想いの理由③
「ジーナ、一度正門に戻れ。本来、市民が王宮に入るにはそれなりの手続きが要る。おまえ署名すらしなかっただろう」
……え……そんなこと、前来た時には言われなかったけど。
エリオットを振り向いたけど、彼も不思議そうな顔をしていた。ジュリアンの言うことは正しいが、形骸的なもので、王族本人が招いた賓客にまで適用することは無いのだろう。
あたしが動かずにいると、ジュリアンはチッと舌打ちし、怖い顔で顎をしゃくった。
「我が国にとって最高の賓客であらせられる、リーゼロッテ王女殿下の客室に滞在するのだぞ。せめて正しい手順を踏むくらいの礼儀は持て。兄上もですよ」
そう言われると、確かに。
エリオットも、困った顔をしながらも黙る。リーゼロッテは、なぜか焦った口調で引き留めてきた。
「だ、大丈夫ですわよ、わたくしのことならお気遣いなく。わたくしがジーナさんを誘ったのだから」
「すぐに戻ります。それまで兄上と共におくつろぎください」
きっぱり言い切り、ジュリアンは勝手に歩き出した。あたしは黙って彼の後ろについていく。
なんとなく違和感は続くけど、まあジュリアンってこういう真面目なやつではあった。
姫君とのお茶会も、それにどう考えても和やかなで楽しい時間にはならないだろうしね。
むしろ助かったかも……。
そんなことを考えながら、しばらく歩いて、ふと気づく。
あれ? このルート、城門に戻る方向とは逆じゃないか?
スタスタと速足で進むジュリアン。あたしは駆け足でジュリアンに近付いた。
「ねえジュリアン、もしかしてあなた、あたしのこと助けてくれたの?」
囁いてみたが、返事は無かった。それが回答だろう。あたしはニヤーッと笑った。
ああやっぱりそうだったか。あのお姫様、明らかにあたしになにかイヤガラセしてきそうだったもんね。
あたしがニヤニヤしてると、ジュリアンは仏頂面で呟いた。
「おまえに希死願望があるなら今すぐ姫のもとに送るが?」
「やめてちょうだい。あたし、この前あんたに部屋に引きずり込まれたのも結構怖かったんだからね」
チクリと言ってやると、それなりに痛いところを突かれたらしい。ジュリアンは「う」と呻いて、少しだけ歩みを遅くした。
あの件についても、ジュリアンはもう反省して二度とやらないと信じているけれど、全面的に許したって言うわけじゃない。
ジュリアンは敵ではないが、友達になったわけじゃないのだ。兄との仲を反対しているのは今でも変わらないだろうし……。
「……僕や姫が、例外的に意地悪だなんて思わないでくれよ」
ジュリアンは歩きながら前髪をクシャリと握りつぶして、吐き捨てた。
「王侯貴族に限らず、兄という『王太子』を知る者ならば誰もがおまえの輿入れに反対する。たとえ合法で、表立って反対はできずともだ。今日のようにちくちくつつかれるくらいは日常茶飯事になると思え」
「…………。いや、別にあたし、エリオットと付き合ってるとかじゃないんだけど……」
「だったらきちんと拒否しろ。兄上の前に二度と姿を現すな」
そう言われてしまうと、むっとして、意地になる。
あたしは肩をすくめた。
「何度も断ったわよ。それでもしつこく誘ってくるのは王子。あたしだって自分が王子様と釣り合ってるなんて思っちゃいないわ。こんな顔が好みだって、まったく変な趣味よね――」
ジュリアンはぴたりと足を止めた。
背後のあたしを、視線だけで振り返って。
「……『なぜ』か、考えたことはあるか」
「…………え?」
「おまえのような顔が好み――兄の言葉は真実だろう。だが、なぜ兄上は『そんな顔』を好むようになったのか。なにかキッカケがあったんじゃないか――そんなことを考えたことは無かったのか」
今度はあたしの足が止まった。
驚いたからじゃない。あたしも……そのことは、考えたことがあったから。
一番最初に、エリオットが好意を伝えてくれた、その時からずっと不思議だった。
王子様があたしを好き――それを信じるならば、納得できるだけの理由が必要だった。美しく完璧な王子様が、地味ブス村娘のあたしに固執する理由――真っ先に考えたのは1つの仮説。
思い出の初恋相手が、こういう顔だったんじゃないか――と。
もちろん、推理を裏付けるための情報なんかは手に入らなかったけど、かなり納得感のある推理だと思う。まだ人の美醜が判断つかない幼少期、優しくされた乳母や家庭教師あたりだろうか。
あるいは……身内。今は亡き、エリオットの実母……とか。
マリエラ・シューバッハについては、学校で少しだけ勉強した。十六歳で国王に嫁ぎ、エリオットを生んだ三年後、病で急死している。享年わずか二十歳、今のあたしとさほど変わらない年齢だ。
甘えたい盛りの年に亡くなった母親。もしも亡き王妃様が、このあたしと同じ地味顔だったとしたら?
エリオットは母の面影をあたしの中に見出して、それを恋と勘違いしているのではないか――と。
黙り込んだあたしに、ジュリアンは囁いた。驚くほど優しい声音で、残酷な言葉を。
「ついてこい。見せてやるよ。兄上が、おまえの前に愛した者を」
王宮の深部。
「ここだ。入れ」
ジュリアンに導かれたのは、何か倉庫のような場所だった。薄暗い室内に大きな棚がひしめいており、そこには大小様々なものが並べられている。ジュリアンが明かりをつけると、それらはすべてキラキラと光り輝いて見えた。
「ここ、もしかして宝物庫?」
あたしが問うと、ジュリアンは頷いた。明かりに照らされた棚に置いてあったものはすべて芸術品だった。壺やら装飾剣やら儀式に使うようなオーブもある。金銀財宝というよりは、王宮にとって大切なものを保管する倉庫という感じだ。
「足元に気をつけろ」とジュリアンは言い、奥へと進み始めた。
「王家の肖像画は一番奥の方に保管されている。途中で棚にぶつかって、国宝を壊したりするなよ」
肖像画、やはりそうか。あたしはうつむいた。もはや確認するまでもなく確信している。あたしはジュリアンについて行き、王家の肖像画がたくさん保管された倉庫の奥までたどり着いて、ずらりと並ぶ油絵の中、「マリエラ王妃」というラベルのついた絵画の前で立ち止まった。
この人がエリオットのお母さん……あたしと同じ地味な顔をした――。
「――って、めちゃめちゃ美人やないかいっ!」
あたしは思わず絶叫した。
その肖像画に描かれていたのは、まさに絶世の美女だった。ふっくらとした色白で可愛らしい顔立ちに、愛くるしいバラ色のほっぺ。ぱっちりした丸い目には嫉妬するほど長く豊かなまつげが生えている。プラチナの金髪はもしかするとカツラかもしれないが、そんな髪型にもゴージャスなドレスにも負けない美貌と豊満な体つき。貴族の肖像画は多少の美化をされることを差し引いても、絶対に間違いない。マリエラ・シューバッハ王妃は、あたしとは似ても似つかないゴージャス巨乳美人だ。
あたしの反応にジュリアンは首をかしげた。
「当たり前だろう、あの兄上の実母だぞ。美人でないわけがない。不細工の遺伝子など1ミリも入ってるわけがなかろうが」
「ああ……そうね……言われてみればその通りだわ……。ちきしょう3分前の自分を殴りたい」
「なんだ、お前もしかして兄上の母親に自分が似ているんじゃないかと思ったのか? そんなわけないだろバーカ」
……ぐうの音も出ません。どうぞお好きなだけ罵ってください。
ジュリアンは心底呆れたように腰に手を当てて、笑いもせず鼻から息を吹いた。
「マリエラ王妃に限らず、王族は皆、美男美女揃いなんだ」
「……そうね」
ジュリアンの、中性的な横顔を眺めながらあたしは頷いた。
「我が国では、政略結婚に積極的ではない。ある程度の家柄や教養は当たり前に求めるが、婚姻によって力を強めたり牽制をする国政は執っていない。むしろお互いに強い好意をもってこそ、良き夫婦、良き国政へと繋がっていくという考え方だ」
「確かに……あのアステリアも見た目は良かったし、さっき見かけたお姫様も大層綺麗な人だったわね」
「そう、アステリア嬢も、爵位よりその容姿を見込んで推薦された。夫婦仲うんぬんだけではない、国民だってやはり見目麗しい当主を好む。武力や権力だけで民を従えられる時代ではなくなった――ゆえに、外見の麗しさ、カリスマ性は、王族には必要な能力なんだ」
「それで、王族みんな美形揃いに……」
あたしの言葉に、ジュリアンはシリアスな顔で頷いた。それから目を伏せ、独り言のようにつぶやく。
「……美しい女を娶るのが王族の義務……だから。そうでなければ、僕だって別に……おまえが嫌いというわけじゃないんだ」
ジュリアンが「あっちだ」と言いながらカンテラを持ち上げる。マリエラ王妃の絵画から3枚分、奥の方に、その絵があった。
ほこりの積もり具合から見て、結構古い絵のようだ。15年から20年くらいはあっていそう。中心には金髪の少年の姿が描かれている。
「こ、これは……!」
あたしは目を見開いた。少年の腕に抱かれていたのは……。
ジュリアンが顔をそむけて、苦々しい言葉を言う。
「これでわかっただろう。兄のいうおまえへの愛は、偽りのものであるということを……!」
あたしはがっくりと膝をついた。




