想いの理由②
王宮の長い長い廊下を、ジュリアンの後をついて歩いて行く。その時、ちょうど聞き覚えのある声が耳に届いた。回廊からほんの少し人影が見える程度の距離。ガゼボの方から笑い声が聞こえてくる。
「まあ、エリオット様ったら、おかしいの!」
鈴を転がすような明るい笑い声。
「冗談ではないよリリィ。それが私の本当の気持ちだ」
「もう、またまた冗談ばっかり。うふふ、おかしいわ。わたくしエリオット様がこんなにひょうきんなお方だなんて知りませんでした。もっと楽しいお話を聞かせていただけますこと?」
「もちろん、いくらでも」
エリオットの楽しそうな声がする。となると、その正面に座っている女性が……。
遠目だけれども、二人の姿が見て取れる。
美しいお姫様だった。豊かな黒髪を結い上げて、全体的には小柄だが、広く開いた胸元からは深い谷間が見える。
エリオットがどんな楽しい話をしたのか知らないけれど、とにかく姫君の機嫌はすこぶる上機嫌。そしてその正面に座るエリオットも、あたしが見たことないぐらい明るい笑顔で。
……なんだ、大変な接待だとか言ってたけれども、結構楽しそうじゃないか……。
なんとなく、その場で足を止めたあたし。そんなあたしをジュリアンは怪訝そうに見ながら、自分だけで二人に歩み寄っていった。
「お話し中失礼いたします。兄上、リーゼロッテ様。ジーナ・モビールを連れてまいりました」
「――ジーナ!?」
真っ先に大きな声を上げ、立ち上がったのはエリオットだった。本気で驚いたらしい、目を丸くしてあたしを見つめ、
「おお、本当にジーナじゃないか。どうしたのだ? まさか本当に遊びに来てくれたのか。どうして先に連絡してくれなかったんだ? 迎えの馬車をよこしたのに」
「……あ……いえ。遊びに来たわけじゃなくて――」
そこにいるお姫様に呼ばれて、と続けようとした瞬間、凛とした声で遮られた。
「お客様ですか、エリオット様」
……お姫様だ。
間近で見ると、ますます美しい。エリオットの横に並んで立ち、口元を扇子で隠しながら、あたしを見て目を細める。あたしが何も返事をしないでいると、エリオットの袖をつまんでチョイと引いた。
「もしかして公爵令嬢のアステリア様かしら。あなたの婚約者の」
「いや彼女は……というか、アステリアとの婚約は破棄したのだが。言ってなかったかな」
「ああ、そう言えばそうおうかがいしておりましたわね。ではどちらのご令嬢で?」
麗しい微笑みを浮かべた、姫君の目元が笑っていない。
……この女……あたしのこと呼びつけた張本人のくせに、何言ってんの?
あたしはにっこり笑った。
「御冗談を、リーゼロッテ・テラ・ミス・エリンティア・サンタマリア・ゴート様。あんな田舎の村までわざわざ直筆のお手紙をくださり、ありがとうございました。ご招待いただきまして光栄です」
「招待?」
エリオットが眉を顰める。
姫の顔が引きつった。その表情が、『チクりやがったな』とあたしを糾弾する。いやなんでチクられないと思ったのか、そっちのほうが疑問だっての。
さてはあたしが平民だから、王族の前では何も言えなくなるとでも思ったか。そうはいかないんだよ、ばーかばーか。
姫は扇子で顔を半分以上隠しながら、ちょっと震える声で言う。
「あ……あら、あらあらまあまあ、なんのことかしら。ごめんくださいまし、覚えがございません。何かの間違いか、従者が悪戯で投函してしまったのかもしれませんわね」
なんと、そう来たか。
どう考えてもおかしな言い訳だけども、それでも追及はできないのが身分差というものである。
黙ってしまったあたしを、エリオットは不思議そうに見つめてから、姫へと向き直った。
「ではリリィ、ジーナとは二人は初対面、ということです?」
頷く姫。あたしもしぶしぶ頷いた。
「そうか。では、私から紹介をしよう。ジーナ、こちらはリーゼロッテ。手紙に書いた、隣国の第一王女だ。今はこの国に留学に来られている」
エリオットに紹介されて、彼女は優雅にスカートを広げた。
「初めましてジーナさん。ご紹介にあずかりました、リーゼロッテでございます。ごく親しいお方にはプリンセス・リリィと呼ばれることもありますわ」
……ごく親しい方、ねえ。
「リリィ、こちらはジーナ。ほら、君のことを話していいかと尋ねた手紙、あれの宛先がこのジーナだ。リリィもどんな女性なのかと気にしていただろう?」
「ああ、あの。木綿問屋の村娘」
姫君はそう言って、目を細めた。
「エリオット様が婚約者と間違えたことをきっかけに、最近、手紙で、やりとりをしているという」
「そう、この頃はよく返事もくれるようになった。私はこの頃、日記のように手紙を送っている。その代わりにジーナの近況を返してくれるのが、なによりの楽しみなんだ」
「……そうでしたの。確かに、市民の生活は刺激的で興味深いですものね。ジーナさん、見るからにお詳しそうですし」
…………なるほど。
なんで姫があたしを呼びつけたのか、大体わかってきたわ。
リーゼロッテはあたしに向き直ると、にっこり笑った。
「エリオット様を楽しませてくださり、どうもありがとう、ペンフレンドの村娘さん。エリオット様の幼馴染として、あなたに感謝を申し上げます」
……。
あたしも、にっこり笑った。
「あぁらそんな、王女様からお礼を言っていただくようなことではございません。あたしもエリオットも、自分の意思で、ただ楽しく、仲良くしているだけですから」
ピキッ――リーゼロッテのこめかみに、細い血管が浮かび上がったのが見えた。それでも「あらまあうふふふ」と笑っていたけれど。
向かい合って、ニコニコ笑っている女二人。エリオットはなんとなく不穏なものは感じ取りつつ、背景を知らない以上、どう振舞えばいいか測りかねているらしい。エリオットが黙っている間に、リーゼロッテが先に動いた。立ち上がり、あたしの前でスカートを広げて、
「では村娘さん、良かったらこれから、わたくしの部屋にいらっしゃらない? 二人でお茶にしましょう」
「えっ、ふ、二人きりで、ですか?」
「はい。エリオット様の前では話せない、女同士の話を」
「…………」
「我が国から持ち込んだ、珍しいお菓子もございますの。さあ、どうぞ」
ニコニコと笑っているリーゼロッテ……黙ったままのあたしの横で、エリオットが頬を膨らませる。
「ずるい。私だってジーナとお茶がしたい。三人一緒じゃダメなのか」
「今日だけはご遠慮なさって、エリオット様」
笑顔のままキッパリはっきり言う姫君。これは……誰も断れないな……。
……仕方ない……か。
――と。
「お待ちくださいリーゼロッテ様」
遮ったのは、ジュリアンだった。あたしと姫の間に割り込んで。




