Act.3 執念と炎の獣
『「立ち入り禁止」の看板を踏みにじることは勇気の証明ではないよ』
初めて出会ったとき、月を背負う椎名はそう言って佐々木をにらみつけた。
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病院の玄関口で待機していた婦警が、白銀たちに合流するのを佐々木は影から見ていた。
「白銀先輩、百鬼山ン本会系の黒腕使いの蛭間に動きがありました」
「金剛、うるさい」
「すいません……」
金剛と呼ばれた婦警が肩を落とす。
警察が病院から引き上げていくのを見届けてからベンチを離れた。
聴取のため唐突に病室を出ることになったので、そのまま無言で帰るということはためらわれた。帰るにしても蒼華に一声かけようと思いたち、佐々木は病室に向かっている。
『緋扇、しっかりしろ』
その言葉が耳に残っていた。恐らく、そう遠くない親族が負傷したであろうことは想像に難くない。もしかすると入院先がショアライン総合病院だから彼女は、真っ先に口にすることが出来たのではないだろうか。
動画で見たことは素知らぬ振りをするつもりでいる。昨日今日会ったばかりの、まるで事情を知らない人間の安い同情や憐憫は、かえって蒼華を傷付けるだけだと思った。幸い作り笑いは得意だった。
角を曲がれば蒼華のいる病室というところまで来たところで、看護師に連れられた蒼華と鉢合わせた。
涙を浮かべて「お願いだから、付いてきて」とすがりつく彼女を振り払うという選択肢はない。
病室には『緋扇陽介』という名札が下げられていた。蒼華の兄だった。
細工堂というマスクを着けた女医が控えていた。彼女は佐々木には関心が無さそうな様子で、一瞥すると手元のタブレットの操作に戻った。
「緋扇さんの容態に関してですが」
蒼華の手に汗がにじむ。貸した手から緊張感が直に伝わってきた。細工堂がわざと焦らしていることに佐々木は気付いている。
「非常に危険な状態です」
少なくとも佐々木には細工堂がマスクの下で笑っているのがわかった。元が玩具を見つけた子供のような無邪気な笑顔であれ、成長過程でどす黒い邪気を孕むのだと思わされた。
「こちらをご覧ください」
細工堂から差し出された端末には奇しくも佐々木が先ほど見ていた動画が再生されている。彼女はその終盤で動画を止めた。ブライアン逃走直後の場面だ。
映し出された炎の獣を細工堂はピックアップする。
「ここで緋扇さんが発動した能力ですが、今日まで解除されていません」
佐々木は二、三歩後退したくなるような目眩がした。
事件直後から今日まで約二日間、常に能力を使い続けているということだ。意識不明になって尚、彼は執念でブライアン・ウォードを追っている。
「体力の消耗が激しく、こればかりは手の打ちようがありません。しかも彼の能力は伺った話ですと、複数種類の炎の動物を操作するものだとか。恐らく緋扇さんがプログラマしたのは『ブライアン・ウォードの追跡』。一度に多方面かつ広範囲に向けて放っている。これは常に脳を酷使している状態です。その負担は計りしれません」
蒼華の顔が青ざめる。
「刻一刻と確実に衰弱していますので、体が明日までもたないということも覚悟していただきたい」
放心した蒼華が膝から崩れ落ちるのを、佐々木が支える。こんなに小さな体なのに力が抜けた体というのは何て重いのだろう。佐々木は重力を恨めしく思った。
病室の空気さえ重たくて佐々木は息が詰まりそうになりながら、蒼華を病室まで運んだ。