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鳥の王  作者: ゆぅび
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四.山犬と鳥

ファキナとの旅は、意外なほど楽しいものとなった。

ファキナは驚くほど世の中の様々な情報を知っており、ガルダが全く知らなかった異国の話を聞かせてくれた。しかし、アルカダルとシャナカーンの状況については固く口を閉ざした。ファキナがナーガ族への面会を望む理由と何か繋がりがあるのかもしれない。

また、毎夜就寝前に行われる剣技の特訓もガルダには新鮮で楽しいものだった。ナーガ族の血を引いているためかファキナ曰く『センスは抜群』らしく、みるみるうちに上達しているのがガルダ自身にもはっきりと感じられる。最初は目で追うことすら困難だったファキナの剣さばきも、今では楽々見極めることができるようになった。

「ファキナ、頼みがあるんだ」

いつもの特訓の後、焚き火で沸かした熱い茶の入ったカップを指で弄びながら切り出した。

焚き火の向こうにあるファキナを見ると、黙ったままガルダをじっと見ている。

この一週間ほどの同行で分かったが、こういう時はファキナはすでに聞く態勢を整えている時だ。

「ナーガ族の里の場所は教える。ただ、俺は里には入らない。見張りのいる手前までだ。見張りに出会ったら、要件を言うといい。それと、ナーガ族には俺の名前は決して出さないでほしい」

ファキナに不信感を持たれようと、自分が里に近づいていることを一族の者に知られては警戒されてしまう。最悪の場合、追放者が戻ったということで追っ手を差し向けられる可能性もある。

「何か、事情ありみたいだな」

「…」

まさかそこまでは明かすことはできない。この一週間でファキナが悪い人間ではないことはわかっている。しかし、流石にそこまで信用する気にはなれない。

「…ま、心に留め置いてやるよ」

「…ありがとう」

視線を逸らして礼を言うと、ファキナがその場に寝転がった気配がした。

「せっかく俺が助けてやった生命なんだ、大事にしろよ」

その言葉に、弾かれたように顔を上げたがファキナは焚き火と逆の方を向いており表情を窺い知ることはできない。

自分が目論んでいることを悟られてしまったのだろうか。しかし、ファキナのナーガ族への要件を考えると確信されていれば阻止しようとするはずだ。なにせ、自分はファキナが会いに行こうとしている者を殺そうとしているのだから。

考えても仕方がないことは考えない。

そう結論付けてガルダもまたその場に横たわろうとした時だった。

「…ファキナ」

声を低くし、名前を呼ぶ。微かだが、何かの気配がした。フクロウの鳴き声と小動物の走り回る音、そして風が木の葉を嬲る音だけが聞こえていた森の中に何か違和感のある音が響いた気がする。

ファキナと気付いていたのか、いつの間にか愛刀を手元に手繰り寄せている。

やがて、その違和感の正体は明らかになった。

「…山犬か」

呟いたファキナの視線の先には、闇の中に赤く光る双眸が点在していた。

焚き火を背にし、ガルダも旅の途上で購入した長剣に手を伸ばす。

「いいか、ガルダ…奴らには噛まれるんじゃねぇぞ。どんな病を持ってるか知れたもんじゃない。街中ならまだしも、こんな山ん中じゃロクな治療もできねぇ」

「…わかった」

カチリ、と鯉口をきる音がした。それを合図にしたかのように、闇の中の獣どもが一斉に飛びかかってきた。

焚き火の明かりを頼りに、影に向かって剣を振るった。

手応えはあった。

ギャン、と鳴き声がして影が地面に翻筋斗打つ。一瞬他の影が怯んだ気配があったが、それも束の間のことで残りの影が次々と飛びかかってきた。それを躱しながら一匹ずつ仕留めていく。次第に焚き火から切り離され、明かりが届きにくくなる。

(くそっ…こんなところでお前らに殺されてやるわけにはいかないんだよ!)

三匹、四匹と斬り伏せるうちに刃が油を巻いて切れ味が鈍るのを感じた。

「ガルダ!」

焚き火からかなり離され闇の支配が濃くなり始めた時、山犬の向こう側からファキナの声が聞こえた。

どうやら、向こうに向かった山犬を全て始末して救援に駆けつけてくれたらしい。

「ファキナ!」

少しホッとした瞬間、隙ができた。それを見逃さずに一匹の山犬が飛びかかってきた。

「…っ」

その鋭い爪に傷つけられぬよう、刃の腹で受け止めた時だった。

グラリ、とバランスが崩れる。

「あ…」

踏鞴を踏んだ先には、地面がなかった。いつの間にか崖っぷちに追い詰められていたらしい。

抜かったな、となぜか頭の隅で冷静に考えた。

「ガルダァーーーー‼︎‼︎‼︎」

暗闇に放り出されたガルダの耳に、ファキナの絶叫が聞こえる。自分とともに放り出された山犬が、出っ張った岩に叩きつけられてか弱げな鳴き声をあげた。

(ああ、俺もあの山犬と同じになんのかな…)

薄れゆく意識の中で、それもいいか、と考えている自分がいた。



「んぁっ…」

全身を襲う痛みに思わず漏れたのであろう自分自身の声で、ガルダは目を覚ました。

自分は一体何をしているのだろう。どうしてこんなにぜんしんがいたいのか。

そこまで考えて、山犬と共に崖下に転がり落ちたことを思い出した。

まだ周囲は闇に包まれており、そんなに長く気を失っていたわけではなさそうだ。ただ、中天にあった月が既に森の木々の端まで傾いている。

月明かりのあるうちに自分の状況を把握しようと、周りを見回した。

「…!」

自分と共に落ちた山犬であろう。手を伸ばせば届くほどの距離に盛り上がった毛の塊がある。

(死んだ、のか…?)

そう思って手をのばしかけた時、その毛の塊がわずかに身じろぎした。伸ばしかけた手を素早く引っ込める。

だが、山犬らしきものはわずかに動いただけで立ち上がろうとはしなかった。

そういえば、落ちる時に山犬が崖の中腹にある岩に叩きつけられたような音がした。かなりの衝撃があったろうと予想できる。

「おい…生きてんのか」

生きていることはわかりつつも思わずそう声をかけた。すると、山犬がわずかに頭をもたげてガルダの方に目をやった。

それが精一杯なのであろう、頭以外は動かそうとしない。

青い、理知的な目であった。

「怪我してんのか…痛いのか」

自分を崖から突き落とした相手であることも忘れて労りの声をかけた。

「グルルルル…」

返ってきたのは警戒の唸り声だけである。

「…ちょっと待ってろよ」

そう声をかけて、ガルダは立ち上がった。

「っ…ぁっ…」

その途端、全身を痛みが襲う。奇跡的に骨は折れていない様だが、所構わず打ち付けたらしい。全身のそこかしこが悲鳴をあげた。

空を仰ぐと、真上に葉が鬱蒼と茂った大きな木が見えた。幸運にも、あの葉の上に落ちたらしい。クッションになって重傷を負わずに済んだのだろう。

足を引きずって木の根元に近付くと、幹に太い蔓が巻きついているのが確認できる。その蔓を引き剥がし、地面に落ちた枝を数本拾った。そして再び足を引きずりながら山犬の元へ戻る。

「お前だって、生きるために襲うんだもんな…。お前らは偉いよ、自分が生き延びる為だけだ。俺ら人間みたいに無駄に殺したりしない」話しかけながら、そっと山犬の背に触る。

途端に、山犬は毛を逆立ててガルダの手を噛もうと頭を振り回し始めた。怒りとも恐れともつかない唸り声をあげながら、必死でガルダの手を阻もうと足掻く。しかしそれも哀れに見えるほどに体が追いついていない。

「獲って食いやしないよ…骨、折れてるんだろう。そのままじゃ死ぬぞ。手当してやるから大人しくしろ」

なだめる様に優しく話しかける。笑いかけると、山犬は暴れるのをやめた。殺されることを覚悟したのか、ガルダの気持ちが伝わったのかはわからないが恐る恐る背中、後足、前足と触っていく。前足の付け根に触れた時、山犬がひときわ高い悲鳴の様な声をあげた。

「ここだな」

背骨が無事だったのは幸いとしか言いようがない。

「少し痛むぞ、骨を元の形に戻すからな」

話しかけながら、そっと足を伸ばす。

賢い犬だ。普通の犬なら噛み付こうとするだろうに、痛みを与えている張本人のガルダを睨みつけこそすれ、噛み付こうとはしていない。

じっと痛みに耐えている。

どうにか前足を真っ直ぐに伸ばし、拾ってきた枝で支え、蔓を巻きつけて固定した。

「よし、いい子だ。終わったぞ」

とはいえ、ガルダ自身もこの先どうして良いか分からない状況に変わりはない。夜空を仰ぐと、先程森の端にかかっていた月がわずかな余韻を残して沈みゆくところだった。

このままではあたりは真の暗闇になってしまう。また山犬どもが襲ってこないとも限らない。痛みを堪えて、ゆっくりと立ち上がった。

見回すと、30フェア(約100メートル)ほど離れたところの崖に、程よい窪みがあるのがうっすら見て取れた。あそこなら、万が一山犬に襲われたとしても一方向からだし、入り口付近で火を焚けばおそらく近づいてすらこないだろう。そして怪我をした犬を振り返る。

「一旦助けたんだもんな…置いてけないよな」

呟いて、その体の下に手を入れる。しかし、満身創痍のガルダには持ち上げることができなかった。仕方がなくきていた上着を脱ぎ、そこに先程の蔓の余りを絡ませた。

「少し痛いと思うけど、ちょっとの距離だから我慢しろ」

そう言って、犬の身体をそっと押して布の上に乗せた。山犬は唸りもせずその様子を眺めている。そして、蔓の端を持ってそろそろと引きずり始めた。



「はぁ、やっと着いた…」

わずかな距離を四半刻ほどもかけて移動しただろうか。目的の窪みに到達して、ガルダはその場に倒れこんだ。

「…ふぅ、こうしちゃいられないな…」

窪みは奥行きが4チェッタほどあり、幸いなことに風で吹き込んだのだろうか、突き当たりには手頃な枯葉や枝が溜まっていた。それを掻き集め、ポケットに入っていたマッチに火をつける。ガルダの様子を眺めていた山犬の体がピクリと動いたのがわかった。

「大丈夫だよ、お前を害するものじゃないから」

宥めるように話しかけ、火を枯葉に移す。乾いていた枯葉は、すぐにマッチの火を受け取りパチパチと音を立てて燃え始めた。

「…俺はもう少し枝を探してくるから、此処でおとなしくしてるんだぞ」

青い瞳がじっとガルダを見据える。

「…名前がなきゃ不便だな。山犬、じゃあんまりだもんな」

少し考え込んだガルダは、うん、と一つ頷いた。

「お前は…ヴィドフニルだ。すごいんだぞ、ヴィドフニルは。伝説の大樹、ユグドラシルの天辺にいる鳥なんだ。そして、その光り輝く身体でユグドラシルを照らしてるんだってよ。お前も、俺の行く先を照らしてくれよな」

恐る恐る、しかし優しくヴィドフニルの頭を撫でる。

「ヴィドフニルだぞ。覚えたか。この名前が聞こえたら、それはお前のことだからな」

そう言い置いて、ガルダは窪みを出た。痛みに体が慣れてきたのかヴィドフニルを引きずっていないからか、先程よりも体は軽い。月はすっかり森の木々の中に身を潜め辺りは真っ暗だったが幸い、炎の明かりが届く範囲にたくさんの枝が落ちていた。どうやら、最近大風でも吹いたらしい。幸運なことだ、と手近にあるえだを拾い集めた。四半刻もすると、両手に抱えなければ持てないほどの枝が集まった。大きな火を灯さなければ、これだけあれば十分だろう。

枝集めを切り上げ、ヴィドフニルの待つ窪みへと戻った。ヴィドフニルは炎に怯えることもなく、ガルダが窪みを出た時の体勢のままで座っていた。

「お前は、本当に賢いな。怖くないって言ったら、無駄にビビったりしない」

呟きながら小さくなり始めていた炎の中に、数本の枯れ枝を投げ込んだ。新たな糧を得て、パッと火の粉が散る。

「きっとこうやってたら、ファキナが見つけてくれる。あいつだって、俺がいなくちゃナーガの里に辿り着けないしきっと探しにくる。そしたら、一緒にお前を抱えることだってできる」

炎の暖かさに安心してしまったのか、急な睡魔がガルダを襲う。

「少し…寝かしてくれ、な。火が消えかけそうな時はちゃんと起きるから…」

色々なことがあった一日だった。疲れが身体を襲い、一気に眠りへと引き込まれていった。



「…きろ、起きろ!」

突然聞きなれた声が耳の中にこだまし、ガルダは一気に覚醒した。

「ごっ、ごめん…寝過ごした…」

いつもの癖で謝ってから辺りを見回す。

窪みの縁から差し込む眩しい光と燻った焚き火から立ち上る白い煙が視界に入った。そして、その光を背にして立つ長身の男…。

「ファ、ファキナ」

ガルダが自分の名を呼ぶのを耳にして、影は安心したように大きく息を吐いた。

「よかった…無事だったんだな」

その言葉に、昨晩の事が走馬灯のように頭を駆け巡る。

「ヴィドフニル!」

後で思えば、崖を降りる場所を探して一晩中駆け回り、命がけで崖を下りガルダが倒れてる姿を見て(本当は寝ていただけだが)心臓が止まるかと思ったというファキナを差し置いてヴィドフニルの名前を呼んだのは本当に申し訳なかった。しかし、火の番をするという約束をしておいて熟睡してしまったためヴィドフニルが姿を消してしまったのではないかと思ったのだ。しかし、何故か火は小さくだがまだ燻り続けている。

昨晩は、ヴィドフニルが警戒しないように自分は敵意はないことを見せるためにヴィドフニルに背を向けて寝た。それを思い出して背後を振り返る。しかし、予想に反してヴィドフニルはきちんとそこに伏せていた。

「ヴィドフニルって…こいつのことかよ」

山犬の姿を見て安堵の息を吐いたガルダに、ファキナが呆れたように肩を竦めた。

「こいつ、お前と一緒に崖から落ちたやつだろ。いつの間に仲良くなったんだ」

「別に…仲良くなんて」

陽の光の中で初めて見るヴィドフニルは、ガルダが考えていたよりもずっと美しい毛並みをしていた。黒いふさふさした毛の中で、背中に一筋銀色の毛並みが通っている。その銀色はヴィドフニルの喉元に達し、胸を飾るチョーカーのように輝いていた。

「やぁ…明るいとこでは初めまして、だな」

「こいつさぁ…」

「え?」

「はじめ、お前のこと殺そうとしてんのかと思って刺激しちゃなんねぇって思ったからさ、暫く遠くから見てたんだ。したら…」

ファキナは小さく積まれた枯れ枝の山を指差す。

「こいつ、火が消えかけたらあの枝咥えて、口で投げ入れてた」

「…」

ガルダが火を大きくするのを見て同じようにしたのだろうか。それとも、前に誰か人間と暮らしていたのか?そう考えてみると、確かに普通な山犬のように人間を警戒していない。

「ファキナ…」

「あん?」

「おれ、こいつ連れて行きたいんだけど」

「はぁぁ?」

「こいつ、足折って歩けないんだ。折れてんの一本だけだから打撲が治ったらなんとか歩けるようになるとは思うんだが」

「…だが、なんだよ」

「…勘弁してくれよ。ただでさえ戦争の噂できな臭ぇのにこれ以上遅れんのは…」

でも、ここに置いて行ったらヴィドフニルは確実に数日のうちには死んでしまうだろう。

じっと動かない犬を見つめるガルダの表情に、ウンと言わなければテコでも動きそうにないと思ったのか、大きく息を吐いた。

「…取り敢えず、街道に戻るぞ。話はそれからだ」

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