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さくらの花嫁  作者: あた
本編
5/32

とりあえず家に帰らせてください。

「陛下ッ」

 紫苑が後宮に足を踏み入れると、紫の衣を着た少女がまろび出てきた。豪族、藤家の娘、白姫。小動物めいた、潤んだ瞳でこちらを見つめてくる。

「お待ちしていました」

 庇護欲をかきたてる、うるうるした瞳に気おされつつ、紫苑は口を開く。

「あ、ああ……実は君に話があってな」

「はい?」


 紫苑の背後から出てきた玉葉に、白姫がぱちぱちと目を瞬く。

「あら、料理人の。どうしたの」

「あの……実は」

 玉葉に言わせるのは気が引けて、紫苑は先に口を開く。

「この娘に、桜を渡してしまってな。一年、彼女に花嫁をやってもらうことになった」


 白姫があんぐり口を開ける。

「……ハ?」

「すまん」

 思い切り息を吸い込み、白姫が叫ぶ。

「なんですのそれはああ」

「姫様、落ち着いてくださいませ」


 蛍雪が、慌てて白姫の腕を引く。白姫はきっ、と玉葉を睨みつけた。

「あなたっ、陛下を誘惑して花を渡させたんでしょう! なんて女なの!」

「誘惑なんかしてません、うどんを食べさせただけで、確かに桜がほしいって言ったけど、花嫁のことなんか知らなかったし」

「言ったんじゃないですの! うどんで陛下を釣るなんて、なんて卑怯な!」


 二人のやり取りを聞いていた紫苑は、眉をしかめた。

「それじゃあまるで、私がひどく食い意地が張ってるようではないか」

 控えていた蓮宿が、張ってますよ、食い意地。とつぶやく。

「一年だけのことです、白姫。どうかお心を鎮めてください」

 蓮宿が頭を下げると、

「……ではお誓いくださいませ」


 白姫が玉葉と紫苑に指を突きつける。

「けして触れあわぬと、清い関係を貫くと!」

「なっ、当たり前じゃないですか!」

 玉葉が真っ赤になる。


「陛下も誓ってくださいませ、私だけを本当の花嫁にしてくださると」

 白姫がうるうる瞳を潤ませる。蓮宿からの圧力を感じ、紫苑は頷く。

「ああ、もちろんだ、百姫」

「白姫ですわ」

 紫苑はちら、と玉葉を見た。彼女は疲れた顔でため息をついていた。





 呪い、いや夫婦の誓いは今夜から有効らしく、玉葉はいったん家に帰り、荷物を持ってくることになった。蓮宿にくるまを出してもらい帰宅すると、弟が駆け寄ってくる。

「おかえり、ねーちゃん」

「ただいま、小狼」


 玉葉は小狼を抱き上げ、ほおずりした。ふと、異様なにおいが漂ってきて、くん、と鼻を鳴らす。

「ん? なんか焦げ臭い……」

「おかーさんが料理してるの」

「ああ……」

 溜息まじりに厨房へ向かうと、母が振り向いて笑みを浮かべた。


「あっ、お帰りなさい、玉葉」

 頬にすすがついている。玉葉はそれをぬぐってやりながら、

「母さんは料理しなくていいって言ってるのに」

「でも玉葉は忙しいし、母さんだって卵焼きくらいなら作れるのよ」

 ほらっ、と差し出された鍋には、炭化した何かが入っていた。玉葉は絶句して、

「これなに?」


「僕知ってる、暗黒物質だーくまたーっていうんでしょ?」

 嬉々として言う小狼の口をふさぎ、

「私が作るから」

「えー? 結構うまくできたのよ」

 母は唇を尖らせて、

「あ、そうだ、父さんにあげてこよう」


 いそいそと厨房を出ていく。父は母にべたぼれで、彼女の料理下手をまったく咎めないので、毎回暗黒物質(小狼談)を食べては腹を下している。玉葉が料理を作るようになったのは一家と自分の生命の危機を感じたからというのもあるのだ。


「小狼、母さんを止めてきて。父さんが死んじゃう」

「はーい」


 使命を与えられた小狼は、ぴょん、と床に降り、母が向かったほうへ走っていく。玉葉は卵を溶き、鍋に油をひいてじゅうっと焼いた。あとは、今朝作り置いて行ったみそ汁と漬物、ごはんでいいだろう。


 食事の支度を終え、荷造りをしていたら、母が声をかけてきた。

「あら、玉葉。どうしたの、荷造りなんか」

 のち、あっ、と声を上げる。


「わかった。恋人ができて、一緒に旅行にいくのね? 誰? 職場の人?」

「旅行なんていかないって、仕事があるのに」

「じゃあなに?」

「ちょっと、王宮に住まないといけなくなっちゃって」

「王宮? なんで」


 ちょっと手違いで、陛下の花嫁になっちゃったんだ――などとは言えず、

「仕事の都合でね」

「そうなの……」

 さみしいわね、玉葉が帰ってこないと。母は肩を落とす。かと思えば、拳を握って決意を表明した。

「安心して、玉葉がいない間は、私がみんなのご飯を作るから!」

 いや、それは全く安心できない。


「食事は毎晩届けるから」

「えっ、どうして? 任せてくれていいのよ」

「届けるから」

 玉葉は有無を言わさぬ笑顔で言った。母のことは大好きだが、あの料理だけは許容できない。父や小狼を命の危機にさらすわけにはいかないのだ。娘がそんなことを考えているとはつゆ知らず、母は頷く。


「でもそうね、玉葉の食事のほうがおいしいもの。だって、王宮の料理人だものね!」

 あなたは自慢の娘よ。そう言われ、玉葉ははにかんだ。料理を褒めてもらえるのが、何よりもうれしい。


家族に見送られながら家を出て、門の前に止まっているくるまに乗り込む。中で待っていた蓮宿の、厳しい目がこちらを向いた。

「どういう説明をしたのですか?」


 ──この人はずいぶん私に敵意があるみたいだ、と玉葉は思う。王をはかったとか思われてるんだろうか? 変な誤解をされてはかなわない。負けじと彼を見返した。

「仕事だって説明しました」

「それで納得したんですか。単純でよいご家族だ」


 むっとしてにらむと、いいですか、と指を突き付けてくる。

「あなたは「うっかり」花を渡されただけ。妙な期待はしないようお願いします」

「妙な期待って、なんですか」

「陛下の懐に入り込もうなどと考えるな、ということです」

 ――懐に入り込むって何よ。猫じゃあるまいし。


「ご安心ください、私、料理以外に興味ないので」

「まあ、髪紐すらつけていないうどん娘に、陛下を誘惑できるとは思いませんがね」

 玉葉は赤くなって髪に手をやった。

「こ、これは、買おうと思ってたけど暇がなくて。先日人にあげたから……」

「どうでもいいです」

 感じ悪っ。玉葉は恨めしげに蓮宿を見て、窓の外に目をやった。先ほどまで輝いていた月に、雲がかかっていた。



 紫苑は占星術師の職場である、星火殿せいかでんに来ていた。中に入ると、朱里が書物を顔の上にのせて寝ていた。

 そっと近づいて、つん、と肩を押す。

「おうっ」

 声を上げた朱里が体制を崩し、椅子からずり落ちる。頭巾の中からこちらを見て、ああ陛下、と寝ぼけた声を出した。


「疲れているなら帰ったらどうだ?」

 ほかの術師たちはとうに帰宅したようで、ずいぶんと静かだ。

「いや、まだ晴天率が出てねえんです。春の天気は変わりやすいでね」

 彼はそう言って、巨大な盆を指さした。碁石が水の中に沈んでおり、浮いたり上がったりしている。

「前から思っていたが、これはどういう仕組みなんだ?」

「気圧の変化で浮き沈みするんだがや。今のところ、明日は三分で晴れだにゃあ。碁石の数で決めます」

「結構雑な占いだな」


 朱里はまあ当たるも八卦、当たらぬも八卦、それが占いというものだ。そう告げて、

「それで陛下、どうされたんですか?」

紫苑は碁石をもてあそびながら、

「おまえに、聞きたいことがある」

「なんでも聞いてちょ、女心以外は答えて差し上げみゃあす」

「玉葉が、私の運命の相手なのだろうか」


 朱里は目を瞬き、

「なんでそう思われました?」

「さっき、言っていたじゃないか、縁がある、と」

「言ったけど、運命の相手かどうかはわからね」

「わからぬとはどういうことだ」

「そのまんまだ。陛下が結婚する相手が、運命の相手だ。その相手にはすでに会ってる。誰かはわからんです」

「やはり雑ではないか……?」

「陛下、運命の相手っちゅうんはね、自力で探すものです」


 朱里は立ち上がり、窓枠に手を置いた。

「無数の星の中から、一番を探し出すみたいなもんです。自分でわかってこその、運命の相手です」

「星は明るいのが一番ではないか……?」

「そうとも限らね。陛下はあの子に、惹かれておいでなのか?」

 紫苑は玉葉のことを思い返した。額についた、白い粉。荒れた手の、細い指先。うどんを打つ力強い姿──


「よくわからない。さっき会ったばかりだし」

「しかし桜をお渡しになったんでしょう? なーんも感じなかったら、ふつうそんなことはせん」

「うどんがおいしくて、礼にと思ったんだ」

「じゃあ陛下はあの子じゃなく、うどんにつられただけかもしれん」

「そうだろうか……」

「それは陛下にしかわからんこと。自分で答えを見つけにゃあ」


 紫苑は朱里の隣に並んで、窓の外を眺めた。星たちが春の夜空を彩っている。数多の星から、運命の相手を探す。そんなことが、可能なのだろうか。自分の相手は決まっている。ずっとそう思っていたのに。


「玉葉と、話をしてみる」

「そうするとええですよ」

 朱里はそう言って口元を緩めた。

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