルカーネイション-血塗ラレシ啓示  作者: ミカエラ・マンサニージャ
7/10

路地裏で会いましょう

リヴァンディアの賑やかな市場。焼き鳥の香りが街を包み、普段通りの一日が静かに流れていた。その日、ヴィクトルはいつものように母アンナと一緒に買い物に出かけ、偶然立ち寄った焼き鳥屋で一串の焼き鳥を手にした。


店主のレタルは、どこか不思議な雰囲気を持っている青年だ。陽気で優しい笑顔を見せながらも、その目には深い何かを隠しているようにも感じられた。ヴィクトルには、その理由を知る由もなかったが、今はただの焼き鳥屋の店主だと気にも留めない。


焼き鳥屋の店主が、ヴィクトルの運命にどれほど大きな影響を与えることになるのか。その時が来るまで、ヴィクトルは気づくことはない。


その日の午後、街の隅で聞こえた悲鳴。それが、ヴィクトルの人生に何かを引き起こす予兆であることを、誰もまだ知らない。


喫茶店リーベ・クレメの朝は、いつもと変わらず、パンの焼ける香りと、コーヒー豆の深く香ばしい匂いに包まれていた。

ただし、アーサーにとっては、いつもと違う朝だった。


カウンターの隅でアーサーは肩をすくめ、俯いている。

目の前にはまだ湯気の立つ朝食と、“沈黙”という名のプレッシャーが横たわっていた。


ヴィクトルはすでに許されたらしく、トーストを頬張りながら上機嫌に笑っていた。


「ねえ母さん、今日は街に行くの?」


「ええ。お店の仕入れもあるし、あなたも来なさい。外の空気を吸ってきなさいな。」


「ええ。お店の仕入れもあるし、あなたもついてきなさいな。外の空気を吸ってきなさい」


 そう微笑むのは、アンナ・スミス――《リーベ・クレメ》リヴァンディアに隣接する竜人自治区店のオーナーにして、この家の女王。

光を受けて青黒く艶めく髪が、肩先でふわりと揺れる。柔らかな内巻きに整えられたその髪は、品と清潔感をまとっていて、街でもひときわ目を引く存在だ。

 母としての温かさと、オーナーとしての気品が共存するその佇まいは、街でも一目置かれる存在だ。


アーサーは小声で言った。

「僕も行こうかな……」


「留守番、よろしくね?」


「……はい。」


うなだれる父を背に、アンナとヴィクトルは午前の陽光に包まれたリヴァンディアへと足を踏み出した。

  



 リヴァンディア南区。煉瓦造りの街並みに抱かれるように広がる青空市場は、朝の柔らかな光に包まれていた。

 鉄骨のアーチが編まれたアーケードには春曇りの陽が差し、石畳の上には果物の甘い香りと香辛料の刺激、そして人々のざわめきが心地よく渦を巻いている。


「アンナさん、今日は...帝都方面の鉄道が点検でしてね。トマトの到着が遅れてるんですよ」


「まぁ……そういう時期もあるわね。じゃあ、代わりに……」

 アンナはそっと屈んで、並んだ野菜に指先を添える。

 選んだのは艶やかなズッキーニ。表面を軽くなぞって確かめたあと、小さく微笑んだ。


「これくらいの艶のものを三本、いただこうかしら。新メニューの煮込み料理にちょうど良いわ。」


 その物腰には、やわらかくも確かな眼差しがあった。

 周囲の目に触れないところで、そっと腰に手を添えて立つ姿すら、品があった。

 濃い青を帯びた黒髪は、後ろでふんわりとまとめられ、額を優しく包む前髪が揺れる。

 その姿はどこか――慈しみに満ちた肖像画のようだった。


 黒のエプロンドレスは上質な仕立てで、彼女の気品と実務家としての顔を自然に繋いでいる。

 商人たちはその微笑と沈黙の行間にすら、値札以上の圧力を感じ取っていた。


 そんな彼女の隣には、肘までシャツをまくった少年が一人。

 クロスを手首に巻き、両手に買い物袋を抱えながら、軽く口を尖らせていた。

 

「……にしてもズッキーニって、そんな万能素材かね。地味だし、主役は張れない野菜だ。僕的には正直、微妙な評価なんだけど。」


「ふふ。素材の評価は、料理次第よ、ヴィクトル」


アンナは続けて、ズッキーニの良さについて語りながら、手にしたその野菜を眺めていた。

「さっきも言ったけど、次の新メニューに使ってみるつもりなのよ。誰でも簡単に作れるけれど、少し手を加えるだけで深い味わいが楽しめるわ。」


ヴィクトルはその話に頷きながら、改めてズッキーニに興味を持つ。


「ま、確かに料理を食べてみないとわからないよね。」

アンナは微笑んで答えた。

「さあ、それでは次のお店に行きましょうか。新しいアイデアが思いつくかもしれないわよ」



 言葉を返すアンナの声には、かすかな笑みと、母としての包容がにじんでいた。

 店主と補佐というより、まるで長年の相棒のような――けれど、その間に流れる空気は確かに、親子だった。



ヴィクトルは朝の買い物が終わると、母親のアンナに「広場で少し待っていてほしい」と言われて、ひとりで時間を潰すことになった。市場で仕入れを終えたアンナが、他の店を回る予定だったため、ヴィクトルにはその間に広場でゆっくりしているようにと言われたのだ。

「ヴィク、いつも早起きして頑張っているんだから少し外の空気を吸ってきなさい。」その言葉に、ヴィクトルは頷いて広場に出た。


広場には屋台や商店が並び、何やら楽しげな賑わいを見せていた。ヴィクトルも心の中で「ああ、気分転換になるな」と思いながら、歩きながらその場の空気を楽しんでいた。しかし、心のどこかで「また無駄な時間を過ごしてしまうのかな?」という不安が浮かぶ。だが、そうした時こそ、自分の感覚を研ぎ澄ませるチャンスでもあると思っていた。

ヴィクトルはあたりを見回しながら、ふと「今日も平穏無事だな」と感じ、安心した。


安心したヴィクトルは、お腹が空いたことに気づき、近くの焼き鳥屋の前で足を止めた。屋台の鉄板の上で、香ばしい焼き鳥がジュージューと音を立てて焼かれている。その匂いに誘われるように、ヴィクトルは足を踏み入れた。


「いらっしゃい、いらっしゃい!」と、屋台の店主が元気よく声をかけてきた。


店主は若干の渋みと共に爽やかな笑顔を浮かべた青年で、目元には鋭さと親しみやすさを兼ね備えている。 およその年齢は20後半から30代ぐらいといったところだろうか。


「焼き鳥、一本からでもどうぞ。ちょっと甘めのタレが自慢なんだ。」店主は自信ありげに言った。


ヴィクトルは少し考え、焼き鳥の香りに引き寄せられるように、三本を頼んだ。「じゃあ、三本お願いします。」


店主は鉄串を手際よく動かしながら、「...君は……ここに住んでるのか?」と気さくに声をかけた。


ヴィクトルは少し驚きながら、「はい、一応そうです。」


店主は軽く笑いながら、「ああ、そうか。私はレタルって言うんだ。今はここ、リヴァンディア南区の広場の焼き鳥屋をやってる。最近新しく開店したばかりだから、顔を覚えておいてくれ。」と、手を差し出した。


ヴィクトルは少し戸惑いながらもその手を握り、「ヴィクトルです。よろしくお願いします。」と素直に答える。


レタルはにっこりと笑いながら、焼き鳥を手渡した。「さて、この焼き鳥はかなり自信があるから、ぜひ味わってみてくれ。風魔法を活かして焼いたのさ。」


ヴィクトルはレタルの手から焼き鳥を受け取り、串を一つ引き抜いてかぶりついた。タレの甘さがしっかりと染み込み、肉のジューシーさが口の中に広がった。その味に満足した顔を見せながら、ヴィクトルは頷いた。


「うん、美味しい。これは確かにいい味だね。言葉には表せないほど"色々"な味がする。」


レタルは満足げにうなずきながら、「ありがとう、ヴィクトル。自分でも試行錯誤して作ったんだ。"これから"もよろしく頼むよ。」と声をかける。


その言葉にヴィクトルは軽く頷き、「また、きます。」と言ってから、焼き鳥を持って広場へと歩き始めた。




 焼き鳥を片手に、ヴィクトルは広場の噴水の縁に腰を下ろした。串から肉を抜き取りながら、賑やかな人混みをぼんやりと眺める。親子連れ、旅の商人、吟遊詩人の奏でる音楽。平和な昼下がりの光景がそこにあった。


 ――が、その平和は、すぐに破られる。


 「……やだ、離して! 誰かっ!」


 かすかに、路地裏の方から悲鳴が聞こえた。ヴィクトルの表情が一変する。


「……!」


 焼き鳥を慌てて口に詰め込むと、串を持ったまま立ち上がり、声のした方へ駆け出す。路地裏の入り口で足を止め、身を低くして慎重に覗き込むと――


そこには、三人の男たちに囲まれた少女がいた。


 一人が彼女の腕をつかみ、もう一人が背後を塞ぐように立ちはだかっている。

 少女は年の頃、ヴィクトルとそう変わらない。薄汚れた外套をまとっているが、傷だらけの膝と泥にまみれた靴が、その境遇を物語っていた。


(やばい……囲まれてる。あれは……連れ去ろうとしてる……!)


 心臓が高鳴る。足がすくみそうになる。

 でも、迷ってる時間なんてなかった。


「やめろよっ!」


 思わず声が出た。反射的に、串を投げつける――一本は男の手に当たり、少女の腕がわずかに自由になる。


「……なんだァ? クソガキ……!」


 男の一人がヴィクトルを睨みつけ、舌打ちしてにじり寄ってくる。


(正面からじゃダメだ。なら……)


 地面の石を拾ってポケットに突っ込む。視線をずらし、足元の距離を測る――「小外掛け」を狙える角度へ。


 ――その瞬間。


「おいおい、そこのおっさんども! キメェ顔してなにしてんの?」


 路地裏の反対側。

 まるで計ったかのようなタイミングで、金髪の少年が声を張り上げながら現れた。

 癖のある髪をフードから覗かせ、片手をポケットに突っ込んだまま、挑発的に笑っている。


「は? てめぇ誰だ……」


「ラッキーボーイ、ってことにしといて?」


 そう言うなり、少年――名も知らぬその男は、まっすぐ一人に飛びかかった。

 拳が一閃。受け身すら取れず、男が地面に崩れる。


 ヴィクトルも走り出す。


(今しかない!)


 間合いを一気に詰め、小外掛けを狙って膝裏へつま先を引っ掛ける。バランスを崩した男が横に倒れ、少女の腕を離した。


 路地裏の空気が、一気に変わった。





読んでいただき、ありがとうございました。

物語が進むにつれ、登場人物たちが抱える秘密や運命が少しずつ明らかになっていく様子を描いていきます。ヴィクトルが思いもよらない出来事に巻き込まれ、そして新たな仲間と出会う中で彼の成長がどう描かれていくのか。まだ明かされていない部分が多い中、キャラクターたちの成長が物語の中で重要な役割を果たしていきます。まだまだ続く物語、これからの展開をどうぞお楽しみに。次回も引き続き、ヴィクトルとその仲間たちがどんな運命に導かれていくのか、お付き合い頂ければ幸いです。

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