34 吉岡の取材①
吉岡はショートスリーパーなので、睡眠時間は、五、六時間で十分だ。昨夜は二時前に寝て、今朝は八時に起床した。
テレビをつけると、「四月十三日の東京の天気は快晴。気温は二十五度まで上がり、五月並みの陽気になる見込みです」と、気象予報士が明るいテンションで伝えた。
暑くなるのなら半袖Tシャツでいいかと手にとって、いや待てよ、と再考した。
午前中は佐藤についての聞き込みを行うつもりなので、雑誌の記者っぽく見える格好にしたい。あまりにラフな格好だと大学生にしか見えないかもしれない。
吉岡は消去法で、黒の長袖シャツとブラウンのパンツにした。悩んだところで選択肢は限られているのだから、工夫のしようはない。
(まあ、不審がられたら撤退あるのみだ)
生まれつき光沢のあるストレートの黒髪は、よく女子から「羨ましい」と言われる。ヘアスタイルは美容師任せだが、担当の美容師が毎回満足しているようなので、まあまあイケているのだろう。
特に身分を偽るつもりはないが――名刺が欲しいと言われたら、「切らしている」くらいは言うが――、度が入っていない黒縁の眼鏡をかけた。
吉岡と会ったことを後日思い出したとしても、「黒縁眼鏡」を最初に思い出してもらうよう印象付けるためだ。
佐藤洋太の住所は板橋区要町三丁目。千川駅から歩いて十五分ほどにあるアパートだ。その名も「オレンジヴィラ」。
グーグルマップで大体の場所は把握しておいたが、アパートのストリートビュー画像はなかった。まあどうせ駅からアパートに向かいがてら住民に話を聞くつもりなので問題ない。
吉岡は自宅の最寄り駅である中野からの乗り換えを調べた。どのルートも二回の乗り換えが必要だ。面倒臭いが仕方ない。
念の為、自宅を出るまでの間、事件について新しい情報が上がっていないかネットをさらってみた。さすがに深夜から翌朝にかけては情報が出てくる時間ではないため、新情報はなかった。
九時の時点での情報は、せいぜい計画的な犯行だったことくらいだ。
「佐藤容疑者は、あらかじめ購入していたナイフを持参し、庭の木を伝って窓から高木三千代さんの部屋に侵入し、持参したナイフで高木さんの腹を刺した模様です。警察は計画的な犯行と見て、裏付け捜査を急いでいます」
相変わらず密室については報道されない。
優里からも連絡はないため、道長から追加の情報もないのだろう。
吉岡は小さめのリュックを背負うと、通勤ラッシュが終わる九時半ごろに家を出て、中野駅から電車に乗った。
逮捕された佐藤洋太の写真はWEBに上がっていたものを拝借し、切り取ってプリントしておいた。
本物の記者なら写真くらい入手していそうなものだが、「疑われたら撤退」するので、問題ない。
千川駅は急行の止まらない小さな駅だった。昨日歩いた神楽坂周辺とは全く異なる雰囲気で、寂しさすら感じる。板橋区は都内とはいえ、不動産業界でいうところの城北エリアだ。
ザ・都心の港区などを有する城南エリアや、住宅地として人気の世田谷区を有する城西エリアと比較すると、やはり世帯年収の差を感じる。
これから声をかける人たちに、そんな見下したような考えを気取られると話が聞きづらいので、吉岡は急いでその考えを追い払い、歩きながら口角を上げる練習をした。
駅前の人通りも決して多くはなかったが、路地に入っていくと、すれ違う人がまばらになった。
さすがに若い女性には声をかけづらい。できれば中高年の女性に話が聞きたかった。
吉岡の顔面の威力が発揮されるのは、だいたい四十代以上の女性らしい――とは、モテない男友達の見解なので、あまりあてにはならないが。
多分、友人たちと飲んでいたとき、ラストオーダーを忘れて注文し損ねた彼らの横で、トイレから帰ってきて平然と注文した吉岡のピーチソーダのオーダーが通ったことを根に持っているのだ。
そろそろ目的地に着く頃だと思い、吉岡は足を止めて近隣住民が出て来るのを待った。
じっとしていると不審者と勘違いされるため、道に迷った体で、キョロキョロしながらゆっくり歩いていると、目当ての(?)五十代と思しき女性がマンションから出てきた。ペンギンらしくペタペタと歩いている。
吉岡は女性にゆっくりと近づき、相手と目が合うと少しだけ微笑んでみた。相手は、「あら?」と小首を傾げる程度の警戒心だったので、思い切って声をかけた。
「すみません。この近くにお住まいですか?」
「そうですけど、何ですか?」
女性は警戒しながらも、立ち止まって話を聞いてくれるようだ。
「あの、この住所を探しているんですけど」
吉岡は印刷したグーグルマップを見せて、赤色の水性ペンで囲ったところを指さした。
女性は地図を覗き込むと、だいたいの位置を把握したらしく、うんうんと頷いている。
「オレンジヴィラというアパートなんですけど。さすがにアパートの名前まではご存じないですよね?」
女性がギョッっとした顔で、「もしかして――」と、口籠もった。