差し出されたその手を
コバルト文庫で、秋杜先生が考えた「お題」に続く短編小説を募集した「秋杜フユのひきこもり小説賞」にエントリーしていた作品です。
冒頭部分(☆まで)は秋杜先生が考えた「お題」となっておりますので、完全なオリジナルではありません。
賞に名を残すことはできませんでしたが、少しでも楽しんでいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
あるところに、それはそれは美しい少女がおりました。彼女を一目見れば、その姿を夢に見てしまうほど心に焼きつき、その声を聞いた者は、あまりに澄んだ声に心洗われ涙を流すと言われています。
けれど、美しいと評判の彼女の容姿を、誰も詳しく知りません。彼女は雲にまでとどく高い棟に、ひきこもっているからです。
噂ばかりで姿を現さない彼女を、いつしか人々はこう呼びました。
『幻惑の姫君』と――。
「どうしよう、どうすればいい!?」
曲線を描く壁に囲まれた部屋の中を、少女はせわしなく歩き回っていた。
この状況を何とかしなければと思うのに、焦るばかりで打開策などちらりとも浮かばない。
コン コン コン
ノックの音が響き、少女はとっさに口を両手でふさぐ。音の発信源である、この部屋唯一の扉へと視線を走らせた。
息すら殺して見つめる先で、金色のドアノブが傾ぎ、もったいぶるようにゆっくりと、扉が開く。
☆
「ふう、ようやくたどり着きました。『幻惑の姫君』、僕はあなたに……ぶふぉっ」
「いやぁぁ……! すみませんすみませんっ! お願いですから出て行ってください! どうか私のことはお忘れください!」
他人が近づいてきた恐怖から、少女は叫びながらその辺にあったクッションやぬいぐるみを投げつける。
「え、ちょっ、待って、話だけでも」
「無理です! ごめんなさいぃ!」
早く出て行ってほしいのに、もう近くに投げられるものがなくなってしまった。椅子を投げても大丈夫だろうか。きっと、この塔のてっぺんまでたどり着いた人なのだから、体は鍛えているのだろう。そう思い至り、少女は椅子に手をかけた。
「え、いや、椅子は駄目でしょう!」
「じゃあ、帰ってくれますか?」
「帰りません。何のためにここまで来たと思っているんですか。それに、女の子はそんなことしちゃいけません」
「大丈夫です、私ただの女の子じゃないので!」
そう言って、『幻惑の姫君』という名が霞んでしまうほどの勢いで、少女は男に椅子を投げつけた。しかし、当然避けられる。そして、椅子を投げた衝撃で自分が体勢を崩してしまい、少女はひっくり返る……かと思いきや、その体はしっかりと男の腕に支えられていた。そのことがまた、少女に恐怖を覚えさせる。
「いやあああああぁぁっ!」
十年近くひきこもり生活をしていて、こんなに叫んだのは久しぶりだ。少女は自分の叫び声に驚いて気絶していた。
「さて、どうしたものか」
気絶した少女を抱き、男は溜息を吐いた。
『幻惑の姫君』という響きから、深窓の令嬢のように大人しく、控えめな女性を想像していたのだが。まったくイメージと違う少女との出会いになってしまった。しかし、見た目は噂通りの美しさだ。暗がりにあっても光輝く黄金の髪、透明感のある白く滑らかな肌。アクアマリンの瞳は大きく、花弁のような唇は艶がある。一流の画家でさえ、少女の美しさを描ききることはできないだろう。
その声を聞いた者は、あまりに澄んだ声に心洗われ涙を流すと言われているが、その澄んだ声で拒絶され、悲鳴を上げられてしまえば別の意味で涙を流したくなる。悲しい気持ちになりながら、男は少女をベッドまで運んだ。
*
『幻惑の姫君』――アリスティアナがこの高い高い塔で暮らすようになったのは、九歳の時。アリスティアナは、スティル王国の第一王女として生まれた。生まれた時から、その容姿や声、立場からか異常なまでに可愛がられていた。自分を囲む人々の中に黒い欲望が垣間見えて、アリスティアナは子どもながらに大人を恐ろしいと感じていた。そして、漠然と感じていたその恐怖が現実のものとなったのが、アリスティアナが九歳の時に起きた誘拐事件。アリスティアナは無事に保護されたものの、心に刻まれた恐怖は消えたりしない。当時のアリスティアナは、家族である両親や兄でさえも恐怖の対象としてしか見れなかった。もう自分には他人と関わるのは無理だ。そうアリスティアナは九歳で悟ったのだ。そして、そんなアリスティアナの我儘を、父は叶えてくれた。誰も近づきたくても近づけない場所へ、アリスティアナを連れて行ってくれたのだ。
「アリスティアナ、私たちはいつでもお前のことを思っている。寂しくなったら、いつでも帰っておいで」
優しい父の言葉は、ずっとアリスティアナの胸に残っている。アリスティアナが天高くそびえるこの塔で、他人に怯えることなく安心して暮らせているのは父のおかげだ。
しかし、これから一生、両親と会うことはないかもしれない。十八になっても、アリスティアナの中にある他人への恐怖は消えていない。それに、もう家族とどうやって接していたのかさえ思い出せないのだ。
「……ふあ~っ」
今日もよく寝た。おもいきり伸びをして、アリスティアナは目を開けた。そして、自分の側に人の気配を感じて固まった。
「おはようございます。いや~、しかしよく寝てましたね」
にこりと告げられたその言葉に羞恥を覚えるよりも、他人が側にいることに恐怖を感じていた。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
勢いよく、ザザザザ……とアリスティアナは男から距離をとった。男から一番離れた壁際にたどり着き、一呼吸おく。
(ゆ、夢じゃなかったのね……あの人、どうやってここまで)
塔には、侵入者妨害のための様々な仕掛けが施されている。普通に階段を上ってくるだけでも、一週間以上はかかる長い道のりだ。そして、その仕掛けが発動される度に、アリスティアナの部屋には警告ベルが鳴る。しかし、今まで誰もアリスティアナのいる塔のてっぺんまでたどり着いたことはなかった。この男が来るまでは。
「まあそう怯えずに、ゆっくり話をしましょう。まずは自己紹介ですね。僕は、スティル王国王立騎士団長ロイドと申します。アリスティアナ様にお願いがあって参りました」
ロイドと名乗った男は、怯えるアリスティアナを気遣いながら優しく話す。王立騎士団、と言われて見てみれば確かにロイドは騎士服を着ていた。といっても、勲章や記章がついた騎士としての正装ではなく、動きやすく簡略化されている普段着の方だ。短い茶髪に紫色の瞳、すっと通った鼻筋。それらはすべてバランスよく配置されており、他人と関わりのないアリスティアナでも女性に騒がれる類の男であることは分かった。歳も見たところ二十代前半と若い。この若さで騎士団長を拝命しているとは、よほど優秀なのだろう。そんな男が、世間から隔絶されたひきこもりの王女に何の用があるのか。
「実は今、国王陛下は病に臥せっておいでです。病に苦しみながら、アリスティアナ様の名を何度も何度も口にしています。どうか、国王陛下に会っていただけませんか」
「……そ、そんな」
父が病に侵されているなんて、知らなかった。いや、自分の生活を守るためだけに精一杯で、家族のことも、王国のことも知ろうとしていなかった。父は病に臥せってまで、自分のことを気にかけてくれているというのに。
「アリスティアナ様、泣かないでください。きっと、まだ間に合います。いいえ、間に合わせましょう」
ロイドの言葉で、アリスティアナは自分の目から涙がこぼれていることを知る。慌てて涙をぬぐい、呼吸を落ち着かせた。
「お父様には会いたい、です。でも、無理です。外の世界が怖い。この塔の中でしか、私は安心して生きられないんです!」
自分勝手だと分かっている。でも、外に行くことを考えただけで、足がすくむ。体が震える。息がうまくできなくなる。
「大丈夫です。何があっても、アリスティアナ様のことは僕が守りますから」
「あなたのことも怖いんです! 私は人間が嫌いな変な女なんです! お父様が病気だと聞いても会いに行けない親不孝者です。こんなところまで来ていただいて申し訳ありませんが、もう帰ってください!」
「それは無理です。僕は、国王陛下の願いを叶えたい。そしてアリスティアナ様、あなたにも外の世界の素晴らしさを知ってほしい。他人と関わることは怖いことばかりではありません。こんなところにひきこもるのはもうやめて、一緒に外の世界を見に行きましょう」
そう言って、ロイドは手を差し出した。彼との距離は十分にとってある。その手が届くことはないし、自分がその手を取ることはないと知っている。それなのに、何故かアリスティアナはその手から目が離せなかった。自分を恐ろしい外の世界へ連れ出そうとする手なのに。
「やめてください」
「僕は、あなたがこの手を取ってくれるまでずっとここにいます」
「あなたは、ストーカーなんですか?」
「その呼び方は大変心苦しいですが、たしかにそうなるのかもしれませんね」
「私を、どうするつもりなんですか?」
「どうもしません。ただ、僕はアリスティアナ様と一緒に外へ行きたいだけです」
「私は、絶対に外へは行きません」
「いいえ、アリスティアナ様はきっと僕の手を取ってくれます。とても、優しいお方だから」
話が通じない。アリスティアナは久しぶりの他人との会話に早々に疲れてしまった。放っておこう。とりあえず、この部屋からは出て行ってほしい。心の声が顔におもいきり出ていたのか、ロイドは決まり悪そうに謝った。
「すみません、王女様の私室に勝手に上がり込んで。でも、僕はずっと待っていますから」
パタン。ロイドが部屋から出て行ったのを確認し、アリスティアナは大きく息を吐く。
「な、なんなの……!?」
アリスティアナの自由で快適な塔でのひきこもり生活は、この日を境に幕を下ろした。
*
アリスティアナの塔には、昼と夕方の二度、鳩たちによって食事が運び込まれる。それも、宮廷料理人の一流料理が。アリスティアナに食事や必要物品を運ぶためだけに訓練された6匹の鳩は、今日もしっかりとアリスティアナのために食事を運んでくれた。
「いつもありがとう」
鳩たちを笑顔で労い、アリスティアナは食事を受け取った。季節は春。最近は肌寒さもなくなって、窓を開けていた方が快適な気温になってきた。だから、食事が冷えていても問題はない。それに、この塔には一応簡易的なキッチンがある。
今日のメニューは、新鮮な野菜のサラダ、キノコとベーコンのキッシュ、手のひらサイズの可愛いクロワッサンだ。レンガで造られたオーブンで、アリスティアナは慣れた手つきでクロワッサンを焼く。いい具合に焼けたところで皿に移し、別口であたためていた紅茶をカップにそそぐ。
「いただきます」
アリスティアナにとって、一人での食事は当たり前だ。しかし、自分だけがちゃんとした食事をとっているという罪悪感とともに食事をとるのは初めてだ。あれから、物音が聞こえてくることから、ロイドが帰っていないことは分かる。しかし、食事などはどうしているのだろう。もし、何も食べずに力尽きて倒れていたらどうしよう。アリスティアナは一口かじったクロワッサンを皿において、立ち上がった。
恐る恐る扉へと近づき、そぅっと開ける。
「アリスティアナ様、どうしました?」
さすが騎士。音を立てないように、しかも小指一本分しか扉を開けていないのに、アリスティアナに気付いた。笑顔でこちらを見つめるロイドは、まだ元気そうだ。衝撃の訪問からまだ一時間も経っていないので当然ではあるが。
「あの、本当に帰ってください」
「いいえ」
「……食事は、どうするつもりなんですか」
「大丈夫です。騎士団の訓練中、食事を抜いたことは何度もありますし、非常食は持ってきていますから」
そう言って、ロイドは乾燥したパンを鞄から取り出した。見るからに硬そうで、あまり美味しくなさそうだった。
「そうまでして、私を外に出したいのですか。あなたには王立騎士団長としての大切な仕事があるでしょう。こんなところで無駄な時間を過ごしてはいけません」
王女としての仕事を何一つ果たしていないアリスティアナが言えたことではないが、王立騎士団長の彼とひきこもりの自分では、どちらが役に立つか立たないかは誰の目にも明らかだ。
「これも、王立騎士団としての大切な仕事だと思っています。アリスティアナ様こそ、本当にこの塔で一生独りで暮らすおつもりなのですか?」
「えぇ。それに、私が今更戻ったところで、王宮に居場所があるとは思えません」
『幻惑の姫君』などと謎めいた呼び名がついているが、アリスティアナはただ人前に出るのが怖くて王女という立場を捨てた弱虫だ。他人が怖いと言いながら、他人に守ってもらえないと生きていけない。誰の役にも立てず、迷惑をかけているだけ。そんなことは分かっている。だから、尚更出ていけない。帰れるはずがない。
「アリスティアナ様、この塔にいることが、本当にあなたの幸せですか?」
「……も、もちろんですわ」
ロイドの問いに、迷わず頷くことが、何故かできなかった。
「そうですか。アリスティアナ様が幸せならば、国王陛下も喜ばれることでしょう」
アリスティアナの言葉を純粋に信じた訳ではないだろう。しかし、ロイドはそれ以上何も言ってこなかった。ロイドが言葉を発する度、動く度にアリスティアナの体がびくついていたのを、彼はきっと気付いている。だから、踏み込んではいけないところには踏み込んでこないようにしている。さすが上に立つだけあり、人との距離感のはかり方がうまい。
かく言うアリスティアナも、観察力に優れていた。だからこそ、必要以上に他人の言動に敏感になり、恐怖を覚えるようになっていた。
「……これ、よかったらどうぞ」
アリスティアナは、かじっていないクロワッサンをひとつハンカチに乗せて差し出した。
「ありがとうございます。とても美味しそうだ」
「えぇ、とっても美味しいわ」
嬉しそうに受け取るロイドに、アリスティアナは無意識に微笑んでいた。
ロイドが塔に来てから、一週間。毎朝、毎晩、帰れ帰らないの言い合いが日課になりつつあった。しかし、そうして始まって終わる一日の中で、他愛のない会話が増えていった。
「毎日、塔で何をして過ごされているんですか?」
「本を読んだり、編み物をしたり、掃除をしたり、楽器の演奏をしてみたり……毎日、何か楽しいことはないかと探しているの」
「アリスティアナ様は多趣味なんですね。僕には剣術しか取り柄がありませんから、羨ましいです」
「そんなこと、ないです。私、運動は全然できませんから」
いつからか、扉越しの会話ではなく、アリスティアナはロイドを部屋に招き入れて一緒にお茶をしながら話すようになった。
そして、アリスティアナはずっと気になっていたことをようやく口にした。
「あの、お父様は、どんな病なのですか。お母様やお兄様は元気にしていますか」
「……国王陛下は、肺を患っておいでです。医師が言うには、あとは気力の問題だと。ですから、ずっと国王陛下が案じているアリスティアナ様に、励ましていただきたいと思いました。王妃様も、国王陛下に付きっ切りで看病していますから、心労のためか少しやつれておいでです。第一王子サーディルド様は国王陛下の代わりに国政を仕切っています」
ロイドの言葉のひとつひとつを心にしっかりと刻む。自分が逃げて楽をして、目を背けてきたすべての結果である気がして、胸が苦しくなった。しかし、次に聞こえてきたロイドの言葉がアリスティアナの涙をひっこめた。
「そして、皆さまアリスティアナ様に会える日を心待ちにしています」
「ほ、本当に?」
震える声で問えば、ロイドは自信満々の笑顔で頷いた。
「それに、僕は知っていますよ。アリスティアナ様がこのスティル王国のことを思っていることを。アリスティアナ様が読む本は、難しい帝王学や歴史の本から、農業や商業の本まで様々。それらは、この塔で暮らすだけなら必要のない知識ばかり。でも、王族としては必要な知識だ」
そう言って、ロイドは壁一面に広がる本棚と、床に山積みになっている本に視線を向けた。何度も何度も読みこみ、書き込みを加え、使いこんだその本たちはくたびれていた。
「その知識に、僕たちは救われていましたよ」
「……え?」
「アリスティアナ様への必要物品を検問していたのは、王立騎士団です。アリスティアナ様からのリクエストがあれば、それを用意したりも。塔から出てこないお姫様にしては、難しい本ばかりを所望するな、と不思議に感じていました」
ロイドの話を聞きながら、アリスティアナは鼓動が早くなるのを感じていた。
「そしてある時、ほんの出来心で本に相談事をメモして挟んでみました。その時ちょうど農民たちが作物を荒らすカラスに困っていたもので」
知っている。アリスティアナはたしかにそのメモを受け取った。そして。
「次の日、帰ってきた鳩はアリスティアナ様からの手紙を持って帰ってきました。まさか返事が来るとは思っていなかったので驚きました」
カラスは力が強く、嘴が鋭い。だから、畑を囲むように頑丈な網を張り、音の鳴るものをぶら下げて威嚇するといい。そうアリスティアナなりに考えて、手紙に書いた。
「あれは、あなただったの……」
「はい。黙っていてすいません。あれから何度も、アリスティアナ様の知恵に助けられました。だからこそ、会ってみたいとずっと思っていました。しかし、アリスティアナ様に会いに行くことは王命で禁じられていました。本来ならば、手紙のやりとりも罪です。だから僕は、王立騎士団長の地位を捨てる覚悟でここまで来ました。国王陛下のため、と言いながらも、本当は僕自身がアリスティアナ様に直接お礼を言いたかったから、会いに来たのです。アリスティアナ様と過ごす時間が心地よくて、今まで言い出せずにいました。申し訳ございません」
そう言って、ロイドは深々と頭を下げた。アリスティアナの頭は混乱していた。しかし、ロイドを責める気にはなれなかった。彼の思いを嬉しいと感じた自分がいたからだ。時々くる悩み相談だって、自分が役に立てた気がして嬉しかった。本当は、アリスティアナだって、王女としてこの国の役に立つ存在になりたかった。他人は怖いけれど、緑豊かで美しい景色を持つこのスティル王国が大好きだった。優しい人がいることだって、ちゃんと知っていた。それでも、過去のトラウマを乗り越えることができなかった。そんな弱い自分が、自分で嫌いだった。そして、もう自分と闘うことに疲れて、諦めていたのだ。ロイドが来るまで。
ロイドが来てから、他人と一緒に過ごすことが恐怖だけではないのだと思い出すことができた。ロイドの訪問は、たしかにアリスティアナの中に大きな変化を与えたのだ。
「顔を上げてください。お父様が王命を下してまで私を守ろうとしてくれていたことも知らず、すべてを諦めて、逃げ続けていたのは私の方です。ロイドさん、来てくれてありがとうございます。あなたのように優しくて太陽のような人がひきこもりの姫のせいで騎士団長を辞めるなんて、それこそ国のためになりませんわ」
アリスティアナは、どこかすっきりした気分で笑った。もう、覚悟は決めた。
「ロイドさん、私はあなたの手を取ります」
一緒に帰ろうと、差し出されたあの時のロイドの手をアリスティアナは取る。
しかし、恐怖がない訳ではない。アリスティアナがロイドへと差し出した手は震えていた。頼りなさげなその手を取り、ロイドは跪く。
「アリスティアナ様、これから先何があっても私が必ずお守りします」
アリスティアナを見つめる紫の瞳は真剣で、それが騎士としての誓いであることに気付いた。ロイドの誓いに勇気をもらい、アリスティアナは頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
そうして、『幻惑の姫君』と呼ばれていたお姫様は、長年ひきこもっていた塔から、迎えに来た騎士とともに出ました。病がちだった王様は、お姫様の姿を見るなり泣いて喜び、気力を回復し、見事病に打ち勝ちました。家族だけではなく、王宮でもあたたかく迎え入れられました。彼女の側には、いつも一人の騎士がいました。お姫様を迎えに行った騎士です。王宮に帰ってきたお姫様は、騎士とともに国民の問題に向き合い、次々と解決策を考えていきました。
学者顔負けの知識と知恵で問題を解決していく彼女を、いつしか人々はこう呼びました。
『賢者の姫君』と――。