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鳥の王  作者: ゆぅび
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三.生命と取引

アルカダルの首都、サリムを出てから3日が経った。商人の足でサリムからナーガ自治区へは二週間ほどというから旅慣れていないガルダの足では三週間がいいところか。

まだまだ旅は始まったばかりである。


しかし、何も考えずにサリムを飛び出して来たが、一体自分はどうやってあの父を討つつもりなのだろう。

我がことながら、まるで他人のことのように感じられて実感がない。

ナーガ自治区を追放された時はまだ自分は6歳で、父の記憶はあまり鮮明には残っていない。寧ろ、寝物語がわりに母からよく聞かされた印象の方が色濃い。

母の話によれば、父であるカシュヤパはナーガ族の血を色濃く受け継いだ男であったらしい。その体躯は大きく、大人の男の腕で一抱えほどもあるような大木を素手でひきぬけるほどの力を持っていた。幼少の頃からカシュヤパを見ていたナーガ族の人々は当たり前のようにそれを見ていたが、外つ国から嫁いで来たばかりの母は、腰が抜けるほどに驚いたという。また、異能力を発揮すれば一族の誰よりも早く空を駆け、他の追随を許さなかったと。

しかし、それだけの圧倒的な力を持ちながら父は優しかった。ナーガ族にだけ受け継がれる強靭な肉体と異能力を持たない母を、壊れ物を扱うように優しく優しく抱きしめてくれたとか。

幼い頃は毎夜のように聞かされた父の英雄譚に心動かされ、奇妙な憧れのようなものがあった。しかし、今はそのような感情は爪の先程も湧いてこない。

本当に母が語るような優しさを持ち合わせた男ならば、まるで不要な物を捨てるかのように母と自分を捨てたりしないはずだ。

しかし、父は自分の気持ちや母の気持ちよりも、一族の掟を守ることを選んだ。憎しみの気持ちならまるで枯れることのない泉の水のように湧いてこそすれ、憧れの気持ちなど全くない。

それはいい。

問題はそこではなく、そのような強靭な男に普通の人間である自分がどうやって立ち向かえば良いのか、だ。しかも、ナーガ族の王は不思議なことにその在位中は歳をとらない。つまり、年齢による肉体の衰えは全く期待できないということだ。

自慢ではないが、ガルダは一抱えほどもある大木どころか両手の平で囲めてしまうほどの木ですら引き抜くことはできない。人間の男としては標準に達しているという自覚はあるものの、相手は人間の男の基準などまるであてにならないような怪物なのだ。

正攻法では敵う気が全くしない。

となれば、正攻法でない手段を取るしかないのだが。

(全く思い浮かばないな…)

出来れば、母がどのように衰弱し、痩せ衰えながらも父のことを思い死んでいったのかを目の前でぶちまけてやりたい。お前のせいで母は死んだのだと訴えてやりたい。

そのためには、正面からぶつかっていかなければならない。

(まぁ、成るように成る、か…)

仮に仇を討つことができずに返り討ちにあったとしても、誰も自分の死を悲しむわけではない。その点では気楽なものといえる。

仇を討てずに死んでしまうのは残念ではあるが、母が亡き今、心残りは何もない。

もし躊躇いもなく父が自分を返り討ちにするのであれば、最早相手は心を持たぬ畜生だろう。負けるのも致し方がない。


(しかし、暑いな…)

額に馴染み始めた汗を手に持った使い古した布で拭う。そろそろ日が短くなり始める季節ではあるが、まだ残暑は厳しく秋の風を感じるまでには至らない。長時間歩いた経験のほとんどないガルダには殊更それが堪える。

(少し、休むか)

今無理をして長旅を続けられなくなってしまっては元も子もない。戦争の匂いが立ち込め始めたことに焦りは感じるが、焦りは禁物だ。

そう思って木陰に腰を下ろすと、背後に気配を感じた。

ゆっくりと振り返ると、丁度ガルダと大きな気並木を挟んだ反対側に、ボロボロの帽子を顔の上に乗せて日焼けとし、寝転がる男の姿が見えた。

「すみません…ここ、お借りしてもよろしいですか?」

少し待ったが、返事はない。

眠っているのだろうか。

仕方なく、青く晴れた空を見上げる。気温こそ高いが、空はすでに秋の気配を漂わせ始めている。少し前に市場から見上げた空よりも僅かに高くなっているような気がした。

「ダメって言ったらどうすんだい」

不意に、背後から声が聞こえた。

反射的に振り向くと、眠っていると思われた男が顔の上の帽子を少し持ち上げ、視線だけをこちらに寄越していた。

「はい…?」

「さっきあんた、俺に聞いただろう。『ここ借りてもいいですか』って」

確かに聞くには聞いたが、それからゆうに5分は経過している。

「…お返事がないものです、諾と受け取りました」

「ま、この木は俺の所有物じゃねぇし許可取る必要なんざねぇけどな」

そう言って再び、先程と同じように帽子を顔の上に乗せた男を見てやや苛立たしい気持ちがこみ上げる。

だったら、何も言わずに寝ていればいい(いや、そもそも寝ていなかったのか)。態々話しかけて来たくせになんという態度だ。

「あんたさぁ、もーちっと姿隠したほうがいいぜ」

再び声が聞こえ、振り向いたが先程とは違い帽子は顔に載せられたままだ。

「どういう事ですか」

「そんな目立つ外見晒して歩いてたら、人攫いに連れてかれるぞ」

「おっ…俺はもう18歳だぞ!子供ではない!」

「ばーか、人を金で売り買いする奴らは、珍しけりゃ年齢なんてカンケーねぇって。金髪はまだしも、金瞳なんざ滅多にお目にかかれるもんじゃねぇ。実際に…」

そこまで言うと、男はゆっくりと帽子を持ち上げそのまま立ち上がる。寝転がっていた時は気付かなかったが、身の丈三チェッタ(約190センチ)程はありそうな長身だった。手には、いつ掴んだのか一般的なものよりもやや長めの直刀が握られていた。

その煌めく刃に思わず目を見張る。

「人相の悪いお客さんをぞろぞろ引き連れてるじゃねぇか」

「は?」

その反応を無視し、男はガルダの背後に視線を投げかけた。

「おい、もうバレてんだよ。諦めて姿見せやがれ」

いったい誰に言ったものか。

やや間が空き、背の方から砂利を踏みしめる音が聞こえた。

振り向くと、そこには男の言うところの『人相の悪いお客さん』と思われる者達が五人、立っていた。

「よぉ、兄ちゃん。あんたにゃカンケーないだろ?怪我する前に消えなよ」

「アホか、こんな子供がお前らみたいな人攫いに狙われてんのにハイそーですかって消えるわけにはいかねぇだろ」

「怪我したくねぇなら消えろって言ってんだよ」

「おーおー、悪党の代表的な台詞までご丁寧に」

男が去る様子がないのを見て取ったか、人攫いのうちの一人が偃月刀を振りかざして突如地面を蹴った。

(あっ…)

男が斬られる、と思った。人攫いの動きは思ったよりもずっと素早く、一瞬のうちには男の間合いの中に飛び込んでいた。

思わず目を瞑る。

「終わるまでそーやって目ぇ瞑ってな」

耳元で、そう囁かれたような気がした。

そして、何かが地面に倒れこむ音。

血の匂いが、鼻孔をくすぐった。

そして立て続けに二回、同じ様な音がしてさらに血の匂いが濃厚になった。

「てっ…てめぇ、ナニモンだ…」

先程男とやりとりをしていた人攫いの声が聞こえた。恐る恐る顔を上げる。

途端に目に飛び込む、鮮やかな真紅色に眩暈を覚えた。視線を振ると、三人の人間が目に飛び込む。

一人は、直刀から血を滴らせた男。そして、二人の人攫い。下っ端と思われる残り一人の人攫いは、最早立ち向かう意志を喪失しているのが見て取れるほど怯えた表情をしている。リーダーと思しき人攫いは気丈に振る舞ってはいるが、それでもあっという間に手下三人が倒されて勢いを削がれたのは明らかだ。

「ん?まだやるか?俺は構わねぇけど」

男が唇の端を歪めて笑うと、僅かに残っていた闘争心も一気に消し飛んだ様だった。

「おっ…覚えてやがれ!」

そう吐き捨てると、リーダーは一気に踵を返してガルダが元来た方に走り去った。手下が腰を抜かしそうになりながら慌ててそれを追い、あっという間に二人は姿を消した。

「あーあ、またありがちな台詞を…」

呟きながら直刀を振って血を払うと、地面に転がっていた鞘の中にその刀身を収めた。

「あ…ありがとう、ございます…」

まさかあの様な輩につけられていたとは気がつかなかった。危うく、仇を討つどころか好みさえも危うくなるところであった。

しかし、男は返事をせずに、近くに置いてあった旅装と思われるものを肩に担ぎ上げガルダを見下ろした。

「…ずらかんぞ!」

「は?あの」

「グズグズすんな、早く立て!」

「はっ…はいっ…」

勢いに押される様にガルダも自分の荷物を持ち、早くも走り始めた男の後を追った。



「はっ…はぁっ、ちょっ、ちょっと…待って…」

かれこれ半刻も走り続けただろうか。

男の足は緩むことを知らず、ガルダはついていくのに必死だった。しかしそれももう限界が近づいている。こんなに全速力で走り続けたのはいつぶりだろうか。

その場に膝をつくと、男がやっと足を止めた。

「ま、これだけ離れりゃとりあえずは大丈夫だろ。まだ安心できる距離じゃあねぇけどな」

「…なんのことですか?」

皮袋に入った水をあおって貼りついた喉を湿らせてからガルダはそう尋ねた。なにせ、突然だったもので頭が追いついていかない。

男は、ガルダを見て溜息を吐いた。

「…まぁ、相手が人攫いだろうがなんだろうが一応は人間だ。二人も殺しゃ、面倒ごとにも巻き込まれる。俺はあんなところで足止めを食うのはまっぴらごめんだからな」

「そんな」

人を殺してにげるなんて、と言いかけて口を噤む。この男は、自分を助けるために人殺しをしたのだ。ガルダが自助する力があれば敢えて手を汚す必要もなかった。

「…失礼しました、俺の名はガルダ。サリムから来ました。お助け頂き、ありがとうございました」

「急に改ってなんだ。今、俺を非難しようとしたんじゃないのか?」

「いえ、俺にはそんなことを言う資格はない。貴方がいなければ、俺は今頃目的地に着くこともできずに見知らぬ場所、見知らぬ人間に売り飛ばされていたでしょう」

「ま、成り行きだ。さすがに目の前で子供が拐われようとしてるのに見捨てたら寝覚めが悪い」

「…お名前を、教えていただけますか?」

その問いには答えず、男はじっとガルダの顔を見る。

「んサリムから来たと言ったな」

「…えぇ、まぁ」

「しかし、その顔立ち、アルカダルの出身じゃないな」

「…」

「といって、コハナやシャナカーンの血とも思えない。シャナカーンは東方の民族で凹凸の少ない顔と黒、茶の瞳と髪が特徴だ。コハナは南方から来た民族と言われていて、褐色の肌の者が多い。何度かコハナに行ったことはあるが、お前の様な髪と瞳、肌を持つ奴なんて見たことがない」

ガルダは黙ったまま男が言葉を紡ぐのを聞いている。

「俺は実際にお目にかかったことがないが、現在のナーガ族の王は金の瞳、金の髪を持つ男だと聞く」

「…貴方は、ナーガ族のことを知っているのか?」

「いや、詳しくは知らん」

「ナーガ族は皆、常人の五倍から十倍ほどの筋力を持ち、ある異能力を有してる」

「異能力、か。噂には聞いたことがあるが実際に見たことはないな。どんな能力だ?」

ガルダは視線を地面に落とした。今ここで、この男にその能力を実際に見せることができたらどんなにいいことか。それが出来ていたら、母も自分も自治区を追放されることなどなかった。

ナーガ族に関することを見ず知らずの男に話していいものかと一瞬迷いが生じたが、追放された身だ。義理立てする必要はなかろうし、他国の者に言ってはならないと口止めされた覚えもない。

「…ナーガ族の者は皆、鳥に姿を変えることができる。鳥の種類は様々だが…」

「よく知っているな。ナーガ族の縁者か?」

「まさか。そうだったら、あんな人攫いに遅れをとったりしない」

「ま、そりゃそうか…ナーガ族は閉鎖的で滅多に自治区から出ないと言うしな」

「…そういうことだ。じゃあ、俺は先を急ぐから」

「俺の名はファキナ」

「は?」

「さっき聞いたろ、俺に名前を」

木陰での出来事といい今回といい、質問に対する答えのタイミングを外すのが趣味らしい。

「お前、ナーガ族に詳しいのか」

「詳しいってほどじゃない。少し知ってるだけだ」

「ナーガ族の首里の場所を知っているか」

人の話を全く聞かない男だ、このファキナと名乗ったやつは。そう感じながら首を横に振る。

「言ったろ、少し知ってるだけだって」

「大体の位置を知っているか」

なんだと言うのだ。勿論、詳細な場所まで知っている。ナーガ族に義理立てする気はないが、自分がナーガ族だと知られると厄介だという気がした。

「ま、大体の位置なら聞き及んでるが実際には行ったことがないしこんな知識はなんの役にも」

「大体でいい。俺を連れて行ってくれ」

「はぁ⁉︎」

「俺は俺のボスに命令を受けてナーガ族とコンタクトを取らなければならない。しかし、ナーガ族について知ってるやつは皆無だ。大体でもありがたい」

「なんで俺がそんなこと。大体、俺には俺の用事が」

「受けてくれれば、謝礼は弾む。断れば…」

ファキナの薄茶色の目が光った気がした。

「この場で殺す」

ガルダは息を飲んだ。先ほど見せられたファキナの腕ならば、一瞬でガルダなど両断できるだろう。しかしこれは…。

「脅しだ」

「知ってる。しかし、俺の密命を聞いたからにはこのまま別れるわけにはいかん」

(何言ってんだ、こいつ‼︎)

ガルダが聞いたわけではない。ファキナが勝手に喋ったのだ。なんという身勝手さ。

「知るか‼︎」

そう言い捨てて、素早く立ち上がった。こんな妙な男には付き合っていられない。一刻も早くこの場を離れたほうがよさそうだ。

「動くなよ、死ぬぞ」

耳元に風が吹いたかと思うと、喉にひやりとした感触があった。動きを止めて視線を下にやると、青光りする刃が顎のすぐ下で煌めいている。

「死にたくないなら、逃げるんじゃねぇ」

「わ…分かったから、離して、くれ」

言葉を発するのさえためらわれるようなギリギリの距離に研ぎ澄まされた刃があるのでは交渉も何もあったものではない。それに、今の一瞬で逃げるのは無理だと悟った。

ガルダに逃げる気が無くなったのを見てとったのか、ファキナは刃を引く。

足から力が抜けて、思わずその場にへたり込んだ。

「本当に、詳しくはわからない。たとえ辿り着けなくても俺のせいじゃないぞ」

「首里が見つからなければ、死んでもらうまでだ」

あまりの理屈に…いや、理屈も何もあったものではないが、その言い様に開いた口が塞がらない。だが、こんなところで殺されるわけにはいかない。

「なんで、ナーガ族に会いに行く」

「それは言えん。言ってもいいが、聞けばその場で首と胴がお別れすることになるぞ」

その場面を想像し、首をブルブルと振った。

「じゃあ…報酬は先払いしてくれ。その代わり、ナーガ族の里にかならず連れて行ってやる」

「何が望みだ」

「俺に、剣技を教えてくれ」


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