備蓄勇者
『ゴーン、ゴーン、ゴーン』
業務終了を告げる鐘が城内に響く、主婦の方々やパートさんが足早に家路を急ぐ。
「お疲れまでした、魔王様」
「お疲れさまでした」
フォルテはパートのおばちゃんを送り出し、室内は残すことろシンバとフォルテだけになった。
「シンバさんも終わったら帰って下さいね」
シンバは私生活を投げ打ってまで仕事に没頭するタイプなので、適度なところでこちらから言ってあげないといつまでたっても仕事を終えなかった。
「わかりましたフォルテ様!ところで明日の資料はもう出来てますか?それだけ確認して帰りますので」
シンバの意見にフォルテはハッとする。
「あの資料使うの、明日の午後からだよね?明日朝イチで仕上げるから今日はもういいかな?」
フォルテはすでに帰りたくて、仕事を明日へ回そうとする。
「フォルテ様、明日何事もないという保証はないんですよ。今日できることは今日のうちに済ませておいたほうが賢明ですよ?」
シンバのもっともな意見に反論できず、フォルテは渋々残業することにした。
窓の外を見るとボンゴがスキップしながら帰宅しているところであり、健全な状態のボンゴを見たのはいつ以来かとフォルテは関係のないことを考えていた。
最近ボンゴは仕事が終わるといの一番に帰るようになっていた、それまでは一人残って稽古を続けていたのにだ。その変化に周りは、ボンゴにもついに、春が来たのではともっぱらの噂であった。
「フォルテ様?手が止まっていますよ?仕事は時間が解決してくれるものではありません、さぁ手を動かして!」
シンバに叱られ、片や浮かれた様子のボンゴに恨めしい視線をフォルテは送る。しかし、すぐさま心を入れ替え、再度デスクに向かい黙々と作業を続けるのだった。
「備えあれば憂いなし、これもフォルテ様の為ですから」
シンバはまるで母親のようにフォルテを諭し、ニコニコしながら仕事を続けていた。が、ふとその手が止まる。
フォルテは悪い予感を覚えてシンバを止めに立ち上がるが、シンバの動きは尋常ではなかった。
フォルテが椅子から立ち上がるころには、シンバはすでに扉に手をかけていて、部屋の外へと飛び出す寸前であった。
シンバは勝ち誇った表情でフォルテに敬礼する。まるでこれから死地へと向かう戦士に最後の別れをするように。しかし、いざシンバが外に出ようと扉を引いた瞬間事が起こった。
「フォルテ様、帰りますよーー。ってあれ?」
外から扉は勢いよく開けられ、そこからモニカが顔を出す。タイミングよく開いた扉に吹き飛ばされたシンバは、勢いよく転がり部屋の中央に倒れこむ。
「あれ?シンバ君何してるの?そんなところにいると危ないよ」
モニカは不思議そうに床でのびてるシンバに告げる。
「モニカさん、ナイスタイミングです!」
フォルテはモニカのファインプレーを賞賛する。訳も分からず褒められたモニカは照れくさそうに頭をかいた。
「それで、シンバ君は何を慌てていたんです?」
モニカはひとしきり照れた後にフォルテに尋ねる。
「敵前逃亡ですよ」
フォルテは不敵な笑みを倒れているシンバに向ける。モニカは不思議そうな顔をしていたが、すぐに事情を察してシンバに詰め寄る。
「なるほど、それは重罪ですね」
彼らの背後では勇者襲来の警報が鳴り響いていた。
「どうした!?もっと全力でかかって来い!そんなんじゃこのボンゴ様は倒せないぞ!!さぁ、早く俺を切ってくれ!」
場所は魔王城正門前、辺りが暗くなり始めた路上でボンゴは勇者と対峙していた。
先を急ぐボンゴは、戦闘が始まっても本気を見せない勇者に苛立って吠える。
「この化け物め、これだけダメージを与えても倒せないなんて」
勇者も一向に倒れる気配のないボンゴに苛立つ。
「仕方ない、こいつで止めだ!!」
勇者は気合を入れると剣に魔力を纏わせる。
「おぉ!!こいつぁ、恐ろしい。ゾクゾクするぜ!!」
「なんなんだこの魔族は、なんて気味悪い目でこっちをみやがるんだ」
ボンゴは期待を込めた目で勇者の剣を見つめる。対する勇者はボンゴの反応を恐れ、決着を急ぐ。
「これで終わりだ!!!」
勇者の輝く剣がボンゴの腹に突き刺さる。ボンゴは歓喜と共に呻き声を上げボンゴは前のめりに倒れこんだ。
勇者は肩で息をしながら倒れたボンゴを見下ろす。
「なんて気味の悪い魔族だったんだ。それにしても、予想以上に手間取ってしまった」
焦りの表情を浮かべた勇者は、踵を返し、急ぎ魔王城を後にする。
「あれ?どうやら勇者は逃げたみたいですね」
魔王城の大広間、椅子に縛り付けられたシンバは耳を動かしながら近況を報告する。
「逃げ出したって?まさかボンゴさんが勝ったんですか?」
「フォルテ様?この場では、まさかは言わないほうがよろしいかと?」
フォルテの言葉尻をモニカが捕らえる。
「いえ、お腹に大穴を開けたボンゴ様は勇者に潔く負けて、今急いで退城されたところです。どうやらよほど急いでいたみたいですね」
フォルテの期待は無情にも打ち崩された。
「それならなんで勇者は一度戻ったんでしょうか?余程重傷を負ったとか?」
モニカも不思議そうにシンバに尋ねる。
「ボンゴ様の攻撃はほぼ勇者にダメージを与えていません。勇者も傷を負った様子もありませんね。さて、何故か勇者も帰ったことですしフォルテ様、仕事の続きです!!」
勇者の不思議な行動に三人は首をかしげる。とりあえず、一旦は勇者の脅威が去ったので一行は残っている仕事を片付けることにした。
その後気を取り直したフォルテとシンバは、仕事に没頭する。一人残されたモニカは、退屈そうにソファに腰掛け、お菓子を摘まんでいた。
「よし、これで終わり!」
フォルテは最後の書類に目を通すと力強く判を押す。シンバも顔を上げてフォルテに応える。
「こちらも切りが良いので終わりにしますか、あっ!?」
シンバが不意に間の抜けた声を発する。
「どうしましたシンバさん?何か抜けている書類でもありましたか?」
フォルテが気になってシンバに尋ねる。モニカも眠そうな目でシンバを見つめていた。
「フォルテ様、勇者が、戻ってまいりました」
「なんで、このタイミングで!?」
シンバの言葉にフォルテは頭を抱える。
「もう就業時間とっくに過ぎてるんですよ!?」
「フォルテ様、勇者に理屈は通じませんよ。ここまで来たらフォルテ様の最期の有志、わたくしも見届けますから」
「演技の悪いこと言わないでください!それと、モニカさん、起きてー」
一日の終わりまでバタバタと勇者に振り回されるフォルテは、ぶつけようのない怒りを感じながら勇者を迎え撃つのだった。
場所はいつもの大広間、部屋に置かれた玉座にはフォルテが座り、その両脇には瞼を擦るモニカと震えたシンバが控える。
三人は正面で構える勇者を見つめていた。
「お主が勇者か?」
フォルテが目の前の男に尋ねる。
この時間にアポイントメントもなく堂々と現れる存在は勇者以外考えられないが、一応確認するフォルテ。
「そうだ、俺はタンタン国からきた勇者ドラム」
勇者は自身をドラムと名乗る。どうやら間違いないようなので、フォルテは再度ドラムを睨む。
新品の兜に、隙間なく装着れた鎧、剣は手入れが良く、しっかり研がれていてるのが見てわかる。そして背後には大きなリュック、それに加えて荷車も引いて来ていた。
「もう、荷車まで部屋に持ち込まれちゃうと土足とかで文句言うのも筋違いに思えるね」
フォルテはくっきりと轍の残るカーペットを見ながらため息をつく。
傍目に見ると勇者の持ち込んだ荷物の量は商人に近い。
そんなフォルテの気持ちを察することなく、眠気から覚めたモニカが疑問に思っていたことを勇者に問う。
「てっきり尻尾を巻いて逃げたのかと思っていましたが、なんで戻ってきたんですか?忘れ物ですか?」
「それなら明日の開城時間に門番に問い合わせてください」
モニカの言葉にシンバが丁寧に案内する。
「ふっ、先の戦闘で思いのほか体力を消耗したから回復に戻っていた。それだけだ」
ドラムはさも当然といった感じで説明する。
「なんたる所業!?魔王様の面前まで来ておきながら待たせるとは不届き千万です!!」
モニカは一歩前へ出て拳を構える。どうやら長いこと待たされて不満が溜まっているようだ。
「まずは侍女からか?準備も手間取るからさっさと魔王と戦いたいんだが?そうはいかないのか」
「なっ、何を言っておる!?散々待たしておいていきなり我と戦おうなどとは、片腹痛いわぁ、モニカさん、やっちゃって下さい!」
出来れば戦いたくないフォルテは何とか戦闘を先延ばしにさせようとする。ドラムはやれやれといった感じで準備を始める。
「私も早く帰りたいので、さっさと終わりにしますね」
すでにイライラの限界に達していたモニカは、余裕を見せるドラムに先制攻撃を仕掛ける。
不意をつかれたドラムは、満足に防御も出来ず腹にモニカの拳を叩きこまれた。
「ぐ、がっ、がはっ」
呼吸も出来ずに腹を抱えて悶え苦しむドラム。モニカの手は止まらず、ドラムの下がった顎を殴りつけた。
宙を舞ったドラムの体はそのまま部屋の入り口近くまで飛ばされる。
「ふん、たわいもない」
モニカは手をはたきながら手応えのない勇者に向かって言う。その背後では歓喜の表情で手を叩くフォルテとシンバ。
勇者ドラムはモゾモゾと地面を這いつくばるように自分の持ってきた荷物の近くに行き、その中身を漁る。鞄の中身を見て後ろにいたシンバが声を上げる。
「あ、あれは神の雫!?」
「神の雫?」
聞きなれない単語にフォルテは聞き返す。
「あれは、神が作ったとされる完全回復薬。どんな怪我もたちまち治してしまうと言う秘薬です。そんなものを何個も、これは戦いが長引きそうですよ」
二人の話を聞いたモニカも面倒臭そうにドラムの回復を見守る。
「ま、まさか一撃でここまでダメージを負うとは、」
致命傷を負ったドラムは鞄からただの薬草を取り出してバリバリ食べ始める。その光景に呆気に取られる三人。
「ねぇ、シンバさん?あれって薬草ですよね?」
フォルテはシンバに確認する。
「はい、ただの薬草ですね。回復作用は微々たるもの、お子さんの擦り傷から、打ち身、捻挫に効くというただの薬草です」
「もしかして、モニカさんの攻撃そんなに効いてない?」
フォルテは心配になって尋ねる。
「いえ、確かに骨の数本砕ける音がしました。それを薬草で治癒しようとなると、膨大な量必要になりますね」
シンバが説明を続ける間も、ドラムは薬草をバリバリと食べ進めている。回復量は微々たるものなので、完全に回復するためには相当な量を消費しないといけない。喉に詰まらせながらもドラムは黙々と口を動かした。
「もう!!その神の雫ってやつ使って、さっさと回復すれば良いでしょ!?」
痺れを切らしたモニカがドラムに声をかける。
「もごもごもご、そんなの勿体、無いだろ?」
口の中に薬草を詰め込んだままドラムが答える。なんとなくこの勇者の性格を察したフォルテはドラムに話しかける。
「もしかして、ボンゴさんを倒した後に一度城から出たのは?」
「そうだ、先の戦いで消費した備品を補充しに行っていたからだ」
薬草により体力とお腹を満たしたドラムが立ち上がる。心なしかお腹のベルトがきつそうだ。
「俺はどんな時でも油断はしない、常に着実に堅実に旅を続けてきた。そんな俺を旅の仲間は面倒な奴とか、慎重すぎるとあざ笑ったが、その性格が幸いして今こうして目標を達しようとしている。これで、これで国の奴らを見返してやれ、ぐうぇぇえぇぇ!」
セリフを言い終わる前に喉につかえていた薬草が逆流する。
フォルテはカーペットの張替えを余儀なくされ、頭に青筋を浮かび上がらせる。
「もしかして、あれ全部回復薬ですか?一撃で沈めない限り何度でも回復するなんてめんどくさ過ぎます」
「ふふふ、回復薬だけじゃない。体力アップ効果のあるドリンク、魔力アップ効果のある果実、素早さアップ効果のあるリブロースステーキ800g!」
「なんで全部食べ物なんですか!?今度吐くときはちゃんとトイレに行ってくださいよ!」
フォルテはドラムのお腹を心配して言う。
「しかも素早さアップが重い、これって逆にスピード落ちませんかね?」
シンバは効果の怪しい食材を見て言う。
モニカはすでに気力が削がれている。フォルテは何とか戦わず、そしてこれ以上汚されずに済まそうとドラムを追い返す算段に入る。
「勇者よ、我を倒したら故郷に戻るのか?」
「いや、故郷に戻ったところで厄介者の俺に居場所はない」
汚れた口元を拭いながらドラムは答える。
「なら、何のために我を討つ?」
「ただの自己満足だ」
フォルテは希薄な理由に肩を落とす、そんな自己満足のために殺されてはたまったものではない。
「えっと、勇者様?せっかくそこまで上手くやりくりして生活していらっしゃるなら、その経験を生かされては如何ですか?」
ドラムの話しを聞いてシンバが声をかける。
「何をいっている、こんな俺を必要としてくれる人などいないさ」
どんな人生を歩んできたかは定かではないが、ドラムの性格はすっかり歪んでいた。
「いやいや、ここまで節約されて旅をしてきたのでしたら回復薬に対しての知識は相当なものかと?」
「そうだな、例えばこの薬草、これは切り傷や擦り傷によく聞く。この葉の部分が裂けているこっちの薬草は打ち身や捻挫用。回復量を高めるなら、これとこれを混ぜると効果的だ、それにこっちは」
ドラムは自信満々に知識を披露する。途中から理解が追いつかなくなったフォルテは早々に聞くのを諦め、ただ黙って見ていた。
モニカに至ってはすでに帰り支度を始めている。
「素晴らしい!是非、勇者様の才能を生かして、困っている世界中の人々を救ってあげましょう!きっとその知識を本にすればベストセラーは間違いなし!!」
「そ、そうか!?いやぁ、俺もこの知識をこのまま埋もれさせるのはもったいないと思っていたんだ」
ドラムの話しに感動したシンバは、勇者の手を取って今後の事を話すため城を後にした。
勇者をその気にさせ、さらに自らの利益になるように誘導するシンバの手腕にフォルテは感心していた。