第4話:大群(たいぐん)
月夜の町壁の屋上。そこには大人十人分程度の幅毎に足元を照らす電球がポツンポツンとフェンスと足場の隙間に挟み込まれていた。
壁の足場の上では、分厚いジャケットと鉛色のチョッキを着込み、ライフルを持った男が見回りを行っていた。
「ゲッヒャァァァー!!」
邪悪な叫びを上げた影が、見回りの男に対して上空から滑空しながら切先がギラつく何かを投げ付けようとした。
だがその声の主は何かをする事も無く、空から町壁の足場に頭部から激突し、頭蓋の音をミシリと鳴らし痙攣する。
それは腕に翼を生やした魔族だった。魔族は男に銃で胴体の中心を撃ち抜かれて既に虫の息。
男は地に伏した魔族を見下ろしながら、その手から短い刃物を奪い取りその喉を突き刺した。
男は懐からボトルを取り出し、息絶える間際にビクンビクンと震える魔族の喉から青い血液を搾り取っていた。
壁の外には地を覆い尽くす程に無数の魔族達が群がっている。この状況は今に始まった事ではない。
彼は元々この町に駐屯していた警備兵だった。ある日を境にここにも魔族が押し寄せる様になっていた。
最初の頃は比較的少数だったものの、魔族達は普通の人間よりも動きが早く、武器の扱いにも長けていた為、共に戦っていた仲間達は次第に押され、守るべき町民達と共に命を落としていった。
追い詰められていた最中、外からこの町に退避して来た者達の中には、猛者がいた。
彼らの助けもあって、守り切れなかった人々もいたものの町の中にいた魔族達は全て掃討する事に成功し、幸いにも壁の内側の脅威は一応無くなっていた。
壁の「内側」だけは。
町壁の外側の魔族の数は日に日に多くなる一方だった。
この町は大昔、戦争や貿易の拠点として使われていたという。その為もあって、壁の作りは古いものの、大砲や爆発物を使用されたとしてもそう簡単に破壊される事は無い。
一時は何もない所から転移したかの様に魔族が現れた為、不覚を取りはしたが、現在は壁の四方の門は完全に閉ざしており、外敵の侵入は免れていた。
だが敵の数は多くなる一方。地上の魔族程多くはないものの、空を飛べる魔族も襲撃してくる始末である。
度重なる襲撃を経験し、見回りの男は既に魔族に対して動じなくなってはいたが、打開する術が無い状況に対して微かな焦りを覚えてもいた。
「なんだあれは?」
突然の事だった。月夜の闇に包まれた地上の果てに激しい爆炎が立ち上がる。毎日が饗宴の様に癇に障る笑い声が出しながら蠢いていた魔族達が一瞬どよめきを上げ、静寂。そして……
「キェェェェェェ!!」
凪の海に潮騒が鳴り出したかのように、慌てふためき出した。
壁の外に目をやると、辺りを包囲していた魔族達が壁から遠ざかっている事に気が付いた。
「こちらロイ。南の壁の外側に爆炎が発生。魔族達が後退している」
ロイはズボンのベルトに取り付けていた無線機を口に近づけ、仲間へ状況の変化を報告した。
ー少し前ー
町より遥か先に離れた高台の斜面から一台の二輪車が一切の躊躇いなく、駆け下りてくる。
「れれれ、レイゾード! な、何をする気なんだ!」
レイゾードに連れられた少年アジルは今まで経験した事の無いほどの二輪車の速度に怖気付き、声を震わせながら彼の腰に力いっぱいしがみ付いた。
肋骨が軋みそうな程に強く締め付けていたが、レイゾードは眉一つ動かさず右手のハンドルを絞り上げて速度を出す。
「ギギッ!?」
斜面を駆け下りるのはあっという間だった。何処かで転倒してもおかしくないくらいに無茶な速度であったが、レイゾードは一切バランスを崩す事なく敵の大群の前へと辿り着いていった。
あまりの速さの反動で心臓が飛び出しそうな程に胸を圧迫され、意識を失いかけていたアジルであったが、目が覚める様な災難が彼らの前に降りかかる。
魔族達が目の色を変えて、こちらに武器や爪を向けていたのだ。
「れ、レイゾードォ!!」
「しっかり掴まれ」
レイゾードの強引さ、魔族の大群の迫力にアジルは既に縮こまる様に彼に抱き着いていたが、レイゾードは念押しするように声を掛け、そしてー
「ギャ!?」
突然二輪車のシートの上で立ち上がったかと思ったら、跳んだ。
「わ、わわわわわ……」
人一人分や二人分、などという高さではない。人間では凡そ不可能な程、まるで彼だけが重力の影響を受けていないかのように、レイゾードは高く高く跳び上がった。
「ギャァァァァァァ!!」
地上に取り残された魔族達は跳び上がったレイゾードに気を取られている内に高速で迫ってくる二輪車に対する反応が遅れ、数十体、無惨に轢き殺されていった。
満月を背にしたレイゾードとしがみ付くアジル。空中に漂う彼らは魔族にとっては格好の標的。
銃器を持った魔族は上空に狙いを定め、刃物等の近接武器を持った魔族もまた、彼らへと投げ付けようと振りかぶる。
「れれれレイゾードぉ!!」
跳躍のピークに達した中でアジルは薄暗く見えづらい月夜の大地であっても、無数の確かな殺意を感じ取り、恐れおののく。
「ギャァァァァ!!」
またも地上から悲鳴が聴こえる。レイゾードは跳び上がる中でも魔族達に対し、撃たれるより先に撃っていた。夕方の戦闘で魔族達から奪った長身の銃で。
大群の、それも銃器を持った魔族だけを正確に。
直後に無数の刃や石つぶて等の塊がレイゾード達に飛来する。しかしレイゾードは空中でも姿勢をグルングルンと曲芸師の様に回転させながら投擲物を躱し、避けきれない物は蹴る。弾丸が尽きた銃で叩き返す。等と言った手段によって被弾を受けず。それどころか地上の魔族達に逆に投擲物を跳ね返していた。
「ギャァァァァァ!!」
魔族達は慌てふためくが、密集していた事が災いして互いの体で身動きが取れず、跳ね返された武器を浴びて逆に負傷。中には急所にそれを受け、絶命する者もあった。
「ギャ!?」
魔族達が怯んだ一瞬の間だった。上空にいた筈のレイゾード達はいつの間にか魔族達の密集地点に姿を現していた。
「魔族には死を」
レイゾードの腰から二刀が引き抜かれ、月明りを浴びて淡い殺輝を振り撒き鋭い剣閃を描いた。
闇夜を、魔族と言う名の邪黒を裂き進むべき道を切り開く様に。
偃月状に走った刃の月光は、十体以上の魔族を藁の様に切断していった。
「わ、わわわわわ……」
跳び上がったレイゾード、先手の発砲、魔族の反撃、掻い潜り、そして地上への復帰。
開幕にしてはあまりにも目まぐるしすぎる戦いの流れに常人であるアジルは恐怖や驚き、様々な感情が入り混じり頭が付いて行かなくなっていた。
空に跳び上がり攻撃を避け、落下が始まると思っていた。その瞬間にはレイゾードは魔族の群れの中へ、自分は少し離れた位置で傍観者の様な立場となって地上に降りていた。
一体何が起きたのか? 今置かれている現実が普通の出来事ではないとはいえ、レイゾードの体術はそれ以上に不可解な事ばかりであった。
超能力? 超常現象? 作り話の中でしか起きないような突拍子もない状況の数々が彼の身の回りでは起きていた。
魔族達は素手の者は爪や牙、或いは角。武器を持った者はナイフや槍、ハンマーといった刃物や鈍器で死なばもろとも、と言わんばかりに四方八方から襲い掛かるがレイゾードは僅かな隙間を縫う様に魔族と魔族の間に体を入れ、空振った魔族を切り裂き、或いは滑り込んで同士討ちを誘い、相打った魔族達にも止めを刺しながら頭数を減らしていく。
しかし敵の数は無数。魔族の屍がいくら増えてもそれを踏み越えて増援は次々と押し寄せてくる。
増援の魔族達は同胞達の死を悼むかのような躊躇いは一切なく、骸を踏みにじり、多くの同胞を巻き込み擱座した二輪車の傍で陣取り始める。
次の魔族達は皆、銃器で武装し、肌は鉄の鎧を纏っているかの様に月光に照り返され、鈍い金属色を放っていた。
レイゾードは近接戦を挑んできた四体の魔族の武器の持ち手を一度に切断した瞬間、銃器の編隊の様子に気付いて背後へ跳ねて宙返りする。
「ギェッ!」
だが僅かに反応が遅れた、魔族達の銃の照準は既にレイゾードを捕捉していた。数十丁とも知れない多数の魔族の銃口がレイゾードに向け、必殺の凶弾が今まさに放たれた。
「レイゾード!」
今度こそやられる!? アジルが叫んだ瞬間だった。
パチン
火花が弾ける様な微かな音が、距離を取った筈のアジルの耳にも確かに響いたかと思った時。
「ギャァァァァァァァ!!」
突如、巨大な火柱が魔族の悲鳴を飲み込む程にけたたましい爆音を上げて吹き出した。まるで地雷や不発弾の様な物が何かの拍子で起爆したかの様に。
発砲した筈だった銃器は魔族達と共に吹き飛び、銃弾は明後日の方向へと飛んで行った。
大木の様に空高く伸びた火炎の柱は薄暗かった夜を橙色に眩しく照らし出す。
跳び上がっていたレイゾードは爆心地から離れていた為、吹き上がった砂塵を体に浴びてはいるものの、無傷であった。
千切れた魔族達の肉片や、炎で焼かれる魔族、動揺を通り越して恐慌し出す魔族達を尻目にレイゾードはマントに付いた砂塵を払い、再び二刀を構え走りだす。
なにもかもが唐突過ぎて理解が追いつかない。激しい戦いの様子をアジルはただ呆気に取られて見ているだけだった。
―同時刻ー
「本当に打って出るのか?」
「ああ、何かは分からないが好機な事に違いはない」
町を守る扉は開かれていた。扉の周りは外敵の侵入を防ぐ外堀で囲まれ、更にはその上には橋が渡されている。
橋の向かい側の角には一対の太い鎖がピンと張られていた。
本来はこれは跳ね橋。先程までは魔族の侵入を防ぐ為に折りたたまれ、歩行する魔族に限れば壁への到達さえ阻んでいた。
しかし今は掛かっている。橋の向こう側にいた魔族は先程まで周辺を覆い尽くしていたのが嘘の様に、僅かな数しかそこには残っていなかった。
「ギェッ!?」
扉が開いた事に気付いた時には既に遅し、魔族達は打って出て来た三人の人物に頭を撃たれ、訳も分からない内にその生涯を閉じた。
「魔族の数が減っている。チャンスは今しかない」
拳銃を携え首元をマフラーで覆った赤色の髪の人物は、勝気に満ち溢れた眼差しで、勝機を見出しているかの様だった。