Act.2 ペンギンと病院
目を覚ました緋扇蒼華は白を基調とした室内を見渡す。
清潔感のあるベッドやその周りの設備、そしてペンギンにリンチされる佐々木陸を見て、「ここはショアライン総合病院?」と思い至った。
「ああ、目が覚めたんだね。良かった。気分はどう。痛いところはない?」
ぺンギンたちに膝を重点的に攻められようとも佐々木はめげずに蒼華に笑いかける。
「見てることしか出来なくてなんだか心が痛い……」
おぼろげだが佐々木のことを思い出す。逆光ではあったが確かに彼は、悲痛な面持ちで傷付いた蒼華を見下ろしていた。
「あなたは私を受け止めてくれた……」
蒼華は言葉に詰まった。知らない男子がいたらそうなるよな。佐々木はペンギンを抱き上げ、顔を隠すようにして掲げる。
「僕は佐々木。看護師さんに君を看ているよう頼まれちゃって」
「それではまるでペンギンが挨拶をしているようじゃないですか」
可愛い子だな。サイドテールに結った髪を揺らして苦笑する蒼華を見て、佐々木は胸が暖かくなる。
「そ…、私は緋扇蒼華。助けてもらい、かたじけない」
緋扇と聞き、佐々木は記憶を漁る。護剣寺の傘下は『懐刀七業傑』に名を連ねる緋扇家のご息女か。と言うことはつまり、と佐々木が弾き出した答えは「じゃあ君は忍者なの!」。佐々木のテンションが急上昇する。
心なしか蒼華も満更ではなさそうで、「確かに私は忍びの者」と得意気だ。
「分身の術は?」
「ぶっちゃけできる」
蒼華が親指を立てる。
「マジでか」
佐々木は戦慄した。
「でもよくここがショアライン総合病院だってわかったね。やっぱりペンギンがいることで有名なの?」
まあ、と顔を曇らせて蒼華が言いよどむ。知り合いが入院しているのかもしれないと思い至り、佐々木は話題を変える。なぜ空から落ちて来たのかも聞けそうにない。
「そうだ。目が覚めたら、呼んで欲しいって看護師さんが。ナースコールは……、押そうとすると痛いかな。そっちに行っても良いかな」
「何から何までごめんなさい」
蒼華の許可を得て、歩み寄り、代わりにナースコールを押す。しばらくして慌ただしく複数の足音が近付いてきた。看護師に付き添われ、スーツ姿の男女数人が病室に入ってくる。
棒付きキャンディをくわえた男性は「起き抜け一発目に申し訳ねえんだけどさ」とへりくだる様子がまるでない前置きをした。彼は懐から取り出した厳ついエンブレムの付いた警察手帳を開いて見せる。
「俺は警視庁捜査五課、異能犯罪に特化した部署の白銀っていうんだ。こっちは組織犯罪対策部の奴らな。合同捜査をしてる真っ最中。ちょっと話、聞かせてもらっても良いかな?」
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佐々木の実家に妙見院学園からのスカウトマンが来た翌日、椎名の元を訪ねた。
「やっぱりあまり良い顔はされませんでした」
眉根を下げて佐々木は笑った。
報告を受けて椎名は「そうか」と短く応えた。椎名自身あまり親子関係が良くなく、祝われた経験も乏しい。そのためどういう言葉をかけるのが正解なのかわからなかった。佐々木もそれは把握しているので、椎名に対して多くは望まない。
佐々木は別の話題を振ることにした。
「そう言えば、何でスカウトマンがいるんですか?」
「能力者が反社会的勢力に拐かされるのを未然に防ぐためだ。有用な能力者が欲しいのは裏社会でも同じだからな」
佐々木の分の紅茶を用意する。
「学園の目的は能力者の教育とその能力を登録・データベース化することだ。しかし能力が発現した子供を入学前に裏社会の人間が誘拐する事件が相次いだことがあったのだよ。それでシビャクのときに痛い目を見させられたからな」
「シビャク?」
火にかけたヤカンの水が沸騰しだす。
「五○年ほど前に一家惨殺事件が起き、一人の子供が行方不明となった。その子供はどういう経緯を経てか、指定暴力団の傘下に流れ着き、腐乱結界『梗爛紫獄』という強大なアルターポーテンスを発現させて組同士の抗争の最前線に現れた。未登録の能力を前に不用意に領域に踏み込んだ構成員が多数犠牲になった。匿われているのだろうな、今もまだシビャクは捕まっていない」
もっとも、と言って椎名は温めた茶器にティーパックを入れて、湯を注いだ。
「学園の管理も杜撰と言えば杜撰だがな」
茶菓子を添えて佐々木の前に茶器を置く。佐々木はお礼を言い、蒸す時間を待った。
「能力の内容は自己申告だから、能力の一端を全面的に押し出し、嘘を吐かずに真実をごまかす申請をする者も少なくない」
「椎名さんもその一人ですよね」
佐々木が意味深な眼差しを向けると椎名は開き直った様子で宣う。
「我が『流転廻廊』は風を操作する能力だが何か」
いけしゃあしゃあと何を。佐々木はその言葉を紅茶で喉の置くに押し流した。
「だがまあ能力を開示すれば、必ず対策される。警察や軍に就こうと考えている者はそのリスクを理解しているから、まず公のランキング戦などには出たがらない。あんなものに好き好んで出る奴はよっぽど力に自信があるか、自己顕示欲が強いかだ」
椎名は肩をすくめる。
「一見きらびやかで注目度も高いランキングや序列だが、その実体はあまり宛にならない。他の能力を隠し持っている者や強大な力があっても見せびらかすことを良しとしない者はいくらでもいる。それは裏社会の人間も同様だ。学園や政府が把握していない未知の戦力も地下組織には多くいるのだよ」
未知の戦力と聞いて椎名の友人の病葉の他、何人か思い当たる人物が佐々木の脳裏をよぎる。
「それに能力者同士の戦いは戦闘力の高さもさることながら、能力の厄介さも軽視できない。ランキング戦のような表向き派手なのも良いが、警察や軍が欲するサポートに特化した能力はなかなかランキング戦の形式では評価されにくいしな」
「営業職は会社の花形、みたいなのと似てますね」
「あれはカスのような価値観だ。技術職や事務職といった裏方を軽視しすぎなんだよ、日本の企業は」
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佐々木は病院の中庭で蒼華が落ちて来たときの状況などを聴取された。終わってみれば、確認がメインだったので裏取りが目的だったのだろうと佐々木は思った。
日陰になっているベンチにそのまま寝そべり、ブライアン・ウォードのことを調べる。
ニュースでは上空からの映像だったが、別のアングルから撮られた動画がネットに上げられていた。それは報道ではカットされてしまう戦いの顛末だ。
横倒しになった護送車の壁をたくましい腕が突き破り、不適な笑みを浮かべたブライアンが車内から現れる。
警官がブライアンに立ち向かう。
護送車のドアを盾にして銃撃を防ぎ、警官が撃ち尽くしたところで肉弾戦が始まる。武闘派のブライアンを相手取ってなお警官の動きは退け劣らない。警官は炎使いなのか、鳥や犬を象った複数の炎が見てとれた。
しかし決着はもうわかっている。ブライアンの左手の甲から腕にかけて延びた蛍光の赤い光の回路が輝きを増す。
ブライアンが能力を起動する。
属性は『壊』。
ブライアンが何かを壊したとき、エネルギーを左腕に蓄積。殴打に乗せて解き放たれるそれは、破壊の力が込められた一撃。
アルターポーテンス、業腕壊力
左腕から衝撃波が放たれ、土煙が晴れたあとには瓦礫の下敷きになった血塗れの警官の姿が映る。そして護送車を襲撃した込宮組の構成員を伴い、ブライアンが姿を消した。炎の獣たちが後を追う。
軽傷の警官が重傷を負った仲間の元に駆け寄る。『緋扇、しっかりしろ』と聞こえたところで動画は終わる。
佐々木は胸に熱した鉛を流し込まれたような気分になった。なんだよ、これ。