冬という季節に
初めて来たスケート場はなんとも言えない新鮮さがあった。
オリンピックではフィギュアスケートを見るが、自分の町にあるにもかかわらずここに来たことがなかったのだ。
とりあえず彼女を探そうと、僕はリンクの入り口へと歩いていく。目の前の氷の床も、初めて見る。
視線を下げていた僕は、突然、目の前をすごい勢いで滑って通り抜ける人に驚いてしまった。
ガーッという、近くで聞くと意外と大きな音とスピードに、一瞬鳥肌が立った。その彼女は今度はゆっくりとこちらへ向かって滑ってきた。そして僕のいる壁に手をつくと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「さっき通り過ぎたときビクッってなったでしょ」
「別に、なってないよ」
僕はそんな弱々しい男に見られたくなくて見栄を張る。
「うそ。絶対あの顔は驚いてたよ」
「なんで通り過ぎるときに俺の顔が見えるんだよ」
「そりゃ私ですから」
少しの謙遜もせずにそんなことを言ってくるのは、なんとも彼女らしかった。そしてそんな彼女のことを憎らしく思うことなく、可愛らしいと思ってしまう自分がいて・・・。
「ねぇねぇ、健も一回やってみよ?」
「俺は滑れないんだって」
「始めは誰でも滑れないもんだよ?私だって転んでばっかだったし、それが悔しくて何度もここに通ったんだから」
彼女が悔しそうな顔をして練習している姿が簡単に思い浮かぶ。なぜかおかしくて吹き出してしまった。
「何がおかしいの?」と、不満そうな顔。「いや、何でもない」と僕は言う。
「ね、お願い。思い出作りのためにも、一緒に滑ろうよ」
思い出作り、か。
そんな断れないような理由を持ち出してくるなんてずるい。
ずるいけど、彼女がいつかこんな事があったことを思い出してくれるなら、僕はいくらでも付き合ってやろうと思った。
「分かった、靴借りてくるから待っててよ」
「りょーかい!」
一通りの準備を整えた僕は、壁に手をつきながらゆっくりと氷の上に右足を乗せた。さらに左足を乗せようと右足に力を込めると、当然だが勝手に進んでいってしまい、あわてて左足を乗せたが手遅れな状態になってしまった。
恥ずかしい格好のまま彼女を見る。
「おい、助けてくれよ!」
「あはは、なんか生まれたての小鹿みたいだよ?」
必死でバランスをとる僕に比べ、彼女は平然と氷の上に立ちながらこの状況を楽しんでいるようだ。
「ほんと限界だって!」
「んー、じゃあ私の言うこと何でも聞いてくれる?」
「分かった聞く!聞くから!」
彼女は僕に手を伸ばしたかと思うと、急に体が軽くなった。
「足の力弛めて」
背後からの囁くような声に従う。彼女が僕の体を抱きかかえるようにすると、ほとんど横倒しになっていた体がゆっくりと起こされていった。壁に着いた手にも力を入れる必要が無くなる。
「はい、これで大丈夫」
「お、おう・・・・・・ありがと」
「いえいえどういたしまして。それじゃあ滑ろうよ、まずは私が引っ張るから両手出して?」
言われるがままに僕は手を差し出す。彼女がその手を掴んで引っ張ると、僕の体はぎこちなく前に動いた。
「体は動かさないでよ」
他のお客さんをよけながら進んで行く。彼女が速度を上げると、少し怖いが本当に滑っているようで楽しくなってきた。
彼女がいきなり手を離すところまでは、だったが。
特訓してもらった甲斐もあってか、帰路につく頃には一人で滑れるようになっていた。あんなに下手だったのがよくここまで成長したもんだと自分でも思う。
隣を歩く彼女が珍しく褒めてくる。
「健、絶対才能あるよ!たった2時間であんなに上手くなるなんて」
「よせよ、まだカーブとか曲がれないし」
「そんなことないよ、でもコーチが優秀だったってこともあるけどね」
しっかりと自分を褒めることも忘れてなかった。たまには言い返してやろうかと思う。
「あーー、やっぱり俺が天才すぎたのかな」
「ちょっと、それじゃあ私の教え方が微妙だったみたいになるじゃない」
「そのせいで何度転ばされたことか・・・」
隣で文句を言いながら歩く彼女を見ると、ずっとこんな時間が続けばいいな、と思ってしまう。
「ねぇねぇ、このまま練習すればすぐに上手くなるよ。そしたら一緒に滑れるよね」
さっきまで文句を言っていた気持ちはどこへ行ったのだろうか。彼女はうれしそうな表情で僕にそう言った。それでも僕はそんなうれしい気持ちになどなれなかった。
「無理だよ」
「そんなことないって、健なら上達する!私が保証するんだから!」
彼女がどうして明るくしていられるのか分からなかった。いや、分かりたくなかった。自分の考えを認めてしまったら僕はもう彼女の顔を普通に見られない。
抑えていた感情が溢れ出す。最後まで楽しくいようと思っていたのに、もう限界だった。
「あと一週間じゃ、無理だよ」
彼女の歩みと笑みが止まった。
僕も立ち止まり、振り返る。
彼女は俯いて何も言わなくなった。
「向こう行っても、毎日教えに来てくれるのか?」
止まらない。彼女に宣告されてから今まで溜めてきたものが抑えられない。
「無理だろ。結局練習したって、滑れるようになったって、それまでだろ」
彼女は俯いたまま何も言い返してこない。普段ならすぐに反抗して僕をからかうくせに、それが余計に僕を苛立たせた。
「おい、なにか言―――」
ふと彼女が鼻を啜る音が聞こえた。
それによって気づかされる。彼女は泣いているんだと。
そして僕はつくづく自分が馬鹿だと思った。どうして分からなかったのだろう、彼女も同じぐらいどうすることもできないこの現状を堪えていたんだってことに。
転校することを僕に伝えてきた彼女は明るかった。まるで授業の教科書を忘れてきてしまったことを恥ずかしがるように、唐突に告げてきた。
(ごめん、転校することになっちゃった)
愕然とする僕とは対照的に、そのときはこの事実を気にも留めていないように見えたんだ。
ああ、そうだったのか。彼女も僕と同じ気持ちだったんだ。
僕は彼女に近づく。勇気とかそんなもの関係ない。今は伝えないといけないと思った。
「ごめん・・・・・。俺、ずっと待ってるからな」
何も返ってこない。当然だよな、と自分で自分を嘲ると、もう一度彼女に語りかけるように言った。
「もし向こうで彼氏作ったら許さないからな。そんなことしたら一生一緒に滑ってやらないからな」
もっと気の利いたこと言えないのかと思う。
それでもこの頭で今思いつく精一杯だった。
「そっちこそ」
小さな声で彼女が囁いた。そして次はいつもの元気な声で
「そっちこそ勝手に彼女作ったら許さないからね」
やっと顔を上げた彼女の瞳は、それでも涙で潤んでいた。
涙を拭いてやると、また文句を言い出した。それでも構わず彼女の手を取り歩き出す。
手を繋いでいるせいか、寒さが気にならないほど僕はあたたかさを感じていた。
「俺さ、お前が転校していってもスケート練習するから」
「うん」
「だから後一週間はしっかりと教えてくれよ?」
「うん、しっかりと鍛えて上げる」
僕は前を向いたままふっと微笑んだ。暫しの間の後、ふいに彼女が聞いてきた。
「ねぇねぇ、さっき何でも言う事聞くって言ってたよね」
少し考え、あのときかと思い出す。
「ああ」
「それじゃあ――――」
彼女が転校していった後になって、思い出す。あのときのことは彼女の思い出作りのためだけじゃなくて、自分の思い出にもなっている。
あの甘酸っぱいくてしょっぱい思い出を、いつか笑いあって語る日が来ることを夢見て。
短編第二弾です。
長編考えてる途中にふと思い浮かんで書いてしまいました。楽しんで頂けたら幸いです。




