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第1話


ちくしょう、と男は誰に向かって言うでもなく呟いた。


顔から吹き出す汗を薄汚れた布切れで乱暴に拭い、黙々と目の前の大岩に日が暮れるまでつるはしを振るい続けた。



「よう、シュート。今日も酒場で一杯やってくだろ?」


「ああ」


同僚の男の誘いに同意しつつ、シュートと呼ばれた男は彼を観察する。

彼の着る薄汚れた衣服はすっかり元の色が分からなくなってしまい、かすかに異臭が漂っている。


昔は顔をしかめたものだが、今ではすっかり気にならなくなった。


何故なら自分も似たようなものだから。

というより、この世界ではこれぐらいが平民にとって当たり前なようだ。


園原修斗はかつてどこにでもいる高校生だった。

卒業を間近に控えた三年生のある日、彼は気づいたらこの世界にいた。


剣と魔法とモンスターの溢れるこの世界に。


初めは夢のようでドキドキした。

物語でみるような冒険が始まるのだ、と。だがその夢はすぐに覚めた。


まず彼は物語でみるような不思議な力は授からなかった。


次に彼を支えてくれる美少女も権力者も親切な武器屋のおっさんもいなかった。


つまる所、彼は物語に必要な一切の要素に恵まれなかった。

世間知らずの子供だったシュートは騙され、利用され、怪我をして気づいたらその日暮らしの肉体労働で日々を過ごしている。



薄汚れた同僚と、どこの現場が楽か情報交換しながらシュートは酒場へと向かう。

道すがら、片足をなくした男が地面に座り込んでいた。



「シュート、あいつ先月の落盤事故にあった奴だ」


「ああ、足をなくしたらしいな」


「ああはなりたくないねぇ」


同僚はブルリと身体を震わせてそそくさと離れた。

この世界に労働基準法などない。怪我は自己責任であり、毎日の稼ぎが宿代と安酒に消える労働者に治療の為の貯金などあるわけない



あの片足の男は近いうちに野垂れ死ぬだろう。

その事にシュートの心はピクリとも動かなかった。可哀想、なんて糞の役にも立たない同情に価値はないと悟ったからだ。


この世界は平等に貧しい者に厳しい。



やがてたどり着いたいつもの酒場で温いエールを煽る。


「っくぁ!うんめぇ!」


「ああ」


「おいシュートよ、知ってるか?ついに来月神子様が産まれるんだそうだ」


「みこさま?」



この世界に来てもう10年になる、神子とはこの世界の国々に表れる現人神の事だというのは知っている。

どういう理屈か知らないが、神様が人としてやって来て国を治めるらしい。


「先代の神子様が事故で亡くなってもう6年だ。これでこの国もしばらく安泰だわなぁ」


「安泰ったって、産まれたばかりの赤ん坊に国を任せる訳にもいかないだろう?」


「ああ?なんだ知らんのか、神子様は産まれた時にゃもう15歳くれえのお姿なんだそうだ。そんで、その国で最も"知恵ある者"の元にお産まれになり何年か人の暮らしを学ぶんだとよ」


「へえ」



話好きの男に合わせて適当に相槌を打ったが、所詮は貴族だのにしか縁のない話だ。

神子だろうがなんだろうが、庶民の暮らしが楽になる政治をやってくれりゃいいなと思ったが恐らくそれはないだろう。


知恵のある者、なんてぐらいだから恐らく高等教育を受けたお貴族様の元に神子は表れるのだ。

そうなれば当然、神子は貴族の価値観を教え込まれ、貴族優先の政治を行うようになる。


だからこそ平民はボロ布を纏うのが当然の生活を強いられるのだ。


考えてみれば元の世界の政治家と似たようなものだろう。権力者が権力を維持できるような仕組みがすでにあるのだと推測する。


全く糞みたいな話だ、そこまで考えてシュートの思考は「神子様が産まれると記念に街中に餅が配られるんだ」と同僚の言葉で切り替わった。

餅なんてもう何年も食べていない、早く神子様が産まれるといいなとシュートは心から思った。




その日の夜、安宿の一室でシュートはぐっすりと眠っていた。

餅を腹一杯食べる夢でも見たのか、むにゃむにゃと口を動かして幸せそうに眠っていた。


異変が起きたのは深夜、誰もが寝静まる頃にシュートの部屋の空気がぐにゃりと歪んだ。

次の瞬間、矢のように歪みから飛び出した光りがシュートの右手の甲にぶつかり弾けた。


弾けた光りは2つに別れた。1つはそのままシュートの右手の甲に集まり、もう1つは人の形になると不思議な事に少女のような姿が浮かび上がった。



「おとしゃん……」


ポツリと少女は呟くと、呑気に眠っているシュートの布団にモソモソと潜り込んで、また安宿の一室は静寂に包まれた。




翌朝、シュートは硬直した。

見知らぬ銀髪の幼女が自分の布団でスヤスヤ寝息を立てていたら誰だってそうなる。


誰だ?誘拐?なんでここに?娼婦買ったっけ?いやこの歳の娼婦なんかいるわけない、いないよな?異世界だとありえるのか?俺はロリコンだったのか?いや違う、違うよな?


たっぷり数分フリーズして、シュートの気配に気づいたのか少女もむにゃむにゃ言いながら目を覚ました。


「あ」


「っ!?いや、違う、これはワナだ!俺は何もしてない!」


「ぅ?おとしゃん、なんの話?」


「違う、違うよな、待て。ちょっと待ってくれ」


「おはよー、おとしゃん!」


「ああ、え?おはよう?」



目まぐるしく変わる思考の中で、シュートは今おとしゃん……お父さんと呼ばれたような気がした、と思った。


ふと、右手の甲に昨日までなかった模様がある事に気づく。

こすってみたが消えない。昨日の酒場での同僚の言葉が甦る。


『神子様の養親に選ばれるとな、手の甲に神樹の紋章が浮かぶんだってよ』



まさか、まさかと何度も心の中で繰り返す。

この世界に飛ばされて10年、俺の物語はようやく始まるというのか。


「なぁ……お前、もしかして神子ってやつなのか?」


「うん!」



それはそれは元気で明るい見事なお返事だった。

幼くとも愛らしい笑顔で人々を魅了するその姿は神子と呼ぶに相応しいだろう。

シュートは、元気でよろしいと現実逃避気味にそう思った。

※マメ知識※

この世界の通貨について

銅貨100枚=銀貨1枚

銀貨10枚=金貨1枚

金貨10枚=白銀貨1枚


この世界の賃金について

肉体労働者(日雇い、貧乏人)=1日銅貨15枚前後

一般市民(日雇い、普通)=1日銅貨20枚前後

国に雇われ働く兵士(月給、ちょい裕福)=銀貨7枚と銅貨50枚

城で働く偉い人(月給、金持ち)=銀貨50枚から金貨2枚


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