英雄の教え
これは一家の、可笑しくも愛しい日常の一幕である。
森の中で、ヴィクトルは木剣を手に取った。
もう3年が経ち、剣の訓練もだいぶ慣れたものだ。
初めて父のアーサーに教わった時は、剣の重さにすぐに疲れたけれど、今では力強く振り下ろせるようになった。
「今日は、少し違う訓練をするぞ」
アーサーが言った。
「え?違う訓練?」
ヴィクトルは目を輝かせた。
何だかワクワクして、心が跳ねるような感じがした。
「そうだ。魔力と魂気の使い方だ」
ヴィクトルは目を大きく開き、首をかしげて言った。「魔力?魂気?それって、おいしいお菓子みたいなもの?」
アーサーは一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに優しく笑いながら説明を始めた。
「簡単に説明すると、ヴィクトルの体と心の中にある力だ。魔力は、体内のエネルギーを使うものだが、魂気は、感情や精神の力が源になるんだ。」
ヴィクトルは腕を組み、しばらく黙っていたが、やがて「感情の力?」
「怒ったり、泣いたり、喜んだりすれば強くなる?」
と、まだピンとこない様子で言った。
「そうだ。怒り、喜び、悲しみ、恐れ…そうした感情が、魂気を引き出す力になる。」アーサーは木剣を構え、静かに続けた。「例えば、怒りを感じると、力が湧いてきて強くなることがある。だが、その力をうまく制御しないと、暴走してしまうこともある。」
ヴィクトルは木剣をぎゅっと握りしめて、真剣な顔をした。
「うーん、怒ると強くなるのか。だけど、泣くのって、どうやって強くなるの?」
アーサーはにっこりと笑いながら言った。「泣くことで強くなるんじゃなくて、悲しみを乗り越えることで力が出るんだ。どんな感情でも、うまく使うことが大事だぞ。」
ヴィクトルは少し黙って考え込み、それからふわっと笑顔を浮かべて、「じゃあ、僕、上手く怒って強くなるよ!」と宣言した。
アーサーは優しく微笑みながら、「そうだな、でも暴れすぎるなよ?あと今日は魂気を纏う練習からだ。」と言った。
ヴィクトルはちょっと悔しそうに、「わかってるよ!」と答え、木剣を握り直した。
「それでこそだ。」アーサーは優しく頷き、構えを直した。「では、始めよう。」
ヴィクトルは父の言葉を胸に、木剣を高く構えた。心を落ち着け、魂気を引き出そうと必死で集中する。
だが、心の中でその力を呼び起こすのは簡単なことではなかった。先程の感情の波が今度は静かになり、代わりに冷静な決意と集中だけが心に残っていた。
アーサーが穏やかな声で言った。「ヴィクトル。感情の波に流されるな。魂気はお前の心の力だ。それを制御することで、お前の戦い方が変わる。」
ヴィクトルはうなずき、足元をしっかりと固めた。父の目の前で一歩を踏み出す。その瞬間、心の中で力が湧き上がるのを感じた。
「来い!」アーサーが木剣を構え、攻撃を仕掛けてきた。
思考ではなく心で父の意図が手に取るように理解できた。
体が自然と反応し、木剣を高く振りかざし、父の剣を受け止めた。
その瞬間、木剣から微かなひび割れ音とともに、まるでエネルギーが込められたかのような「バチッ!」という音が響く。
木剣が衝突するたびに、まるで木が震えるかのように力が溢れ、ヴィクトルの腕に感じる振動も一段と強くなった。
「いいぞ、ヴィクトル!魂気をしっかり感じろ。力を込めれば、木剣もただの木じゃなくなる。」アーサーの声が響く。
ヴィクトルはその言葉を胸に、木剣に再び魂気を集中させる。すると、次第に木剣から感じる熱さと共に、さらなる力強さが湧き上がった。
ヴィクトルは木剣を握り直し、再び父に向かって構えを取った。心を静め、魂気をより一層強く感じ取ろうと集中する。父の剣が次にどこから来るのか、予測を立てる。
「集中しろ、ヴィクトル。魂気を使いこなせれば、相手の動きに合わせて反応できるようになる。」アーサーの声が冷静に響く。
その言葉通り、ヴィクトルは周囲の空気の流れを感じ、父の動きを予測する力を少しずつ高めていった。そして、アーサーの木剣が一気に振り下ろされる。
ヴィクトルはその刹那、体が反応するのを感じた。魂気が全身を駆け巡り、木剣に乗り移る。それと同時に、力強く木剣を前に突き出した。衝撃音が「バシッ!」と響く。木剣同士がぶつかり合った瞬間、魂気が相手の力を弾き返すように、ふわりと空中に揺れた。
ヴィクトルはその感覚に驚いた。まるで木剣が生きているかのように、魂気が剣を通して自分と一体化したかのように感じた。
「すごい…!」と、思わず声が漏れる。
アーサーは微笑んだ。「よくやったな、ヴィクトル。これが魂気の力だ。今度は、その力をどう使うかを考えるんだ。」
ヴィクトルは父の言葉を胸に刻みながら、木剣を再度構える。
「次は魔力の話だが、予定変更だ。
魂気の感覚を確実に覚えてからにしよう。」
アーサーは優しく言った。
ヴィクトルは頷きながら、もう一度心を落ち着け、魂気の使い方に集中していった。
⸻
翌日、アーサーとヴィクトルは再び森に足を運んだ。
「今日は魔力の使い方を教えるぞ。」アーサーが言った。
「魔力って、魂気とは違うんだっけ?」とヴィクトルが少し首をかしげて尋ねた。
アーサーは微笑みながら頷く。「魂気は感情や精神から来る力だが、魔力は体内のエネルギーを使う力だ。感情に左右されず、意識的に扱うことができる。」
ヴィクトルはうなずきながら言う。「なるほど、感情に左右されないってことなんだぁ。じゃあ、魔力はどうやって使うの?」
アーサーは地面に小さな石を置くと、ゆっくりとその手をかざした。次の瞬間、彼の手のひらから淡く青白い光が生まれ、石の周囲にふわりとした風が舞った。
「魔力ってのはな、体に流れてるエネルギーだ。自分の内側から湧いてくる…そんな感じ、分かるか?だがそのままでは何も起きない。魔法という
“式”に流し込んで初めて、力として形になる。
いわば、魔力は薪。魔法はその薪をくべて火を起こす炉だ。薪だけでは暖は取れないが、炉にくべれば家中を温めるられるだろ?。」
ヴィクトルは木の枝で地面に円を描きながら言った。
「うーん……じゃあ、魔力が“電気”で、魔法は“電気を変換して通す道”みたいなもんだね。間違った道に流したら、動かないか、爆発するかぁ。」
アーサーは思わず笑みを漏らした。
「よく気づいたな。まさにその通りだ。形が整えば、魔法は正しく働く。だが魔力や式が乱れれば、力は暴走する。」
ヴィクトルは「ふぅん…」と少し考え込んでから、口元を引き結び、小さくうなずいた。
「つまらないか?難しいか?...魔法を使えば火を起こせるぞ。」
アーサーは艶やかな火を使い、試しに山を焼いてみた。
ヴィクトルはぱっと顔を明るくして、「うわぁ、なんか…かっこいい!じゃあ、ぼくも今の火とか出せる?」
少しワクワクしすぎて、両手をぶんぶん振りながらぴょんと跳ねた。
アーサーは思わず笑い、「焦るな。まずは“形”を学ばねばならん。」
そう言って、そっとヴィクトルの頭を撫でた。
ヴィクトルはくすぐったそうに笑いながら、「じゃあ、早くその“かたち”ってやつ、教えて!」と目を輝かせた。
アーサーはその様子に小さく笑みを浮かべ、懐から古びた紙を一枚取り出した。そこには幾何学的な模様と、どこか旋律を感じさせる文字列が描かれている。
「これが、“かたち”の一つ。魔法陣だ。」
「わっ…ぐるぐるしてて、ちょっとカッコイイ!」
ヴィクトルは紙に顔を近づけて、じっと見つめる。
アーサーは軽く頷きながら続けた。「魔法には、“かたち”と呼ばれる発動の形式がある。たとえばこの魔法陣。魔力を流すことで効果を引き出す。ほかにも詠唱呪文や、舞、祈り、あるいは刻印を使う方法などもある。」
「そんなにいっぱいあるの!?」
ヴィクトルは目を丸くして驚いた。
「それぞれに特徴がある。詠唱は時間がかかるが、威力や安定性が高い。逆に詠唱を省略する“詠唱破棄”や、短縮する技法もあるが、威力は落ちるし、精密さも失われる。詠唱破棄はさっき父さんがやったやつだ。」
「じゃあ、詠唱破棄って、すっごくカッコよさそうだけど、ちょっと危ないんだね。」
「そうだな。“魔法”ってのは、使い方を間違えれば、自分も傷つく。『一得一失』って言葉があるが、魔法でも同じ。早く撃つなら代償がある。速さと力、そのどちらを選ぶかは状況次第だ。」
ヴィクトルは頬をぽりぽりかきながら、「うーん…それって、短距離走かマラソンか...みたいなもの?」と真剣な顔で考える。
アーサーは目を細めて微笑んだ。「いい喩えだ。ヴィクトルは頭が回るな。」
「えへへ、へへっ…」
褒められて、ヴィクトルは照れくさそうに笑いながら顔をそらす。
「じゃあ今日は、この簡単な魔法陣に魔力を流す練習から始める。集中して、手のひらから力を流してみろ。」
「わかった! やってみる!」
ヴィクトルは目をキラキラさせながら、魔法陣の中心に手をかざす。そして、深く息を吸って、そっと吐いた。
彼の小さな手の中に、かすかに青白い光が灯る。ほんのわずか、だが確かに“魔力”が流れていた。
「おお……これ、僕の中にあったんだ……!」
ヴィクトルは感動したように手を見つめた。
その光景を見つめながら、アーサーはふと眉をひそめた。
魔力の揺らぎに、ほんのわずか…針の先ほどの“違和感”があった。
(……何だ、今の感覚。ほんの一瞬、鋭く冷たいような…)
だが、次の瞬間にはそれも消えていた。アーサーは首を横に振ると、小さく息を吐いた。
「そうだ。それがお前の“力”だ。ゆっくりでいい、しっかり感じていけ。」
微笑みながらそう言ったものの、胸の奥に微かな棘のような感触が残った。
──その時、木々が爆ぜ、空が赤く染まる。
アーサー:「……あれ?さっきの火が消えてないだと⁈あと、ちょっと燃えすぎてないか?」
ヴィクトル:「えっ、えっ、嘘でしょ!?分かっててやったんじゃ?」
アーサー:「いや、違う。これは……予想以上だ。全然消えてくれない....。」
ヴィクトル:「父さん、ここ山だよ!?山が!燃えてるよ!?」
アーサー:「落ち着け、ヴィクトル。火は……自然様の力で……消えることも……ある。」
ヴィクトル:「人災を他力本願で解決しようとしないで!?」
(バキィッ!と木が倒れる音)
アーサー:「しまった、風向きが変わった……!逃げるぞ!」
ヴィクトル:「え、止めるんじゃなくて逃げるの!?英雄の教育的にそれアリなの!?」
アーサー:「いや、これは教育の一環だ。まず、“起こした火をどう誤魔化すか”を教えよう。」
ヴィクトル:「間違った魔法教育の見本市じゃん……!」
その時、何かが突如として空気を切り裂く音が響いた。
――ウィーン、と鈍い音。
アーサーはふっと肩をすくめ、ヴィクトルの顔を見た。
「ほら、見ろ。今、風が強くなっただろ?」
「風!?」ヴィクトルは驚愕し、火事のほうに目を戻す。
「でも、あれってただの風じゃないよ!あれ、まさか……!」
(山の向こうから誰かの怒号が響く)
???:「アーサーァァ!!またあんた、火ぃつけたでしょおおお!!!」
アーサー:「……ヴィクトル、いいか。今から言うセリフを暗記しろ。」
ヴィクトル:「なに?」
アーサー:「“違うよ母さん。ごめん。全部、オレがやった。”」
ヴィクトル:「ちょっと待て、親としての矜持どこいったァ!?」
(炎よりも恐ろしい妻の怒りが、今、炎を越えて迫る──)
⸻
回想
(山から煙が立ち上り、風に乗って焦げた木々の匂いが街に届く。喫茶店のテラスに立つアンナが、カップを片手に黙って空を見上げる)
アンナ:「……ふうん。」
(その瞳は冷静に、しかし確実に怒気を孕んでいた)
アンナ:「あの燃え方、あの雑な収束の仕方……」
(パチンと指を鳴らす)
アンナ:「アーサーがやったわね。」
(そのままカップをテーブルに置き、無言でエプロンを脱ぎ始める)
店員A:「あ、あの、アンナさん、どこか──」
アンナ:「山だわ。」
店員A:「山……?」
アンナ:「あの男が訓練中に何かやらかした。ついでに息子を巻き添えにしてる可能性がある。」
(背後から雷鳴のような重圧が立ち昇り、喫茶店のカップがわずかに震える)
アンナ:「許さないわよ……」
(そして、火よりも速く、怒りが喫茶店から飛び立った──)
⸻
英雄の教育とは何か。
正しい知識を教えることか。
責任を持つ姿を見せることか。
それとも、炎に追われながら土下座のシミュレーションを学ぶことか。
……たぶん全部だ。
でも一つだけ言えるのは、
「怒れる妻の前では、英雄もまた小さな男に戻る」ってことだろう。