15 殺人事件? ひとまずLINE
優里は部屋着に着替えてメイクを落とすと、少しだけ落ち着いた。だが、それでもそのまま休めるはずもなく、すぐにテレビをつけた。
日曜日の夕方は情報系の帯番組がないため、タイムシフト機能で十七時のニュース番組を再生した。
「日曜日のTTKニュースをお伝えします。東京都新宿区神楽坂一丁目の住宅で、この家に住む高木三千代さん六十二歳が刃物のようなもので刺され、倒れていると通報があり、駆けつけた警察により、その場で死亡が確認されました。警察は殺人事件とみて――」
殺人事件――。警察はそんな話はしていなかったが、やはりそうだったのか。違う局のニュースに変えてみる。
「こんばんは。四月十一日、日曜日のスキットプラスです。本日、東京都新宿区の民家で、六十二歳の女性が死亡しているのがみつかり、警視庁は殺人事件とみて捜査を始めました」
現場の映像に切り替わり、女性リポーターが高木邸へ向かって左手を伸ばしている。
「女性の遺体が発見されたのは、あちらに見える民家の一室です。死亡していたのは、民家に住む高木三千代さんで、午後三時二十一分頃、同居している親族によって発見されました。警視庁によりますと、高木さんは腹に刃物を刺された状態で発見されたということです。警視庁は、高木さんが何者かに殺害されたとみて捜査を始めました」
高木邸がしっかり映っていた。まだ野次馬が相当数残っている。
優里は一時間後の十八時ちょうどのNHKのニュースを再生した。一時間で何か情報に差が出ているだろうか。
「十八時になりました。この時間のニュースをお伝えいたします」
背景の映像が高木邸の写真になった。
「本日午後三時二十一分頃、東京都新宿区の住宅で、この家に住む高木三千代さんが、腹に刃物のようなものが刺さった状態で倒れているところを、同居の家族によって発見されました。高木さんは――」
十七時のニュースとほぼ同じ内容だった。さすがに、どこもダイイングメッセージについては触れていない。警察が発表していないのだろうか。それとも、ドラマじみたショッキングな内容は報道しないのだろうか……。
それでも、どのニュースでもトップで報道されている。やはり人が亡くなるということは特別なことなのだ。それも「刃物のようなものが刺さった状態で亡くなっている」という変死であれば尚更だろう。
優里が見た限りでは、どの局も把握している情報は同じで、「高木三千代さん六十二歳」が自室で、「刃物のようなものが刺さった状態で亡くなっている」のが発見され、「警視庁が殺人事件として捜査している」、ということだけだった。
容疑者の情報は全くなかったし、警視庁がどういう理由で殺人事件と判断したのか不明だ。
時間の経過と共に少しは捜査が進展し、何らかの追加情報が報道されるのではないかと期待したが、アナウンサーが読み上げる原稿内容は、その日の夜まで代わり映えしなかった。
陽一郎はゴルフ仲間と軽く飲んでから帰ったため、帰宅は二十一時を回っていた。優里が歯磨きがてらリビングに顔を出すと、彼が興奮した景子をなだめているところだった。
五十代にしては毛量の多いたてがみ。優しくて凛々しいシマウマは優里の自慢の父親だ。
「お、優里。お前大変だったんだってな。悪かったな。今日は一日ニュースを見ていなかったんだ。まあ、見ていても気がつかなかったかもしれないが――」
「もう、あなた! そんなことより、明日、仲人さんには今回のお話をお断りしますから。こんな事件が起きるような家との縁談は早く断っておかないと」
「まあ、待て、待て。事件なんていうのは不可抗力なものだし、優里の考えも聞いてやらないと」
(私の考え? うーん。それがよく分かんないんだよな……)
「今日はちょっと考えられないから、少し待って欲しいんだけど」
「待つって――。あなた、考える余地なんてないでしょう」
「まあまあ。せめて初七日が終わるまでは、連絡を控えるのが礼儀なんじゃないか。お見合いの最中に親族が亡くなられることだってあるだろう。一応、明日、仲人さんに相談してみろよ」
「もう……」
景子の煮えたぎった神経は無事に鎮火したようだ。優里は、陽一郎のこういう客観的な視点を、子供の頃から好ましく思っていた。優しくて頼りになる父――。
今回の見合い話も、優里がお見合いをしてみたいと両親に相談し、陽一郎の取引先に紹介してもらった仲人によるものだった。
その仲人は、華族の教育のために設立された学習院の卒業生で、同窓生に頼まれて何人か紹介するうちに評判になった方なのだという。
仲人に初めて会ったとき、見るからに優里の理想の人生を歩んできたような人だと思った。慎ましやかな品の良いご婦人。景子も最初に会ったとき、安心して任せられると言っていた。
(まあ、お見合いの件は母に任せておくとして、吉岡の宿題をやっておかなくっちゃ)
優里は道長にLINEを送ろうとスマホを手に取った。縦長の黒い画面が光り、21:36と大きく表示された。二十二時前なので問題ないだろう。
陽一郎は、初七日が云々と言っていたが、二十代や三十代にとってLINEは、いついかなるときでも送り合って問題ないものとされている。優里は道長にLINEを送ることをためらわなかった。
会食のお礼にしては、ちょっと時間が空きすぎているが、まあ、あれだけのことがあったので、道長も失礼な奴とは思わないだろう。弔意を示すのがメインならマナー違反にはならないはずだ。
優里は慎重を期すため、メモ画面で文章を練ってからLINEにコピペした。
「この度は御愁傷様です。心よりお悔やみ申しあげます。あまりに突然のことで、皆様にお言葉をかけることもできず辞してしまい後悔しています。
道長さんもお辛い中、このようなことをお尋ねするのは大変気がひけるのですが、その後、捜査に進展はあったのでしょうか。
今日のことは忘れようと思ってはいるのですが、どうしても出来そうにありません。やはり、解決しないことには気持ちの収まりがつきそうにないのです。同じ場に居合わせた者として、情報を共有していただけると助かります。
なお、あのとき撮影されていた動画も送っていただけると嬉しいです。
畑野優里」
シュッと緑の吹き出しになる。送信音は鳴らないよう設定済みだ。
吉岡はたくさん質問事項を並べていたけど、今日の今日で、あれこれと質問責めに出来るはずがない。道長はLINEを読んでどう思うだろう。無神経な女だと思うだろうか。
とりあえず吉岡には、道長に情報提供を依頼したことだけでも伝えておこうと、吉岡のアイコンを探していると、道長からの返信が届いた。
できるビジネスマンは返信が早いと聞いてはいたが、さすがだな。
「こちらこそ申し訳ありません。優里さんもショックを受けていたでしょうに、色々と配慮が足らなかったことをお詫び致します。
警察からはまだ何もありません。
今夜がお通夜で、明日の午後が告別式になりますので、明日の夜にでも改めてご連絡いたします。
道長」
優里は取り急ぎ、深く頭を下げているスタンプだけ送って会話を終わらせた。次は吉岡だ。
「畑野です。道長さんに確認しましたが、現時点では進展はないとのことです。明日の午後の告別式が終わったら、夜にでも道長さんが連絡をくれるそうです」
吉岡からは、親指を立てた熊のスタンプが送られてきた。
(それだけなの!)
相手からワンターンで、それもスタンプだけで打ち切られることなど、これまでなかったことだ。
(悔しい! イケメンめっ! さては自覚してやがるな)