蓮原紫月の母と妹
暴力表現ありますので注意してください。
まず視界に入ったのは見覚えのある天井だった。
そして体中に走っている痛み。あの暗い世界で見せられた映像の最後は、実の妹に階段から突き落とされたところだった。
(あぁ……このタイミングで転生完了か。それにしても体中痛い。憧れた人間になったのは良いけどやっぱり脆いな)
転生した虚の悪魔もとい――蓮原紫月は呑気に考えていた。
そして、紫月は床から起き上がり自分の体を確認する。
体中に痛みはあるも幸いにもあまり高くない位置からの転倒だったため、これといった傷は見当たらなかった。
次の瞬間、紫月の頭から声が流れ込んできた。
(うわっ……無傷かよ!うっざ!!)
聞こえる方向に目をやると紫月の実の妹――美登里はニヤニヤして笑っていた。
紫月の妹の美登里は世渡り上手で愛嬌の良い性格で、これで両親や父方の祖父母、愛人たちから信頼を勝ち取っていた。
ひたすら不愛想で孤独な紫月とは大違いだ。
だがこの時、紫月は別のことを考えていた。
(まさか悪魔だったころから持っている異能まで覚醒するとは……)
虚の悪魔だった紫月が使う異能は、現実と非現実を操る力を持っている。
曰く――有を無に、無を有にする。
その応用で普通は聞こえない他者の思考を「聞く」ことが出来る上に、普通は見えない他者の過去の記憶や身に着けている物までも見ることが出来る。
更には自ら立っている空間内の過去の出来事も「見る」事もできる。
だからこそ、無意識に異能を発動して美登里の思考を聞いたのだ。
(こんなクソガキが俺の妹とは……まぁ要するに敵だってことは良く分かった)
紫月は美登里の思考を「聞く」と、彼女は紫月が無傷であることに腹を立てていた。
(まぁいいや。一回この家を出て様子でも……)
「おい!お前、いつまで寝てるつもりだよ!」
美登里は苛立った様子で怒鳴りながら紫月に近づいてきた。そして彼女の足蹴りを喰らわせるために足を高く振り上げる。
「……っ!?」
次の瞬間、紫月はすぐさま起き上がって美登里の右腕を掴むとそのまま力を入れて容赦なく腕をへし折った。
ボキッ!
「ぎゃあああぁっ!!」
美登里の悲鳴が部屋中に響き渡る。
あまりの激痛に彼女はその場に倒れ込み、右腕を必死に押さえながら悶絶していた。
(あぁ……やっぱり脆いな)
紫月は冷めた目で倒れた美登里を見下ろしていた。
「おいクソガキ」
紫月は未だ悶絶している美登里の前にしゃがみ込むと彼女の前髪を乱暴に掴んで顔を上げさせる。
「お前、俺の背中を押したよな?だったら次に俺が何をしたって文句は言えねぇよな?」
「ひっ……!」
美登里は恐怖に怯えた目で紫月を見る。
(何よ……なんなのよこいつ!何か別人みたいに変貌してるんですけど!?)
彼女は心の中で叫ぶと紫月に怯えながら睨みつける。だがそれが虚の悪魔だった彼女に通用するわけもなく、逆に睨まれたことで腹いせに彼女の頬を思いっきり殴った。
バキッ!
「ぐふっ……!」
美登里は殴られた衝撃で口から血を吐く。紫月はそんな彼女の髪を掴んだまま引っ張り上げて、そのまま壁に叩き付けた。
ドンッ!!
「あがっ……」
壁に当たった衝撃で背中を痛めた美登里の口から苦しそうな声が漏れる。しかしそれでも紫月の暴力行為は終わらない。今度は彼女の腹を思い切り蹴り飛ばしたのだ。
ドカッ!ドスッ!!
(うぐぅ……苦しい……!)
あまりの激痛に美登里は悶絶する。
「お前さ……実の姉をボロクソ言って馬鹿にして楽しいか?俺は非常に恥ずかしいと思ってるよ。俺の妹がこんな媚び諂うしか能のない馬鹿だってことにな」
紫月はそう言いながら、今度は彼女の髪を掴んで顔を上に向かせるとそのまま彼女の顔面を殴りつけた。
ドゴッ!
(ひぎぃ……!!)
顔面を殴られて鼻血が出ると同時に口内も切れてしまい、口の端から血を流している美登里だったがそれでも紫月の暴力は止まらない。むしろどんどんエスカレートしていく一方だった。
いつまでも続く暴力行為に遂に美登里は気絶してしまった。
「はぁ……静かになった」
紫月はそう言うと美登里の髪を掴んでいた手を離した。そして床に倒れ込んでいる彼女の体を足で軽く蹴ると、異能で美登里に与えた暴力の痕跡を異能で「無かった」ことにしてそのまま部屋を出て行ったのだった。
(さてと……まずは現状確認だな)
紫月がまず向かった先は洗面所だ。鏡に映る自分の顔を確認したかったからだ。
(うーん……やっぱり美人だな)
暗い世界で見た映像では、蓮原紫月の顔は整っていたものの地味に装っていた。
美少女と言わんばかりの顔立ちに目を引き付けるほどの綺麗な色の紫の瞳。
色白の肌に華奢な体形で、地味な眼鏡と愛想の無い顔さえしなければ誰もが二度見する美少女だ。
「全く……なんで前の俺は地味な格好していたんだか…」
自分自身に呆れながらも紫月は掛けていた黒ぶち眼鏡を洗面所のごみ箱に捨てた。
(これはもういらないな)
今後は自分が紫月となった以上、周りの連中の好きにはさせない。
敵意を向ける奴は徹底的に潰す。
今でこそ蓮原紫月という一人の人間に転生したが元々は虚の悪魔だ。
敵と認識した相手にはとても冷徹なのだ。
(さて……どうしてくれようか……)
考えを巡らせていると、騒がしい声が聞こえてきた。
「紫月!出てきなさい!!」
大声を出しているのは紫月と美登里の実母である朱音である。
不愛想な紫月を蔑ろにして美登里を溺愛しており、何より父親の考えには絶対服従な母親である。
大方、未だに寝転がっている美登里を見て紫月がやったのだと決めつけているのだろう。
(うるせえババアだな……)
心の中で悪態をつきながらも、表面上では何事もないような顔を取り繕いながら廊下に出ると案の定、倒れている美登里を抱えている朱音が待ち構えていた。
「美登里に何をしたの!?」
(可哀そうな美登里……絶対に犯人は紫月よ!そうに決まっている!)
開口一番に怒鳴られ、あまつさえ証拠もなしに犯人扱いされたので紫月は思わずため息を吐いた。
(こいつ……マジでうぜぇな。こんなのが俺の今世の母親とは。異能で暴力の痕跡を消したにも関わらず証拠もなしに実の娘を犯人扱いか。……まぁ本当に犯人だけど)
「別に何もしてねえよ。その馬鹿が勝手に寝ているだけだろ」
素っ気なく答えると朱音は更に怒り出した。
「嘘を言わないで頂戴!美登里がこんな所で寝るわけないでしょ!……紫月、あなた一体何したのよ!!大体何よ、その喋り方は!!」
「知るかよ。こんな馬鹿が何していようと知ったことか」
そう言って踵を返そうとした瞬間、朱音が紫月の腕を掴んだ。
「待ちなさい!まだ話は終わっていないわよ!」
紫月は苛立ちながら掴まれた腕を振り払おうとするが、朱音は意地でも離そうとしない。それどころか更に力を込めて握りつぶさんばかりに掴んでくる始末だ。
(このクソババア……!)
心の中で悪態をつきながらも表面上では何事もないように取り繕う。そして無表情のまま口を開いた。
「……仮に俺が美登里に暴力を振るったとして、そいつの体には暴力を受けた痕が何処にもないだろうが。
それに暴力が悪いことなら、長年俺を蔑ろにして平気で暴言を吐くのも立派な暴力じゃないのか?」
紫月が冷めた目をしながら淡々と述べると、朱音はバツが悪そうに顔を歪めた。
「そ……それは……」
紫月は内心呆れながらも言葉を続ける。
「まぁいいや……とにかく美登里を殴ったのは俺じゃないんで」
それだけ言って紫月はその場から2人を残して立ち去った。
暫く朱音は美登里の介抱をしながら別人のように変わった長女のことを考えていた。
自分の知る長女の紫月は愛嬌がなく、折角の可愛い顔を黒縁眼鏡で地味に装っている不気味な子でしかなかった。
だが、今の紫月はどうだろう?まるで別人のように実の母親と妹に対してゾッとするほど冷めた目を向けていて、何より自分の事を「俺」と呼び始めた。
(一体あの子はどうしちゃったのかしら……?)
朱音は不安に思いながらも、ひとまずは美登里の介抱をするのだった。