むらさきのこえ
遠い空は私の手に、ゆたゆたゆたと零れ落ちて、その逸楽に、富士のおしろいと、豊潤を讃える岩礁あり。ここかしこには、金木犀の馨りが舞踏しているが、私には能わず。無論、このような戯言を諳じるのは、一重に、以前より、頬張っている林檎を想い出しているから。鏡に映る、燈籠のような人には、含羞の光が、嘸かし似合う。不可思議なほど、垂れている後ろ姿や霧のような背中を、追いかけるものでもある。謂われているところには、大抵、茜の簪が必要でもある。原風景への憧れは尽きないものでもあるが、ここは今でも、昔でも、武蔵野。川蝉は立ちて、都筑の池の鏡を、たゆたみながら、空を切り、雑木林に消えゆく。時々、人は、恥じらいに汗をかいているが、やはり、一様に、流れる汗というものは、美しいものでもあり、また、あたりに転がり、散らばる団栗は、涙のような象をしている。私は、地下鉄から電車で一時間ほど揺られて、自宅がある泉の地に辿り着く。アスファルトに照りつける、電柱の円環、あるいは轍には、哀しみを焦がしながら、愁いを彷彿させながら、眼には、鶺鴒や山鳩が、時々、数羽集まり、西方に向かう。様々な老若男女と、車が行き交うが、それはどこの村や街、あるいは、国、時代で、同じであると吟われていても、可笑しくはないであろう。相鉄線の線路は、歩く人々からは、見ることができない。此れを鳴らすことが出来るのは、もはや、風の往来だけである。声がする。その声は、若くも掠れている。
「継ぎ接ぎには、気を付けないと。」
「それ、どういうこと?スピリチュアル?」
「思っている私にも、分からないことだけど、もしかすると、本当に、そうかもしれない。」
どうやら鎌倉初期の信濃国出身の武将であり、鎌倉幕府御家人の泉小次郎はこのあたりで、居館をかまえたとされている。近くには「小次郎馬洗いの池」もあり、私自身も幼い頃から、このような歴史的背景を知らず、友と
土や草の色を、衣服や体につけながら、このあたりで、はしゃぎ遊んでいたものであった。




