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渡されたビラをメガホンのように丸めて、前後に振りながら歩く。左腕だけ紙で増長したような気がして愉快に感じた。握手しただけでひとたまりもなく潰れてしまうけれど、事実男の片腕は今、紙一枚分だけ伸びている。けれども、男は道を歩くたびに焦って、せっかくのその腕を解体し、再び記事を読む。右手は服のポケットの内で、さりげなく、またわざとらしく、携帯をいじる。
事務所に電話を掛けようかどうか、男は迷っていた。さきほど電話を放棄した場合とは違って、今回は直接聞かねばわからない明確な質問事項が手元にある。だから渋る理由はもうなくなったはずだ。しかしながら、そもそも男は最初から、一度ダムまで行ってみるかどうかすら検討していた。工事がどのように進むのか見ておきたいというのと、場所をあらかじめ確認しておけば当日の緊張感も変わってくるだろうと思ったからだ。それを確かめるついでに、仮説プレハブ小屋の空きを尋ねても良いのではないか。電話ではなかなか話す時間を取れないほど忙しそうだったが、実際に足を運んだ人間にはさすがに対応してくれる気もする。
思惑しつつ、ビラのもう何度も目を通した箇所の文字列を、愚直に目でたどる。何が書いてあるのかを知っていても、何度でも読み込む。記述事項に不審な点があるわけではない。単純に、周囲を見渡すのが怖かったからだ。小さなマンションも、街路樹も、両脇に沈黙しながら、じっとりとした虚ろな圧力をかけているように思われたのである。
この街から拒絶されている、男はそう考えた。正確には、この街そのものが自分と接点がないという意識によってあまりにも空白化し、自分だけがそこから浮き上がって存在しているふうに感じるのだ。目一杯浴びて来た熱射が、今更ながらに作用したかのごとく、男の頭の中はぐらぐらと揺れていた。
例えば、男にとって「この街」というのはどのような形態であれ、受け入れるしかないもの、許諾するしかないものだった。右手に見えたあの学習塾が左手にあろうが、全く存在しなかろうが、男はそれを認めるほかはなかった。初めて来る土地、未知の場所とはそういうものである。そこは自分が飛び入るまでは混沌として形を持たない。つまり、諸々の街のパーツは男がやって来たことによって初めて整理され、一応の形を取るのだ。
この街が、そもそも何者かに仕組まれ、ある目的や意図をもち、時間をかけて造形されていったのだという論を、男は信じられなかった。街を構成する風景は、ただ男がここへ来たことによって、街としての風格を保とうと煩雑に寄せ集められた集合体であった。建物も人々もみんなそうだ。ただ唯一の例外は、空で意地らしく永久に照り付けている太陽、それだけだ。
こう思い至った時、男ははっきりと、ダムまで足を運ぶ決意をした。宿を探すのがいよいよ望み薄だというこの街は、もはや自分にとって何の価値もなかった。それどころか、ここに居続けることで何か重大なものがすり減っていくような気さえした。ちょうどコンクリート道路が所々経年劣化によって変色し、ボロボロと角張ってしまうように、少しずつ。
…それは、初めは何の支障も起こさないだろう。けれども、だからと言って安心し切っていたら、いつの間にかずいぶん深く悪化し、元に戻れなくなるのだ。具体的な影響を挙げるとすれば、現在自分とはっきり関係を持っている場所(それはすなわち生活区域となろう)、その街さえも、この遠く離れた辺境地に倣って私を疎外し始めるのではないか、そんな気がした。
時計を見る。携帯で確かめてもよく、また腕時計で調べてもよかった。そこで男の右手はポケットから何も持たずにするりと抜け出し、手首の上に備え付けられた小さな円盤をストリッパーのように見せつけた。さすがにまだ12時にもなっていない。男は慎重な気持ちになって、天を仰いだ。そして陽が高く高く上がっているのを目を細めて見返した。その間にも足は依然として、来たばかりの道を引き返している。「これでいいんだ」自信なさげにそうつぶやく。
切符売場の前から何気なく改札窓口を覗き見た時、そこに立っている相手が、降車したときの駅員と変わっていないことを知って奇妙な罪悪感を感じた。それから路線図を眺めると、目的地は赤く色づいた現在地の線の先に終点駅としてひときわ大きく載せられてあって、探すまでもなく目に入った。何気なく財布から金を取り出したとき、ふとこんなものかと思った。対価としての金を払う。すると行きたい場所へ連れて行ってくれる。簡単な図式だった。金がやり取りを簡潔に収めているのだと思った。言ってしまえば、金が男をこの地点まで移動させるのだ。彼は簡略化されたこの路線図の中において、たったひとつの点としても存在せず、仮定上あの終点に向かって押し流されて行くのであるが。
左上に掲げられた電光掲示板を見る。電車が来るまでにあと三十分以上必要のようだった。それを知って、男は自分が入ってきた入り口から外を眺め、深いため息をつく。おとなしく構内で待っていよう、と思う。蛍に近い黄緑色に光るボタンを押すと、2ドル15セント分の切符が滑り出てくる。また一足遅れて、釣り銭がバラバラ流れてくる。そしてその切符を指で掻き出すと、努めて自然を装ってあの駅員に渡した。駅員はうつむき加減に、こちらを見やることもなくカチリと切符に穴を開け、無言でそれを突き返した。男は小さく頷きつつそれを受け取って歩き去ろうとした。
まさしくその刹那に、窓口の少し奥で椅子に座った別の駅員が何かに気づいたように顔を上げたのが見えた。視線が交錯する。男の心臓は高鳴った。その駅員は警戒心こそ顔に表してはいなかったが、どこかしら不思議そうな表情でこちらを見ていた。あるいはそれは彼なりの無表情だったかもしれない。男はそこで立ち止まらず、すぐに自ら目線を反らせて歩き去ったので、はっきりと判明はしなかった。
そこから数歩歩いて、やっと男は息を吐いた。何もしていないはずなのに、どうしてこんなに恐ろしいのだろう。何も後ろめたいことはないのに!しかしあの駅員の目には、何となく引っかかるものを感じた。先ほど駅を降りる際にも、やっぱり彼はいたのだろうか。いたかもしれない。切符を受け取る人間が同じであったのだから、後ろで作業する人間も同じである方が当然だろう。だったら、一時間近く前に見た男のことに気がついて、おや?と思ったのだろうか。だが途中駅で一旦降りてまた慌ただしく目的の駅に向かう客だっていないわけではないはずだから、自分にだけ特別気を配るということもなかろう。もしかすると、これはただの錯覚かもしれない。今に気づかれるんじゃないかと、あんまり強く思いすぎたから、ただ息抜きに顔を上げた駅員の仕草まで疑わしく思えたのではないか。
このところ外に出ていなかったせいで、自意識過剰になっていやがる。万人のほんのわずかな反応を、偶然の積み重ねと受け取ることができず、全部が全部関連したものではないかと期待してしまっているのだろう。だがそんなはずはないのだ。巷で起こる現象のことごとくは、偶然によって成り立った、無秩序の産物だ。それを勝手に紐づけて考えてしまうのは人間の巧みな、悪い癖だ。幼い子供が悪戯描きしたキャンバスを観ながら、それが精緻な点描画でできているんじゃないかと談話する。
男の歩調はいくらか怒ったようになった。そして意味もなく遠くにたたずむ人々を視界に入れては、あいつだって、あいつだって、あいつだって私を見ているわけではない。私と関わりがあるわけではない。と、レッテルを貼っていた。
けれども、それは確かだろうか?チラッとでも目に入った線路の敷石は、その時点でもうすでに自分と関わりを持ち、「私」という存在を固定させてしまうのではないか。あるいは「私」があるということによって、世の中ですれ違うすべては、「私」を独楽の中心に据えた立派な渦を構築してしまっているのではないだろうか。
男は目についたパンの売店に立ち寄って、五つの小さなパンが入った袋を買い求めた。三十分。今は影すら見えないその車体は、それでも確かにどこか離れた地区を走っていて、あと三十分経つ頃には、車輪をきしませながらここのホームに現れる。視界に映じていない物体は停止しているとは限らない。そうだ、自分が見えていないものでさえ、自分が認識していないものでさえも、裏側からまさに現実に自分に働きかけているのかもしれない。いや、きっとそうであった。世界の広さと深さとはそこに起因するものではなかったか。むしろ自分の知っていることは、世界全体からしてみれば砂粒より矮小で、ないのと同じ位の些細なものなのだ。ということはやはり、全く自分の外側にあるような環境たちによって、この自我というものは拘束されているのだ。これは何と言う恐ろしいことだろう。
今のところ、男はそう考えていない。彼はホームの長い木のベンチに腰掛けて、味の薄いパンをほふりながら、自分と断絶した世間の無形を信じている。ほとんど願っていると言っていい。男の考えによれば、自分が行ったことのない世界は、未だ泥の段階だ。そして、男がそこへ向かうとなれば、ただそれだけのために、泥は急いでこねられ、乾燥され、なんとか一個の空間として存在できる。そして男を迎え入れることができる。
そういうある種夢想的な考えを男が真剣に捉えようとしているのは、彼にとって意識外からの干渉というものがどれほど耐え難い苦痛であるかということの証明になるだろう。男が生きているのは、男の考えを遥かに超えた巨大な規範によるもので、それは見ることも聞くこともできないのだから、自力で変更することが叶わない。運命は自分の裏側からやって来て、ひっそりと背中を貫き、静かに体を操るのだ……。こういうことをあっさりと信じたいと思う人間が果たしてどれほどいるだろうか?
男は貧乏ゆすりを始めた。一瞬忌々しげに眉をひそめるが、そんなことをしても余計に疲れるだけだということを悟って、額を叩き、目を閉じる。そうして娘のことを思い浮かべる。決して男は彼女のことを思い起こそうとしたのではなかった。彼はただ目を閉じただけだった。ところでそういう時には、大抵脳内でランダムに映像がより分けられて、瞼の裏に提出される。男は他者との交わりを娘以外と取っていないに等しいから、自然、その映像に娘が選ばれる確率は高くなる。そうして男はこれをどう捉えていいやらわからない。腹立たしく思うはずはないにしろ、手放しに嬉しがることもできない。それは男が娘に引け目を感じているからだ。
自分はいわゆる「立派な父」という像からは遠く隔たったところにいる。その事実は娘を苦しめるのはもちろんのこと、男が自分自身をこれでもかというほど痛めつける材料になってしまう。どうやら男は、自分を痛めつけることによって責任を果たそうと欲求しているらしかった。自分がだめな父親であるという事実を心に刻みつけて、のたうち回る分だけせめてもの償いとしたのだ。男が一向自ら動くことをやめてしまって、悩みに熱中する癖をつけたのはおそらくそのためだった。男は何かする必要があった。何もできないように制限された生活を送っていながら、何か労苦を得ようともがいた。そんな時、悩みはまるで救世主のようにすくっと立ち上がり、手を差し伸べたのだ。
力なく男は首を振って、弾みをつけてベンチから立ち上がった。そこで思いついたようにカバンの中からミネラルウォーターを一本取り出して水を口に含んだ。それからまだ何の音沙汰もない線路の先をじっと見据えて座り直した。途端に貧乏ゆすりが再開される。逃げたい、とひたすら男は思った。その言葉は今までに何度も浮かんでは消えてきた、霧めいた望みである。ただ悲痛なことには、どこからどこへ逃げたいのか、男自身にもさっぱりわかっていなかった。それでも、逃げたい。どこまでも逃げたい。こう思いだすと、気持ちの収集はもはやつかなくなって、男は悔しさに拳を微かに振るわせた。
トイレを見やって、時計を覗く。そしてまた目をつぶる。彼はただ時間が早く過ぎてくれるのを待っている。