44 仮説通りだとしても
最初に石田が意見を言った。
「となると、四と五は解決じゃないでしょうか。三千代は刺された後、一、二、三を実施したけど、なんらかの要因で容体が急変して死亡した。俺は、しゃがんでダイイングメッセージを書き終えて立ちあがろうとした拍子に、血管が切れたかなんかだと思いますが――。とにかく、動けなくなる直前に、119番通報をしようとして子機を手に取ったが間に合わなかった。そこで倒れた。ダイイングメッセーを書き終えて死亡した訳ではないため、遺体の向きは謎ではなくなりますね」
「そうだな。四と五はだいたい、そんなところだろう」
堤も認めた。
「じゃあ順番でいうと、ええと、刺されて、一、二、三の後に、子機を持って死亡ですよね。だとすれば、一、二、三、五、四の順ですね」
立川は、クイズでも解くかのような言い方をする。
「まあ、心理的に、何かをするとしたら、窓とドアを閉めてからじゃないですかね。だから、一と二は最初で合ってるんじゃないですか」
石田がもっともな意見を言った。
「いいだろう。そういう流れで考えてみよう。三千代は刺されたことに驚いた。だが、あまり痛みを感じていない。犯人が侵入した痕跡を消し、正子への恨み言を書いた」
堤の説明に、三人が頷く。
「だが何故だ? 三千代は何を考えてそんなことをした? 佐藤を助けるためじゃないだろう」
反射が早いのは立川だ。
「刺されて大変な状態だけど、それよりも血で汚したことをラスボス正子に叱られるのが怖かったから、ひとまず掃除しておこう、とか?」
「『とか?』じゃねえ!」
石田が立川を小突いた。立川は「えへへへ」と頭をかいて彼なりに謝っている。
「ダイイングメッセージはどうだ? 誰に向けて書いた? 誰に見せるために?」
堤が三人の顔を順に見る。石田が推理を披露した。
「やっぱり、正子じゃないでしょうか。もちろん一夫としずかの二人にも、でしょうけど。あの日、三千代が自分の部屋に上がる前、三人と一緒にいたんですから、刺された自分を助けるのは、あの三人だとすぐに頭に浮かんだはずです。まあ助けを呼ぶかどうかはさておき、最初に部屋に入って来ることは分かっていたはずです」
「だとすると最高の当て付けですよね。あんな状態で、それこそダイイングメッセージに見えるようなドラマじみたやり方。本人は死ぬつもりはなかったんでしょうけど。結果的には死んでしまって本当にダイイングメッセージになっちゃった――って、ええ?」
立川は喋りながら、頭の中で思考がぐるぐる回っている。
「そうだな。三千代は刺された時点では、自分が死ぬとは思っていなかったんだろうな」
堤の言葉で、全員の頭の中に、ほぼ同じ三千代像が浮かんできていたが、
「なぜ密室にしたんすかね?」
山田だけは、まだ三人についていけていなかった。
「密室にしてしまうと、殺人事件じゃなくて自殺を疑われますよ。それでいいんすかね?」
最初に現場で、堤が遺族に言っていたことだ。山田は言いながら小首を傾げている。
「いいんだ!」
「それだ!」
石田と立川が興奮して叫んだ。石田が喋り出したので後輩の立川が譲った。
「密室にしたっていうことは、三千代は自分で救急車を呼ぶつもりだった。鍵のかかった部屋に救急隊が到着して、自殺――未遂の想定ですが――を疑われる。そうなると、あの血文字のメッセージから、正子との諍いが原因と思われますよね。正子が警察に事情を聞かれるかと思うと嬉しかったんじゃないですかね。ちょっとした嫌がらせですよ。正子がブチギレているところを想像して、ニヤニヤしながらドアと窓を閉めたんじゃないですか? 正子に日頃の仕返しが済んだところで、『実は佐藤に刺された』と言えば、証拠がなくったって、犯人はすぐに捕まると考えたんじゃないでしょうか」
立川も堪らず、
「密室にしたことなんて、警察が来て騒ぎになるのが嫌だったとか、普通に世間体が悪いからとか、いくらでも言い訳できますもんね。佐藤みたいな奴と付き合いがあること自体、あの家の獣人にとっては、本当は恥ずかしいことですからね」
と、付け足した。
山田もようやく理解し、呟いた。
「そっか。瀕死の状態――じゃなかったにしろ、興奮状態にあったことは間違いないっすもんね。おかしなことをしたって、後で思い返して、『自分でもよく分からない』って言えば、ま、通らなくもないっすね」
調子に乗った山田の推理に、石田が釘を刺す。
「まあ仮に、三千代がそんな供述をしたところで、そこまで何もかも言い分を信じることはなかったと思うがな」
「それにしてもナイフの指紋まで拭き取るのは、ちょっとやり過ぎじゃないですかね」
立川の指摘はもっともだ。
石田は、三千代になり代わったように、彼女の思考をたどった。
「いやあ、正子も相当いけすかないお婆さんだけど、三千代の評判も悪かった。もしかしたら、運よく事件と事故の両面で捜査が始まって、正子が長時間取調べられるように、犯人の手がかりを故意に消したんじゃないでしょうか。それこそ、裾の上から柄をつかんで、抜こうとして抜けず、というか、力が入らなくて、何度も柄を触っているうちに拭いちゃったとか、なんとか――。言い訳ならどうとでもなると思って。警察に叱られることなんか何とも思っていないでしょう」
石田の意見に、三人とも「あり得る――」と内心でつぶやいていた。
「そっか。回復してから、一夫かしずかに正子の惨状を聞き、自分の好きなタイミングで犯人について証言し、開放してやればいいんですからね。それはそれは楽しいでしょうねえ。もう、めっちゃ趣味悪いし、捜査妨害も甚だしいですけどね」
いい歳をした老婆二人の、醜い争いを想像して、立川が顔をしかめながら話をまとめた。腹にナイフが刺さっているまま部屋の中を動き回る姿は、かなりシュールだ。
「どうも、それが一番、納得のいく説明になりそうだな」
堤は渋い顔で締めくくった。
この推論を裏付ける証拠がない。ただの推察だ。もし佐藤が、「実は刺していない」などと言い出そうものなら、裁判はもたない――。
皆黙りこくってしまった。
堤たちを取り巻く空気が、一気に重たくなった。