「の」の字 前編
わたしは畳の上にしな垂れ、人差し指の腹で「の」の字を書いている。
薄暗くなった十畳間で灯りも点けず、しな垂れただただ「の」の字を書いている。
時折、湯殿から「ザッパァァァァン。カッコォォォン」と、屈託のない音が聞こえてくる。
ああ、なんて捻りのない音なんだろうと思いつつ、わたしも何の捻りもなく「逡巡しながらモジモジする人」らしく畳の上に「の」の字を書いてる。
何十回目の「の」の字を書いたときだろうか、突然、脳内ガンマ波がスパークし「いや、まだ、やれることはあるんじゃないか。全てを出し切ってないだろう」とスポ根マンガよろしくな発想を閃き、指を止めるのだった。
わたしは専業主婦と言うアルティメットスタイルな職に就いている。舵取り次第では神様の前で永遠を誓った関係でさえも破壊してしまう極めてセンシティブな職業だ。
わたしもこの職に就くまでは専業主婦と言うものを軽く考えており、起床して食事を拵え朝食、旦那様を見送ると、低俗なワイドショウ番組などを見ながらスマホをいじりつつ、全自動洗濯機のスイッチを押す。
お昼を食べながら低俗な情報番組を見つつスマホをいじり、サスペンスドラマの再放送を楽しむ。
夕食の買い物をするついでに服飾雑貨等を見て周りスターバックス、もしくはイオンモールのフードコートで糖分補給。
夕食を拵えつつお風呂のスイッチを押す。旦那様をお迎えして夕食を食べながら特にオチのない話をして、入浴、スマホをいじりながら就寝と言った、ログインすればOKみたいな余裕のデイリークエストを毎日こなす、初心者大歓迎!誰にでも出来る単純作業なお仕事です。と思っていたのだが全く違ったのだ。
専業主婦はNASAの地上管制官と同等の責任重大な職業であったのだ。
そんな大袈裟な。と思われるかも知れないが、わたしの説明を聞くと「ああ、なるほど」と、膝を叩くに違いないので少し聞いて欲しい。
まず大事なのが金銭管理と言う財務仕事がある。これを怠ると夫婦仲がギクシャクしてしまい最悪、空中分解と言う悲劇が起ってしまうのだ。
自分が働いて得た報酬を全て他人に預け運用させると言う、冷静に考えると「ちょっとイカれた」行為も妻への信頼があってこそ成り立つものであって、仮に峰不二子のような女性にお金を預けると「持ち逃げ」または「使い込み」と言った「ヒリヒリするような刺激的な毎日」を味わえるが、官能的な生活の負債は日増しに増大し、やがて家賃の催促、借金の督促状、鳴りやまない電話等に追い込まれ怯え不安で夜も眠れなくなり出社も出来ず、社会的信用もなくなり、SNSとか言う救難信号のような字面だが誰も助けてくれない空間で罵詈雑言を浴びせられる「地獄システム」に落ち入り夫婦生活は破綻してしまうのだ。
夫婦関係はおろか人間不信になり、泥水を啜る生活を余儀なくされる程悲惨な目に遭うので、家計を預かると言うのは重大な仕事なのだ。
計画的な収支で納税や予測不能な支出の為の貯蓄など生活を破綻させぬよう借入金ゼロの健全な経理をしなければならないのだ。
食事も家計と共に重要な仕事で、最少限の出費で最大限の栄養バランスを得られる費用対効果を考えつつ、毎日同じ献立にならないよう工夫すると言った、グーグルの社員も顔負けのアイディアを日々打ち出し食卓に並べているのだ。
健全な精神は健康な肉体に宿ると言われるように、充分な栄養と睡眠を取るには家庭生活の安心が前提にあり、この安心を作り出す尊い仕事を女性達は日々こなしていることを世界中の男性達たちは知っていて欲しい。
つまり仕事に行く旦那様は宇宙に船外活動に行くようなもので、わたしのバックアップが万全でこそ職務に集中ができ組織で信頼され報酬を得られるのだ。
これ程までに重要な職業は専業主婦とNASAの職員くらいだ。
専業主婦でさえこれだけ大変なのに兼業主婦と言う、これらの重大ミッションとは別に仕事をこなす、素晴らしい女性達が世の中にいることを男性達は肝に銘じ、日々、女性に対して労いの言葉と感謝を示しすことを忘れないようにして欲しい。
また、子育てをするパートのおば様達を軽く見る男性は地獄落ちるので気をつけるように。
本日も早朝から食事の用意をしつつお弁当を作り朝食、旦那様をお見送りした後に金銭出納帳に支出を記入し固定費を下げる方法を模索す頭脳労働をこなしながら、炊事洗濯掃除といった力仕事も遂行する、まるで昭和のワンマン社長ような脂っこい業務をこなし、昼食後はサルと猪を警戒しつつ庭の手入れと武器庫のような納屋の片づけと言った、結婚前は想像だにしなかったハードワークをこなしていると旦那様から「今から帰るよ」と、メッセージが入って夕食の準備に入る。
旦那様には出来立ての食事を召し上がって頂きたいので帰る時にメッセージを入れてもらう約束をしているのだ。これから旦那様が帰宅するまでの二時間で手際良く調理し出来立ての食事を食卓に並べ夫婦水入らずの食事をする。
このような日々の積み重ねが大事なのだ。
勝手口から台所に入り炊飯から始めようと人差し指で「一合から一升まで」が売りの全自動ライスストッカーのボタンを押した時だった。
普段なら「ザッサー」と小気味の良い音と共に大量の米粒が受け皿に供給されるのだが、本日の夕刻は「カチ。カチ。カチカチ」と、なんとも貧しい音がした。
昨日まで快調に供給されていたのに。
毎月お米を購入する日よりも減りが早い。早すぎる。これは非常事態な臭いがする。恐る恐るライスストッカーの蓋を開けると米粒が「残念」とも読める状態で並んでいて軽くめまいがした。
そうだった、あれは二週間前、旦那様が会社の同僚と部下の方達を我が家に招待し酒宴が執り行われたのだった。
そのとき「妻はね。料理がとても上手いんだよ」なんて世辞を言われ、皆に持て囃され、旦那様の期待に応えるのも妻の務めとばかりに調子に乗り、石焼ビビンバ、パエリア、ナシゴレン、生春巻き、締めは牛テールスープのフォーと気合を入れお米を大量消費したのだった。
そんな米料理ばかり出してバカか。と思われるかも知れないが、旦那様は小麦アレルギーで変化球的なお米料理が大好きなのだ。だから、お米を切らしたからと言って、トースト、パスタなどの欧米方面の料理に逃げる事が出来ないのだ。
と言う訳で旦那様の大事な栄養源を失い軽いめまいがしたのだった。
旦那様の帰宅まで二時間しかない。
「二時間もあるじゃん」って思っている方は都会暮らしの方だ。
これは、わたしの責任でもあるのだが、お見合いの席で都会暮らしは性に合わないので、出来ることなら静かな環境で暮らしたい。ビジュアル的に言えば「となりのトトロ」のような。と、所望したところ、麓にあるバス停まで徒歩一時間、バスの本数は早朝と夕刻の一日二本。最寄りのスーパーマーケットまで片道二十キロ強。コンビニエンス・ストアは片道三十キロ。出前を断られた経験あり。縁側でお菓子を食べていたらサルに襲われそうになり、庭の草むしり中に猪が目の前を横切ったり、鹿にガンつけられたりとか「となりのトトロ」ではなく「もののけ姫」的な、人里離れた古民家で新婚生活を始めることになったのだった。
決して旦那様に悪意のあってのことではなく、わたしを喜ばせたいばかりに、過剰な「おもてなし」サービスを行った結果であって、旦那様がわたしのことを好いておられる証拠だ。
自動車はおろか自転車の操縦もできないわたしの移動手段は徒歩か走るかしかなく、世界最高峰のマラソン選手並みの走力があったとしても旦那様の帰宅には間に合わない。と言う理由で、ここの二時間は都会の二十分位だと思ってほしい。
ならば旦那様に帰りしな買ってきてもらうよう頼めば良いのだろうが、今は車の運転中で、わたしがメッセージを送ったばっかりに、よそ見運転をして単独事故、あるいは人身事故を起こしたら大変だし、停車中に確認後、ルート変更、いつもと違う行動を取ったせいで遭難、事故にあったと言う戦慄の話を「奇跡体験アンビリーバボー」で見たので依頼するのは止めておいた。
そうだ「カチ。カチ。カチカチ」と鳴ったと言うことはお米がゼロではない。少量の米粒でお米を増加させると言う魔法の調理法「雑炊」と言うものが日本にはあるじゃないか。と思い、かき集めにかき集めた米粒は三十粒ほどしかなかった。
これでは99%が具の雑炊だ。なんなら隠し味だ。それでもチャレンジするのが人間だ。無理とわかっていても挑戦するのが人間だ。それと家事には自信がある。
そして数十倍に膨らまそうと欲張って米を煮込んだ結果、お米はノリ状になり米粒の原型がなくなった。
嫌な粘り気のある煮物。
薄気味の悪い味。
米を切らした上に腹ペコの森の動物でも食さないインディペンデントな創作料理を食卓に出す勇気はない。
「妻はね、とても料理が上手いのだよ」はベタなフリではない。普通の意見だ。。
熱湯風呂を前にして「いいか、絶対に押すなよ!」って意味じゃない。わたしたち夫婦は芸人ではない。
残り一時間。
隣に住む横田さんの家まで五キロ、行ったとしても「お米を貸して下さい」と、お願いできるだろうか、都会の人混みと田舎のプライバシーのなさの両方に辟易しているわたしはご近所付き合いをしていない。
そんな引越しの挨拶もろくにできない女が突然現れて「お米貸して下さい」なんて言ったら、確実に「明日来てくれるかな?」なんて遠回りな拒否反応が返ってくるはずだ。
そしてわたしはか細い声で「いいとも」と言うはずだ。
そうだ。タクシーだ。片道二十キロとは言っても山道と田舎道。信号機はない。時速八十キロでぶっ飛ばせば十五分。もっと飛ばせば十分をきれるかも知れない。日本一速い豆腐屋さんみたいな運転手さんに法廷速度の倍掛けで料金を支払うと言ったら欲に目が眩み法定速度の三倍は出すかも知れない。
思案の時間はないぞ綾子。早速受話器を取りタクシー会社に連絡。こちらの住所を告げると、今は全ての車両が出払っており、そちらに伺えるのは二時間後だと、やんわり拒否られたので丁重にお断りをした。
ああ、タクシー作戦も無理か。いや、個人タクシーの山中さんがいる。でも無理だ。山中さんはご高齢で時速二十キロ以上出さないベテランドライバーだ。白いヘルメットを被った中学生の漕ぐ自転車に易々と抜かれていたのを目撃したことがある。
残り四十五分
次の作戦を考えよう。隣の横田さんの家までは山道の一本道で他人が通ることは絶対にない。居るなら密猟者だ。まして横田さんが訪れることもない。と言うことは、木を切り倒し道路を封鎖してしまえば、旦那様を帰宅困難者にする事が出来る。
「まあ、大変ですわ。暗くて危険ですから無理をなさらず会社近くのホテルにお泊りになられてください。明日になれば役所の方が通れるようにしてくれますわ。ええ、その方が、わたしも安心ですから崖を登るような無茶は、お止めになられてくださいましね」とか何とか、さめざめと言って帰宅を諦めさせ明日の朝、タクシーでお米を買いに行けばいいのだ。
完璧だが、なんと言う悪魔的な発想だろうか。
完璧な妻であるために、ここまでやるとは自分が自分で恐ろしく本末転倒な気もするが、でも完璧な妻である為には時に非情な手段も辞さないのだ。と自分に言い訳して納屋で軍手を嵌め手頃な斧を持って山道を下り、左にカーブした所に丁度よく道を封鎖できそうな木があったので倒すことにした。
根元の腐葉土に足を踏ん張らせ腰を落とし、渾身の力で斧を振る。
「ガツ」っと、身体中に音が響いて「カサカサ」と、軽く葉が揺れ、なんか見たくない物が降ってきたが構わず振り続けたものの、これは思った以上に難儀だぞ。ってか無理。と思ったが、諦めたらそこで終わるらしいので、諦めず斧を振ったが大した傷もつかず、なんなら観光客が記念に名前彫りました程度で、この作戦も失敗かと思った時「ガサガサガサガサ」と猛烈な勢いで草を掻き分けながら黒い塊がこっちに向かって来た。
わたしは山の斜面を全力で駆け上がって猪の突進をギリギリで回避し「山の神様ごめんさない。もう二度と森を傷つけません」と顔面蒼白、心臓バクバクで謝罪していた所で麓の方に車のヘッドライトが見えて「与作作戦」終了。
「おかえりなさい」
このとき、なぜ素直に言わなかった。微笑む前に言うことあるだろう。
「お風呂にします?それともお食事?」
違うし。なぜ訊く。お米がないのに。
「先に風呂に入ろうかな」
ああ、苦悩する時間が長引いただけのお風呂タイム。
いっそ「食事」と言ってくれればよかったのに、今頃は浴槽に浸かりながら本日の夕食に思いを馳せているに違いない。
なんて罪作りな時間。もういっそ「米」とだけ書いた置手紙を残し、この場から去ろうかしら。そう言うのが「無責任」だと言われたとしても「お米を切らしたの」なんて言うよりはマシな気がする。
マジで。
職場放棄と言われたとしても解雇と自主退社は箔が違う。質が違う。意思の重さが違う。
なんて思いながら、畳の上で「の」の字を書きながら、モジモジしていたが、ふと「いや、まだ、やれることはあるんじゃないか。全てを出し切ってないだろう」と、指を止め最後にして最大の作戦を思いついたのだった。
中編につづく