渡し舟
ある市には川があり、あるところに橋のない場所があって、渡し舟が運行されていた。
通行人も多く、川幅も狭いことから、なぜ橋が建設されないのか、みな不思議に思ったが、渡し舟を動かす業者にも生活があり、市の側にも、橋の建設でそれを脅かすことにはためらいがあったのだ。
橋の計画は、持ち上がっては消え、持ち上がっては消えを繰り返した。
この渡し舟だが、流れのない静かな水面だからエンジンつきの船ではなく、3人の船頭がいて、それぞれが数メートルある長い竹ざおを持って、人力で操っていた。
この3人は兄弟で、父親の代からこの仕事を引き継いでいた。
3人の名はそれぞれ一郎、二郎、三郎といった。
この3人はまだ若く、みな独身だった。
そして3人が同時に恋をした。
話をややこしくしたのは、3人が恋した相手が同一の娘だったことだ。
ある女学校の生徒で、対岸にある屋敷から毎日、舟に乗って通学していた。
そのとき3人の目に留まったのだ。
仲の良い兄弟仲は、いっぺんに険悪になった。
それまでは3人して合図を送りあい、声を合わせて歌いながら舟を操ったものが、仲違いしてからは黙りこくり、まるで葬式のように舟を動かすようになった。
といっても純朴な連中であるから、まだ誰一人、娘に声をかけることすらできずにいた。
見かねてある日、叔父が3人を集め、話し合いをさせた。
その結果、3人のうち誰を選ぶか、娘に決めてもらうことになった。
「誰に決まっても、いっさい恨みっこなし」
とし、また仲の良い兄弟に戻ることができた。
だが、互いの間に緊張がなかったわけではない。
いつ誰が抜け駆けをして、彼女のハートを射止めるかもしれないという心配は常にあったわけだ。
しかしそれでも、3人は正直者だった。
ある日3人そろって舟上で娘の前に進み出、それぞれが求婚を行ったのだ。
まず一郎が言った。
「お嬢さん。あなたのためでしたら、私はどんなことでもいたしましょう」
娘はにっこりと微笑み、答えた。
「では、このコインを川底から拾ってきて下さるかしら?」
ポケットから取り出したコインを、娘は水中にぽんと放り投げた。
「もちろんですとも」
一郎は息を大きく吸い込むと、舟べりを飛び越え、水中へ姿を消した。
「お嬢さん。私は何をすればよろしいのでしょう」
と二郎が言った。
娘は二郎を見つめた。
舟上の乗客たちは、どうなることかと見守っている。
「あなたには、これを取ってきていただきたいわ」
娘は、そばにある鉄橋を指さした。今しも貨物列車がごうごうと通り過ぎるところだ。
娘は帽子を脱ぎ、ぽんと投げた。
帽子は風に乗って高く飛び、貨車の車体に引っかかり、そのまま走り去ってしまった。
「よろしいですとも」
二郎は急いで舟を岸につけ、さおをほうり出し、貨物列車を追って走っていった。
「お嬢さん、私は何をいたしましょう」
と三郎が言った。
船着場は通りに面していた。
銀行が目の前にあり、そのドアが突然勢いよく開いて、覆面をした男が飛び出したところだった。
男は、重そうにふくらんだ革カバンを手に持ち、もう一方の手にはぎらぎら光る短刀を握っている。
娘は指さした。
「あなたには、あの男を捕まえていただきたいわ」
「よしきた」
三郎は舟を飛び降り、銀行強盗めがけて飛びかかった。
この川は水深が深く、底には泥が厚く堆積し、からみつく藻も大量に生えている。
一郎はとうとう浮かび上がることはなかった。
貨物列車を追った二郎は、全速力で国道に飛び出したところを大型トラックにはねられた。
三郎はあっという間に腹を刺され、そのまま死んだ。
3人の葬式は、同じ日に同じ場所で行われた。
ただし、一郎の棺おけだけは空のままだった。
死体がどうしても上がらなかったからである。
跡取りを3人とも失った渡し舟は、そのまま廃業するしかなかった。
翌日から、橋の建設工事が始まった。
すぐにわかったことだが、あの娘の父親は建設会社を経営しており、橋の建設を請け負ったのもその会社だということだ。




