2 刑事到着
まだ始まったばかりですが、お付き合いよろしくお願いします。
優里が横たわった女性を覗きこんでいると、視界の隅に男の足が映った。顔を上げると、道長が彼女にスマホを向けていた。
「な、何をされているんですか?」
優里は、「はぁ?! 何? コイツ?」と言う自分の感情を殺して、いかにも不安げな表情を作って尋ねた。
「記憶の補完のために録画しておこうと思いまして。私たちが第一発見者ですから、後で警察にあれこれ聞かれるでしょう?」
さすがは銀行員――とはならないぞ!
まあ、リスク回避を信条としているだけのことはあるのか。フン。
父親の方は、いまだに呆然と立ち尽くしている。
一夫は119番に通報したときも、「事件ですか? 事故ですか?」と聞かれて、「あ、あぅ」と口が回っていなかった。
隣にいた妻のしずかが代わりに応えるのかと思いきや、口を出したのは、死んだ女性と一夫の姉である正子だった。
まあ物静かなジュウシマツのしずかは性格的にでしゃばるような真似はしそうにない。対して正子の方はでっぷりとしたフクロウだし。
「多分、事件です。ナイフが刺さったまま倒れていますから。死んでいるように見えますけど?」
このフクロウのお婆さん、もとい叔母様は、さっき下でなんて挨拶していたっけ……?
「高木家の次の世代のことを誰も真剣に考えないものだから、それはそれは心配していたのよ」とか、「母が亡くなってからは、私が弟妹の面倒を見てきたの」だ。
まるで自分が家長のような物言いをしていた……。もう、いかにもウザい姉って感じだったな。
道長の母親のしずかさんにとっては、さぞかしうるさい小姑だっただろう。甥である道長には、どのように接していたのだろうか。
それにしても、普通はダイイングメッセージで自分のことを書かれていたら、こうも堂々と警察を呼べないのではないか?
いや、「逆に」ってやつか? 逆に正々堂々と対応してみせることで、容疑をはらそうっていう魂胆か……。
そんな時、ピンポーンと、この館に相応しくない近代的な電子音が響いた。
またもや正子が対応している。
階下が騒がしくなり、その騒音の塊が徐々に近づき、開いたままのドアから一斉に部屋に入ってきた。
「警視庁捜査一課の堤です」
先頭の中年の男性がバッジを見せて挨拶し、「皆さん、いったん部屋を出ていただけますか」と、階下へ移動するよう促した。
刑事とはいえ馬だけに威圧感は感じられない。それなのに指図されたと感じたらしい正子の鼻が膨らんだのがおかしかった。
一階に戻ると、やはり美しい室内に目を奪われてしまう。こんな時なのに、だ。
メインダイニングはまるで鳥籠の中のよう。円形の部屋は、直径が六メートルほどだろうか。ドーム状の天井には、薄紫の空に星が輝く様子が描かれている。明け方のようにも夕闇のようにも見える。
庭に面した壁には、イスラム風の窓――細かな格子窓――が、ほぼ隙間なく連続している。天井ギリギリの高さまでガラスが入っているため、まるでサンルームのような明るさだ。
庭に面している壁に沿って、一人用のソファーが等間隔に配置されている。
優里は、この家に来て最初に通されたときと同様に、庭と反対の回廊側に置かれたベンチソファーに座った。道長も躊躇なく彼女の横に座る。
道長以外の住人たちは迷わず、それぞれ一人がけのアームチェアに腰掛けた。
庭側の半円の弧の中央のソファーに一夫が、一夫の右に姉の正子が、左に妻のしずかが座っている。亡くなった女性はさしずめ正子の隣が指定席か。
ほんの一時間ほど前まで座っていた位置に各自収まった。普段から座る場所が正子によって指定されているかのようだ。
堤は立ち位置に迷っていたが、正子と道長の間あたりに決めたようだ。
二階からドタドタと音を立てて降りてくる足音が聞こえた。
現れたのは若いダチョウの刑事だった。堤に何か耳打ちすると、さっと後ろに下がった。
堤がぐるりと部屋にいる面々を見渡してから告げた。
「大変残念ですが、死亡が確認されました。ご愁傷様です。病死のようには見えませんので、皆さんにお話を聞く必要があります」
すでに捜査は始まっているのだろうか。堤は話しながらも、リビングにいる家族の様子を注意深く見ている。優里も目が合ったが、あまりの眼力の鋭さにたじろいでしまった。
一夫はおどおどし、しずかは心ここに在らずといった様子だ。正子は、「かかってこい」と言わんばかりに顎を突き出している。
今日は、仲人の言葉を借りれば、「春爛漫の良き日」だったはずだ。手入れの行き届いた日本庭園を見ながら、仲人は優里と道長に向かってそう言った。それなのに、これだ。
どこが「良き日」だよ。