29 ワイドショー
一夫は、四月十三日の朝も、いつも通り庭に面したラウンジで七時に朝食を取ったあと、妻のしずかと一緒にテレビを見ていた。
ラウンジの窓はすりガラスで上半分はステンドグラスになっている。部屋からは、ぼんやりと庭木のシルエットが見えるぐらいで、外の喧騒は微塵も感じられない。
昨日の告別式の騒々しさが嘘のようだ。
だが正門前には、昨日よりは減っているとはいえ、テレビリポーターと野次馬が居座っている。三千代の事件が面白おかしく取り上げられているのかと思うと憂鬱になった。
それでも、家の中にいる限りは安全に感じられた。この屋敷にとっては、マスコミの報道など瑣末な騒音でしかない。屋敷の中と外とでは隔世の感がある。
一夫は会社をリタイアした後も、朝七時のニュースからずっとNHKを見続けるのが習慣になっているが、三千代の事件後は、ついついザッピングをしてしまうようになった。
しずかはその様子を見てはため息をつく。そして嫌になったら席をたつというのが、夫婦の日課になりそうだった。
朝八時からのワイドショーは視聴率を競い合う時間帯であり、各局がしのぎを削っている。
オープニング曲が流れ番組のタイトルが映る。
画面がスタジオのMCに切り替わり、全員が、「おはようございます」と明るい挨拶をする。
女性アナウンサーが日時を言い出演者を紹介する。
「四月十三日火曜日のスキットです。今日のコメンテーターは、佐藤さんと田中さんです。よろしくお願いします」
MCのタレントが最初の話題をふる。
「まずは高木邸からの中継です。中継先の水野さん」
MCの呼びかけに応じて女性リポーターが応える。
「はい、こちら高木邸前からお伝えします。一昨日の午後、東京都新宿区のこちらの家に住む高木三千代さんを、刃物のようなもので刺して殺害したとして、昨日、四十一歳の男が逮捕されました。殺人の疑いで逮捕されたのは、東京都板橋区の無職、佐藤洋太容疑者です。警察によりますと、佐藤容疑者は高木さんの部屋に侵入し、刃物のようなもので高木さんの腹を刺し殺害した疑いがもたれています。警察は付近の防犯カメラ映像などから佐藤容疑者を特定したということです。二人の間に金銭トラブルがあったとみて、捜査本部を設置し、事件に至った経緯などを調べています」
スタジオからMCが呼びかける。
「水野さん。今映っているのが現場となった部屋なんでしょうか。すぐ側に、すごく大きな木がありますけど」
映像が、窓から木のアップへと変わる。
「はい。そうです。逮捕された佐藤容疑者ですが、こちらの庭の木を伝って、あの窓から高木さんの部屋に侵入した疑いが持たれています」
「水野さん、もうちょっと木に寄れますか?」
「はい、カメラさん。こちらに――。そうそう。どうですか? スタジオの佐々木さん、見えますか?」
「はあい、よく見えます。結構、幹も枝も太いですね」
「そうなんです。ちっちゃい子供なんて、もっと上まで行けそうなくらい、どっしりとした楡の木です。一昨日は、捜査員がこの木についていた佐藤容疑者のものと思われる靴の跡を調べていました」
一夫は、自宅の庭の様子や、見慣れた楡の木がアップになったため、思わずチャンネルを変えたが、この時間のワイドショーはどうしても話題が被るようだ。
「逮捕された佐藤容疑者ですが、高木三千代さんとは以前から金銭トラブルを抱えており――」
どうして金銭トラブルの話がテレビ局に伝わっているのだろう。ドラマで見るような、懇意にしている記者に刑事が情報を渡していたりするのだろうか。
一夫は更にチャンネルを変えた。
「高木三千代さんは独身で、こちらの生家でもあるお屋敷で、兄夫婦と同居していたそうです。このスパニッシュ風の建物は、国の重要文化財に指定されており――」
「あら、いやだ。ちゃんと正確に紹介されているのかしら」
正子がいつの間にか一階に下りてきていた。
昨日、告別式で一夫たちと別れた後、正子はいったん自宅に戻り、荷造りをしてから二時間後に、再び舞い戻って来たのだ。
そしてそのまま二階の空き部屋に泊まっている。本人が、「しばらくは私も力になりましょう」と言っていたので、テレビ局のリポーターたちがいなくなるまでは居座るつもりなのだろう。
「あの方たち、まだいるのねえ。本当にしつこいわ。それにしてもエントランスと三千代の部屋の窓ばかり映すのね。この家の見どころがどこか、分かっているのかしら。どこの局も映す窓を間違えているわ。この部屋のステンドグラスも美しいし、格子のデザイン窓も有名なのに。少しは調べてから来られないものかしら」
リポーターは、高木家の家系図までイラスト入りで作成していた。
「子爵ってすごいんですか?」
テレビからは、スタジオにゲストコメンテーターとして呼ばれた若い女性が、解説員に尋ねる声が聞こえた。
「はい、日本にも爵位があった時代があるんです。華族って聞いたことありますか? ファミリーの家族じゃなくて、華と書く方の華族ですよ」
解説員が、華族の定義と五階の爵位の説明を書いたフリップを見せた。
「上から、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の順になります」
「じゃあ、子爵って下から二番目なんだ」
アイドルのような可愛らしい女性が無邪気に呟く。
「まっ」
正子は目をパチパチさせながら憤慨している。
「世が世なら、こんな下品な子にとやかく言われることなどなかったものを。本当に嫌になるわ。爵位が何かも分からないような子が――」
それでも、一夫としずかは、正子がそこまで激昂していないことは分かっていた。
そんな立派な家系に連なる三千代が、殺害されるという不名誉な死に方をした点を差し引いても、高木家が子爵の家柄で、自宅も重要文化財に指定されていることを、全国に知らしめることができて、どこか満足しているようなのだ。
良家の子女としては不謹慎だと思われるが、二人が口にすることはない。
「それより姉さん。家の方はいいの? 犯人も逮捕されたのなら、もうすぐテレビ局もいなくなって静かになるんじゃないかな」
しずかが何も言えない分、一夫がそれとなく正子に伝える。
「まあ、何を言っているの。まだまだこんなにいるじゃないの。敷地に入ってこないだけマシですけど、塀を汚したりしていないかしら。文化庁から注意してほしいものよね。全部綺麗に片付いたら確認にきてくれないかしら」
正子は事件よりも、心底、この屋敷が心配らしい。
一夫たちは心の中でため息をついた。
そんな時に、「ピンポーン」と空気を読まない機器が音を発した。
誰かが玄関のインターフォンを鳴らしたのだ。