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しぶき  作者: 師走
10/12

10

随分経ってから、男はふらふらと自室へ入り、戸を閉めた。その戸の響きは、静寂の膜を破って、硬く鳴り渡った。男の耳には、ラッチの音までつぶさに聞こえ、しかもそれらの全てが不快だった。男は唇を歪ませて立ち尽くしながら、再び涙が滲み出てくるのを待った。まだ泣き足りない気持ちだった。いつまでも泣いていたかった。できれば、今すぐにも再び戸を開けて、居間に向かっている娘を抱き込み、彼女がすでに泣き止んでいようがいまいが関係なしに、おいおいと独り善がりに嗚咽したかった。けれども、泣くことは悩むことと違って、いずれ終えねばならないのだし、その時に激しく気持ちを発散しておけば、後には埋み火のような不思議な胸の落ち着きがやって来て、楽になってしまうものだ。これは、「悩むことによって自傷し、責任を果たそうと欲求する」という男の行動パターンに反している。このことからも分かるように、一般的に思われているような、「悩みがあると、それにそぐう形で泣く」という図式は誤りである。悩みと泣き出すことのつながりは希薄なのだ。その二つは明らかに異なる別種の行為で、相関を求めても案外上手くいかない。作用する場所も異なれば、作用するベクトルもまるで反対だからである※。


泣くという行為は、内に秘めた悩みが引き金になることはあれど、それを増幅させるわけでも、解消させるわけでもない。溢れんばかりになった考え事に耐えきれない心に作用して、一旦問題を先送りにし、スッとさせてくれるだけだ。つまり、精一杯泣く分だけ、一時的に問題が透明化するという報酬が返ってくるのだ。それはあたかも問題が解決したように思われるが、全くそんなことはない。泣きじゃくるだけで絶望的な状況が途端に好転し、まるで川を堰き止めていた巨岩が除かれたみたいに事が運ぶようになるなんて、あり得るはずがないではないか。しかし人はそれを期待してこそ泣くのである。幼い頃から事態の好転を願って泣き続け、しかもその願いは裏切られ続け、ついに泣くことの無意味を悟る。これは人間が成長する際にどうしてもやらなければならない通過儀礼である。


その儀礼をすっかり済ませているはずの男が、自分のポリシーに反してまで泣いたのだから、これは例外的な非常手段であったと言わねばならない。娘の涙に対抗する手段として、自分も泣く以外になかったのだ。もしあの時泣かなかったとすれば、自分を慕ってくれている娘を理不尽に傷つけた敵対者として終わっていたに違いなかった。男と娘の間に構築された壁は、まるでそれぞれを攻撃から守るようにそそり立って、もう崩されないはずだった。しかし双方の涙によって、その分厚い壁は瞬くうちに解きほぐされたのだ。というのも、認識は一度突貫工事で作り替えると、それが長い間持続し得るものだからである。たとえ一時的なものであっても、あの瞬間、二人の心の内の問題は同時に泣くことによって悉く霞んだ。彼らを隔てた障害はなくなり、二人は融和したのだ。


それだけではない。二人は泣くという特殊な体験を共有し、また「共通の悩みによって泣かされた」という一般論の欺瞞から抜け出せないことによって、強い仲間意識を構築することさえできたのである。そこではとどのつまり、悩みや、悩みを引き起こす経済難といった、周囲を取り巻く環境や問題意識そのものが敵対者となった。対して味方はたった一人である。それが男にとっては娘であり、娘にとっては男となる。こういう場合、敵のあまりの強大さに屈する気持ちが起こってこないことは甚だ不思議である。それよりむしろ「こんな中でも味方がいてくれる」という希望が勝り、気力が湧いてくるのだ。敵の方を向いたって際限がないのだから、味方を見ていようとする無意識の所業なのだろうか。それとも、自分が倒れたら味方も倒れるだろう、また、味方が倒れたら自分も一人ぼっちで立っていられはしないだろうという恐怖によって、二人鼓舞し合う間柄にならざるを得ないのか。とにかく、このようにしてできた仲間意識は次々に膨らんでいく必然性を秘めている。これは男にとっては大きな恩恵ではないか。


ただし、男は先ほどの涙が、本当のところ、打算的であったことに半ば気がついている。男が釈然としない気持ちでいるのはそのためだ。見かけの上では、彼は娘に追従して泣いただけなのだが、それは当然「もらい泣き」ではなく、もっと自主性に富んだものであった。涙を流している相手を見て、「自分も泣かねばならない」と咄嗟に思い至らなければ、泣くことはできなかったろう。簡単に言えば、彼は娘が泣かなければ決して泣かなかったはずなのである。


狡猾な無意識の計らいによって、涙に涙を返すことができたということを、男は不幸にも直感できてしまった。懸命に無い涙を振り絞ったあの努力が、そもそも怪しかったのだ。今でさえ泣いていたいという、嘘を上塗りする企ても、後付けのアリバイ工作に熱中するあまり刑事に疑われる泥棒のように、ただただ自分が「クロ」であることを白状するものでしかなかった。


それに、元はと言えば、男の放言で娘は傷ついたのだ。自分で彼女の心に穴を開けておきながら、慌ててそこへ粗悪な軟膏を塗りたくろうとするだなんて、これほど分かりやすい偽善もないものだ。男は娘のことを慮って慰めたのではなく、その動機は専ら利己的なものだった。もしかしたら、彼が娘を大事に思うその想いすら、腐乱臭のするエゴイズムの結晶かもしれないのだ。


いや、それだけでない。彼が釈然としない、その理由はまだある。彼は全世界を敵に回して、娘との連帯を約束しておきながら、その履行すらも不可能な状態にあったのだ。全世界の「環境」と戦おうとするのはまだ真っ当である。実際、男は行く先々で拒絶され、侮辱され、それに耐え続けなければならなかった。しかし、環境によって生まれる「悩み」それ自体を敵に回すことなど、はなから彼にはできぬ相談であった。


悩みを敵に回すことは、今までリストカットの道具として慣れ親しんでいたものが、実は自分と全く対極の位置にある攻撃者だったということを意味する。もしこれを認めてしまえば、男が間断なく苦しんだ全ての意義が損なわれてしまうのである。なぜなら、悩みは自傷の手段であって、他から受ける傷ではないことを前提としているからだ。他から受ける傷なのだとしたら、それは偶然受けた致傷に等しく、娘への償いにはならない。(同時に、悩みは味方でもない。味方から攻撃されるのは裏切りといえるが、それもやはり自傷とは異なる。)


こめかみのあたりに血管を浮かべて、男は息を吐いた。時間が経つにつれ、娘との「涙の盟約」が、実は白紙であったという自覚は確固になった。せっかく築き上げた認識ではあったけれど、そこには既に取り返しのつかないヒビが入っていたのだった。男はすっかり諦め切った様子で、足を引きずるように前進した。木机と、本棚との細い間を通り過ぎる。机の上には、ダム事務所に電話した日に抜き出した本が、始まったばかりのページを広げて未だうつ伏せに置かれている。電気スタンドは首をねじ曲げてその背表紙を覗き込み、本棚には一冊分の奇妙な穴が開いているはずである。確かめはしない。男はじっとりと下唇を噛んで、老人のようによぼよぼと部屋の奥に到達し、掛かったカーテンを引いた。


そこには、海の中のような青白い夕暮れの世界があった。と言っても、この窓からは見えるものがほとんどない。視界の大部分が隣家の換気扇で占められていて、左端に辛うじて見える庭は、いつもと全く変わらぬ人工芝で埋められていた。それでも、夕暮れのこの時刻には、そこら中が一様に水色に染められ、小さく震えている換気扇でさえ、その白塗りの機体を青っぽく浮かび上がらせるのである。


男は、自分も今青ざめて立ち尽くしていることだろうと考えた。自分で自分の体を確認することなどできない。だが、この夕暮れの強制力は、ほとんど例外を認めずに万物を引きずっていくのだから、確認せずとも知れたことだった。一まとめにされた万物は、やがて夜に手渡され、闇の中に埋没して、初めて解放されることになるのだ。


窓枠には埃が積もっているようだった。このカーテンを開けるのは本当に久し振りだったのだ。男は窓をすっかり開け放してしまおうとロックへ指を伸ばしたが、触れる直前でやめにした。持ち上げた右手をそのまま自分の方に向けて、二度軽く握る。


…この手で、娘を汚したのだ、と思う。娘の無垢の愛慕を利用して、彼女の髪を梳き、機嫌をとった手だ。これが私の右手だ。それから、腕もそうだ。彼女の小さな体を抱き込んで、あたかも守ってあげるような格好をした。そして実際にやったことと言えば、自分の保身なのだ。これでもまだ、父親面していくのだろうか?再びこの腕で彼女を抱くのだろうか。


そしてまた、服。

男は上着の胸元を確かめる。この辺りで、娘は泣いていた。生地は彼女の純粋な涙を吸い取っているだろう。それを自分は、不純な涙でぶち壊したのだ。男はかえって清々しいような心持ちで反省をした。彼は泣いている際に、やっとのことで娘に告げた言葉がある。それは「悪かった、悪かった」という謝罪であった。たったそれだけだが、それが全てだとも言えた。最初から最後まで、男が悪かったのである。


そこでやっと、男は窓から身を離し、脇に置かれたベッドに体を横たえた。そしてなんと、薄く微笑んだ。彼は開き直ってしまったのだ。「善でありたい」と願いながらそれに背反するくらいなら、悪を自覚してしまえばそれきりだ………。とは言え、元々彼は自分のことを善い人間であると自負していたわけではないのだ。むしろはっきりと悪い父親だとも思っていたし、自分の在り方については何一つ自信を持っていなかった。しかしながら、娘を大切にしようとする、その善性への志向だけは持ち合わせていた。ところが、彼の行為はその思考と常に逆行した。しかも、彼が娘を大事にする理由はどうも自分を守ることにあるらしい。それを知った時、男はやっと安定した。堕落の途中にいると思っていたのに、実は救いようもなく地獄の底にいたことが理解できたのだ。彼の笑みは業火に焼かれる直前の落ち着きだった。


彼は子供のような気持ちで、背中が引きつって溶けていく想像をした。マグマだまりの中で、火の泡がボコボコと破裂していくように、男の体は薄く引き伸ばされ、小さな破裂を繰り返して、ベッド一面を覆った。髪の毛は圧縮されて一枚の海藻のように延ばされ、手足の指も区別が消えた。もはやこれを人と呼べる者はいないであろうと思えるほどに、体は液状化し、床にまで滴り落ち、そこをじゅっと焦がしてしまった。


その焦げた穴からタケノコが生えると良い、と男は思った。その竹の子は日に日に高く成長して、屋根を突き破り、天に届くのだ。太陽だって及ばぬくらい高い所へ………。

そこまで考えつくと、男のイメージ全体は黒く薄まって、見えなくなっていった。


ああ、眠るのだな、と彼は微笑を絶やさないままに感じた。

ならば眠るが良い、もう覚めないと良い、タケノコはいつか枯れてしまうまで伸び続けたら良いのだ……。

それからすぐに睡魔は完全に頭を占拠し、男を眠りの壺へ落とし込んだ。


※悩みは問題を極大化して見せる働きを持ち、泣くことは問題を虚無化する効果を有する。また、悩みは自身を傷つけることに役立つが、泣くことは自身を防衛することに使われる。これほどまでに美しい対立関係をなすことができるなら、悩みと泣くことは相関の強い一対の行為に思われよう。けれども、これは見せかけだけのことだ。泣くことなしに悩むことができるのを、あるいは、悩むことなしに泣くことができるのを考えてみてほしい。例えば男は責務を果たすために悩みを用いたが、責務を放棄するために泣いたのではない。泣いたのは、あくまで娘への疎外を打ち消すためであった。泣くという行為は、その行為をするのに適していると思われる場面において、突発的・対処療法的に使われるものであるから、悩みがあるかどうかは直接関わっていない。もちろん、悩みによって膨張した苦しみを解消するためにしばしば涙が使われることは認める。だが、それは悩みの対極に泣くという行為があるからではなく、偶然、悩みを霞ませる効果を涙が持っているからというだけなのである。


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