こっつんフォーエバー①
「ジーナ! ジーナどこにいる? まだ王宮にいるなら、返事をしてくれー!」
壁一枚を隔てた向こうで、エリオットの声がする。
あたしは貴賓室一人、じっと座っていた。しばらくするとドタドタという足音が近づいてきて、直後に扉が開かれた。あたしの顔を見るなりエリオットは顔をほころばせる。
「ジーナ! ここに居たのか。やっと見つけたぞ」
「……エリオット様」
「ジュリアンといなくなってから、ずっと帰ってこなかったから、もう村へ戻ってしまったのかと……良かった」
満面の笑顔で言うエリオットの後ろには、隣国の姫君が立っていた。
「ほんと。こんなところで独り、どうなさったのかしらねえ」
クスクス笑いながら、エリオットの肩にそっと手を掛ける。
リーゼロッテ姫は美しかった。エリオットの横に並ぶと、ワンセットで作ったかのよう。
あたしが何も返事をしないでいると、エリオットは首を傾げた。
「ジーナ、どうかしたのか。腹でも痛いのか」
「あらまあ、それは大変。王都の水が合わなかったのかしら。いつもは大自然の中で暮らしている方ですものね」
……うちの村は確かに片田舎だけど、大自然って言うほど山奥じゃないんだけど。
エリオットは彼女の悪意のある姿勢に全く気づかなかったらしい。あたしの前に片膝をつき、心配そうに顔を覗き込んできた。
「本当にどうしたんだジーナ。寝室を用意しようか、医者を呼ぶか?」
「お構いなく。どこも全く、痛くもかゆくもありませんので」
あたしはそれだけ言い捨てて立ち上がった。
廊下に飛び出し、走る。すぐにエリオットが追いかけてきた。
広い王宮を追いかけっこして、いくつかの角を曲がったところで捕まった。あたしの手首をぎゅっと掴んで、エリオットは眉を顰めている。
「待ってくれ、ジーナ。どうしてそんな、逃げるように走るんだ」
「村へ帰ります。離してください」
「どうして? 体調が悪くないなら、もっと王宮でくつろぐと良い。私の部屋で楽しい話をしよう」
わたしは叫んだ。
「お楽しみなら、お姫様とどうぞ!」
「姫と?」
エリオットはきょとんとした。心の底から、素朴な疑問という声音で。
「姫といて、楽しいことは何もないぞ。私はずっと、ジーナの話ばかりしていた。それでも会話が盛り上がらなくて、そろそろ困っていたところだ。お茶会の席にジーナもいてくれたら本当に嬉しい」
あたしは何も言わずにエリオットの手を振り払った。
あたしが塩対応するのはいつものことだけど、何か違う雰囲気を感じ取ったらしい。エリオットは凛々しい眉を寄せて真剣な顔であたしの肩を強く掴んだ。
「ジーナ、どうした?」
「どうしたもこうしたも……無いって」
あたしは苦い顔で吐き捨てた。エリオットは不安そうな顔になる。
「でもジーナ、何か怒ってる?」
「怒ってなんかいないわ。ただ呆れてるだけよ、自分のバカさ加減に!」
そう口にして、あたしは初めて自分の気持ちを自覚した。そう――あたしは呆れたのだ。エリオットにではなく、自分自身に。
さんざん「好きだ」とか「顔が好みだ」とか言われて、花祭りで花束をもらって一緒に踊って、身分差とか結婚とかは難しくても、少なくともエリオットからの気持ちは本物だって、あたしは王子様に好かれてるって、そんな風にちょっと調子に乗ってた。嬉しいとか思ってしまってた。バカだ。
呆れて笑ったつもりだったのに、なぜかじわっと目から涙がこぼれだした。慌てて拭ったけれど、エリオットには目撃されてしまったらしい。彼は真剣な顔であたしの両肩を掴んで、顔を覗き込んだ。
「何があった?教えてくれ」
「何も。ただ思い知ったの。あなたがあたしの顔が好きだっていう、その理由……」
「ジーナの顔が好きな理由……?」
「そう。はじめはね、あなたのお母さんがあたしに似てるんじゃないかって、そんな風にも思った。それを確認したら、このマザコンやろうってひっぱたいてやろうかと思ってたけど、あれと比べればマザコンの方がどれだけマシだったか」
「あれって?」
あくまでとぼけるエリオット。あたしはきっと強い視線で王子を見上げた。
「もう分かってるのよ、あたし。あなたはあたしの顔を見て、あれに似てると思ってたのね。ずっとあたしのこと、あれっぽいって思ってたんだ」
「だからあれって何……」
エリオットは困惑しながらも、なにか悟ったらしい。ハッと目を見開くと、アタシの顔を覗き込み、強い口調で問い詰めてきた。
「もしかしてジーナ、肖像画を見たのか?……幼い頃の私が、コツメカワウソのこっつんを愛でているところを!」
あたしは無言で頷いた。その子の名前までは知らなかったけどね。
ていうかなんだよ、コツメカワウソのこっつんって、ネーミングセンス最悪だな。名付け親は反省しろ。変な名前つけられた子の生涯を慮れ。っていうか今すぐ自分も同じ名前に改名して最低3年名乗り続けろ。それで生きづらくなかった場合に限り、人に名付けてオーケーという法律を作るべき。
そう――ジュリアンに案内されて行った倉庫の肖像画には、10歳ぐらいのエリオットと、ペットが写っていた。エリオットがカワウソと言ったから、カワウソという動物なのだろう。初めて見る動物だった。
可愛いか否かで言えば、客観的に、可愛い生き物だった。
つるんと丸い顔に黒目がちのつぶらな瞳、小さくて低い鼻と、そのすぐ下にある小さな口。ふくらみもへこみも無いのっぺりとした胴体……。ジュリアンは何も言わなかったけれども、あたし自身が一目で理解してしまった。
そしてあたしは今、みっともないくらいに泣いている。
「あたしはカワウソの代わりだったのね!」
あたしは叫んだ。自分の言葉に自分自身がショックを受けて、涙がボロボロと溢れ出す。あたしは顔を覆ってわーっと泣き出した。
「あたしのこと、妃にしたいだなんて嘘ばっかり。本当はペットにしたかったんでしょ? 寿命で死んでしまったカワウソの代わりに、モフモフしようとしてただけなんでしょ!」
「違う!」
エリオットは叫んだ。
「コツメカワウソの毛は、そんなにモフモフできない! なぜなら水棲の動物だからだ! 確かに乾いている状態ならば空気をため込む構造になっていて平方インチあたり100万本もの毛が生えておりかつ二重構造のため綿毛のようなモフモフがビッシリでフワッフワで最高だが、うちではプールで過ごしてもらっていたから大体いつもびっちょびちょで、モフれる機会はごくわずかだった! それになにより君には毛が生えてない」
「前半の長文要らなかったわよね!? やっぱりカワウソが大好きなんじゃないの。あたしよりカワウソと暮らしたいんでしょ!?」
「違う! こっつんは、こっつんはコツメカワウソだ! 一般的にカワウソと言われる動物は何種類も居て、たとえばオオカワウソとコツメカワウソだと全然別の生き物になる。コツメカワウソは体長50cm前後で人間の新生児程度だが、オオカワウソはその名の通りカワウソの仲間では最も大きな種で体長140㎝、体重は30kgを超えるものもいてちょっとしたわんぱくガキ大将くらいに大きい! そのぶん気性も荒く大食漢で、魚だけでなく獣を襲って食べることもある。なんと小型のワニを捕食した事例もあるんだ、顔立ちだってハッキリ言って可愛くない! 私が愛したこっつんはコツメカワウソだ! オオカワウソのことは、むしろ怖いとしか思っていないんだ!」
「カワウソ属の話を掘り下げなくていいのよ!!」
あたしは絶叫した。
「肝心なのは、あたしがとんでもない勘違い女だったって言うこと! あんたがあたしのことを可愛いっていうのは、人間として、女としてじゃなくて、動物として見てたっていうことっ! ああもう本当に恥ずかしい、バカみたい。今すぐ消えてなくなりたいわ……!」
あたしは叫ぶだけ叫ぶと、ふっと力が抜けてしまった。崩れ落ちるように膝をつく。
「……自分が美人じゃないなんて、分かってた。今まで地味顔だとか、花がないとかブスだとか……顔も胸も平らだとか散々言われてきたもの。でも、今になって思えばそれだってちゃんと人間扱いされてる。あたしは……コツメカワウソなんかじゃない……あたしの主食は麦……魚は、どちらかというと嫌いだもの……」
「ジーナ……。コツメカワウソは魚だけじゃなく、植物も食べるぞ」
「だからコツメカワウソの生態を掘り下げなくてもいいって言ってるでしょうが!!」
ああ駄目だ、もう叫びすぎて、頭がくらくらしてきた。
あたしは床に座り込んだまま、自力では立てなくなってしまった。へたりこんでいたのを、エリオットに抱き起こされる。彼に抱きしめられて、あたしは泣いた。エリオットに失望し、その慰めにエリオットの胸を借りて、わーわー泣いた。
エリオットはあたしの頭を優しく撫で、背中を叩いて、ゆっくりと慰めてくれていた。
ひとしきり泣いて、泣いて……ずいぶん時間が経ってから。エリオットは、あたしに囁いた。
「ジーナ、君に見せたいものがある」
「……何。こっつんの別アングルとかなら要らないわよ。鏡をみればいいんだから」
「違う。とにかく来てくれ」
エリオットはあたしの手を引いて歩き出した。あたしはすすり泣きながら、エリオットの手を引かれるまま廊下を進んで行った。
途中、隣国の姫君とすれ違った。彼女は「何よぉ」と頬を膨らませていたが、あたしもエリオットも彼女の方を見なかった。広い王宮の廊下を進み、階段を上り最奥へと進んでいく。
エリオット王太子の私室は、王宮の奥まったところにあった。立派な扉と大きな部屋。もちろん、普通の民間人が入れるような場所ではない。そんなところにエリオットは手をつないで、あたしを連れ込んで行った。
「ジーナ、着いたよ。私の部屋だ。目を開けて」
「うん……っと。何?」
あたしは涙でびしょびしょになった目をぱちぱちとさせながら、なんとか開けた。分かりやすく、『王子様の部屋』だった。豪華な調度品、広い部屋、よく片付いていて美しく整った家具。特に変わったところはないと思うけど、あたしをこの部屋に連れてきて、見せたいものとは一体……?
「これを見てくれ」
エリオットはデスクの引き出しを開け、そこから何か取り出した。それは小さな肖像画で――あたしは息を呑んだ。描かれていたのは5歳くらいのエリオット――と、丸い顔につぶらな目をした、ふっくら可愛いネズミ類!
「ハツカネズミのつかやんだ」
……ハツカネズミのつかやん。
また名前のことが気になったけど、とりあえず何も言わないでおく。
「こっつんより前に飼っていて、やはり寿命で亡くなってしまったが、心から愛していた。彼だけじゃない、他にもいる」
そう言ってエリオットは次々とデスクから小さな肖像画やロケットを取り出していった。コツメカワウソも入っていたが、他にもネズミ、イタチ、フェレット、ビーバー、ヌートリア……だいたいそういう系統の顔の動物たちがズラリと大集合している……!!
「あ、あの……これは……?」
「これでわかってもらえただろうか。私が君をこっつんの身代わりになどしていないということが」
えっと……つまり、その……どういうことだ?
「順番が逆なのだよ。私はかつて愛したペットの顔を好きになったのではない。もともとこういう顔が好きなんだ。可愛くて愛おしい。だから、そういう生き物を愛でた」
……えっと……。
「でも――その、結局のところ、あたしも動物と同一視されていたということになるのでは?」
「なぜそうなる?」
エリオットは本気で、意味が分からないという顔をした。
「何度も言っているだろう、最初から君は私の理想の顔をしている。最高に可愛いと思う顔だから、ペットを選ぶ時にもそうなるし、女性を選んでもそうなる。君のことはきちんと人間に見えている――だから、あえていうなら、人間以外の動物も人間と同一視しているということになる……かもしれん。そんな感じはしないのだが」
「というか、それはそれで酷い、変態ですね」
「……。否定したいが、君を動物扱いしていると誤解されるくらいなら、獣姦嗜好があると思われた方がマシだな」
マシなのか? それでいいのか王太子っ!?
……しかし……あたしは王子の言葉で少しずつ、考え方を改め始めていた。
確かに……好きな動物と恋人に共通点があったからって、同一視していると考えるのは、ずいぶんと乱暴な偏見だった。
エリオットの他にもそういう人は普通にいるだろう。猫が好きで、猫のような目をした女の子を可愛く思い、そして結婚までした男を知っている。その男の、妻への愛はニセモノだったのだろうか。妻は不幸になっただろうか。
涙がひいてくると同時に、あたしは冷静になっていく。そう――冷静になれば、分かること。
何であたし、こんなに大騒ぎをしてしまったのだろう……。
「…………そう、ですよね……。なんか、ごめんなさい……」
まだ残っていた涙を雑に拭って――あたしは今更ながら、ぼんっと赤面した。
あ、あたし……何を泣いてるの!? 大体なんでこんなに混乱した!?




